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山梨英和短大 名誉教授・仲佐秀雄先生 秋山兄弟生誕地来訪

2013年06月09日 | 伊予松山歴史散策
千葉県習志野市泉町に東邦大学がある。東邦大学は、旧日本陸軍騎兵隊第13連隊があった地である。構内に明治期の建造物が現存する。NHK坂の上の雲が放映されそれまで静寂であった同大学構内にある騎兵隊の記念碑や建造物が光を浴びるようになった。それまで謎であった構内に一つの古い建物が歴史的事実として次々と明らかになった。
同大学の武道場として長く使われてきた建物が元来なんの目的で建造されたのか長い間不明とされてきた。
平成24年4月習志野騎兵隊と現在使用している武道場の歴史関係を調査する為防衛省を訪れ調査した結果、同年6月山岸良二・東邦大学附属東邦中高等学校教諭・習志野市文化財審議会会長から、現・武道場は、唯一残った騎兵連隊の建物である事が提言された。建物は明治33年12月に新築されたという記述であった。明治33建築となると、秋山好古が騎兵第一旅団長時代に使用していた事実も判明した。

同大学では由緒ある建造物なので永久保存の決定を下した。今後は、指定文化財(建造物)の働きも行い関係者は更なる活動を継続して行くそうだ。
この度、秋山兄弟生誕地を訪問された山梨英和短大 名誉教授・仲佐秀夫先生は、山岸先生と一緒に活動されておられる一人で、是非とも秋山好古将軍が誕生され育った地を見聞し、これからの活動の原動力にして行きます。・・そのために伺いました。と語られた。
最後に、いろんなご苦労のなか秋山兄弟生誕地再建にご尽力され、そのうえこの度親切にご案内頂いた女性のガイドさんに大変お世話になり感激しました。・・とお言葉をつけ加えられ生誕地を後にされました。


昨日(6月8日)秋山兄弟生誕地にお越しになられた仲佐先生。


熱心に秋山兄弟生家のオリジナルDVDをご覧になられた。


生家に展示してある秋山好古年譜も念入りに見られ、好古が大正12年元帥に推薦されこれを辞退、驚いた大元帥は、好古に特旨として官位従二位を与え、これを以って伊豫松山の北豫中学校校長として東京から単身で赴任、昭和5年3月まで務めた。校長が官位従二位を持つ校長は全国ただ一人であった。


秋山好古の信条、簡単明瞭・質素倹約・何時も心は広く持ち、そして穏やかであること、元気な間は働け(年金などに頼らずに)。・・凄い人ですねとその石碑を見られた。


これからは千葉県習志野しにある東邦大学の画像で、東邦大学校内にある騎兵第13連隊の記念碑。
(平成24年10月31日撮影)


昨年10月31日秋山兄弟生誕地研究員が東邦大学旧騎兵隊関連施設見学した時。


東邦大学構内に現存する、秋山好古騎兵第一旅団長時代の建物内部で、見学するのは秋山兄弟研究員達。
(平成24年10月31日撮影)


東邦大学構内に現存する秋山好古騎兵第一旅団長時代の建物外部で、この建物が永久保存されることに決定。


永久保存の為に基礎調査をする東邦大学附属東邦中高等学校考古学研究会の生徒さんたち。
(東邦大学附属東邦中高等学校・山岸先生写真提供。)


基礎調査の結果基礎は、レンガ造りで構成されていることが判明。
(東邦大学附属東邦中高等学校・山岸先生写真提供。)


基礎部には、床下通気溝には鋳鉄製グリルと旧日本軍の五芒星も発見されたそうだ。
(東邦大学附属東邦中高等学校・山岸先生写真提供。)
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