審判がいるものはイケませんね。
まあ仕方ないとして五輪が始まっています。
開会式、チャンイーモーでしたね。
カラーというかワンパタンというか。
◎
五輪を平和の祭典と言います。
願いを込めてでしょう。
いまグルジアで戦争をしながら選手派遣とは?
本来、国が戦争をする代わりをスポーツで
というのですから、国同士は争うものだという
前提が五輪にはあるともいえます。
つまり国や民族の対立をあおるという危険性も
あるのですね。
国旗国歌を避けると違うかな?
ショーバイには反しそうです。
商売だけでなく各国政府も利用していますし・・
◎
いったん横道に逸れます。
(名著)があります。
伊東俊太郎著 『近代科学の源流』中公文庫
西洋科学の発展には前史として長い積み上げがあり
ダヴィンチもコペルニクスも突然に現れたのではなく
多くの先行者がいたということを教えます。
アラビアも橋わたしだけではなく発展させていた。
もとは30年以上前に書かれた本ですが、
一流の学者が自分の仕事を包括するのですから
厳密かつ網羅的です。
しかもわかり易い。
明晰な文章、バツグンの筆力のおかげでしょう。
無駄がない文を書かれる方ですねえ。
その第5章が「アラビア科学の発祥」
まずアラビア科学とは何をさすか、定義されます。
かの地域では人種、言語、宗教など様々であり
対立も厳しいものがあるようです。
伊東先生は(アラビア語で説明されている科学)
と定義し、書き進められています。
今でもアラビア語を使う地域=アラブとなって
いますね。
油がでるからアラブかなあ?
すっげオヤジ・・
失礼いたしました。
ただしそれは一つの考え方ですから、現実は違う
考えもありえます。
たとえば現在イランでは「我々はアラブではない」
と主張されています。
(ナショナルジョオグラフィック今月号)
言語ではペルシア語、宗教はシーア派であると。
伊藤先生の本ではアラブだったのに。
イランだけではありません、シリアも別格。
きっと他にもたくさん違いがあるでしょうね。
決して一色ではありません。
○
叱られることを覚悟して申し上げますが
東アジアからみれば、やはりあの辺り全体アラブで
我々には区別がつきません。
逆にアラブから東アジアを見れば同じではないか。
日本も韓国も中国も一緒。
違いは多くあれど、それを言い立ててツノつきあわせ
ていても所詮一緒。
あそこはウチとここが違う、は重要ですがそれで
排他的になってはいけません。
対立する感情をあおっては危ないのです。
中国は冷静になれず餃子中毒事件の科学捜査に失敗
自国民に重大な被害をもたらしています。
かーっとなってると危ない証拠ですよね。
日本も相手のレベルに下がることはありません。
コメンテーターはあおっていますが、あれは商売
もしくは芸能ニュースのイロモノ。
言いたい放題ですから過激なほうが面白いのです。
彼らが責任をとってくれるわけではありません。
◎
オリンピックから離れすぎました。
国家、民族といっても所詮同じ人間です。
かーっとなってはいけません。
とはいえ、身近を応援するのも人の常。
日本ちゃちゃちゃ、といきたいですが
「精一杯やりました」とばかり聞かされると
自分だけの五輪かい!と突っ込みたくなります。
けっこう、かーっとなってたりして。。ハハハ
まあ仕方ないとして五輪が始まっています。
開会式、チャンイーモーでしたね。
カラーというかワンパタンというか。
◎
五輪を平和の祭典と言います。
願いを込めてでしょう。
いまグルジアで戦争をしながら選手派遣とは?
本来、国が戦争をする代わりをスポーツで
というのですから、国同士は争うものだという
前提が五輪にはあるともいえます。
つまり国や民族の対立をあおるという危険性も
あるのですね。
国旗国歌を避けると違うかな?
ショーバイには反しそうです。
商売だけでなく各国政府も利用していますし・・
◎
いったん横道に逸れます。
(名著)があります。
伊東俊太郎著 『近代科学の源流』中公文庫
西洋科学の発展には前史として長い積み上げがあり
ダヴィンチもコペルニクスも突然に現れたのではなく
多くの先行者がいたということを教えます。
アラビアも橋わたしだけではなく発展させていた。
もとは30年以上前に書かれた本ですが、
一流の学者が自分の仕事を包括するのですから
厳密かつ網羅的です。
しかもわかり易い。
明晰な文章、バツグンの筆力のおかげでしょう。
無駄がない文を書かれる方ですねえ。
その第5章が「アラビア科学の発祥」
まずアラビア科学とは何をさすか、定義されます。
かの地域では人種、言語、宗教など様々であり
対立も厳しいものがあるようです。
伊東先生は(アラビア語で説明されている科学)
と定義し、書き進められています。
今でもアラビア語を使う地域=アラブとなって
いますね。
油がでるからアラブかなあ?
すっげオヤジ・・
失礼いたしました。
ただしそれは一つの考え方ですから、現実は違う
考えもありえます。
たとえば現在イランでは「我々はアラブではない」
と主張されています。
(ナショナルジョオグラフィック今月号)
言語ではペルシア語、宗教はシーア派であると。
伊藤先生の本ではアラブだったのに。
イランだけではありません、シリアも別格。
きっと他にもたくさん違いがあるでしょうね。
決して一色ではありません。
○
叱られることを覚悟して申し上げますが
東アジアからみれば、やはりあの辺り全体アラブで
我々には区別がつきません。
逆にアラブから東アジアを見れば同じではないか。
日本も韓国も中国も一緒。
違いは多くあれど、それを言い立ててツノつきあわせ
ていても所詮一緒。
あそこはウチとここが違う、は重要ですがそれで
排他的になってはいけません。
対立する感情をあおっては危ないのです。
中国は冷静になれず餃子中毒事件の科学捜査に失敗
自国民に重大な被害をもたらしています。
かーっとなってると危ない証拠ですよね。
日本も相手のレベルに下がることはありません。
コメンテーターはあおっていますが、あれは商売
もしくは芸能ニュースのイロモノ。
言いたい放題ですから過激なほうが面白いのです。
彼らが責任をとってくれるわけではありません。
◎
オリンピックから離れすぎました。
国家、民族といっても所詮同じ人間です。
かーっとなってはいけません。
とはいえ、身近を応援するのも人の常。
日本ちゃちゃちゃ、といきたいですが
「精一杯やりました」とばかり聞かされると
自分だけの五輪かい!と突っ込みたくなります。
けっこう、かーっとなってたりして。。ハハハ