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K&A

kan-haruの日記

Kan-haru日記 トータル閲覧数が100万を超えました Kan-haru日記閲覧のブラウザを調べる(その2)

2014年07月05日 | Weblog

kan-haru blog 2014 

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お蔭さまでKan-haru日記には多数の皆様のご訪問を頂き、2014年2月5日にはトータル訪問者数が100万名(1,000,148)を超える(「Kan-haru日記 トータル閲覧数が100万を超えました 多数のご閲覧ありがとうございます(その1)」参照)こととなりました。
ブログ開始を開始させて頂きました2006年3月8日から、2014年7月4日時点までのKan-haru日記のトータル閲覧数は、図に示す様に343万を超えるご閲覧を頂き、また、トータル訪問者数も105万名を超えてのご訪問を賜り誠に有難うございます。
                 
                  
Kan-haru日記アクセス状況(7月4日現在)

今回は、その1に続きご皆様のKan-haru日記をご閲覧頂いている、ブラウザのアクセスについて調査回折してみました。

Kan-haru日記閲覧ブラウザ
2014年4~6月の直近3か月間のKan-haru日記閲覧ブラウザを見ると、Explorerや検索エンジンおよび携帯その他の端末などの21種のブラウザでご覧頂いています。
閲覧ブラウザで断トツに多いのは、検索エンジンで94,523回(78%)の閲覧で、Explorerなどの一般ブラウザでの閲覧は24,875回(20.5%)であり、携帯その他の端末が1,810回(1.5%)です。

 ブラウザごとの閲覧アクセス回数(2014年4月から6月まで)

・検索エンジン
検索エンジンは、インターネットに存在するウェブページ(ブログ等)、ウェブサイト、画像ファイル、ネットニュースなどの情報を検索する機能およびそのプログラムであります。商用検索エンジンの黎明期は、1995年にソフトバンクがアメリカのYahoo!株を買い取り、翌年4月から日本版にローカライズしたYahoo! JAPANのサービスが開始されました。1997年頃から、WWWの爆発的な拡大に伴って、ディレクトリ型のYahoo!の検索エンジンは、陳腐化が急速に進みましたので、gooロボット型検索エンジンを採用するとともに、多くの検索エンジンが登場しました。
1998年に稼動させたGoogle検索は、従来の検索エンジンの進む流れに逆行し、独創的な検索技術に特化し、バナー広告等を排除したシンプルな画面で急速に人気を集め、一時にはウェブページ検索の世界シェアのトップに躍り出たこともありました。

しかし、直近のKan-haru日記閲覧の検索エンジンの第1位は、Bingbotが58,820回(78%)の閲覧です。Bingbotは、マイクロソフトによる検索エンジンで2010年10月から活動が開始されました。Bingbotの前身には、3位のMSNbot(2,122回 1.7%)が2008年から活動していました。

 Bing検索エンジン入力ページ例 

2位のGooglebot(32,629回 26.9%)は、2006年には、250億以上のウェブページ、13億以上の画像、10億以上のネットニュース上のメッセージに索引付けをし、毎日4億回の検索を処理しており、同年に開始したKan-haru日記もアクセスを受けていました。

 Google検索エンジン入力ページ例

4位のはてなアンテナ(504回)は、2004年11月に、はてな検索サービスが開始されました。
5
位のYahoo! Slurp(280回)は、Yahooが買収したInktomi社が提供していた検索エンジンのクローラーで、Mozillaに対応しています。

Y
ahoo! JAPAN(116回)は 2009年には、1日平均19億のアクセス数を誇り、日本における検索エンジンとして過半数のシェアを獲得し、各検索プロバイダを抑えて業界トップの座にありました。

 Yahoo検索エンジン入力ページ例

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(6月分掲示INDEXへ)
カテゴリー別Index Weblog カテゴリー別総目次 へ
<前回 Kan-haru日記 トータル閲覧数が100万を超えました 多数のご閲覧ありがとうございます(その1)
次回 Kan-haru日記 トータル閲覧数が100万を超えました Kan-haru日記閲覧のブラウザを調べる(その3)

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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 7月INDEX

2014年07月01日 | INDEX

kan-haru blog 2014 7月1日70版

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kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事検索のほか、カテゴリー別の登録記事の2006年3月から最新までの検索ができます。

K&A kan-haru 日記の見方について(←ここをクリックして参照してください。)

