『カーネーション』の教育論

2012-02-13 22:11:17 | 塾あれこれ
教育「論」とはオオゲサですが
塾ごときがキョーイクについてモノ申すこと自体
お笑いだという方もおられますので
逆に「論」などと書いてみたくなるのです。

それはともかく、糸子さんの教育、100%共感できます。

いずれ、どなたかが本でもお書きになるでしょうから
パクリと言われないように先にちょこっと触れますね。
(それで「論」とはおこがましいかぎりで・・)


オノマチの歯切れの良さに「そうそう」と。


「自分で乗り越えにゃ、どないすんね」(←記憶あやふや)
とか、本気にならなきゃ何にもできない、という姿勢。

ですから、進む道は本人の自由です。
何でも挑戦させます。
そこで基礎はしっかり鍛えましょう。
万が一ダメになる子はそこまでの存在。
(別の道を探せばよいという意味です)

自分で自分に責任を持ってほしいのですね。
「気」が大切です。

厳しくするだけでも親としてつらいことでしょうが
ボールを向こうに投げたら、じっと待っていなきゃならない
これがシンドイ。

もちろん、最後は母たる自分が責任をとる!

考え方も姿勢もしっかりしていますね。


昔はこんな親が多くおられたのではないでしょうか。

こういう社会が下から支えてくれたうえでの学校制度、
それだから十分に機能していたのです。

「気」を注入してくれているのですから
きちんとした仕組みの中で生徒は伸びますよね。

甘く流れることはありません。

親が背中で子育てをするというのはこういうことでしょう。

昔の研究で、欧州でも専業主婦の家庭の方が
教育が下手であるという報告があったと記憶しています。

手を掛け過ぎない。
シンプルに伝える。

これが大切なのですね。