EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

市指定有形文化財「釣島灯台吏員退息所及び倉庫」

2013年06月21日 | 伊予松山歴史散策
昨日画像の整理をしていたら、もう一件御紹介したい画像が見つかりました。
それは、平成7年6月29日に松山市指定有形文化財に指定された「釣島灯台吏員退息所及び倉庫」の見学会が平成16年10月17日、同市教育委員会主催で行われた時の画像です。
所在地は、愛媛県松山市泊町にあり、興居島の西方2kmに浮かぶ同島の附属島で、面積0,3平方kmの小島である。有人島で飲料水は松山市が完備した海水淡水化装置が設置してある。

灯台は、明治6年に創建され活動を開始、昭和38年に無人化されているが、現役として釣島海峡を航行する船舶の安全を標示している。明治4年9月、工部省所属の測量船が訪れ、外国人技士が上陸した。松山県から釣島水道を望む敷地665坪を譲り受け、灯台の建設が開始された。明治維新に始まる文明開化への道のりは、まず灯台の建設から始まった。

建設資材の内、石材は広島県倉橋島や山口県徳山産、木材は郡中及び長浜から調達され、主要機器やドーム・サッシは、はるばる英国本国運ばれ、特に石工達は我が国古来の石積み技法とは異なる技法で仕上げた。後に道後温泉神の湯の内装にこの技法が用いられた。
灯台は、1年8ヶ月の工期をもって、明治6年6月15日初めて点灯した。瀬戸内海航路における建築順位は第8番目にランクされ、外国人の手による洋風建築としては県下唯一の建造物である。

なお、光遠距離は、白光20,5海里(37km)で管理は、海上保安庁第6管区がしている。
釣島灯台旧官舎の所在地
松山市泊町1433番地2(外観見学自由)
※三津浜港発、高浜港経由の西中(中島)行きフェリーで釣島港で下船。港から灯台まで歩いて約20分。一日2便しかない。


瀬戸内海の難所、来島海峡の入口を守る釣島灯台。昭和38年までは燈台守が管理操作していたが現在は無人化。
現在、日本各地に立つ灯台は3,300か所あるが、そのうち明治時代に建設されたもので現役は67か所あるという。釣島灯台は建設年代順で9番目となるが、明治初期の官舎が後世の大きな改造もなく現地で当初の姿を保っているのはここ釣島灯台のみである。


昭和31年に雑誌掲載された福島県塩屋埼灯台長(当時)田中績の妻・きよの手記から題材を得て映画化された「喜びも悲しみも幾歳月」の田中さんは、釣島灯台には赴任して無かった。
毎日日没から日の出まで白と赤交互の閃光を放ち続ける。


灯台入口に標記の金属板が埋め込まれている。


釣島灯台の敷設建造物「旧官舎・倉庫」で、平成7年(1995)、当時の大蔵省から土地と建物の払い下げを受け、自治省の地域文化財保全事業として平成7年度から平成9年度の3か年をかけて松山市が保存整備した。
使っている石材は、殆どが広島県倉橋島の御影石で、石の色は薄い桜色をしている。


社団法人燈光会が製作した「釣島灯台」の説明板。


松山市・松山市教育委員会が設置した「釣島灯台旧官舎・倉庫」の説明板で、この建造物が市指定の建造物で、灯台そのものは未だ何処からも指定は受けてない。


松山市唯一の海水淡水化施設。


松山市公営企業局が管理運営する海水淡水化施設の内部。
この時飲料したが何も違和感のない飲料水でした。
何時も上水不足で困難を来たす松山市は、行く行くは海水淡水化装置を設置する必要があるのでは??


釣島港で、船便は一日2便しかない。島民は半農半漁で生計を立てている。
三津浜港発、高浜港経由の西中(中島)行きフェリーで釣島港で下船。港から灯台まで歩いて約20分。一日2便しかない。

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JR鉄道乗りつくしの旅 四国予讃線 下灘駅から撮影風景

2013年06月20日 | 伊予松山歴史散策
今日画像の整理をしていたら、平成16年6月12日、愛媛県伊予郡双海町(現在は伊予市と合併)下灘にある、JR下灘駅で当時NHKが放映していた「JR列島縦断・鉄道乗りつくしの旅」の撮影があり当時人気番組であったので中継を見に行った時の画像である。
特にJR下灘駅は、鉄道愛好者には人気の駅である。
この駅のホームは、JR青春18きっぷの駅ポスターの写真として使われ、鉄道ファンの間ではかなり有名な駅となっている。
渥美清主演の『男はつらいよ』シリーズの第19作『寅次郎と殿様』の冒頭シーンのロケに使われた。
また、平成21年1月1日のNHK総合「鶴瓶の家族に乾杯お正月スペシャル」では、平成20年11月17日に愛媛県伊予市を訪れた笑福亭鶴瓶とゲストの古田敦也のロケ開始待ち合わせ場所として登場した。この際、地元住民が鶴瓶らに対し、当駅がHERO特別編のロケに使われた事を紹介した。
画像は9年前のもので、当時を懐かしく記憶を辿りながら画像を整理した。