  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次 
■印覧の14年6月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの目次が見られます。
 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年! 
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次 
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編) 
      付 東京大空襲 ~あれから61年~ 
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編 
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて 
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次 
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次 
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 ■ 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 修復大人神輿の渡御が行われた諏訪神社2014年例祭その1 6月16日
 ■ 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 修復大人神輿の渡御が行われた諏訪神社2014年例祭その2 6月20日
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街 
 ■ 大森町界隈あれこれ 大森町商店街 京急高架化の都市計画道路事業で変貌する駅周辺商店街第5回その1 6月27日
 ■  大森町界隈あれこれ 大森町商店街 京急高架化の都市計画道路事業で変貌する駅周辺商店街第5回その2 6月30日 
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔 
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景
  ◇ 2006~2012年版2013~2014年版
 9 大森町界隈あれこれ イベント 目次
  ◇ 2006~2009年期版2010年版2011~2012年版2012~2014年版
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや 

  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

11 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 Sub INDEX
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化工事 高架駅完成化工事大森町駅編(第2回その2) 6月4日 
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化工事 高架駅完成化工事大森町駅編(第2回その3) 6月8日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化工事 高架駅完成化工事大森町駅編(第2回その4) 6月12日

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ◇ 2006・2007年版2007・2008年版2008~2010年版2010~2013年版 
22 小さな旅 総目次 
  ◇ 2006~2009年版2009~2011年版2010~2014年版 
23 旅ものがたり 総目次
  ◇ 2006~2011年版2010~2013年版
24 秋葉原界隈 総目次 
25 イベント 総目次
  ◇ 2006・2007年版2008年版2009・2010年版2011年版2012年版2013年版2014年版
 
26 ITと技術 総目次 
◇ 2006~2011年版2012年版
27 Weblog 総目次 

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大森町界隈あれこれ 大森町商店街 京急高架化の都市計画道路事業で変貌する駅周辺商店街第5回その2

2014年06月30日 | 大森町界隈あれこれ 商店街

kan-haru blog 2014  建替え商店6月30日 

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大森町駅周辺の東京都市計画事業
・京浜急行電鉄本線付属街路第1号線南端部
本線付属街路第1号線南端部は、大森町商店街通りの南側で元大森町記念病院跡にセットバックして建築が進められていたマンションに接しており、前回記述時(「大森町界隈あれこれ 大森町商店街 京急高架化の都市計画道路事業で変貌する駅周辺商店街第4回その3」参照)には南端拡幅部はマンション工事のため占有されていました。

 大森町駅周辺の東京都市計画道路事業の現状説明地図(2014年3月現在再掲)

本線付属街路第1号線南端部通路際に建つ、新築マンションのエクセルダイア大森Vは、永らく工事膜で覆われていましたが、4月24日に見ると工事膜が外されてビルの外観が見られるようになり大森町駅前の景観が変わり、マンションの内外装の工事は継続して行われています。

 エクセルダイア大森の外観の初お披露目
(左上中上:工事幕が外される0424、右上左下:マンション外観のお披露目0426、中下右下:早くもモデルルーム公開開始0523)

街路第1号線南端部は、梅屋敷駅商店街通りまで京急高架橋に沿った道路が幅員6mに拡幅され、さらに元大森記念病院跡の一部が三角状に付属街路第1号線として拡幅されます。

 街路第1号線南端部の細部を見る
(左上街路第1号線南端拡幅部0626中上:街路第1号線南端部に接する新築マンション0627、右上:街路第1号線南端三角状の拡幅部、左下:街路第1号線として拡幅される在来道路、中下右下:街路第1号線拡幅三角状の南端から北方を見る0630)

・大田区区画街路3号線
大田区区画街路3号線の拡幅は、大森町駅前から東方の商店街通りで、第1京浜国道の間までです。駅接近の商店街通り北側は、京急高架工事中は大森町エヤードとして使用されていましたが、5月2日に見ると返還されて駐輪場として使用されています。駐輪場の隣は東京チカラめしの牛丼屋さんで、その2階が駅西方の商店街通りから移転してきた、ソフトバンクプラザ京急大森の電話やさんです。

 区画街路3号線拡幅道路北側の商店
(:元ヤード跡の駐輪場、:駐輪場の隣の1階はチカラめしの牛丼屋さん、:チカラメシの2階はソフトバンクの電話やさん0502)

チカラめしの対面の商店街通り南側には、画街路3号線の拡幅により取壊し完了の元「パチンコ景品交換所」、文房具「みどりや」と喫茶店「シック」跡地が、前回記述時(「大森町界隈あれこれ 大森町商店街 京急高架化の都市計画道路事業で変貌する駅周辺商店街第4回その1」参照)には平地となっていました。6月4、5日に見ると、工事機械が元文房具「みどりや」跡に入って基礎工事を行っていました。

