和食Wマスターから聞いた話。
マスターは我市で有名な割烹に勤めておられたんですけど…。
医師会が近かったためか、医師会の御用達のような状況だったそうです。
いわゆる「医師」と「薬業界」がズブズブだった時代ですが…。
宴会は1万円+酒別で…。2万円が当たり前だったとか。
おそらくは、その費用は医薬品メーカーが支払っていたんでしょうね。
ある宴会の時…。
「寿司と天ぷらの屋台を出してくれ。」と言われたとかで…。
それをOKしたそうなんですけど…。
寿司屋台を担当したマスターは「まあ、少しずつ握ればいいだろう。」と思っていたのが…。
「とてもじゃなく間に合わなかった。」そうな。
医者が寿司を取りに来るのではなくて、夜のおねいちゃん=ホステスさんが取りにきては配膳しちゃうんだそうですよ。
つまりは「二次会以降は、是非、うちの店へ。」という種蒔ですわww
(ちなみに、天ぷらの屋台は、寿司屋台よりも壊滅的だったそうです。)
外には、空のタクシーを待たせて医薬品メーカーが待機。
医者をタクシーに乗せては自分の行き付け店に連れて行く…という作業なんですよ。
ホント、医者のバブル時代だったんだな…。
まあ、私の時代は、それよりは後の時代なので…。
「協賛は2万円まで。」の時代でしたから、少しは落ち着いていたのかな??
それでも接待はしていましたけど。
マスターは我市で有名な割烹に勤めておられたんですけど…。
医師会が近かったためか、医師会の御用達のような状況だったそうです。
いわゆる「医師」と「薬業界」がズブズブだった時代ですが…。
宴会は1万円+酒別で…。2万円が当たり前だったとか。
おそらくは、その費用は医薬品メーカーが支払っていたんでしょうね。
ある宴会の時…。
「寿司と天ぷらの屋台を出してくれ。」と言われたとかで…。
それをOKしたそうなんですけど…。
寿司屋台を担当したマスターは「まあ、少しずつ握ればいいだろう。」と思っていたのが…。
「とてもじゃなく間に合わなかった。」そうな。
医者が寿司を取りに来るのではなくて、夜のおねいちゃん=ホステスさんが取りにきては配膳しちゃうんだそうですよ。
つまりは「二次会以降は、是非、うちの店へ。」という種蒔ですわww
(ちなみに、天ぷらの屋台は、寿司屋台よりも壊滅的だったそうです。)
外には、空のタクシーを待たせて医薬品メーカーが待機。
医者をタクシーに乗せては自分の行き付け店に連れて行く…という作業なんですよ。
ホント、医者のバブル時代だったんだな…。
まあ、私の時代は、それよりは後の時代なので…。
「協賛は2万円まで。」の時代でしたから、少しは落ち着いていたのかな??
それでも接待はしていましたけど。