北方文化博物館
平成22年3月17日に新潟市江南区沢海二丁目に新たに発見された秋山好古揮毫石碑の取材に行きお世話になった博物館である。
この博物館は、江戸時代中期から初代が身を起こし代を重ね富を築き越後随一の豪農の伊藤家である。明治に入り全盛期には1市4郡64ヶ町村に1370町歩あり昭和に入り新潟県下一の3万俵の収穫があったそうだ。
戦後GHQにより農地は解放され伊藤家の家屋も解体の命令が出たらしいですがGHQの司令官が特別の計らいで文化財として価値あるものだからとの事で残してくれたそうだ。
伊藤家本宅の敷地が8800坪、建坪が1200坪で、現在は財団法人北方文化博物館となっている。
画像は全部旧伊藤家です、画像上の駐車場もそうです。そして平成12年に国指定の登録有形文化財になっている。
中には、レストラン・沢海カフエ・お土産売り場・地酒館・野外音楽堂・考古資料館・・まあ凄いものでした。
西日本では見る事の出来ない施設だ。
凄い施設に隣接している神社に石碑がありますから、石碑の造りも立派である。
現在好古揮毫の石碑は全国で46基発見されているが、一番立派な石碑、日本海側で発見されたのは新潟市のみで貴重な存在である。
画像左の建物が日枝神社で此処に好古の石碑がある。
神社も伊藤家の一角といった感じだ。
3月17日はここ伊藤家「現北方文化博物館」で丸一日お世話になった。
画像は、上空から見た北方文化博物館「旧伊藤家本宅」で、黄色で石碑とある記載場所に好古揮毫石碑「忠魂碑」ある。
平成22年3月17日に新潟市江南区沢海二丁目に新たに発見された秋山好古揮毫石碑の取材に行きお世話になった博物館である。
この博物館は、江戸時代中期から初代が身を起こし代を重ね富を築き越後随一の豪農の伊藤家である。明治に入り全盛期には1市4郡64ヶ町村に1370町歩あり昭和に入り新潟県下一の3万俵の収穫があったそうだ。
戦後GHQにより農地は解放され伊藤家の家屋も解体の命令が出たらしいですがGHQの司令官が特別の計らいで文化財として価値あるものだからとの事で残してくれたそうだ。
伊藤家本宅の敷地が8800坪、建坪が1200坪で、現在は財団法人北方文化博物館となっている。
画像は全部旧伊藤家です、画像上の駐車場もそうです。そして平成12年に国指定の登録有形文化財になっている。
中には、レストラン・沢海カフエ・お土産売り場・地酒館・野外音楽堂・考古資料館・・まあ凄いものでした。
西日本では見る事の出来ない施設だ。
凄い施設に隣接している神社に石碑がありますから、石碑の造りも立派である。
現在好古揮毫の石碑は全国で46基発見されているが、一番立派な石碑、日本海側で発見されたのは新潟市のみで貴重な存在である。
画像左の建物が日枝神社で此処に好古の石碑がある。
神社も伊藤家の一角といった感じだ。
3月17日はここ伊藤家「現北方文化博物館」で丸一日お世話になった。
画像は、上空から見た北方文化博物館「旧伊藤家本宅」で、黄色で石碑とある記載場所に好古揮毫石碑「忠魂碑」ある。