タカリ記者は存在する

2012-02-08 21:46:07 | 塾あれこれ
矢野暢先生のゼミで国際関係論を勉強し
卒論のテーマを米軍占領下の沖縄にしようと
していた話はどこかで書きましたかね?

卒論に着手する前に現地に乗り込んだはいいけれど
圧倒的な現実の前にハジキとばされ、頭は混乱し
ついに卒論をあきらめざるをえませんでした。
(帰ってからもチャレンジはしたけれど・・)

結局、卒業を控えた大学生の観光旅行になっちゃった。。。

もともと沖縄の文化に惹かれていたので
余計にそちらへ気持ちが流れたのかもしれません。

(卒論を書かなくても卒業できる珍しい時代でしたし)


話がそれますが、先日新聞の特集記事に上勢頭享さんの
名前をみつけ、たいへん懐かしい思いがしました。
当時、竹富島で民宿をしてられたハズで、私は用もないのに
五泊もして不思議がられたのを覚えています。

この小さな島から一歩も出たことがないというお婆さんの
話が忘れられません。
訛りの強いお話を必死で聞いたものです。

(遠くからご覧になっていた上勢頭さんに誉められた)

今の私からは到底考えられない真面目な青臭い青年でしたが
おばあが孫にでも話すみたいに優しくゆっくりと
「あなたは(やまと)から来た?そう・・」
テープなどを持っていなかったから逆に覚えているのかな?


サラリーマンになって東京に行き、生まれて初めての都会で
何が良かったかと言うと、探せば何でもあった!
(オオゲサですが)

中野と新宿に沖縄料理の店がありました。
本当は他にもあったかもしれませんが、とにかく当時は珍しい
存在でした。

中野はまだリーズナブルでしたが新宿は高かったように
記憶しています。
中小企業に勤め始めたばかりの若造にはシンドイ。

それでも偶に金を持って飲みに行きましたね。

沖縄出身の、若く、とびきりの美人がお目当てです。

といっても、隣に座ってくれるとか、お話をしてくれるとか
そんなことはまずありません。
よほど店がヒマなときにお酒をついでくれたり・・

無理している若造が痛々しく見えたか、笑われていたか。

ルービックキューブが日本に紹介された頃です。
売れすぎてお店から消えたときがありました。
確か・・あやふやですが女の子にプレゼントした記憶が
あります。
モテもしないのが・・ねえ・・恥ずかしい。


そこの店長が気にいってくれたのか
「今度、○○さんがこの店で鴨食べる会をやるんだ。
 先生に紹介してあげるからおいでよ。
 会費制だから安心だよ」

その○○さんが何者か知らずに二つ返事です。
当日はセンセイが撃った鴨で鍋。

いや、不味いのなんの。

ジビエっていうのは本郷の店で出すエゾ鹿の刺身(=美味)
をイメージしているものですから魂消た。

○○センセイというのが、これまた怪しいんですよ。
常連らしい十数人に政界や業界の裏話を得々とやるのです。

「きみ、イノウエ君?
 おつとめ?  ははあ・・・どこ?
 会社に話をしてあげようか・・」

いやもう恐ろしくて会費は出したものの飲み食いはせず
途中でこそこそ逃げ帰りました。
以後そのお店には行きません。

ルービックキューブの投資は失敗に終わりました・・


当時は会社にヤクザが関係を持ち、業界雑誌を法外な値段で
売りつけて資金にする、つまり業界誌とヤクザが同類だった、
いや企業も政治家もヤクザと深い処では通じていたのです。

私が直接の証拠を持っているのではありませんが、
社内の総務や経理の様子を見ていれば分かります。

個別にどこが誰と、とは証拠もなく言えませんが
世の中に蔓延していたことは事実でしょう。


今TBSドラマ「運命の人」に関して、権力がお好きな
新聞社のエライサンが「わしはタカリじゃない」と
お怒りだとか。

フィクションとはいえモデルにされ、もしそれが無実ならば
腹も立つのかもしれません。
本当ならもっと腹たつか。

裁判になっても本当のところは分からないでしょう。

毎日新聞の西山記者のほうが正しそうだというのは
当時からまともな人間なら推測できたことです。
証拠がないから悔しいけれど言えなかっただけ。

フィクションで伝わることは個別の事情の真偽より
全体としてこうだった、ということでしょう。

だれがタカリ記者であったかは存じませんが
そんなのが山ほどいたのは事実。

ヤクザもどき、もね。

現在政治評論家の三宅某が「記者が政治家と飯くって
何が悪いんだ」と言いましたが、両者とも
その程度の国なんです。
ともに、国民には顔を向けません。