下灘駅(しもなだえき)は、愛媛県伊予市双海町大久保にある、四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅である。駅番号はS09。


青春18きっぷの駅ポスターの写真として有名。


JR松山駅発―八幡浜行きの列車が下灘駅を出発。


全国のJR駅の中で海辺に一番近い駅舎。


JR鉄道列島縦断乗りつくしの旅「四国予讃線の旅」撮影開始を見ようと多くの見学者が来てガードマンが交通整理をした。


いよいよ撮影準備・・スタッフも撮影待機。・・午前6時30分


列車の旅人「関口さん」がパネルを持ち撮影開始。


遠路東京から来たTV中継車も待機。




駅舎前で撮影した後、ホームにて撮影。
駅ホームは、JR青春18きっぷの駅ポスターの写真として使われ、鉄道ファンの間ではかなり有名な駅となっている。
渥美清主演の『男はつらいよ』シリーズの第19作『寅次郎と殿様』の冒頭シーンのロケに使われた。
また、平成21年1月1日のNHK総合「鶴瓶の家族に乾杯お正月スペシャル」では、平成20年11月17日に愛媛県伊予市を訪れた笑福亭鶴瓶とゲストの古田敦也のロケ開始待ち合わせ場所として登場した。この際、地元住民が鶴瓶らに対し、当駅がHERO特別編のロケに使われた事を紹介した。


そのホームで撮影は続いた。この時は、双海町教育長がゲスト出演した。


撮影もいろんな道具を駆使して。


撮影も大詰め。


撮影も予定通り終了し、見学者が思い思いにホームに来て記念写真を撮っていた。今から9年前の事であった。歳月の経過が早い。
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続 銅山川流域・紫陽花ロード(別子・翠波はなみ街道)

2013年06月19日 | 伊予松山歴史散策
6月18日、東雲女子大学を午前9時に出発、松山自動車道川内ICから高速に乗り、土居ICで降り国道11号線で四国中央市三島中央から国道319号線で目的地に向かった。途中「具定展望台」から四国中央市の中心市街地を眺望、続編の画像は、「下長瀬あじさい公園」以外のものを掲載しております。


四国中央市街地から同市嶺南地区に向かう国道319号線沿いの法皇山地中腹、標高349mの地点にある具定展望台から見下ろすと画像のような夜景がみえるそうだ。
夜景は、日本の夜景100選(四国では6ヶ所、県内では他に松山市総合公園からの松山市街地の夜景)日本夜景遺産((四国では6ヶ所、県内は1ヶ所)である。


昨日は昼間であったので残念。四国中央市は製紙の町である。


具定展望台には「認定証書」が掲示してあった。
日本の夜景100選などがあった事知らなかった。


細い国道319号線山中をひた走り、途中中型トラックと遭遇離合に一苦労。


画像は銅山川で、水は三つのダムを経由して徳島県の四国三郎・吉野川に流れ紀伊水道に注いでいる。途中、愛媛県四国中央市側に新宮ダム・柳瀬ダム・富郷ダムがあり、現在降雨不足で川には水は流れてなかった。画像の水はくぼみに溜まったもの。
日本三大暴れ川、「坂東太郎・利根川」・「筑紫次郎・筑後川」「四国三郎・吉野川」の異名を持つ。


柳瀬ダムもかなり水位が落ち込んでいた。


細い国道319号線を走り、道の駅霧の森に到着。
駐車場から馬立川に架かる吊橋を渡り道の駅に行く。


霧の森で製造している「名物・霧の森大福」
霧の森大福は、愛媛県四国中央市新宮町の観光スポット「道の駅霧の森」内にある菓子工房で製造販売されている和菓子。
中心に生クリーム、そのまわりに漉し餡、そしてそれらを抹茶を練り込んだ餅でくるみ、抹茶をまぶす四重構造になっている。クリームと漉し餡の甘味、抹茶の苦味のバランスがよい。
この大福に使用される抹茶は、収穫前に黒い布を被せて日光を遮る「かぶせ抹茶」という栽培法により苦みを抑えている。また、完全無農薬有機農法で有名な新宮茶を使用するなど、品質にもこだわりを持っていて、1つ1つ丁寧に作られている。その為、大量生産に向かず、それがよく品切れを起こしている最大の理由である。
松山市ロープウェイ街の松山店は何時も開店前から行列が出来直ぐ売り切れてしまう。


