EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

松山市窪野町:窪寺跡の彼岸花群生

2014年09月25日 | 伊予松山歴史散策
松山市窪野町北谷地区に「彼岸花」の群生地がある。地主さんが自分の鑑賞の為にと21年前に植栽し、その後地元住民たちが支援して大切に管理育成している。桜(染井吉野桜)の木も植栽されており、27年前に植え込んだそうだ。56本あった。面積は、3ヘクタール位あるそうだ。
この地区には、四国88ヶ所第46番札所「浄瑠璃寺」があり、四十五番札所・岩屋寺(上浮穴郡久万高原町)から巡礼する遍路道があり今年は、四国八十八ヶ所霊場開創1200年記念でお遍路さんの巡礼者が多い。
 お遍路さんと地元住民の見ず知らずの人同士が出会い、言葉を交わし、心を通わせ「(お・も・て・な・し)、お持て成し」の心でお接待をしている姿をみると心が和む。・・いい光景である。
「彼岸花」の群生地の上に一遍上人が修行をした窪寺跡の石碑がある。
先日、(19日)に撮影に行ってみると花が少なく、今年は異常気象の為かと思いながら撮影し帰り際に地元の方に状態をお聞きすると、今年は開花が遅れており月末頃が満開になるでしょうとの事、今日(25日)行ってみたがやはり昨年よりも少ない。地主の奥さんが来ておられ状態を伺うも今年は少ないと言われた。一昨年は、撮影時期を逸し、気が付くと開花が過ぎていた。今年は、二度いく事になった。
彼岸花群生地区は、非常に珍しく愛媛県ではこの地だけでは?撮影に県外からも来ていた。
近くに由緒ある正八幡神社があり 秋山好古が揮毫した 注連石がある。
画像は、9月25日、撮った彼岸花群生地区(松山市窪野町北谷)。
    

1,5km手前に指示看板が設置してある。・・これは個人の方が設置。


「彼岸花」の群生地の上に、一遍上人生誕750年・没後700年を昨年8月10日、一遍上人御誕生の宝厳寺(松山市道後湯月町)が火災で全焼し、本堂の重要文化財「一遍上人立像」が焼失した。
記念事業として記念碑が建立してある。
「彼岸花」の群生地の上に一遍上人が修行をした窪寺跡の石碑がある。一遍上人は鎌倉時代中期の僧侶で時宗の開祖。
延応元年(1239年)伊予国の豪族、河野通広の第2子として生まれる。幼名は松寿丸。生まれたのは愛媛県松山市道後温泉の奥にある宝厳寺の一角といわれ、元弘4年(1334)に同族得能通綱によって「一遍上人御誕生舊跡」の石碑が建てられている。本家の河野氏は、承久3年(1221)の承久の乱で京方について祖父の河野通信が陸奥国に配流されるなどして没落し、一遍が生まれた頃にはかつての勢いを失っていた。河野一族の極楽往生を願い全国遊行を行っていたが、父の死をきっかけに還俗して伊予に帰る。しかし一族の所領争いなどが原因で、文永8年(1271)32歳で再び出家、信濃の善光寺や伊予国の窪寺、同国の岩屋寺で修行する。窪寺は、一遍上人成道の地として極めて重要な所である。


彼岸花の分布は、北海道から琉球列島まで見られる。自生ではなく、日本には中国から帰化したものと考えられる。その経緯については、稲作の伝来時に土と共に鱗茎が混入してきて広まったといわれているが、土に穴を掘る小動物を避けるために有毒な鱗茎をあえて持ち込み、あぜや土手に植えたとも考えられる。また鱗茎は薬になり、救荒食でもある。そのような有用植物としての働きを熟知しての運搬の可能性も無視できない。
日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一であり、三倍体である。故に、雄株、雌株の区別が無く種子で増えることができない(遺伝子的には雌株である)。中国から伝わった1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったと考えられる。


彼岸花は、別名「曼珠沙華」とも呼び異名が多く、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)、はっかけばばあと呼んで、日本では不吉であると忌み嫌われることもあったが最近は趣が変わり活花として観賞するようになった。・・世も変わったものである・・・季語・花言葉 ・秋の季語。
花言葉は「情熱」「独立」「再会」「あきらめ」
「悲しい思い出」[4]「想うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」。
迷信
花の形が燃え盛る炎のように見えることから、家に持って帰ると火事になると言われている。


最近中年の御婦人方はいい一眼カメラ持参で良いアングルで写真を撮っている。


奥に見えるご一行は、吟行の方達で俳句を作っていた。


一部の場所には、群生で沢山の花が咲いていた。


以下の画像は、撮影条件を変えて撮ってみた。




彼岸花は、全草有毒な多年生の球根性植物。散形花序で6枚の花弁が放射状につく。道端などに群生し、9月中旬に赤い花をつけるが、稀に白いものもある。その姿は独特で、夏の終わりから秋の初めにかけて、高さ30 ~ 50cmの枝も葉も節もない花茎が地上に突出し、その先端に包に包まれた花序が一つだけ付く。包が破れると5~ 7個前後の花が顔を出す。花は短い柄があって横を向いて開き、全体としてはすべての花が輪生状に外向きに並ぶ。花弁は長さ40mm、幅約5mmと細長く、大きく反り返る。



昨年8月10日、一遍上人生誕地である宝厳寺本堂と庫裏が火災で全焼した。そして国指定の重要文化財「一遍上人立像」が焼失した。
松山城天守最上階160mから撮影。1440mm相当レンズ。

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