EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

道後温泉春祭り 2

2014年03月21日 | 伊予松山歴史散策
昨日と打って変わって、道後は今日は雨だった。そして気温も低く14,7度で日中気温はあまり上がらず寒かった。
さて、ここで道後温泉を紹介します。日本最古の温泉で、日本三古湯の一つである。日本三古湯には二通りあり、その一つは、日本書紀、風土記などに登場することに基づいた三古湯・道後温泉(愛媛県)・有馬温泉(兵庫県)・白浜温泉(和歌山県)の三か所と、延喜式神名帳に基づく三古湯 、道後温泉・有馬温泉・いわき湯本温泉(福島県)の3つがある。

道後温泉が日本最古の由来は、435年頃、古事記「允恭記」に、木梨軽太子が流刑された地の「伊予の湯」としての記載がある。有馬温泉は、631年頃、日本書紀「舒明記」に、約三ヶ月間、舒明天皇が摂津国有間温湯宮を行幸していることが記載されている。南紀白浜温泉は、658年頃、日本書紀に「牟婁温湯」「紀温湯」として記載。有間皇子が政敵に騙し討ちされるエピソードに出てくる。そして温泉には、火山系と非火山系がるが、道後温泉は非火山系で泉質は無色透明、アルカリ性単純泉、温度は自然に43度前後の適温、湯の柔軟性と溶解した石鹸の泡立のよさ、僅かながら湯の香りが感じられ、浴後の気持ちよさが爽快であるであるといわれてきた。

温泉祭りは、昭和21年12月21日、発生の南海地震で湯の湧出がとまった。温泉の守り神である湯神社で21日間の湯祈祷、新たな源泉を求めて奮戦した結果、源泉がとまってから38日目に復活した。奇跡的に再び源泉の湧き始めた昭和22年3月、湯の町あげて温泉再生を喜び、玉の石前で湯祈祷と祝賀行事が3日間行われた。これを本格的に毎年の催しとして現在の道後温泉祭りが開催されている。「温泉祭」の名がついたのは昭和25年で、この年天皇陛下が愛媛県に御来県され、道後温泉の又新殿にご入浴になられた。3月19日の事でした。
さて昨日の道後温泉祭り画像の続きを掲示します。


伊予鉄道の道後温泉駅舎。


道後温泉駅舎前に道後温泉観光案内所があり、ここが道後温泉観光の拠点となり、事務所がある。


この観光案内所に美人の職員さんが何時も素晴らしい笑顔で県外からお越しになったお客様を「お持て成しの心で」お接待しています。温泉祭りの期間は大忙し頑張って下さい。道後温泉に来られたお客様は、道後の気候風土に触れ、そして土地の人々との触れ合いを楽しみに来られている。好印象が残る旅が出来る様に・・務めています。


温泉祭り初日を盛り上げるために地元の小中学校の吹奏楽部、愛媛県警察音楽隊の演奏があった。・・その出発地は、湯神社前。


勢ぞろいした県警音楽隊員。


道後温泉本会前で演奏する道後中学校吹奏学部の生徒さん。


道後温泉観光センター前で素晴らしい演奏をする県警音楽隊。


道後温泉観光センター前広場でお祝いの獅子舞を披露。浅海獅子舞保存会の皆さん。


温泉祭りお祝いの餅つきも開催された。




お祝いの餅つきを道後温泉検番の皆さんの粋なお囃子を披露・・餅つきの音頭取り。


模擬自衛官姿で祭りに参加・・自衛官大好きおじさん。敬礼も姿勢も様になっています。
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