 元文房具「みどりや」跡で基礎工事が始まる
(:基礎工事6月4日、:基礎工事6月5日)

同26日に見ると、元文房具「みどりや」跡には土台が造りあがっており、国道に面したたばこ屋さん跡は未着手です。

 拡幅商店街通り南側の商店街跡
(:元たばこ屋さん跡は工事未着手、:元文房具「みどりや」後の土台が完成0626)

同27日には、元文房具「みどりや」跡には足場が組まれ、同30日には2階建て木造の商店の建築がみられました。

 元文房具「みどりや」跡に木造商店建築が始まる(:足場が建てられる0627、
:元文房具「みどりや」跡に木造2階商店の建築0630)

・京急大森町西側商店街
京急大森町西側商店街では、複数店の商店が建て直しが行われています。

 大森町商店街取壊し商店地図

6月26日に見ると、ちよだ鮨店他と、よしだそば店および洋品店エノモトの商店が、建て直しのため取り壊されていました。

 大森町西側商店街の建替え商店跡地(:ちよだ鮨店他跡地、:つちやそば店跡地、:洋品店エノモト跡地0616)

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(5月分掲示INDEXへ)
・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 大森町商店街総目次
<前回 大森町界隈あれこれ 大森町商店街 京急高架化の都市計画道路事業で変貌する駅周辺商店街第5回その1
次回 大森町界隈あれこれ 大森町商店街 都市計画道路事業で変貌する暮れゆく駅周辺商店街第6回その1

 

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大森町界隈あれこれ 大森町商店街 京急高架化の都市計画道路事業で変貌する駅周辺商店街第5回その1

2014年06月27日 | 大森町界隈あれこれ 商店街

kan-haru blog 2014 大森町高架駅側壁工事中(5月24日)    

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大森町駅周辺の東京都市計画事業
前回記述時(大森町界隈あれこれ大森町商店街京急高架化の都市計画道路事業で変貌する駅周辺商店街第4回その1」参照)からの工事の進捗は、大森町駅西側のほのぼの通りの拡幅(都市高速鉄道京浜急行電鉄本線付属街路第1号線)工事が、大森町高架駅側壁工事のため、高架駅側壁に接した部分が未着手であり、さらにほのぼの通りと拡幅道路の接触部にブロックが置かれ遮断されていますが、拡幅部の完成部は北方より南方への通行が許可されています。


 東京都市計画道路事業(再掲)

・京浜急行電鉄本線付属街路第1号線工事
ほのぼの通りの拡幅工事は、3月26日に見ると大森町高架駅外部側壁の工事中で、同外部側壁は5月20日には工事覆いが外され出来上がりましたが、高架駅内部側壁は現在工事中の状態です。

 大森町駅周辺の東京都市計画道路事業の現状説明地図(2014年3月現在再掲)

京浜急行電鉄本線付属街路第1号線工事は、大森町高架駅内部側壁の工事が完了して、京急工事の囲い塀が撤去された後に、駅際の拡幅道路歩道工事の着手が進む予定です。

 京浜急行電鉄本線付属街路第1号線工事(:高架駅外壁取り付け工事中0326、:高架駅外壁取り付け工事終了0520、:高架駅内壁の取り付け工事中0524)

3月17日に見ると、京浜急行電鉄本線付属街路第1号線の北端部の拡幅通路は柵で囲われており、工事は未着手です。図左の中央先方部に見える建屋は第1工区の建設工事事務棟です。

 京浜急行電鉄本線付属街路第1号線北端部1(:拡幅街路の北端部、:拡幅街路北端部から南方を見る0317)

5月24日に見ると、高架化工事の進展で、建設工事事務棟の撤去作業が行われていました。撤去跡地の一部は、内川までの幅員6mの道路が新設されます。


 建設工事事務棟の撤去(:建設工事事務棟の撤去工事0524
:建設工事事務棟撤去後の跡地0627)

6月27日に京浜急行電鉄本線付属街路第1号線の北端部の拡幅工事個所を見ると、拡幅工事の着手は見られていません。

 京浜急行電鉄本線付属街路第1号線北端部2(:拡幅街路の北端部、:拡幅街路北端部から南方を見る0627)

6月27日に、内川までの新設幅員6m道路予定地の南端部を見ておきました。

 内川まで新設の京浜急行電鉄本線付属街路第1号線予定地南端(:区道から見た新設幅員6m道路南端部、中:新設幅員6m道路南端部予定地、右:行きどまり区道から見た新設道路用地0627)

