
kan-haru blog 2009 梯子乗りの妙技披露
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この春4月に、三浦半島(記事参照)に一緒に伴にした親しい知人の奥さんの実家は、江戸時代の町火消しの組織を現在に担われている、江戸消防記念会の組頭を務められております。そのことから、浅草寺で江戸消防慰霊祭が毎年5月25日に執り行われ、東京地区の組織員の約800名が参列し、江戸の火消し伝統文化の木遣り・纒振り・梯子乗りなどが披露されることを知り、見に行きました。
江戸消防記念会
1719年(享保4年)の江戸時代に、町奉行大岡越前の唱導で「いろは四十八組」の町火消が江戸に誕生しました。町火消は、自衛・自治の考え方で創設され、勇気、機敏、技術に秀でた「鳶」と呼ばれる建築労働者を中心に選ばれ、選ばれた名誉と意気に感じ身を犠牲にして猛火と闘い、「江戸の華」として庶民に頼られてきました。
1867年の明治維新によって町火消は市部消防組と名を改め、東京の町を守り抜いてきました。しかし、1939年(昭和14年)戦時下の国民総動員令によって既存の防護団と統合し消防組は廃止されました。そこで、同年消防組の有志により、町火消しの伝統の纏、木遣り、梯子乗りなどの技術を伝承し後世に伝えるため江戸消防記念会が結成され、1954年(昭和29年)に公益法人となりました。
江戸消防記念会の組織は、東京都の23区を11地区に地域割をして「区」と呼び、区の下に番組と称する「組」を設けて総数87組で約800名の会員がいます。
今年1月の成人の日に大森町の弁天神社境内などで、大森土木鳶建設組合の皆さんによる梯子乗り(「大森町界隈あれこれ 初春の伝統行事 大森土木鳶建設組合恒例のはしご乗り」参照)を初めて見る機会がありました。この組合の皆さんも、大田区の所属する7区の会員に参加しているのではないでしょうか。
消防殉職者慰霊祭
江戸時代から昭和初期にかけて、その職で殉じた先人の遺徳を顕彰してその霊を祭る消防殉職者慰霊祭が浅草寺裏で、毎年5月25日に行われています。
慰霊祭は、9時に各区の纏と梯子が雷門前に集合し、仲見世通りを行進して、今年は浅草寺本堂の屋根の葺き替え工事のためかなり狭まくなった浅草寺裏に整列します。会場へは、秋葉原経由のつくばエクスプレスの浅草駅を降りて浅草寺裏に直通すると、全組の87本の纏いが整列しており、慰霊祭が始まるところでした。

消防殉職者慰霊祭の浅草寺裏会場(左:つくばエクスプレス浅草駅から浅草寺本堂はすぐ近い、中:屋根葺き替え工事で狭くなった浅草寺裏、右:87本の纏いが勢ぞろいの慰霊祭会場)
慰霊祭は、浅草神社宮司によって式典が執り行われ、江戸消防記念会小宮名誉会長・石原知事が祭文を奉読し、各団体の代表などが玉串を奉奠しました。東京消防庁音楽隊が演奏する中、殉職者たちに黙祷が行われ、神職退場の後、鹿島会長の御礼の挨拶で式典は終了しました。

消防殉職者慰霊祭式典(左・中・右写真拡大)
梯子乗り
慰霊祭の第2部では、今年は工事で会場が手狭なため纏いの行進は中止でしたが、東京都技芸無形文化財に指定された「江戸の鳶木遣」を、参加会員で歌われた後に、11区全組の87本が勢ぞろいした豪勢な纏い振りが行われました。 江戸町火消しの纏いは、白と黒に統一されいろいろな形のデザインの纏いの「陀志(だし)」と、その下の48本の紙または革製の「ばれん」と「真笠」から出きており、高さが約2.4mで重さが約20kgあります。纏いの「ばれん」の横線の数は「区」を示しています。

