解剖学者ドン・ベサリウス

「解剖学者ドン・ベサリウス」(ペトリュス・ボレル 沖積舎 1989)

訳は渋澤龍彦。
素晴らしい装丁は柄澤斉。
(写してはみたけれど、ぜんぜんうまくいかなかった。本当はもっとすごいです)

本書は、実在の解剖学者、ドン・ヴェサリウスに材をとった怪奇小説ないし幻想小説。
ゆったりとした文字組みで、中編小説を一冊の本に仕立てている。
巻末には、訳者の渋澤さんによる「悪魔のいる文学史」(中公文庫 1982)から、作者ボレルについての章、「叛逆の狂詩人」がまるまる収録されている。
ただ、「悪魔のいる文学史」には載っているボレルの肖像画が、本書でははぶかれていた。

さて、本編のストーリー。
フェリペ2世治下のマドリッド。
人体解剖をするため悪評の高い老医師ドン・ベサリウスが、アマリア・デ・カルデナス嬢と結婚をする。
それが気に入らない群集は大騒ぎ。
いっぽう、婚礼の会場ではアマリアが、この結婚は家族がきめたもので、自分は永遠にあなたのものだと恋人のアルデランをかき口説いている。
王の警官隊の介入により、群集は解散。
結婚生活は、当然うまくいかない。

それから4年後、病にかかったアマリアは瀕死の床でベサリウスに自分の不品行を懺悔する。
話を聞き終えたベサリウスは、いままでになくきっぱりした態度で、アマリアを連れて実験室へ…。

青ひげはいく人もの女性に手をだしたけれど、本書のベサリウスはそうではない。
その点、逆青ひげ譚とでもいうべき作品になっている。
作風は、やたらと大仰で、怪奇趣味にあふれたもの。
質にかんしては、どうやら賞味期限が切れているようだ。

渋澤さんの巻末エセーによれば、作者ボレルの生涯は「破滅した文学者の挫折した生涯の完璧な見本のようなもの」。

23歳のとき、処女詩集「狂詩曲」を出版。
自らを「リカントロープ(狼人)」と称する。
一瞬、ロマン主義の風に乗ったものの、早熟の悲劇というべきか、もって生まれた厭人癖のためか、才能を作品に結晶化させることができず、貧窮におちいる。
東方旅行から帰ってきたネルヴァルと協力して、出版社をおこそうとするが失敗。
ゴーティエの紹介で、36歳のとき植民地の役人としてアルジェへ。
しかし、事務能力がなく、任地を転々としたすえ解雇される。
その後、畑を耕し自活する生活を送り、50歳で亡くなる。
死因は日射病。
渋澤さんも書いているけれど、ちょっとだけランボーを思わせる人生。

また、ボレルはサドをもっとも早く称揚した作家だったという。
そして、ボレルを称揚したのはボードレールだった。
これについて、渋澤さんの美しい文章を引いておこう。

「文学史の暗い夜空に蒼白い光芒を放つ孤独な星たちが、互(かたみ)に共感の瞬きを交し合っているかのような印象を私は受ける。……」

作品自体はとるにたりないものだけれど、渋澤さんのエセーと立派な装丁とで、手にとるのが楽しい本だった。

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