EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

松山城光のおもてなし その2

2015年07月30日 | 伊予松山歴史散策
今年ご逝去されました、歌舞伎役者の坂東三津五郎さんがお気に入りの伊予松山城。
「光のおもてなしin松山城」その2です。
特記事項
一昨日(7月28日)、青森県弘前市の蛯名正樹副市長さんが松山市の野志市長を訪れ、現存12天守同盟を唱え松山市も締結しました。蛯名正樹副市長さんは陣羽織姿で署名用巻物を持って現れました。現存天守を有する12都市で、広域連携によるPRを目的に同盟を結び、現存12天守の価値と魅力度の向上を図るための活動を呼びかけての松山訪問でした。
締結署名した後、野志松山市長は、弘前市は染井吉野桜の管理実績がある、松山城の染井吉野桜の管理が連携出来れば幸いですと語った。
日本の城の天守のうち、江戸時代またはそれ以前に建設され、現代まで保存されている天守のことです。現存12天守は下記の通りです。
備中松山城(岡山県高梁市)・姫路城(兵庫県姫路市) [H27.5.14同盟締結]・犬山城(愛知県犬山市)・丸岡城(福井県坂井市) [H27.7.4同盟締結]・松本城(長野県松本市) [H27.5.22同盟締結]・宇和島城(愛媛県宇和島市)・高知城(高知県高知市) [H27.6.11同盟締結]・丸亀城(香川県丸亀市)・彦根市(滋賀県彦根市)・松山城(愛媛県松山市)[H27.7.28同盟締結]・松江城(島根県松江市) [H27.5.26同盟締結]・弘前城(青森県弘前市)
さて話が少し外れましたが「光のおもてなしin松山城」に帰ります。筒井門から、再び光の芸術を見ながら下りて行きましょう。


筒井門前まで下りて来ました。松山城で一番大きな城門です。戸無門と筒井門にある郭に仕掛けられた「鳳凰」が一際際立って待ち受けていました。


その鳳凰です。


戸無門を潜ると、高さ16mの石垣とその上にある太鼓櫓が幻想的に見えて来ます。そして石垣のたもとにLEDで造られた花が仕掛けられていました。


戸無門を潜り、180度左に折れると、隘路と呼ばれている道があります。四色のLEDにより創り出された虹の石垣と、待合番所跡に造られた光の仕掛けが目に入って来ます。


隘路を下側から見た景観で、石垣の奥に太鼓櫓、そしてその奥に天守が見えます。幻想的な光景でした。ここは、鹿児島県出身の俳優で水彩画家の、榎木孝明さんお勧めの松山城の風景です。松山に来られた時ここで絵を画かれました。


待合番所跡に造られた光の仕掛けです。場所は大手門跡前に在ります。


待合番所跡に造られた光の仕掛けで、此処は、大手門跡、二之丸に行く分岐点の所です。


待合番所跡を下ると、揚木戸門跡に辿り着きます。揚木戸門跡から見た待合番所跡の仕掛けです。右の石垣が、小説坂の上の雲に出て来る秋山眞之が幼少時代に上った石垣です。


揚木戸門跡を少し下った所から待合番所跡までの通路で、右の石垣の上に隠門続櫓がある所です。通路に紫色のLEDを配し幻想的な感覚で醸し出しています。


NO9の画像から反対方向の風景です。


ロープウェイ山頂駅舎広場(長者ヶ平・ちょうじゃがなる)から登城通路を上から見た光景で、次の画像は下方から見た光景です。


ロープウェイ山頂駅舎から登城の通路で、下方から見た画像です。


ロープウェイ山頂駅舎前広場(長者ヶ平・ちょうじゃがなる)に創られた光の仕掛け物です。






ロープウェイとリフトの下に東雲口の登城通路が有ります。通路両サイドに光の仕掛け、そしてリフトの防御ネットにも光の仕掛けがあり、中央に見える支柱はロープウェイの支柱です。此れにもライトアップしてありました。


東雲神社の鳥居にもライトアップされておりました。東雲神社は、文政6年(1823)伊予松山第11代藩主松平定通公が造営した神社で、伊予松平は、本来久松で定通は久松家の祖先は菅原道真公であるため、道真公と藩祖久松定勝公を祭神としての藩崇敬の神社です。


最後の光の仕掛けで、東雲口登城通路東雲神社の石段です。今回は本丸からっ下山しながら光の仕掛けを見て来ましたが、登城する場合はここが最初に見る「光のおもてなしin松山城」の入口になります。
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