冴えない散歩

2012-02-23 20:00:01 | 塾あれこれ
前方から挨拶されて驚いた。
人がおられることすら気づかなかったのです。

以前、塾においでいただいた保護者の方でした。
あわててご挨拶をしましたが、きっと
「ずいぶん暗~い爺だこと・・」


『批評の生理学』という本があります。
A・チボーデ著 戸田吉信訳(昭和44年刊)

散歩で家から出て川土手に着く迄は仕事やブログの事を
ぼんやりと考えています。
今日はなぜか上記の本のことを考えていたのです。

いや、大したことではありません。

どんな内容だったかな?結論めいた部分は覚えているが
もっと細かく思い出せないかな?
こんなことを考えていたのです。

難しいことを考えていたわけではありません。

ところが、よく見知ったお母さんに気づかない程ですから
我をかえりみると、どうもハイカイ風の外見だったかも?

ここらへんが効率が悪い人間なので、もし本当に確認を
したいのなら、家に戻ったあと本を探せばよいのです。


なぜそんな昔の本を、と思われますか?
別に私の記憶が良いということではありません。

本を著した方から直接頂いた唯一の本なのです。

大学生の時、教養部で戸田先生に教わっていました。

人に懐かない私ですが、珍しくしばしば自宅に伺い
騒いでいたときに、先生が「おい、これを進呈しよう」
と出来たばかりの本を下さったのです。

なぜか私ひとりにね。

先生からご覧になって、本が私に有効に見えたのでしょう。

批評とは、実作の力が弱くて競り負けた人間が素人に
解説をしてあげる仕事=創作よりも一段落ちる仕事、だ
なんて生意気なことを考えていましたから、批評のあるべき
位置についての論考に、が~ん、とぶっとびましたね。


別のある時、戸田先生が「プルースト読むか」と仰ったので
二つ返事で先生の本棚から文庫本を貸して頂きました。

文庫の『失われた時を求めて』
十数冊はありましたね。

大苦戦。

3冊目くらいでダウンしていると先生から「読んだか?」
紛失しないか恐れたのかなあ。
慌ててお返しいたしました。

可愛がって頂いたのに応えることができなかった次第。


私の場合、可愛い生徒は大勢いましたが、やはり多くは
こちらの予測した処にまでは届きません。

教員とは失望しつづける仕事なのかなあ。

別の方向で才の花が開いたと思えばよいのですが、
つい自分の気持ちが入りこみすぎてしまいます。

もちろん、どんどんと伸びる子もいます。

嬉しいものですが、自分の力がそれに関与したという錯覚を
持ちやすいので困ります。
そんな保証はどこにもありませんから。

逆にもっと伸びたものを 足引っ張ったかもしれません。

幾分かは与かったと思いたいのが人情ですけれど
「彼はボクの教え子でねえ」なんて言い始めると最悪!

塾の先生はしばしば「わが塾にはこんなに出来る子が」と
口走ります。
無邪気でほほえましい場合もありますが、いい親爺がまだ
そんなことを言ってるとぶん殴りたくなりますね。

「どうして、あんたの力ゆえだって言えるの?」