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秋山好古揮毫石碑見つかる

2012年04月19日 | 伊予松山歴史散策
昨日神奈川県平塚市広川から添田様が、秋山邸にとっては神奈川県下で初めての好古揮毫の石碑の情報を持って遠路平塚市から「陸軍騎兵大佐秋山好古書」の珍しい 石碑の拓本をご持参してお越し頂きました。
石碑は、平塚市広川、広川八幡宮の境内にあるそうです。
好古は、部下の戦死に大いに心を痛め、戦死者の遺族から依頼された石碑には、長文の賛辞と戦功をたたえる碑文を書いています。

好古は当時、この「営口」の戦闘やその前の「蓋平」の戦いで、騎兵を縦横に働かせて敵情を探り、その情報で日本軍の勝利に貢献したので、第一師団長山地元治から感状を受けています。 
しかし、好古が喜ぶはずはありません。
日清戦争後、広島の宇品港に凱旋したとき、戦時中にもらった給料袋を「騎兵の皆で分けてくれ」と全て副官に渡してしまった部下思いの好古です。

石碑の写真取材は5月に行こうと計画を立てます。


石碑を拓本に取られた「昭和の時代に作られたそうです」


秋山好古が戦死された「添田賢次郎」の名誉の為に書き認めた漢詩
石碑裏面の刻印


碑文を要約すると次のように記されていました。
「添田健次郎は、日清戦争中、乃木混成旅団隷下騎兵第一大隊(隊長・秋山好古騎兵中佐=当時)の第二中隊に属していたが明治28年2月8日、「営口」における戦闘中数千の敵に囲まれ、奮戦するも戦死された。齢は23。勇敢にたたかい、雪を蹴散らせて敵に向かって突進した英姿を偲び、その戦功を永く讃える。
陸軍騎兵大佐秋山好古 篆額(てんがく=石碑の上の表題文字)と碑文の文章及び文字をここに書く。「石碑裏面には、(明治31年10月吉日 実父 添田保吉(添田敬子さんの夫・吉則氏の曽祖父)建立)とありました。


秋山兄弟生誕地武道場で、秋山邸に進呈された好古揮毫石碑の拓本


秋山兄弟生誕地研究員と「秋山好古騎馬像」の前で記念に・・向かって右から三人目が添田様
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