EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

ボーイング787型機・商業運行再開

2013年06月14日 | 伊予松山歴史散策
全日空は次世代中型機としてボーイング787型機(愛称・ドリームライナー)を世界で始めて日本で就航した。
現在、全日空は17機保有しておりその内、電器系統のトラブルで成田、羽田、岡山、高松、松山各空港に5機駐機し修復を待っていが6月1日から運行を再開した。

今年、1月26日山口空港発東京羽田行きの787型機が発煙トラブルで高松空港に緊急着陸、その後787型機は運行停止となり、松山空港でも一機駐機していた。
ボーイング社はバッテリーの交換、配電盤等々の修復等を施し試験飛行を重ねた結果、4月21日改修指示書が届き、22日から松山空港に駐機中の787型機もボーイング社と全日空15名の整備士が新しいバッテリーの交換やエンジンの点検をした。

改修作業は、6月はじめ頃まで掛かり商業運航は6月中旬以降になると報道があったが、修復が早まり、松山の787型機は改修が終わると試験飛行を兼ねて東京羽田に回送してから再度試験飛行運航を行いその後の結果を見て商業運航再開となると地元紙は報道していたが、改修作業は早く進み、テスト飛行を兼ねて羽田航行に移動その後テストを行い、原因不明未解決のまま6月1日から商業運行を再開した。
搭乗者は、787を避けて搭乗される乗客と、787を信じて搭乗する人びと様々だとか。

兎に角、787型機は日本製の機材が多く使われての新型機、胴体等々に使われている素材、炭素繊維複合材料で、東レ愛媛工場で生産されている。この繊維は一次構造材に採用され、機体の軽量化に貢献している。PAN系炭素繊維メーカーとしては、世界最大手であるとか。
これからは不具合のない事を祈ると共に、快適安全な飛行を、頑張れメードイン・ジャパン。
画像は、一昨日(12日)撮ったANAボーイング787型機ドリームライナー。


久しぶりに見る、787型機羽田発、07時20分―松山着09時30分が瀬戸内海、伊予灘上空に姿を現せた。主翼が他の機種と比べて反りがある。


松山空港滑走路上に787の文字が確認。


いよいよ松山空港に着陸。


定刻08時45分に着陸。


787型機は、ボーイング787ドリームライナー(Boeing 787 Dreamliner)と呼ばれ、アメリカ合衆国のボーイング社が開発・製造する次世代中型ジェット旅客機。ボーイング757、ボーイング767およびボーイング777の一部の後継となる。
中型機としては航続距離が長く、今までは大型機でないと飛行できなかった距離もボーイング787シリーズを使うことにより直行が可能になる。これにより、需要があまり多くなく大型機では採算ベースに乗りにくい長距離航空路線の開設も可能となった。これからは、故障なしで運行してほしい。


所定の駐機場に付くと早速機内から荷物を搬出、作業する職員はなんと女性である。


女性ANA地上職員は手際よく機器を運転操作し機内から荷物を入れたコンテナを運び出す。


下でコンテナを操作する地上職員も女性である。


荷物コンテナの搬出・積み込みが終わり、牽引車で押され離陸の準備。


牽引車から外された787機は自力で離陸地点に向かう。
松山空港は、殆ど陸地側から海上に向けて離陸する。風向きによりその逆もあるが。
着陸は海上から陸地向けに、これも風向きにより反転するが。


定刻09時30分に羽田に向けて離陸・・羽田着は、11時00分。
6月の787型機、羽田―松山運行一日2便往復、午前と午後、7月は1便となる予定。


無事離陸した。


瀬戸内海に飛び立った787は、伊予灘上空で向きを東に変転羽田に向かった。


東に方向転換して羽田に向かう787型機、他の機種よりも主翼が細い。綺麗な機体である。
787型機は、国際共同帯事業として開発されたが、日本企業の担当比率は35%と高い、それゆえに故障がない事を祈る。メードイン・ジャパンの名に懸けて。
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LCC ジェットスター 松山―成田就航

2013年06月12日 | 伊予松山歴史散策
6月11日松山に格安航空会社(LCC)、ジェットスター・ジャパン(千葉県成田市)の松山―成田が11日就航した。国内線LCCは、中四国では初めてである。愛媛県と松山市が新たな県内観光を中心とした経済活性化の起爆剤になればよいが?今松山市は年々観光者が減退しているので!!
同社は、昨年7月成田空港を拠点に運航開始、今回の松山―成田が13路線目となる。松山―成田の運賃は、片道4590円~2万6990円で、当面は成田発午後0時10分、松山着午後1時50分と、松山発午後2時20分、成田着午後3時55分の毎日1往復で、繁忙期の夏は、7月25日からは3往復と増便を計画している。

