堂々と一本勝ち、これこそ日本ですよね。
○
金関丈夫(1897~1983)
柔道関係者とかではありません。
人類学者。
彼の著書『発掘から推理する』岩波現代文庫に
次の文章が載せられています。
「日本の毒矢」
これとオリンピックと関係あり?でしょうが
まず、どんな文か申し上げますね。
短い文の冒頭、石川元助著『毒矢の文化』を引用し
トリカブトの毒矢を使用する文化は東アジア全域に
広がるが日本は使っていないと紹介されます。
もちろん完全に一本も毒矢がなかったわけではなく
使用例も例外的に散見されますが、基本的には
日本人は毒矢を使いません。
○
最近の学者の中には厳密さに欠け、メディアに出て
ばかりの方も多いようですが、少し前までは金関先生
のように広い知識と深い考察で厳密な話をされ、
可能性の言及も倫理観にあふれていました。
そうするとシロウトも安心して大風呂敷が広げられる
わけですね。
落語のご隠居風に気楽に話ができます。
学者があることないことを言うと我々の出番が少なく
なるので困りますね。
○
亡き十代目文治(長く桂伸治でTVの人気者でした)
などの演じるヤカンという噺があります。
ご隠居が薬缶の語源をデタラメに話すのですが
(矢が飛んできてカンと当たる・・)
まあそれと似た居酒屋風無責任話を以下いたします。
「日本人は毒矢を使わなかったってね。
アタボウよ。卑怯はいけねえや」
このような日本人の心性が毒矢を使わせなかった
と思うのですが、どうでしょう?
毒矢っていかにも卑怯でしょ。
どして?なぜ卑怯?と言われると困るのですがね。
激しい戦いがない国だったから、かもしれません。
といっても一族存亡なんてしばしば起きましたが。
○
元寇の際、集団戦法を知らない日本人が時代遅れの
一騎打ち、名乗りをあげてる間にやられちゃった
というのは有名な話です。
それは卑怯、といっても相手にしてくれません。
あちらは毒矢も平気な文化ですから。
というか日本が世界標準から離れていたのです。
江戸時代になっても進歩していず
「飛び道具とは卑怯な」なんて叫びます。
・・歌舞伎や時代劇だけかなあ。
○
ある意味(おバカ)なのでしょう。
絶対に勝たねばならぬときには卑怯もクソも
ありませんから。
少なくとも敵を知らねば勝てません。
卑怯という概念にこだわって負けてしまえば
正直の前にバカがつくでしょう。
しばしば登場願う台湾のK女史ならば、きっと
「だから日本人はバカなのよ。
勝ちたけりゃ、毒矢くらい使いなさいよ。
中国では皆やってますよ。
卑怯?じゃ負けてれば・・」
と日本人に中国文化を強要されます。
(日本文化を守るウヨクは怒らないのかねえ)
卑怯な手を知っておく事は必要かもしれませんが
採用するかどうかは別の問題です。
○
世界の流れが自分から離れていきつつあるのに
旧態然とした日本柔道界がオソマツ。
ポイント狙いで指導を受けるハメに。
その正誤は別として「卑怯」と言われて敗北じゃ
情けないじゃありませんか。
一本勝ちしてこその日本です。
それを貫いた人は勝っています。
多分、古来の「卑怯を嫌う」精神が最終的には
強さを与えてくれるのでしょう。
日本はこのほうが力が出る文化なのです。
ことは柔道に限らないのですが、また明日。
○
金関丈夫(1897~1983)
柔道関係者とかではありません。
人類学者。
彼の著書『発掘から推理する』岩波現代文庫に
次の文章が載せられています。
「日本の毒矢」
これとオリンピックと関係あり?でしょうが
まず、どんな文か申し上げますね。
短い文の冒頭、石川元助著『毒矢の文化』を引用し
トリカブトの毒矢を使用する文化は東アジア全域に
広がるが日本は使っていないと紹介されます。
もちろん完全に一本も毒矢がなかったわけではなく
使用例も例外的に散見されますが、基本的には
日本人は毒矢を使いません。
○
最近の学者の中には厳密さに欠け、メディアに出て
ばかりの方も多いようですが、少し前までは金関先生
のように広い知識と深い考察で厳密な話をされ、
可能性の言及も倫理観にあふれていました。
そうするとシロウトも安心して大風呂敷が広げられる
わけですね。
落語のご隠居風に気楽に話ができます。
学者があることないことを言うと我々の出番が少なく
なるので困りますね。
○
亡き十代目文治(長く桂伸治でTVの人気者でした)
などの演じるヤカンという噺があります。
ご隠居が薬缶の語源をデタラメに話すのですが
(矢が飛んできてカンと当たる・・)
まあそれと似た居酒屋風無責任話を以下いたします。
「日本人は毒矢を使わなかったってね。
アタボウよ。卑怯はいけねえや」
このような日本人の心性が毒矢を使わせなかった
と思うのですが、どうでしょう?
毒矢っていかにも卑怯でしょ。
どして?なぜ卑怯?と言われると困るのですがね。
激しい戦いがない国だったから、かもしれません。
といっても一族存亡なんてしばしば起きましたが。
○
元寇の際、集団戦法を知らない日本人が時代遅れの
一騎打ち、名乗りをあげてる間にやられちゃった
というのは有名な話です。
それは卑怯、といっても相手にしてくれません。
あちらは毒矢も平気な文化ですから。
というか日本が世界標準から離れていたのです。
江戸時代になっても進歩していず
「飛び道具とは卑怯な」なんて叫びます。
・・歌舞伎や時代劇だけかなあ。
○
ある意味(おバカ)なのでしょう。
絶対に勝たねばならぬときには卑怯もクソも
ありませんから。
少なくとも敵を知らねば勝てません。
卑怯という概念にこだわって負けてしまえば
正直の前にバカがつくでしょう。
しばしば登場願う台湾のK女史ならば、きっと
「だから日本人はバカなのよ。
勝ちたけりゃ、毒矢くらい使いなさいよ。
中国では皆やってますよ。
卑怯?じゃ負けてれば・・」
と日本人に中国文化を強要されます。
(日本文化を守るウヨクは怒らないのかねえ)
卑怯な手を知っておく事は必要かもしれませんが
採用するかどうかは別の問題です。
○
世界の流れが自分から離れていきつつあるのに
旧態然とした日本柔道界がオソマツ。
ポイント狙いで指導を受けるハメに。
その正誤は別として「卑怯」と言われて敗北じゃ
情けないじゃありませんか。
一本勝ちしてこその日本です。
それを貫いた人は勝っています。
多分、古来の「卑怯を嫌う」精神が最終的には
強さを与えてくれるのでしょう。
日本はこのほうが力が出る文化なのです。
ことは柔道に限らないのですが、また明日。