ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

落ち着ける場所(2)

2011年06月29日 | 日記
体が弱く長く生きられないと言ってた父の
リタイアと引き換えに、
「何がしたいか?」
「長く続けられることを探してほしい」
と言うと、何日かして父は、
「海っぷちで産まれたから、余生は釣り
 がしたい。」
とこたえました。

自由奔放な父と、同じ血をひく息子のコン
ビでは、とうてい鼻ッからうまくゆくとは
思えません。ほなさんは、この際、父にリ
タイアをうながし、その引き換えとして、
釣りが十分にできる生活の保障を引き受け
たのでした。

ほなさんが商売をはじめた頃は、家族全体
の収入が月7万円しかありませんでした。
新しい投資を行うにも、その資本金が最初
からマイナスでした。31年前のことです。

しかし父には毎月25万円を支払うことを
約束し、そのことを実行してきました。2
8歳の息子が58歳の父を扶養家族にした
のです。結果として、父以外の家族には、
そうとうな無理を強いてしまいました。

もう一度同じことをするかというとわかり
ませんが、虚弱体質だった父が90歳まで
元気に生きたことをみれば、父の居場所探
しは、非常にうまく行ったのだと思います。

人や物の落ち着く場所を探しあてる、これ
はとても大事なことです。特に「人事」は
寿命を延ばしも縮めもします。
父に続いて今度は、母の「居場所」を探さ
ねばなりません。母の病状を横目に見なが
ら、対処策をさがしはじめました。
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落ち着ける場所(1)

2011年06月29日 | 日記
父が90歳の天寿をまっとうし、この春三回忌を
終えることができました。ほなさんは馬鹿だか
ら、当初、三回忌は3年経ってやるものだと思
っていましたら、葬式直後、親しい方との会話
で、死後2年のうちにやるものだと知り慌てま
した。

あれから2年ちょっと、父に代わって整理しな
ければならなかったことを、ひとつづつ片付け
てきました。
それは、それぞれの落ち着く場所を探すことで
した。
まず、母の居場所でありました。

軽度の認知症の母と、数年ぶりに暮らしてみて、
普通の生活にほとんど問題は無いとわかりまし
た。たまに迷子になり、どこかでケガを負って
心配したこともありましたが、、、。

認知症の自立支援をしてくれるグループホーム
に入るきっかけになったことをひとつお話をし
ますと、、、。

ある日、贈り物をするのが大好きな母が、○○
さんにプレゼントを渡すと約束したから、買っ
て持っていくと言いだした。その時すでに夕方
の5時でした。

母の記憶では、○○さん自体が誰なのかわから
ないが、家を見れば判別がつくという。
何かに急かされるように言いだした母の姿に、
周りの誰もが不安と異常さを感じ取っていまし
た。
晩秋の夕暮れに、認知症の母ひとりで行かせる
ことはできないので、息子のほなさんが付き合
うことにした。

そこはほなさんも初めて行く地域でした。お家
を外から観て、母の記憶だけを頼りに、
「この家かも。」
と見知らぬ地域の見知らぬお宅を一軒づつ尋ね
歩いた。農家の軒先から覗き込み、母の記憶と
照らし合わせ、あいまいなら中に入り声をかけ
る。また電気のついた民家は、玄関のベルを押
し、
「母がプレントを渡すとお約束していませんか」
と聞いてまわる。

もの売りと間違い心配顔した家人、事情を知り
気の毒そうにしてくれた方、あの向こうのお宅
かもしれないと親切に教えてくれたご主人etc、
夜の闇の中を、犬に吼えられながら訪ね歩きま
した。

当初、ほなさんは、母の思い違いの気まぐれに
適当に付き合えば良いと思っていましたが、夕
暮れがすっかり夜になるころには、母の記憶が
本物に思えてきたのでした。

もちろん、母の言い分がここ数日のできごとだ
とは思いませんが、過去の記憶をなんとか探り
だそうとしている母の、プレゼントの約束を果
たすことで、そのあいまいな部分をすっきりさ
せてやりたくなったのでした。

やげて母の記憶は、空想などでなく、
絶対に現実のものだ!と思えたのでした。
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