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kan-haruの日記

イベント 国立大劇場観劇 前進座五月特別講演・中村梅之助舞台生活七十年

2009年06月04日 | イベント
kan-haru blog 2009 観劇の花道横の座席 

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今年は、2年振りで母校の観劇会に参加して、5月16日に国立劇場で前進座の五月公演昼の部を見てきました。

国立劇場
国立劇場(東京都千代田区隼町4-1)は、伝統芸能の保存・振興を牽引して、歌舞伎、文楽、能・狂言などの日本固有の文化価値をいっそう高めるために伝統芸能を上演し、将来を支える人材を高めるために独立行政法人日本芸術文化振興会を1966年に設立して、国立劇場大・小劇場の本館が開場しました。
国立劇場へのアクセスは、東京メトロの半蔵門線の半蔵門駅から徒歩5分、または永田町駅(有楽町線・半蔵門線・南北線)から徒歩10分のところにありますが、自宅からは足場が悪いので京急から直通の都営地下鉄で新橋駅でおり、そこからタクシーを利用しました。
今回の観劇は、大変と久し振りの前進座の演劇であり、また国立劇場は一度行って観たいと思っていましたが、なかなか機会がなくて初めての前進座五月公演の観劇で実現しました。観劇の座席は、1階の4列11番で前から3列目での花道から1つ離れた席で、わりあいと良い席に当たりました。

 入場券

前進座
前進座は、実は古くから馴染みのある劇団でした。大戦直後の1946年の混乱期の頃に営業・裏方・設営・移動等を俳優自身が行う巡演“青年劇場運動”を開始し、当初は学校を廻って生徒に演劇を見せていた時代がありました。丁度、その頃中・高等学生の時代で、娯楽に乏しく全校生で年に何度かの観劇や映画観賞会に参加していた時代がありました。その、観劇会が品川区で焼け残こった講堂のあった、現在の都立八潮高校(京急青物横丁駅下車、当時は女子高校)で上演の前進座の演劇で、出し物は「レ・ミゼラブル」や「ベニスの商人」などの文芸作品であったと記憶しています。
前進座(Wikipedia参照)の歴史は古く、1931年に創立の歌舞伎劇団で下級俳優が創設したことで、市井の庶民を描く世話物の演劇には定評があり、歌舞伎・時代劇・現代劇・児童劇と多彩なレパートリーを演じ、多くの女優陣が所属し歌舞伎の一部の役を女性が演ずるなどの特長があります。前進座の贔屓筋は多種多様で、保守・独占資本家や日本共産党などの心情的支持層、文学・芸能関係者、演劇ファンまでの広い層を持つ劇団です。


五月公演演目
前進座国立劇場大劇場五月公演は27回目の出演で、中村梅之助が1939年に新橋演舞場で「観進帳」の太刀持の初舞台以来、舞台生活七十年となる目出度いお祝の上演です。
昼の部の公演は11時半開演で出し物は、青山青果作「江戸城総攻」の三部作の通し上演と、松本清張作「左の腕」の生誕百年と共に梅之助の舞台生活七十年の記念公演です。

 前進座五月国立劇場公演パンフレット

・江戸城総攻第1幕
「江戸城総攻」の第一部は1926年に発表され歌舞伎座で初演され、第二部「慶喜命乞」は1930年に発表され、初演は1933年に東京劇場で上演されました。1943年に第三部の「将軍江戸を去る」を明治座で公演後は一度も上演されてこなかった出し物で、今回は鈴木龍男の改定・演出による始めての通し上演です。
慶応4年3月15日に決定していた江戸城総攻撃が中止され、無血開城になった歴史的事実の時代の徳川慶喜(嵐圭史)、幕府方の勝麟太郎(瀬川菊之丞)や山岡鉄太郎(嵐広也)、官軍の西郷吉之助(藤川矢之輔)たちのこの時代の生きざまを、青果は膨大な資料をもとに描き出して、「江戸を戦火にさらしてはならない、無辜(つみ)の民を殺してはならない」というヒューマン的な選択が感動を与えてくれる作品です。

 江戸城総攻配役

第1幕第1場は勝安房守の屋敷で、乗り込んできた山岡鉄太郎(嵐広也)と寄宿する薩摩の浪人益満久之助(益城宏)が勝麟太郎(瀬川菊之丞)の名を借りて西郷に合って、慶喜公の命乞いの談判をしたいので書状を認めて貰い、二人で死を覚悟で出かける場面。
同第2場は駿州静岡、征東大総督府武家参謀の詰所で、前場の数日後に薩摩藩が詰めている隊長に益満久之助が慶喜公の命乞いにきたと言っている場面に、西郷吉之助(藤川矢之輔)と山岡が談笑しながら現れる。西郷に書簡を渡して江戸城無血開城の五ヶ状の条件が示される。

・幕間の昼食
幕間の昼食は、予め国立劇場大劇場内のお食事処の「十八番」の幕間の幕の内弁当を注文しておいたので、2階の会場に行くと席まで案内してくれます。定番のお弁当は、季節の料理が入った、おかずが多い定食でした。食事前と食事後には種類の異なるお茶をサービスがあり美味しく頂きました。食事後の昼の幕間の間に、簡単なお土産を買っておきました。

 食事処「十八番」お土産屋店

・江戸城総攻第2幕
第2幕第1場は江戸薩摩屋敷で、慶応4年3月14日の午後に幕府海軍奉行の勝が訪れ4年ぶりの再会で、談判が始まり以心伝心の腹芸で決着し、「明日の城攻めは取り止め」の命令を下す。
第2幕第2場は上野大慈院で、鉄太郎が慶喜に「国土の権も人民に奉還なされませ」と乞い奉ります。
第2幕第3場は千住の大橋で、大橋の袂で出生の地の水戸に向かう慶喜公を旗本の侍、市民たちが見送る場面。

左の腕 ―無宿人別帳―
清張作品の「左の腕」公演は、今年は松本清張生誕百年と重なり記念すべき演目です。松本清張は、前進座の次代を育てるために「矢の会」の発起人として、海音寺潮五郎、大佛次郎、井上靖、水上勉とともに1968年に発足させました。

 舞台生活七十年となる中村梅之助が演じる卯助

・第1場亀戸天神
飴売りの卯助(中村梅之助)の一人娘のおきみ(上沢美咲)が、奉公先の料理茶屋松葉屋の女主人おあさ(河原崎国太郎)のお供で亀戸天神の甘酒茶屋へ。

 左の腕配役

・第2場松葉屋板場
おあさの気配りで卯助も松葉屋で働くことになる。おきみに横恋慕の岡っ引きのいなりの麻吉は、卯助が左の腕を布で匿しているのは無宿者の入れ墨とにらんでおあさに絡むと、卯助は麻吉に「ついて来い」という素振り。
・第3場松葉屋裏手
「金をだすからおきみを妾にしないか」と執拗な浅吉に、「可愛い娘は金では売れない」と撥ねつけると、「それなら左の腕を見せろ」と云われて長門無宿の見せて、卯助は「この古疵ばかりは娘に知られたくない」と浅吉に懇願する。
・第4場元の板場
松葉屋に強盗が押し入り、居合わせた浅吉と店の者が残らず縛られ、抜き身をおあさに突き付けた時、卯助が現れて大太刀廻りで強盗の頭が頬冠りをとった。
翌日は亀戸の天神祭、おきみと板前職人の銀次は内祝言をあげるという演題の庶民の哀歓の役を好演して見せてくれました。

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