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紀行&散策を画像を交えた紹介です

伊予松山城・復元建造物散策 1

2014年03月04日 | 伊予松山歴史散策
天明4年(1784)、落雷で焼失して37年後、文政3年(1820)4月松山城復興計画その工事に着手、しかし不幸に天保6年(1835)本丸作業場から失火、復興計画は白紙に戻った。弘化4年(1847)11月小普請奉行の小川九十郎を御作事業奉行に任じ、大工に坂本又左衛門・田内久左衛門を棟梁として12月8日、に家老服部玄蕃が参加して天守・小天守等々建物設計に着手した。嘉永3年4月3日、天守上棟式が行われ、落成式は安政元年(1854)2月8日盛大に催された。本丸復興大事業は莫大な経費が掛かり、藩の節約と家臣の俸禄制限により捻出された。落雷焼失後実に70年後の天守群復興であった。その後昭和8年7月9日、放火により本壇天守を除く小天守、回廊櫓等が焼失、さらに同20年7月26日松山大空襲戦災により天神櫓・太鼓櫓等多くの建造物を焼失した。更に同24年筒井門を狂人の放火により焼失した。昭和33年松山城復興計画が立てられ、先ず始めに、馬具櫓を復元、同43年、本壇の小天守、南北隅櫓、多聞櫓、十間廊下、玄関多聞、玄関、内門、筋鉄門を木造で復元した。そして本丸の城郭を年次的計画で復元を行い、最後の復元は、太鼓門西塀を平成2年に復元し計画は終了、現在に至る本丸の姿である。
今回は、昭和20年7月26日、松山大空襲により焼失し、戦後松山城城郭復興を年次的に計画復元した30棟の建造物を数回に分けて画像で見て頂きます。
では、ロープウェイ山頂駅から本丸を辿って見ましょう。


巽櫓:昭和61年木造で復元されました。
ロープウェイ山頂駅から、東雲登城口と県庁登城口の道と合流して本丸に通じる登城道を上ると眼前に本丸一番の高石垣が見えて来ます。その右手高石垣上に櫓が見える。この櫓は「巽櫓」で昭和61年木造で復元されました。


太鼓櫓:昭和48年木造で復元されました。
揚木戸門跡を通り本丸大手門跡を右折すると「隘路」に通じ眼前の石垣の上に「太鼓櫓」が見えて来ます。次に筒井門を紹介しますが、筒井門・隠門を過ぎると広場がありますが、太鼓門・同続櫓・太鼓櫓・巽櫓による一連の防御線が構成されております。


筒井門:昭和46年木造で復元されました。
筒井門は、本丸大手で最も重要な要害の構えで、門の形式は渡り櫓門で、左側は石垣の上に西続櫓に、東は同じく東続櫓に接続しています。慶長年間松山城築城の時、加藤嘉明が松前(正木)城から移築した門で本丸の門では一番古い由緒ある門であったが、昭和24年、狂人の放火により焼失しました。


筒井門寄手側
現在修理中で画像は1月に撮ったものです。


筒井門内側
筒井門左側の櫓は、隠門続櫓です。


昭和24年狂人により放火され焼失した筒井門です。左は、隠門・隠門続櫓です。


筒井門内側で、昭和46年に木造で復元しましたが、画像の通り戸は一枚板で、この板が入手出来ず復元を諦めていたところ、昭和天皇の吹上御所建築時に予材として宮内庁が持っていたものを譲り受けて復元が完成した曰くつきの門です。


太鼓櫓:昭和48年木造で復元しました。
先ほど隘路から見た太鼓櫓で、筒井門を潜ると左側に見えます。寄り手が本丸最大の筒井門を突破して中に入ると枡形となり、次に紹介します太鼓門西塀と
鼓櫓に付してある狭間・石落とし等々の防御設備から攻撃する構えです。


太鼓門西塀:平成2年木造で復元しました。戦後松山城復興計画事業のうち最後の復元建築物で、左に太鼓櫓、右が太鼓門これに接続し、長さ24,4mの
続塀に狭間21ケ所、石落2ケ所が設けられている。


巽櫓:昭和61年木造で復元されました。
東の寄り手と、筒井門を突破して進撃してきた枡形の敵を巽櫓と巽西塀並びに太鼓門で防御する構えとなる櫓です。


巽西塀:昭和61年木造で復元しました。
右は、巽櫓と左は太鼓門北続櫓に接続しおり、狭間6ケ所、本瓦葺です。


太鼓門:寄手側
昭和20年7月26日、松山大空襲で焼失、昭和47年木造で復元しました。渡櫓門形式です。


太鼓門:内側
太鼓門、内側で上部に太鼓門南櫓と太鼓門北櫓があります。


太鼓櫓:本丸広場側
太鼓門を潜ると太鼓櫓が現れます。この櫓は、太鼓門・同南北続櫓・太鼓櫓・巽櫓・同西塀は一つの防御を構成し、高さ5mの石垣に一線に構築され筒井門から本丸に侵入してくる敵に備えています。


巽櫓:本丸広場側
昭和61年に木造で復元しました。右に西塀が附いております。


巽櫓西塀:昭和61年木造で復元されました。狭間5ケ所、石落はなく本瓦葺。
筒井門から本丸に侵入してくる敵に備えています。右は太鼓門と左は巽櫓に接続しております。


本丸大手門跡から見た左櫓が「太鼓櫓」・右が筒井門西続櫓でその手前小さな屋根が戸無門である。戸無門は重文で、他の建物は戦後復元された建物である。
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