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松山市の天然記念物「うば桜」

2011年03月31日 | 往年の名車 メグロ
松山市の天然記念物「うば桜」

松山市指定の天然記念物「うば桜(学名・エドヒガン)」
指定は、昭和37年11月5日
所在は、松山市南江戸五丁目 大宝寺

開花は、松山地方ではソメイヨシノよりも少し早く開花する種類で彼岸桜の仲間である。別名「うば桜」と言われる。
しかし今年はどの桜も開花が遅れていて、うば桜も同様である。
昨日、平成23年3月30日撮影に行った。
桜の蜜を食べに来る鶯を超望遠レンズで撮影していたプロ写真家や、アマチュアカメラマンが大勢来ていた。

うば桜、その由縁は、昔、角木長者(すみきちょうじゃ)が子供に恵まれず、松山の西山のふもと、大宝寺のお薬師様に願かけをした。願い叶って女の子が生まれ「露」と名づけた。大切に育ててきた乳母のお乳が急に出なくなり、お薬師様にお願いをすると治り、その御礼に長者はお堂を建てた。
それが大宝寺の本堂だと言われている。

娘「お露」は、美しい娘に成長したが15歳の時病に倒れ、乳母は自分の命と引き替えに娘の命をお助け下さいとお祈りした。娘お露は元気になりその祝いの席で乳母は倒れ床についた。乳母はお薬師様との約束ですと言って、薬も口にせず、「お薬師様にお礼として桜の木を植えて下さい」と言い残して死んでしまった。長者は、乳母の言葉通り、桜を本堂の前に植えた。

不思議な事に、桜は枝なしに幹から二・三輪花が咲いた。その花の色は、母乳のような色で、花はまるで乳母の乳房のようであったと言う。
※「松山の昔話」より

この話は、16日桜でもあったが、明治時代「小泉八雲」の手で英語訳され、英国・米国で出版された「怪談」にも収められている事でも有名である。

本堂は国指定の国宝で、昭和28年3月31日指定を受け、附厨子・棟札も同時に国宝に指定を受けている。
創建は、鎌倉時代前期と言われ愛媛県下で一番古い木造建築である。

なお、本堂西側壁に昭和20年7月26日松山大空襲の時、本堂横の池に焼夷弾が投下されたが不発に終その破片が壁に突き刺さっている。


大宝寺参道にある記念石碑・・大きな桜に覆われている・・この桜も満開であった。


私のブログで紹介した・・またこれから紹介する桜の花の色は少し紅色が加味されているが、このうば桜は、松山の昔話にあるように母乳色である。


何色も混じっていない乳白色。


何色も混じっていない乳白色。


国宝の本堂、愛媛県で一番古い建物。


文字が鮮明に見えないが、「焼夷弾の破片」と書いております。
手前の池に昭和20年7月26日、松山大空襲の時この池に投下されたが運よく不発に終その破片が本堂の壁に突き刺さった。


昭和20年7月26日、松山大空襲の時この池に投下されたが運よく不発に終その破片が国宝本堂の壁に突き刺さった破片。


うば桜の根元に建立されている記念碑、建立は「天明 丙午 冬」と揮毫されている。天明丙午は、西暦1786年10月であるから、樹齢225年になる。


境内に角木長者(すみきちょうじゃ)の墓がある。しかし建立年の刻印はない。
石碑は古そうに見えるが・・やはり天明時代だろうか??
住職にお話を聞きたくお邪魔したが生憎不在であった。
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