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(5月分掲示INDEXへ)
・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 大森町商店街総目次
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次回 大森町界隈あれこれ 大森町商店街 京急高架化の都市計画道路事業で変貌する駅周辺商店街第5回その2

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大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 修復大人神輿の渡御が行われた諏訪神社2014年例祭その2

2014年06月20日 | 大森町界隈あれこれ 社寺

kan-haru blog 2014 大森三丁目連合町会神酒所前での修復神輿渡御(Ⅱ版) 

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諏訪神社2014年例大祭
諏訪訪神社(大田区大森西2-23-6)は、神社由来(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 諏訪神社その1」参照)によると御鎮座の年代は明らかではないが、祭神は本殿に建御名方神(タケミ ナカタノカミ)を祀り、東京府下荏原郡大森村字山谷(東山谷:大森東二丁目、南山谷:大森西三丁目、北山谷:大森西二丁目)の鎮守様で、境内には文政7年刻の鳥居をはじめ、狛犬、灯篭、手水屋、玉垣、記念碑等が多数建立されています。
また、由来には“伝承として、境内に一匹の白蛇が住んで、祭礼の時、氏子の多数がお参りして、知らずに白蛇の尾端を踏んだので、古来祭礼には、必ず雨が降ると伝えられている。”とあり、祭礼には雨に祟られる歴史があります。
ブログに掲載した過去の例祭の天候を見ると、2006年は初日午前中雨、2007年は快晴で、2008年は初日の夕刻から翌日の午前中が雨、2009年は初日の朝まで雨が降り、2日目の午後3時頃には通り雨に遭い、2012年は快晴に恵まれましたが、言い伝えの通り雨に遭うのが多い様です。

 例祭初日の諏訪神社参道
(:諏訪神社例祭の参道、:例祭の諏訪神社門前の文政7年刻の鳥居、:例祭の諏訪神社境内参道0524)

・祭礼初日
2014年5月24日の祭礼は、言い伝えに反して快晴に恵まれました。
 大森三丁目連合町会神酒所および諏訪神社奉納者氏名板
(:大森三丁目連合町会神酒所、:お囃子連、:諏訪神社奉納者氏名板0524)

祭礼には食べ物、射的、金魚すくい、おもちゃなどの屋台の露店が子供に人気で、諏訪神社の参道や境内には沢山の露店が出店します。

 参道や境内に出店の露店
(:参道露店、:境内露店0524)

諏訪神社の祭礼では、2日間にわたり18時から神楽殿で奉納演芸会が盛大に行われます。

 奉納演芸会
(左上中上右上左下中下右下:0524)

・祭礼2日目
祭礼2日目の5月25日も天気に恵まれ、その1に記載の大森三丁目連合町会修復神輿の初渡御を、諏訪神社の裏門を出て、内川(「大森町界隈あれこれ 内川風景 大森町を流れる昭和の面影 第2回(内川のルーツ)」参照)四之橋を渡り南岸に沿って進み、二之橋で右折して南方に向かい大森町駅の新たな拡幅通りを経て、大森町商店街通りを大森三丁目連合町会神酒所までの渡御を動画で見て下さい。

修復神輿の渡御(諏訪神社裏門から内川四之橋に向かう)

 大森三丁目連合町会神輿渡御が神社裏口を出て内川二之橋へ進む(:神輿渡御神社裏口を出発、:神輿渡御が神社裏口から出る、:神社裏口を出た神輿渡御0525)

修復神輿の渡御(二之橋から四之橋までの内川南岸を進む)

 内川南岸を渡御する西町会神輿
(写真拡大0525)

修復神輿の渡御(四之橋南方に右折して大森町駅商店街通へ進む
)

 内川から大森町駅拡幅通を経て商店街通を渡御(左上中上右上左下中下右下:0525)

修復神輿の渡御(大森町商店街通りの渡御)


 大森町商店街通りを渡御する神輿(写真拡大)

今年は、大森三丁目連合町会例祭で初の修復大人神輿の巡行が行われ、巡行後半の諏訪神社から内川南岸を進み、大森町駅際の拡幅通りを初めて渡御した模様の動画を撮影しましたので、ご覧下さい。

大森西町会神輿修復後の祭礼での初渡御

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カテゴリー別Index 大森町の社寺総目次
<前回 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 修復大人神輿の渡御が行われた諏訪神社2014年例祭その1
次回 
大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 谷戸三輪神社2015年秋の例祭夜の神輿渡御

 

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大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 修復大人神輿の渡御が行われた諏訪神社2014年例祭その1

2014年06月16日 | 大森町界隈あれこれ 社寺

kan-haru blog 2014  修復神輿のお披露目登場(4月27日Ⅱ版)