伝統の木遣と纏い振りの披露(左:全員で仕事唄の木遣を歌う、中・右:勢ぞろいの87本の纏い振り)
続いての梯子乗りは、もともと鳶職人は梯子を使用して高所での危険な仕事をしており、作業をするためには機敏さ、慎重さ、勇敢さが要求されます。火消しも同じことが求められ、火災現場の確認や人命救助の器材である梯子を訓練に採り入れて、毎日血のにじむ訓練を積んできました。
梯子乗りの梯子は、高さ6.5mの真新しい青竹と15本の横さんで作られ、この梯子を12本の鳶口で支えます。揺れ動く梯子上での演技者と、下で梯子を支える者との結束の固さが妙技を生み出します。

梯子乗りの準備(左・中・右写真拡大)
各組の梯子乗りが交互に江戸時代から引き継がれた妙技を披露して観衆の喝采を浴びました。

梯子乗りの妙技1(左・中・右写真拡大)
梯子乗りの妙技は、3種類の48の型があります。梯子乗りの演技を終えてから、鹿島会長の音頭で観客も一緒に手締めを行い、慰霊際が終了しました。

梯子乗りの妙技2(左・中・右写真拡大)
浅草神社と周辺散策
梯子乗りが終わり浅草神社に行くと、本殿前では5区の組員が揃って整列して記念写真を撮っていました。浅草神社風景を撮影していると、そこで梯子乗りを見に来ていた組頭のご息女と偶然と出会うことができましたので、お父さんと一緒に役半纏姿の貴重な写真を撮らして頂きました。
お父さんとはお別れして、一緒に仲見世通りの裏通りを散策しながら進むと、江戸で生まれた染絵手拭屋のふじ屋さんの前を通りましたので、記念に手拭を買いました。

江戸絵手拭いのふじ屋
お店を見てから食事時でしたので、以前に入った食事処のたつみやで昼食を一緒に頂きました。帰路は、浅草から観光路線バスで東京駅径由で帰宅しました。

食事処たつみ屋と観光路線バス停
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この春4月に、三浦半島(記事参照)に一緒に伴にした親しい知人の奥さんの実家は、江戸時代の町火消しの組織を現在に担われている、江戸消防記念会の組頭を務められております。そのことから、浅草寺で江戸消防慰霊祭が毎年5月25日に執り行われ、東京地区の組織員の約800名が参列し、江戸の火消し伝統文化の木遣り・纒振り・梯子乗りなどが披露されることを知り、見に行きました。
江戸消防記念会
1719年(享保4年)の江戸時代に、町奉行大岡越前の唱導で「いろは四十八組」の町火消が江戸に誕生しました。町火消は、自衛・自治の考え方で創設され、勇気、機敏、技術に秀でた「鳶」と呼ばれる建築労働者を中心に選ばれ、選ばれた名誉と意気に感じ身を犠牲にして猛火と闘い、「江戸の華」として庶民に頼られてきました。
1867年の明治維新によって町火消は市部消防組と名を改め、東京の町を守り抜いてきました。しかし、1939年(昭和14年)戦時下の国民総動員令によって既存の防護団と統合し消防組は廃止されました。そこで、同年消防組の有志により、町火消しの伝統の纏、木遣り、梯子乗りなどの技術を伝承し後世に伝えるため江戸消防記念会が結成され、1954年(昭和29年)に公益法人となりました。
江戸消防記念会の組織は、東京都の23区を11地区に地域割をして「区」と呼び、区の下に番組と称する「組」を設けて総数87組で約800名の会員がいます。
今年1月の成人の日に大森町の弁天神社境内などで、大森土木鳶建設組合の皆さんによる梯子乗り(「大森町界隈あれこれ 初春の伝統行事 大森土木鳶建設組合恒例のはしご乗り」参照)を初めて見る機会がありました。この組合の皆さんも、大田区の所属する7区の会員に参加しているのではないでしょうか。
消防殉職者慰霊祭
江戸時代から昭和初期にかけて、その職で殉じた先人の遺徳を顕彰してその霊を祭る消防殉職者慰霊祭が浅草寺裏で、毎年5月25日に行われています。
慰霊祭は、9時に各区の纏と梯子が雷門前に集合し、仲見世通りを行進して、今年は浅草寺本堂の屋根の葺き替え工事のためかなり狭まくなった浅草寺裏に整列します。会場へは、秋葉原経由のつくばエクスプレスの浅草駅を降りて浅草寺裏に直通すると、全組の87本の纏いが整列しており、慰霊祭が始まるところでした。

