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秋山眞之生誕146年祭 開催された

2014年03月17日 | 伊予松山歴史散策
秋山眞之生誕146年祭 開催された。

昨日(16日)、愛媛県知事、松山市長、山下亀三郎家、宗家第3代目山下眞一郎氏も臨席され多くの来賓参列の下盛大に秋山眞之生誕146年祭が秋山兄弟生誕地で開催された。
式典後は、お茶会、お琴の演奏会で眞之を偲んだ。
秋山眞之は、伊予松山藩士・秋山久敬の5男として慶応4年3月20日、に生まれ幼名は淳五郎で、元服し名を眞之と改めた。正式な呼び名は、秋山淳五郎眞之である。
眞之は、兄・信三郎好古の支援をえて東京大学を目指し、東京大学予備門に入学、東京帝国大学を目指すが、尊敬する兄、好古に学費、生活費の負担を掛けることは偲びがたし、の思いを持ち、兄を説得し了解を得て海軍兵学校17期生として進学した。(なお、東京大学予備門の同級生に夏目漱石がいた。)
海軍兵学校では、終始首席で卒業し海軍大学校教官を経て、日露戦争勃発後には、日本海軍連合艦隊司令長官東郷平八郎の下で作戦担当参謀となり、旗艦「三笠」乗艦、日本海海戦では、ロシア海軍太平洋第二艦隊・第三艦隊を日本海で撃滅その作戦を全て秋山眞之が専任参謀として立案し勝利に貢献した。その後大佐となり、海軍少将と昇進、大正6年12月1日中将に昇進、大正7年2月4日、小田原の山下亀三郎(山下汽船創設者)の別宅で盲腸炎を患い腹膜炎を併発し亡くなった。享年49歳、海軍中将従四位勲二等旭日重光章。
墓所は、鎌倉霊園にある。

画像は3月16日開催された秋山淳五郎眞之の生誕146年祭であります。


秋山淳五郎眞之の生誕146年祭祭壇に飾られた「胸像と・カラー肖像画」。
肖像画は、千葉県習志野市大久保、薬師寺住職・三橋秀紀氏からの寄贈で、画かれた方は、丸山画伯で、眞之の白黒写真を参考にして画かれた名作です。


開場となった「秋山兄弟生誕地・武道場」。


午前9時30分、生誕146年祭開催の挨拶を述べる、公益財団法人常盤同郷会、平松昇理事長。


公益財団法人常盤同郷会・藤島理事が眞之に献茶。


146年祭を祝い、正派邦楽会、大師範・琴・三弦前谷雅貴社中の皆さんが演奏した。最初に演奏された曲は「さくら・さくら」を素晴らしいアレンジで演奏し会場から一斉に大きな拍手が起こった。


参列された来賓者に対し、伊豫売茶流天山会、家元がお手前を披露。


お茶を頂き、正派邦楽会・大師範・琴・三弦前谷雅貴社中の皆さんの演奏が続く。・・秋山眞之を忍びながら。


秋山兄弟生誕地では、3年前の眞之生誕祭から、眞之の大好物であった「いり豆」を秋山生誕地女性研究員が、伊予の名産「伊予絣」で袋を作り、その中に「いり豆」を入れて限定販売をしました。


「伊予絣」で作った袋に入った「いり豆」を買い求める来館者。


女性研究員手作りの入り豆と、伊予絣で作った手作りの袋。


秋山眞之生誕146年祭に駆け付けた皆さん方。・・会場の武道場入口前。


秋山眞之生誕146年祭、本日の立役者、華麗なお茶会を開いた「伊豫売茶流天山会」の皆さん。・・ご苦労様でした。
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