JA8MEMのつれづれ日誌

趣味のアマチュア無線での出会いやカメラ片手の散策の出来事を写真とともに綴るブログです。

五稜郭公園周辺も秋の佇まい

2008-11-03 22:06:38 | 五稜郭公園
 「箱館奉行所庁舎復元工事」見学のあと五稜郭公園内を紅葉を眺めながら少し歩いた。そういえば公園の中に入るのは久し振りで、博物館五稜郭分館の建物が....、「あれ、何時解体したんだ....。」



                         
 公園にはまだ緑の多いのも見受けられるが、イチョウやモミジなど紅葉が始まっている。桜の葉も結構赤くなるんだよね、まだ少し早いようで、あと1週間ぐらいかな.....。


 五稜郭タワーでは、函館菊花会の「菊花展」が開催されていた。タワーのアトリウム内に約600鉢が飾られている。会員が丹誠込めて育てた黄色や白色、紫などどれも鮮やかだが、聞くと「今年は、七月上旬の暑さ、その後の低温と日照不足、8月に入っての晴天続き、中旬以降の低温と雨、9月の残暑とめまぐるしく変わる天気に振り回され苦労した。」とのこと、しかし、どれも見事で優劣つけがたい、審査員も苦労したことだろう....。この展覧会は9日(日)まで。
                        
 五稜郭タワーを出て、美術館駐車場前のイチョウの大木が見事に色づいている。この前のときわ通りのイチョウ並木はまだ少し早いが、この大木は一足早く色づいた。


 このイチョウと五稜郭タワーをツーショットでとカメラを向けると....、タワーの上を雲の「ジュゴン」が泳いでいる。慌ててシャッターを押したが、次の瞬間この「ジュゴン」は消え、ほんの一瞬の出来事だった....。
 
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箱館奉行所庁舎復元工事 特別公開

2008-11-03 21:32:45 | 五稜郭公園
 国の特別史跡「五稜郭跡」で進められている「箱館奉行所庁舎復元工事」の特別公開が行われると聞いて、紅葉が始まった五稜郭公園に出かけてきた。朝方の雨もあがり快晴の天気、またまた予報が外れた...、しかし、この外れは許される。


 時間は1時過ぎだったのだが、大勢の見学者で賑わっていた。教育委員会の担当者に尋ねると、「見学された方は2千人を超えた。今朝方の雨で5百人も来てくれればと思っていたので、こんなに関心を持っていただきうれしい。」と話してくれた。函館の歴史の中で欠くことのできない五稜郭跡に復元される奉行所は、市民にも期待されているのだろう。


 復元工事は巨大な覆いに囲われた中で行われている。10月初旬に屋根の最も高い部分に棟木をあげる「上棟式」が行われ、建物の外観ができている。ひときわ際立つ「太鼓櫓」、高さは16.5mで案内板には「大屋根の上に載る櫓は、時を知らせるための太鼓を鳴らしていたため、“太鼓櫓”と呼ばれていた。屋根は銅板で葺かれていますが、箱館戦争時には箱館湾からこの屋根が見えていたため、これが標的にされ、大砲の弾が命中したという記録があります。」



            
 奉行所の屋根は瓦葺き。当時使われた瓦の大部分は越前系の赤瓦で、文献資料によると北陸地方から運ばれてきたようで、復元工事では、出土した瓦を基に色味を再現し、銅線を使ってつなぐなど、当時の工法を踏襲しているとのこと。(案内板から)


 建物の塗り壁に使われている土は江差近辺で採取された粘土質の土を使用、割れや強度を高めるため、土にワラや草などのスサを練り混ぜ、十分に寝かせて発酵させることにより粘りが出て、割れの少ない強い壁になるそうだ。(これも案内板から)
 この日は、壁塗りの体験を親子で参加し楽しそうだ。しかし、職人さんの壁塗りを見ていると、丁寧な中に力を込め意外に重労働、簡単にやっているようだがどんな職業も大変なんだよね.....。

          
 箱館奉行所庁舎は、幕末の1864年に建てられ、箱館戦争で太鼓櫓が破壊され、開拓使本庁建設に伴う材木調達のため1871年に解体されたという。約140年振りの復元になるが、現存する史料や図面、写真、遺構の調査結果などに基づき当時の材料や工法を忠実に再現しているそうだ。2010年6月末の完成を目指して、復元中....。

 丸4年の工事期間のうちの半ばが過ぎた。もちろん中に入って見るのは初めてだが、木の香りに包まれた建物は“すごい”のひとこと、何故か当時の様子を想像したくなる。完成を待ちたい...。来年も特別公開を予定しているんだって、是非参加しよう....。

コメント (2)
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