矢野暢先生のゼミで国際関係論を勉強し
卒論のテーマを米軍占領下の沖縄にしようと
していた話はどこかで書きましたかね?
卒論に着手する前に現地に乗り込んだはいいけれど
圧倒的な現実の前にハジキとばされ、頭は混乱し
ついに卒論をあきらめざるをえませんでした。
(帰ってからもチャレンジはしたけれど・・)
結局、卒業を控えた大学生の観光旅行になっちゃった。。。
もともと沖縄の文化に惹かれていたので
余計にそちらへ気持ちが流れたのかもしれません。
(卒論を書かなくても卒業できる珍しい時代でしたし)
○
話がそれますが、先日新聞の特集記事に上勢頭享さんの
名前をみつけ、たいへん懐かしい思いがしました。
当時、竹富島で民宿をしてられたハズで、私は用もないのに
五泊もして不思議がられたのを覚えています。
この小さな島から一歩も出たことがないというお婆さんの
話が忘れられません。
訛りの強いお話を必死で聞いたものです。
(遠くからご覧になっていた上勢頭さんに誉められた)
今の私からは到底考えられない真面目な青臭い青年でしたが
おばあが孫にでも話すみたいに優しくゆっくりと
「あなたは(やまと)から来た?そう・・」
テープなどを持っていなかったから逆に覚えているのかな?
◎
サラリーマンになって東京に行き、生まれて初めての都会で
何が良かったかと言うと、探せば何でもあった!
(オオゲサですが)
中野と新宿に沖縄料理の店がありました。
本当は他にもあったかもしれませんが、とにかく当時は珍しい
存在でした。
中野はまだリーズナブルでしたが新宿は高かったように
記憶しています。
中小企業に勤め始めたばかりの若造にはシンドイ。
それでも偶に金を持って飲みに行きましたね。
沖縄出身の、若く、とびきりの美人がお目当てです。
といっても、隣に座ってくれるとか、お話をしてくれるとか
そんなことはまずありません。
よほど店がヒマなときにお酒をついでくれたり・・
無理している若造が痛々しく見えたか、笑われていたか。
ルービックキューブが日本に紹介された頃です。
売れすぎてお店から消えたときがありました。
確か・・あやふやですが女の子にプレゼントした記憶が
あります。
モテもしないのが・・ねえ・・恥ずかしい。
○
そこの店長が気にいってくれたのか
「今度、○○さんがこの店で鴨食べる会をやるんだ。
先生に紹介してあげるからおいでよ。
会費制だから安心だよ」
その○○さんが何者か知らずに二つ返事です。
当日はセンセイが撃った鴨で鍋。
いや、不味いのなんの。
ジビエっていうのは本郷の店で出すエゾ鹿の刺身(=美味)
をイメージしているものですから魂消た。
○○センセイというのが、これまた怪しいんですよ。
常連らしい十数人に政界や業界の裏話を得々とやるのです。
「きみ、イノウエ君?
おつとめ? ははあ・・・どこ?
会社に話をしてあげようか・・」
いやもう恐ろしくて会費は出したものの飲み食いはせず
途中でこそこそ逃げ帰りました。
以後そのお店には行きません。
ルービックキューブの投資は失敗に終わりました・・
◎
当時は会社にヤクザが関係を持ち、業界雑誌を法外な値段で
売りつけて資金にする、つまり業界誌とヤクザが同類だった、
いや企業も政治家もヤクザと深い処では通じていたのです。
私が直接の証拠を持っているのではありませんが、
社内の総務や経理の様子を見ていれば分かります。
個別にどこが誰と、とは証拠もなく言えませんが
世の中に蔓延していたことは事実でしょう。
○
今TBSドラマ「運命の人」に関して、権力がお好きな
新聞社のエライサンが「わしはタカリじゃない」と
お怒りだとか。
フィクションとはいえモデルにされ、もしそれが無実ならば
腹も立つのかもしれません。
本当ならもっと腹たつか。
裁判になっても本当のところは分からないでしょう。
毎日新聞の西山記者のほうが正しそうだというのは
当時からまともな人間なら推測できたことです。
証拠がないから悔しいけれど言えなかっただけ。
フィクションで伝わることは個別の事情の真偽より
全体としてこうだった、ということでしょう。
だれがタカリ記者であったかは存じませんが
そんなのが山ほどいたのは事実。
ヤクザもどき、もね。
現在政治評論家の三宅某が「記者が政治家と飯くって
何が悪いんだ」と言いましたが、両者とも
その程度の国なんです。
ともに、国民には顔を向けません。
卒論のテーマを米軍占領下の沖縄にしようと
していた話はどこかで書きましたかね?