消防殉職者慰霊祭の浅草寺裏会場(左:つくばエクスプレス浅草駅から浅草寺本堂はすぐ近い、中:屋根葺き替え工事で狭くなった浅草寺裏、右:87本の纏いが勢ぞろいの慰霊祭会場)
慰霊祭は、浅草神社宮司によって式典が執り行われ、江戸消防記念会小宮名誉会長・石原知事が祭文を奉読し、各団体の代表などが玉串を奉奠しました。東京消防庁音楽隊が演奏する中、殉職者たちに黙祷が行われ、神職退場の後、鹿島会長の御礼の挨拶で式典は終了しました。

消防殉職者慰霊祭式典(左・中・右写真拡大)
梯子乗り
慰霊祭の第2部では、今年は工事で会場が手狭なため纏いの行進は中止でしたが、東京都技芸無形文化財に指定された「江戸の鳶木遣」を、参加会員で歌われた後に、11区全組の87本が勢ぞろいした豪勢な纏い振りが行われました。 江戸町火消しの纏いは、白と黒に統一されいろいろな形のデザインの纏いの「陀志(だし)」と、その下の48本の紙または革製の「ばれん」と「真笠」から出きており、高さが約2.4mで重さが約20kgあります。纏いの「ばれん」の横線の数は「区」を示しています。

伝統の木遣と纏い振りの披露(左:全員で仕事唄の木遣を歌う、中・右:勢ぞろいの87本の纏い振り)
続いての梯子乗りは、もともと鳶職人は梯子を使用して高所での危険な仕事をしており、作業をするためには機敏さ、慎重さ、勇敢さが要求されます。火消しも同じことが求められ、火災現場の確認や人命救助の器材である梯子を訓練に採り入れて、毎日血のにじむ訓練を積んできました。
梯子乗りの梯子は、高さ6.5mの真新しい青竹と15本の横さんで作られ、この梯子を12本の鳶口で支えます。揺れ動く梯子上での演技者と、下で梯子を支える者との結束の固さが妙技を生み出します。

梯子乗りの準備(左・中・右写真拡大)
各組の梯子乗りが交互に江戸時代から引き継がれた妙技を披露して観衆の喝采を浴びました。

梯子乗りの妙技1(左・中・右写真拡大)
梯子乗りの妙技は、3種類の48の型があります。梯子乗りの演技を終えてから、鹿島会長の音頭で観客も一緒に手締めを行い、慰霊際が終了しました。

梯子乗りの妙技2(左・中・右写真拡大)
浅草神社と周辺散策
梯子乗りが終わり浅草神社に行くと、本殿前では5区の組員が揃って整列して記念写真を撮っていました。浅草神社風景を撮影していると、そこで梯子乗りを見に来ていた組頭のご息女と偶然と出会うことができましたので、お父さんと一緒に役半纏姿の貴重な写真を撮らして頂きました。
お父さんとはお別れして、一緒に仲見世通りの裏通りを散策しながら進むと、江戸で生まれた染絵手拭屋のふじ屋さんの前を通りましたので、記念に手拭を買いました。

江戸絵手拭いのふじ屋
お店を見てから食事時でしたので、以前に入った食事処のたつみやで昼食を一緒に頂きました。帰路は、浅草から観光路線バスで東京駅径由で帰宅しました。

食事処たつみ屋と観光路線バス停
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