
伊予松山城 連立式天守 十間廊下1
画像は、十間廊下内側で、天守の西側にあって搦手乾門方面の正面を防衛する重要な櫓で北隅櫓と南隅櫓を連結する建物で桁が10間であることから十間廊下と称せられている。
西側1間石落3ヶ所、狭間20ヶ所内15ヶ所は乾門方向に開いてある。
またここには武具が展示してあり、昭和20年10月に連合軍(GHQ)第24師団が松山に進行して来た。この時事件が起こった。
第24師団司令官トーマスD・ドレーク陸軍大佐が松山城監守・住田 晋氏に対して米国の土産に持ち帰りたいのでここにある甲冑1体頂きたいと申入れがあった。
住田監守は、展示物は松山市の物でなく市民から借り受けて展示している武具なので差し上げる事は出来ないと断わるも是非ともよこせと命令的な言葉が発せられた。
仕方なく伊予松山藩時代住田家は藩士の家系で住田家に伝わる家宝を司令官トーマスD・ドレーク大佐に差し出し事が収まった。
住田監守は、松山市の職員の前は、外国航路に乗っており英語が達者であったので直に司令官と会話が出来た。
画像は、十間廊下内側で、天守の西側にあって搦手乾門方面の正面を防衛する重要な櫓で北隅櫓と南隅櫓を連結する建物で桁が10間であることから十間廊下と称せられている。
西側1間石落3ヶ所、狭間20ヶ所内15ヶ所は乾門方向に開いてある。
またここには武具が展示してあり、昭和20年10月に連合軍(GHQ)第24師団が松山に進行して来た。この時事件が起こった。
第24師団司令官トーマスD・ドレーク陸軍大佐が松山城監守・住田 晋氏に対して米国の土産に持ち帰りたいのでここにある甲冑1体頂きたいと申入れがあった。
住田監守は、展示物は松山市の物でなく市民から借り受けて展示している武具なので差し上げる事は出来ないと断わるも是非ともよこせと命令的な言葉が発せられた。
仕方なく伊予松山藩時代住田家は藩士の家系で住田家に伝わる家宝を司令官トーマスD・ドレーク大佐に差し出し事が収まった。
住田監守は、松山市の職員の前は、外国航路に乗っており英語が達者であったので直に司令官と会話が出来た。
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