今回も、JR四国ジパング倶楽部企画の旅で、今年大いに人気を博した「村上海賊の娘」、天正4年(1576)の第一次木津川口の戦い、村上水軍の当主・村上武吉の娘・景(きょう、20歳)を描いている作品。今年の夏は、今治市にある来島村上水軍本拠地「来島」、能島村上水軍の「能島」、因島村上水軍・因島、尾道市」の三島村上水軍ゆかり地巡りを多くの観光者が訪れてそうだ。平成26年9月14日(日)、JR四国ジパング倶楽部企画の旅で、三島を高速艇で巡って来た。来島と因島には上陸して観光出来たが、残念ながら能島には上陸出来なかった。先ずは、来島村上水軍の本拠地であった、来島に向かった。途中日本三大急潮流の一つとして有名な来島海峡の急流を間近に体験し、さらには世界初の三連吊橋「来島海峡大橋」を海上から臨み(橋くぐり)、日本一の海事都市「今治」の象徴である造船所群を湾内からも見学、明治時代に建てられた芸予要塞の砲台跡が残る「小島」(おしま)を眺め歴史的にも戦国時代の来島村上水軍の居城跡「来島」に上陸、今治観光協会所属のガイドさんの案内で観光した。
いざ今治港から画像の高速艇に28名が乗船して三島村上水軍ゆかりの地巡りに出発。
高速艇の後部デッキに出て艇からの潮のしぶきを浴びながら来島大橋を撮った。
日本三大急潮流の一つとして有名な来島海峡の急流を間近に体験。
世界初の三連吊橋「来島海峡大橋」を海上から臨み(橋くぐり)。
日本一の海事都市「今治」の象徴である造船所群を湾内からも見学、建造され内部作業中の船で大きさは2万トンの貨物船。
来島村上水軍の本拠地であった、来島。
来島に上陸して「来島城跡」に移動。
来島城跡記念碑。
来島城跡石垣で、芸予地震の時崩れ、その後修復された。
来島城本丸跡。
来島城本丸跡から見た世界初の三連吊橋「来島海峡大橋」。
来島城本丸跡から見た「小島」でここに明治時代に建てられた芸予要塞の砲台跡綺麗に保存されている。
小島芸予要塞にあった28センチ砲弾砲を旅順に持ち込み、児島源太郎の厳令で二〇三高地に1発218キロの砲弾を2300発打ち込み、わずか1時間20分で完全に占領したと言われています。画像の28センチ砲弾砲はNHK坂の上の雲のロケに使われたもので小島の桟橋に展示されている。
小島にある施設で、明治32年から2年間の突貫工事で、当時の30万円の巨費を投じ、砲台や赤煉瓦の兵舎、火薬庫などが作られた。こうした施設が当時のまま残っている貴重な遺跡。
赤煉瓦の兵舎、火薬庫などが作られこうした施設が当時のまま残っている貴重な遺跡。
小島山頂にある司令塔跡。
来島村上水軍城跡見学時に配られた観光パンフ1。
来島村上水軍城跡見学時に配られたパンフ2。
いざ今治港から画像の高速艇に28名が乗船して三島村上水軍ゆかりの地巡りに出発。
高速艇の後部デッキに出て艇からの潮のしぶきを浴びながら来島大橋を撮った。
日本三大急潮流の一つとして有名な来島海峡の急流を間近に体験。
世界初の三連吊橋「来島海峡大橋」を海上から臨み(橋くぐり)。
日本一の海事都市「今治」の象徴である造船所群を湾内からも見学、建造され内部作業中の船で大きさは2万トンの貨物船。
来島村上水軍の本拠地であった、来島。
来島に上陸して「来島城跡」に移動。
来島城跡記念碑。
来島城跡石垣で、芸予地震の時崩れ、その後修復された。
来島城本丸跡。
来島城本丸跡から見た世界初の三連吊橋「来島海峡大橋」。
来島城本丸跡から見た「小島」でここに明治時代に建てられた芸予要塞の砲台跡綺麗に保存されている。
小島芸予要塞にあった28センチ砲弾砲を旅順に持ち込み、児島源太郎の厳令で二〇三高地に1発218キロの砲弾を2300発打ち込み、わずか1時間20分で完全に占領したと言われています。画像の28センチ砲弾砲はNHK坂の上の雲のロケに使われたもので小島の桟橋に展示されている。
小島にある施設で、明治32年から2年間の突貫工事で、当時の30万円の巨費を投じ、砲台や赤煉瓦の兵舎、火薬庫などが作られた。こうした施設が当時のまま残っている貴重な遺跡。
赤煉瓦の兵舎、火薬庫などが作られこうした施設が当時のまま残っている貴重な遺跡。
小島山頂にある司令塔跡。
来島村上水軍城跡見学時に配られた観光パンフ1。
来島村上水軍城跡見学時に配られたパンフ2。