もし私が住む町の中か近くに放射性廃棄物処分場を建設する計画があったら迷わず反対します。
ほかの人もそうするでしょう。
放射性物質は非常に危険です。
それから管理が非常にむずかしい物質です。
自然災害、戦争などで処分場が破壊されれば放射性物質が飛び散り、周辺を汚染し、広大な土地が住めなくなります。
日本では高レベル放射性廃棄物はもちろん、低レベル放射性廃棄物についても処分場がありません。
したがって放射性廃棄物を出した機関が自分の敷地内に保管しているのが現状です。
その敷地で働く人も周辺に住んでいる人も不安でしょう。
原発であれ、研究機関であれ、病院であれ、放射性物質利用機関が、処分場の建設は政府の責任であるとして利用し続けることは無責任です。
人々が処分場建設に反対している訳ですから、政府は処分場を建設しないかもしれないと考えるべきです。
政府も、責任をもって処分場を建設するから放射性物質を利用し続けていいと原発等に言うことは無責任です。
建設できないかもしれない、したがって原発等が自分で保管しなければならないかもしれないと言うべきです。
政府がそのように言うと原発等は、放射性物質利用は政府が中心になって推進してきたではないかと批判するでしょう。
しかし民主主義の日本では処分場の建設に賛成か反対かは人々が決めることです。
その人々が反対する以上、政府は建設できません。
昔建設すると言った政府は無責任だったと考えるしかありません。
戦後は原子力技術に夢中になりすぎました。
アメリカなどの放射性物質利用先進国にあこがれすぎました。
国土が狭く、処分場建設が非常にむずかしい日本の特殊事情を無視しすぎました。
思考力、予測力が弱かったということだと思います。
ロシアが放射性物質の最大供給国になることを目標にしているそうですが、放射性廃棄物の処分を引き受けるかはまだわかりません。
ロシアの人々だって放射性物質の危険性を認識すれば放射性物質大国になることを嫌うでしょう。
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