卒論に着手する前に現地に乗り込んだはいいけれど
圧倒的な現実の前にハジキとばされ、頭は混乱し
ついに卒論をあきらめざるをえませんでした。
(帰ってからもチャレンジはしたけれど・・)
結局、卒業を控えた大学生の観光旅行になっちゃった。。。
もともと沖縄の文化に惹かれていたので
余計にそちらへ気持ちが流れたのかもしれません。
(卒論を書かなくても卒業できる珍しい時代でしたし)
○
話がそれますが、先日新聞の特集記事に上勢頭享さんの
名前をみつけ、たいへん懐かしい思いがしました。
当時、竹富島で民宿をしてられたハズで、私は用もないのに
五泊もして不思議がられたのを覚えています。
この小さな島から一歩も出たことがないというお婆さんの
話が忘れられません。
訛りの強いお話を必死で聞いたものです。
(遠くからご覧になっていた上勢頭さんに誉められた)
今の私からは到底考えられない真面目な青臭い青年でしたが
おばあが孫にでも話すみたいに優しくゆっくりと
「あなたは(やまと)から来た?そう・・」
テープなどを持っていなかったから逆に覚えているのかな?
◎
サラリーマンになって東京に行き、生まれて初めての都会で
何が良かったかと言うと、探せば何でもあった!
(オオゲサですが)
中野と新宿に沖縄料理の店がありました。
本当は他にもあったかもしれませんが、とにかく当時は珍しい
存在でした。
中野はまだリーズナブルでしたが新宿は高かったように
記憶しています。
中小企業に勤め始めたばかりの若造にはシンドイ。
それでも偶に金を持って飲みに行きましたね。
沖縄出身の、若く、とびきりの美人がお目当てです。
といっても、隣に座ってくれるとか、お話をしてくれるとか
そんなことはまずありません。
よほど店がヒマなときにお酒をついでくれたり・・
無理している若造が痛々しく見えたか、笑われていたか。
ルービックキューブが日本に紹介された頃です。
売れすぎてお店から消えたときがありました。
確か・・あやふやですが女の子にプレゼントした記憶が
あります。
モテもしないのが・・ねえ・・恥ずかしい。
○
そこの店長が気にいってくれたのか
「今度、○○さんがこの店で鴨食べる会をやるんだ。
先生に紹介してあげるからおいでよ。
会費制だから安心だよ」
その○○さんが何者か知らずに二つ返事です。
当日はセンセイが撃った鴨で鍋。
いや、不味いのなんの。
ジビエっていうのは本郷の店で出すエゾ鹿の刺身(=美味)
をイメージしているものですから魂消た。
○○センセイというのが、これまた怪しいんですよ。
常連らしい十数人に政界や業界の裏話を得々とやるのです。
「きみ、イノウエ君?
おつとめ? ははあ・・・どこ?
会社に話をしてあげようか・・」
いやもう恐ろしくて会費は出したものの飲み食いはせず
途中でこそこそ逃げ帰りました。
以後そのお店には行きません。
ルービックキューブの投資は失敗に終わりました・・
◎
当時は会社にヤクザが関係を持ち、業界雑誌を法外な値段で
売りつけて資金にする、つまり業界誌とヤクザが同類だった、
いや企業も政治家もヤクザと深い処では通じていたのです。
私が直接の証拠を持っているのではありませんが、
社内の総務や経理の様子を見ていれば分かります。
個別にどこが誰と、とは証拠もなく言えませんが
世の中に蔓延していたことは事実でしょう。
○
今TBSドラマ「運命の人」に関して、権力がお好きな
新聞社のエライサンが「わしはタカリじゃない」と
お怒りだとか。
フィクションとはいえモデルにされ、もしそれが無実ならば
腹も立つのかもしれません。
本当ならもっと腹たつか。
裁判になっても本当のところは分からないでしょう。
毎日新聞の西山記者のほうが正しそうだというのは
当時からまともな人間なら推測できたことです。
証拠がないから悔しいけれど言えなかっただけ。
フィクションで伝わることは個別の事情の真偽より
全体としてこうだった、ということでしょう。
だれがタカリ記者であったかは存じませんが
そんなのが山ほどいたのは事実。
ヤクザもどき、もね。
現在政治評論家の三宅某が「記者が政治家と飯くって
何が悪いんだ」と言いましたが、両者とも
その程度の国なんです。
ともに、国民には顔を向けません。