ジェットスター・ジャパンの鈴木にゆき社長は、低運賃のLCCはお客の選択を広げ誰でも気軽に旅行することを可能にする。中村愛媛県知事は、待ちに待ったLCC、愛媛の空の旅に新時代が訪れた。野志松山市長は、北関東から道後温泉に観光客を呼び寄せたいと挨拶した。
松山に発飛来したLCC機は、エアバスA320型機で、座席数180、156人が松山に来た。折り返しは、173名が乗り成田に向かった。首都圏と愛媛松山を結ぶ路線は日本航空と全日空が、松山―羽田を毎日12往復している。今回飛来したエアバスA320型機は、新造機で、機内は綺麗で、LCC機仕様なので座席数を稼ぐ為シートとの間隔が狭いと伝わっているが思ったよりもゆとりがあったと乗客は言っていた。

一度乗ってみたいものである。

松山空港ロビーの一角に「祝 松山―成田就航記念の横断幕と千葉県主要都市の観光パンフが置いてある。


到着ロビーの掲示板。


松山空港滑走路上空に姿を現したLCC・エアバスA320型機。


エアバスA320型機の概要が見えてくる。


無事、ジェットスター・ジャパン・エアバスA320型機、松山空港滑走路に着陸。


松山市民が初めて見るジェットスター・エアバスA320型機。


エアバスA320型機、駐機場に向かって前進。


銀色の機体に、黒でJetStar 赤で星のマーク。(五芒星はあらゆる魔除けの呪符として重宝された。)・・運航の無事を祈ってか??


機体後部下に「AIBUS A320」と記載してある。


このAIBUS A320は新造機だそうだ。移動用タラップを機体に付けてJALの松山空港整備員は何かの研修をしている様子。なにせ初めて飛来したAIBUS A320だから。


いよいよ離陸準備、コックピット内では機長が念入りに準備。


送迎場では、初めて見るAIBUS A320をひと目見ようと!!長い望遠レンズを付けたカメラ持参で。


いよいよ加速を付けて離陸開始。


前輪が浮いた。


後輪も、テイクオフ・・成田に往ってらっしゃい。


瀬戸内海の伊予灘上空で方向を転換して東に向かう。


なんと機体下部にも、Jet 星のマーク。LCCのPR抜け目なし。
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山梨英和短大 名誉教授・仲佐秀雄先生 秋山兄弟生誕地来訪

2013年06月09日 | 伊予松山歴史散策
千葉県習志野市泉町に東邦大学がある。東邦大学は、旧日本陸軍騎兵隊第13連隊があった地である。構内に明治期の建造物が現存する。NHK坂の上の雲が放映されそれまで静寂であった同大学構内にある騎兵隊の記念碑や建造物が光を浴びるようになった。それまで謎であった構内に一つの古い建物が歴史的事実として次々と明らかになった。
同大学の武道場として長く使われてきた建物が元来なんの目的で建造されたのか長い間不明とされてきた。
平成24年4月習志野騎兵隊と現在使用している武道場の歴史関係を調査する為防衛省を訪れ調査した結果、同年6月山岸良二・東邦大学附属東邦中高等学校教諭・習志野市文化財審議会会長から、現・武道場は、唯一残った騎兵連隊の建物である事が提言された。建物は明治33年12月に新築されたという記述であった。明治33建築となると、秋山好古が騎兵第一旅団長時代に使用していた事実も判明した。

同大学では由緒ある建造物なので永久保存の決定を下した。今後は、指定文化財(建造物)の働きも行い関係者は更なる活動を継続して行くそうだ。
この度、秋山兄弟生誕地を訪問された山梨英和短大 名誉教授・仲佐秀夫先生は、山岸先生と一緒に活動されておられる一人で、是非とも秋山好古将軍が誕生され育った地を見聞し、これからの活動の原動力にして行きます。・・そのために伺いました。と語られた。
最後に、いろんなご苦労のなか秋山兄弟生誕地再建にご尽力され、そのうえこの度親切にご案内頂いた女性のガイドさんに大変お世話になり感激しました。・・とお言葉をつけ加えられ生誕地を後にされました。