観光者にも体験できる茶道場がある。


展示場には、土佐藩主参勤交代時の行列絵巻がある。


画像は、馬立本陣の御成門
『馬立本陣』は、江戸時代の享保3年(1718)、土佐藩代6代藩主山内豊隆(やまうちとよたか)から16代藩主山内豊範(とよのり)まで、歴代の藩主が参勤交代の折に当地の庄屋石川氏の屋敷を本陣と定め、その後146年もの長い間続いた殿様の宿所。往時は石垣の上に1.8mの銃眼を構えた土塀で囲まれていたというものものしさ、そして駕籠が50丁も並ぶほどの広大な庭があったが、明治30年(1897)年の火災で焼失した。だが、川之江の円徳寺に移築されていた正門はこの難を逃れ、のち昭和58年(1983)に旧地のこの地に戻ってきた(現存しているのは石垣と正門のみ)。  
なお、馬立川沿いの古道は『土佐街道』と呼ばれ、土佐藩の参勤交代の街道として大いに栄えた道で、伊予と土佐を結ぶ主要道として、昭和初期までにぎわった。また、大和朝廷時代の官道として、時の役人の往来を見てきた道でもある。 

当時は、太平洋航路は危険が多く、大名は使わない。


御成門の内側。


馬立本陣跡にもあじさいが咲いていた。


道の駅霧の森にある喫茶店内には、こんな幻想的な造りをして観光者を持て成す工夫がしてある。


帰りは、道の駅霧の森直ぐ近くにある高知自動車道で東雲女子大学に「本日の自然観察講座」無事終わり帰還。画像は、高知自動車道・徳島自動車道・高松自動車道・松山自動車道の分岐点。
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銅山川流域・紫陽花ロード(別子・翠波はなみ街道)

2013年06月18日 | 伊予松山歴史散策
東雲女子大学・短期大学主催・社会人講座 自然観察受講、第3回目講座が6月18日(火)開催された。
今回は、四国中央市を流れる「銅山川」流域にある、あじさいロード(別子翠波はなみ街道にある、あじさいの観賞をした。
昼食は、四国中央市新宮にある、「道の駅霧の森」で食した。
今回の自然観察した箇所は、法皇トンネル・具定展望台・金砂湖・下長瀬あじさい・仙龍寺・新宮ダム・霧の森・霧の森大福であった。

霧の森には次の施設があった。
*霧の森ふれあい館は、 特産の新宮茶や、民芸品などを販売していて、開店前には、冷凍していない霧の森大福を求める人々で行列ができる。
*霧の森レストランは、- ガラス張りの店内から自然を満喫しながら郷土料理を楽しめるレストラン。人気メニューは、茶そば、おぼろ豆腐。
*新宮茶ミュージアム施設「霧の森茶フェは、手揉み茶道場があり、 昔ながらの手揉みで、自分で作ったお茶を味わったり、真空パックにして家に持ち帰りできる。
*霧の森茶フェ ゆるりは、 囲炉裏など古民家風の内装で、極上煎茶、新宮茶を洋菓子に加工したメニューが特徴の日本茶カフェ。
*茶フェ工房は、 新宮茶が洋菓子に加工される様子を窓越しに見学出来る。
*霧の森交湯館は、 大浴場、遠赤サウナ、休憩室などがある。
*また、土佐藩主が参勤交代時に使用した馬立本陣屋跡の御成り門が復元保存されている。江戸時代の歴史を垣間見る事が出来る。


今回も東雲大学の学園バスで移動した。


四国中央市富郷町寒川山にある「下長瀬あじさい公園」であじさいを観賞する、成人講座自然観察受講生。


右に銅山川があるが水位が殆どなく、上流の新宮ダムは現在西日本のダムで一番貯水が少ない。・・早くまとまった降雨が欲しい。
この後は、「下長瀬あじさい公園」に咲き誇る各種のあじさいの花を掲示しますので見て下さい。



















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松山市・待望の雨

2013年06月15日 | 伊予松山歴史散策
松山市は6月に入り降雨が殆どなく市民の水瓶「石手川ダム」の貯水率が80%を割り14日、石手川ダム渇水調整協議会が開催され、上水道5%、農業用水16,7%、灌漑用水10%の取水制限を決めた。
今日15日午前9時過ぎから待望の雨が降りだした。
松山市の降雨率は、平年の39,8%で6月は14日までで29mmと11,6%である。
国交省松山河川国道事務所は、このまま降雨がなければ7月上旬にはダムの貯水率は0%になると予想した。
果たして今日の恵みの雨の降雨はどの位あったのか??ダムの貯水量は上昇したのか??
午後3時過ぎには雨は上がった。


松山市民516,000人の待望の雨が降った。先日田植えをした稲も大きくなった。


今日松山城当番日で登城、松山城路ロープウエーのゴンドラ内から。


石垣から流れ落ちる雨水。


松山城本丸から、低く立ち込めた雨雲が市内を覆いつくす。


時より雨雲が流れ市内街並みが見えるときもあった。


松山城本丸132m、折角松山城天守を見学にきたのに雨で残念。
本日松山城本丸を案内した観光者は、熊本市・神戸市・足利市から来られた方達をご案内した。


天守最上階160mからの画像、霧が一部松山城に発生。
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