堂々と

2008-08-14 15:12:11 | 塾あれこれ
堂々と一本勝ち、これこそ日本ですよね。


金関丈夫(1897~1983)
柔道関係者とかではありません。
人類学者。

彼の著書『発掘から推理する』岩波現代文庫に
次の文章が載せられています。

「日本の毒矢」

これとオリンピックと関係あり?でしょうが
まず、どんな文か申し上げますね。

短い文の冒頭、石川元助著『毒矢の文化』を引用し
トリカブトの毒矢を使用する文化は東アジア全域に
広がるが日本は使っていないと紹介されます。

もちろん完全に一本も毒矢がなかったわけではなく
使用例も例外的に散見されますが、基本的には
日本人は毒矢を使いません。


最近の学者の中には厳密さに欠け、メディアに出て
ばかりの方も多いようですが、少し前までは金関先生
のように広い知識と深い考察で厳密な話をされ、
可能性の言及も倫理観にあふれていました。

そうするとシロウトも安心して大風呂敷が広げられる
わけですね。
落語のご隠居風に気楽に話ができます。

学者があることないことを言うと我々の出番が少なく
なるので困りますね。


亡き十代目文治(長く桂伸治でTVの人気者でした)
などの演じるヤカンという噺があります。
ご隠居が薬缶の語源をデタラメに話すのですが
(矢が飛んできてカンと当たる・・)
まあそれと似た居酒屋風無責任話を以下いたします。

「日本人は毒矢を使わなかったってね。
 アタボウよ。卑怯はいけねえや」

このような日本人の心性が毒矢を使わせなかった
と思うのですが、どうでしょう?
毒矢っていかにも卑怯でしょ。

どして?なぜ卑怯?と言われると困るのですがね。

激しい戦いがない国だったから、かもしれません。
といっても一族存亡なんてしばしば起きましたが。


元寇の際、集団戦法を知らない日本人が時代遅れの
一騎打ち、名乗りをあげてる間にやられちゃった
というのは有名な話です。
それは卑怯、といっても相手にしてくれません。
あちらは毒矢も平気な文化ですから。

というか日本が世界標準から離れていたのです。

江戸時代になっても進歩していず
「飛び道具とは卑怯な」なんて叫びます。
・・歌舞伎や時代劇だけかなあ。

ある意味(おバカ)なのでしょう。
絶対に勝たねばならぬときには卑怯もクソも
ありませんから。

少なくとも敵を知らねば勝てません。
卑怯という概念にこだわって負けてしまえば
正直の前にバカがつくでしょう。

しばしば登場願う台湾のK女史ならば、きっと
「だから日本人はバカなのよ。
 勝ちたけりゃ、毒矢くらい使いなさいよ。
 中国では皆やってますよ。
 卑怯?じゃ負けてれば・・」

と日本人に中国文化を強要されます。
(日本文化を守るウヨクは怒らないのかねえ)

卑怯な手を知っておく事は必要かもしれませんが
採用するかどうかは別の問題です。


世界の流れが自分から離れていきつつあるのに
旧態然とした日本柔道界がオソマツ。
ポイント狙いで指導を受けるハメに。
その正誤は別として「卑怯」と言われて敗北じゃ
情けないじゃありませんか。

一本勝ちしてこその日本です。
それを貫いた人は勝っています。

多分、古来の「卑怯を嫌う」精神が最終的には
強さを与えてくれるのでしょう。
日本はこのほうが力が出る文化なのです。

ことは柔道に限らないのですが、また明日。