平成21年3月20日、秋山眞之生誕141年祭にお越しになった時、祖父、眞之胸像の前で挨拶される大石尚子さん。上品で、おしとやかで、清楚な方でした。
大石尚子さんのお母さんは、秋山眞之の次女・宜子さんです。
宜子さんは、大石宗次(海軍兵学校第54期生)、に嫁ぎ尚子さんは長女として、広島県江田島に生まれました。
平成19年3月21日、開催した秋山眞之生誕139年祭にお越しになった時挨拶される大石尚子さん。
尚子さんは、横浜国立大学卒業、神奈川県議会議員を5期18年勤め、その後、衆議院議員・参議院議員を務められました。
また、A.K.I.合気道研究会インターナショナル会長、記念戦艦三笠保存会評議委員などを務められ、平成24年1月4日、呼吸不全のため急死されました。享年75歳でした。
平成23年11月3日に開催した「秋山眞之生誕143年祭」で挨拶をする大石尚子さん。
平成21年3月20日、秋山眞之生誕141年祭にお越しになった時挨拶される大石尚子さん。
平成23年11月3日、眞之生誕143年祭献茶のあと、眞之の大好物「いり豆」を供える、大石尚子さん・・以降このような光景も見る事が出来なくなりました。・・この時眞之は・・尚子有難うと言っただろう。
最後となった祖父眞之胸像との記念写真。平成23年11月3日撮影。
秋山兄弟生誕地は平成17年1月18日、生家・秋山好古・眞之の銅像が復元され、生誕祭の開催は、平成17年3月21日、眞之の生誕祭から初めました。
好古の生誕祭は、翌年1月8日、に生誕148年祭を行い、毎年開催いたしています。
秋山好古は、安政6年1月7日生まれなので、毎年1月10日前後の日曜日に開催し、秋山眞之は、慶応4年3月20生まれなので、毎年3月の春分の日に開催いたしています。
なお、東日本大震災が発生した平成23年の眞之生誕祭は11月3日に変更して開催いたしました。
平成21年3月20日、開催した秋山眞之生誕141年祭にお越しになった時の大石尚子さん。
この時はお元気でした。
平成19年3月2日、秋山眞之生誕139年祭で挨拶をされる、旧伊予松山15万石藩主・第18代当主、久松定成氏(財団法人常盤同郷顧問・靖国神社崇敬奉賛会会長・愛媛大学農学部教授)秋山眞之生誕祭最後の挨拶となりました。
平成20年4月3日逝去され享年81歳でした。
大石尚子さん、旧伊予松山藩主・第18代当主、久松定成さん、そして秋山兄弟生誕地研究員と撮られた最後の写真です。
平成19年3月21日、開催した秋山眞之生誕139年祭にお越しになった時、秋山兄弟生誕地研究員、河端さんと仲良く写真撮影に応じられ気さくなお人柄でした。
平成21年3月20日、秋山眞之生誕141年祭にお越しになった時、式典も終わり関係者と煎茶を召しあがられる大石尚子さん。
秋山眞之生誕祭は当初は、外庭で行っていました。
生誕祭は、平成23年から武道場で開催する事になりました。
平成23年11月3日、生誕祭を武道場に変更しての茶話会で、大石尚子さん最後となった眞之生誕祭です。
大石尚子さんの偉大なる祖父、秋山眞之です。
秋山眞之のカラー仕様の肖像画です。
原画は大正4年に撮影した写真を基にして、芸大卒の有名な画家が描かれました。日本に二つしかない貴重なカラー仕様の肖像画で、一つは千葉県習志野市大久保商店街資料館に展示されており、後の一つが松山市の秋山兄弟生誕地・秋山兄弟武道場に掲げてあります。
眞之のカラー肖像画は千葉県習志野市大久保にある、真言宗豊山派薬師寺、三橋秀紀住職さんからの寄贈です。
秋山眞之の家族で、前列右、眞之の夫人「季子(スエコ)」左、長男「大(ヒロシ)」。
後列右、四男「全(ヤスシ)」、長女「少子(ワカコ)」、次女「宜子(タカコ)」、左上円の中は三男「中(タダシ)」。
次女「宜子」さんが、大石尚子さんのお母さんです。
母・宜子さんは、大石宗次(海軍兵学校第54期生)、に嫁ぎ、尚子さんは長女として、広島県江田島に生まれました。
眞之の母・貞は、六人の子どもを授かり、一番可愛がったのは末っ子の、淳五郎(眞之)であった。腕白坊主で一番手が掛かったが、可愛かったそうです。
眞之が季子と結婚する時に、貞は、季子に対して「私の一番大切な眞之をお前さんに差し上げるのだから」と母・貞は言ったそうだ。眞之を非常に可愛がって大事にしていた。眞之も母をひどく敬愛していた。・・この記述は昭和8年2月10日、発行の伝記・秋山眞之に記載されています。
大石尚子さんは、A.K.I.合気道研究会インターナショナル会長をされていた関係で秋山兄弟武道場に、合気道を開設する事を提唱され、秋山兄弟合気道部の顧問をされておられました。今も名札には、黒の紋章を飾り大切に掲示してあります。
また、大石尚子さんは、戦艦三笠記念艦保存会評議委員を務めておられました。
秋山兄弟武道場には、開祖・二代目道主・当代道主の写真を掲示してあります。
写真上から、
合氣道開祖:植芝 盛平
二代目道主:植芝 吉祥丸
当代道主 :植芝 守央
秋山兄弟合気道道場の公認證。
大石尚子さんが残した遺産の一つです。
秋山兄弟武道場は、明治21年、大石尚子さんの祖父・秋山眞之が提唱して出来ました伊予松山で文武両道の青少年育英を目的にして発足した団体が、「松山同郷会」でその名残として武道場があり、合気道と柔道の錬成が現在も行われています。
大石尚子さんは、秋山兄弟合気道部の顧問をされていて、平成23年10月に秋山兄弟合気道部開場5周年記念式典にもお元気でご臨席され、ご逝去が信じられない!!事でした。
ご冥福をお祈りいたします。
松山同郷会と常盤会についてご説明しておきます。
秋山兄弟生誕地の管理運営母体である、公益財団法人常盤同郷は、明治21年、秋山眞之が提唱して出来ました伊予松山で文武両道の青少年の育英を目的にして発足した団体が、「松山同郷会」であり、旧伊予松山15万石藩主・久松家の当主、久松定謨が創設した伊予松山藩主の子弟が東京で勉学するための組織が「常盤会」で、その学生寮が「常盤会寄宿舎」であります。
昭和28年、「松山同郷会」と「常盤会」を統合して「財団法人常盤同郷」が発足し、常盤会寄宿舎は「常盤学舎」と名称を変更、昭和30年、東京都文京区本郷四丁目10番13号から、東京都東久留米市中央区四丁目18番17号に移転し現在に至っています。
平成22年4月1日、財団法人常盤同郷は、公益財団法人愛媛県認定第一号を頂、青少年育英を目的とする団体として活動しています。
失礼いたしました。