わずか半世紀

2008-08-17 10:51:06 | 塾あれこれ
尾道天寧寺の坂を歩きながら、子供の頃
祖母と墓参りをした記憶が浮かびました。
ついこの間のことに思えます。

子供には重い手桶の水がぱしゃぱしゃと撥ね、
祖母は何度も休みながら明るい日差しの坂を
上ってきました。
私は坂の途中で暫く待って、また待って。

あれから50年。


昨日の『日本の漢字』にも
「広」という略字にふれ日本では戦前から
略字でそう書いていたと記されます。
続けて「わずか六十年前の事実が、すでに伝わらなく
なりかけているのである」

個人の記憶では短い半世紀でも、公の記憶では
薄らいでしまう長い時間になるのです。


先日、NHKのTV番組新日曜美術館で
石内都という写真家が「ヒロシマ」を撮るという
紹介をされていました。

広島現代美術館での個展は見逃してしまいましたが
興味深い写真を撮られます。
TVでは作品の評価(私にとっての)は出来ませんが。

その番組の中で被爆された方と対談されていました。

写真とは別に被爆ということの複雑さを示す挿話で
対談相手の方が、若い頃仕事で、とある被爆者の家に
赴き、きつい言葉をあびせられた、ということを
話していました。

なぜそんなことになるのだろう?

待てよ、その人はABCCの仕事をしていたのか
と思いつきました。
それならば十分に理解できます。
原爆関係の調査で比治山といえば忌まわしいあの
機関です。

一定の年齢以上の広島人ならばABCCの悪名は
知っております。

勤めていた?彼女にどれほどの罪があるかは別とし
TVで「玄関先で怒鳴られた」というだけでは
相手が完全に悪いように聞こえますよね。

そのまま流すNHKもどうかしていますが、
戦後のことですら分らない人間が増えている証拠
ではあります。

無知は民主主義を機能させなくなります。
やはりひとこと言っておきたくなりました。

個人の一方的な話をTVが流すのは不可です。


ABCCとは原爆傷害調査委員会といい
アメリカが自国の法律で作ったものです。

事情に詳しい著名な医師、杉原芳夫さんによれば
「加害者が被害者を調査する」もので
遺体解剖はすれど、治療は一切しません。

怨嗟の的になっていた機関です。

核兵器開発の資料として被爆者の遺体を切り刻み
調査結果は米軍のために独占し
核戦略に有利な使い方をのみしてきた、のは
歴史的事実といって過言ではないでしょう。
(現在も実態は変わりません)

内容がほのみえてから後は、平和の敵として
誰も信用しない機関であったのです。

その職員がやってくれば
「原爆を落としておいて何の調査か」と怒る
ほうが当たり前でしょう。

こういったことを踏まえた上でのメディアの番組
つくりであるべき、と考えますがいかがでしょう。

美術番組とはいえ「平和」をメシのたね
にしているのですから。


美術関係者のレベルも、昔から・・?・・かな

なんやかんや言いつつ、被爆者の衣服を
「オモシロイ」と捉える神経はね。

石内さんもヒロシマを知らなかったそうですが
今どれほど分ったか伺ってみたいものです。

芸術家先生には被写物として「絵になるもの」で
あれば良かったのでしょうね。
できれば、話題になるもの。

被爆とはどこか遠い田舎の昔話なのでしょう。

わずか半世紀余りで、日本もこうなりますか。