昨日(6月8日)秋山兄弟生誕地にお越しになられた仲佐先生。


熱心に秋山兄弟生家のオリジナルDVDをご覧になられた。


生家に展示してある秋山好古年譜も念入りに見られ、好古が大正12年元帥に推薦されこれを辞退、驚いた大元帥は、好古に特旨として官位従二位を与え、これを以って伊豫松山の北豫中学校校長として東京から単身で赴任、昭和5年3月まで務めた。校長が官位従二位を持つ校長は全国ただ一人であった。


秋山好古の信条、簡単明瞭・質素倹約・何時も心は広く持ち、そして穏やかであること、元気な間は働け(年金などに頼らずに)。・・凄い人ですねとその石碑を見られた。


これからは千葉県習志野しにある東邦大学の画像で、東邦大学校内にある騎兵第13連隊の記念碑。
(平成24年10月31日撮影)


昨年10月31日秋山兄弟生誕地研究員が東邦大学旧騎兵隊関連施設見学した時。


東邦大学構内に現存する、秋山好古騎兵第一旅団長時代の建物内部で、見学するのは秋山兄弟研究員達。
(平成24年10月31日撮影)


東邦大学構内に現存する秋山好古騎兵第一旅団長時代の建物外部で、この建物が永久保存されることに決定。


永久保存の為に基礎調査をする東邦大学附属東邦中高等学校考古学研究会の生徒さんたち。
(東邦大学附属東邦中高等学校・山岸先生写真提供。)


基礎調査の結果基礎は、レンガ造りで構成されていることが判明。
(東邦大学附属東邦中高等学校・山岸先生写真提供。)


基礎部には、床下通気溝には鋳鉄製グリルと旧日本軍の五芒星も発見されたそうだ。
(東邦大学附属東邦中高等学校・山岸先生写真提供。)
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昭和天皇命名の「葵苔」

2013年06月08日 | 伊予松山歴史散策
昭和天皇命名の「葵苔」
松山市道後温泉に老舗旅館「ふなや」がある。ここに珍しい苔がある。
昭和41年4月全国植樹祭が松山市で開催された。
その時、昭和天皇陛下は、政府登録旅館「ふなや」にお泊りになった。
旅館には庭園があり、陛下が庭を散策された際、徳川家の家紋「葵」に似ている植物を発見された。
珍しい植物だから大切にする様にと主に仰せ付けられ「葵苔」と命名された。「ふなや」は、それ以降大切に管理している。
宿泊された時に是非見て下さい。説明板も設置してあります。








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伊豫の松山地方 田植え真っ最中

2013年06月07日 | 伊予松山歴史散策
松山市周辺は、田植えの真っ最中。先月14日バイクで東温市則之内の山間部と久万高原町直瀬地区に行ってみたが既に田植えは終わっていた。松山周辺は田植え真っ只中である。今年の四国地方は、5月27日梅雨入りしたと見られると発表、平年よりも9日早く、昨年よりも6日早い。しかしその後、降雨は少なく米作農家は水不足を心配している。先日安部総理は、日本の休耕田の利用を最大限にして農作物の作付けを広げていく政策を掲げたが果たして巧く農業が拡大出来るのか現場の農家は不安がっている。
東日本のように大規模農家さんは専業農家で生計が立つが、松山周辺の農家は中小規模なので専業では困難。


昭和30年代後半から少しずつ農作業も機械化が進み始めは、耕運機になり、最近ではトラックターになった。農作業は楽になったが機械購入費に農家の負担は大きい。


高齢者の親父に代わってお手伝い。小規模農業では専業では生計が立たない。


主が亡くなった農家は、跡取が会社勤めをしながら兼業農家として農地を守っている。


以前は、田植は田植えを終えた山間部の農家さん(早少女)にお願いして手作業で田植えをしていたが、今やこれも機械で行う・・しかし機械の購入費が大きく農家の負担となっている。農家は、トラックター・田植え機・刈取機(コンバイン)・乾燥機・籾摺機・・と最低現在はこれだけの農機具が必要・・大変。


そして農作業をする専任はみんな70代を過ぎた高齢者、農地の維持管理も大変。


この農家の子供達は会社員として生計を立てており、農繁期に休暇をとり母屋の農作業を手伝い農地を維持している。


田植え機で作業が終わると、女子の手で隅々に苗が植わってない箇所を手植えで行う。我が家の周辺の農地は、調整区域で、農地の固定資産税は、安いが、市街化区域の農地は、宅地並み課税をされる。


このダムは、面河ダムで(5月14日撮影)久万高原町にあり水は、工業用水と農業用水のみ使用可能・・飲料水としては使用できない。
いま松山市周辺で田植え真っ最中だがこの面河ダムの水を使い田植えが行われている。
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