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諏訪神社2014年例大祭
氏神様の諏訪神社の例大祭は毎年5月最後の土・日曜日に行われていますが、今年は例大祭の前に大森三丁目連合町会の大人神輿の修復記念初渡御が行われてから、快晴に恵まれた5月24、25日の例大祭に引き継がれた特集記事です。

・大森西町会大人神輿の修復安全祈願
大森三丁目連合町会では大人神輿の渡御は、例大祭で担がれますが、今年は大人神輿の修復が行われましたので、4月27日の吉日に修復祈願を行い記念のお披露目が行なわれました。

 大森三丁目連合
町会大人神輿修復の安全祈願が執り行われた諏訪神社(写真拡大0427)

午前10時には、修復がなった町会神輿を諏訪神社本殿前に鎮座して、町会役員は本殿に上り修復祈願の式典が執り行われました。

 修復安全祈願がを行われる神殿前に鎮座の大森三丁目連合町会神輿(写真拡大0427)

本殿での修復祈願の式典が終わり、参列者一同が神輿の周囲に参列して町会神輿の安全祈願を行いました。

 大森三丁目連合町会修復神輿の安全祈願(写真拡大0427)

神輿の修復安全祈願式典の後は、関係者一同が並んで記念撮影です。

 御輿の修復祈願式典参列者の記念写真撮影(写真拡大0427)

修復安全祈願の最後には、本殿横の境内広場に神輿を移動して、町会関係者が交代で修復神輿の初担ぎでの披露となりました。いよいよ、5月の例祭では、綺麗に修復された神輿の渡御が行われます。

 大森三丁目連合町会修復祈願神輿の初担ぎの披露(写真拡大0427)

大森三丁目町会大人神輿修復安全祈願式の初担ぎ披露動画
神輿初担ぎの動画の模様は、修復安全祈願式典後に境内広場に於いて、関係者一同が交代で初担ぎをして祝し、来る5月の例祭に渡御が行われます。



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<前回 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 大人神輿の渡御が行われた諏訪神社2012年例祭その2
次回 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 修復大人神輿の渡御が行われた諏訪神社2014年例祭その2

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大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化工事 高架駅完成化工事大森町駅編(第2回その4)

2014年06月12日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2014  敷設レールの砂利床の整備(5月30日)

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内川付近の下り線高架橋築造工事(続)
内川付近の下り線高架橋築造工事は、4月下旬にはプレストレスト・コンクリート(PC)枕木の上にレールが搬入され、レールの敷設工事の準備が整いました。
5月11日に上り線走行車前窓から見ると、下り線築造高架橋のレールの敷設工事のため、PC枕木の上に搬入されたレールの姿は、現状線の仮上下線線路の形態と比し、カーブが緩やかになっています。

 上り線走行車前窓から見た下り線築造高架橋枕木上に置かれた線路
(:上り線前窓からみた高架橋南端付近、:同中間附近、:同北端付近0511)

また、復路の下り線走行車前窓から見ると、枕木の上に搬入されたレールの形態は、下り線築造高架橋上を最短距離で運行するように設置されているのが分かります。

 り線走行車前窓から見た下り線築造高架橋枕木上に置かれた線路(:下り線前窓からみた高架橋北端付近、:同中間附近、:同南端付近0511)

5月24日の午前に下り線走行車の前窓から見ると、PC枕木の上に搬入されたレールは、下り線築造高架橋の北端では枕木の位置が調整されて、レールが枕木に固定されていました。また、高架橋南方の中間部では、レールを持ち上げて枕木の位置の調整作業を行っていました。さらに、高架橋の南端部では、位置調整の済んだ枕木上に線路を降ろして、レールを枕木に固着してあります。

 下り線築造高架橋の砂利床PC枕木上にレール固定敷設工事
(左上:PC枕木上にレール敷設工事終了した高架橋北端部、中上右上左下中下:レールを浮かせての枕木設置調整工事、右下:PC枕木上にレール敷設工事終了した高架橋南端部0524)

同日午後に上り線走行車横窓から見ると、下り線築造高架橋の位置調整の済んだ枕木上に線路を降ろして、レールを枕木に固着が終了した個所で、持ち上げられたレールを切断され、枕木に固着した線路の部分の調整が行われていました。

 上り線走行車横窓から見た高架橋のレール敷設工事(左上中上右上:レールを持ち上げての工事残部分は翌日まわしの作業にしてレール末端を切断、左下中下右下:枕木に固定のレール部分は纏め仕上げ作業を実施0524)

5月30日に下り線走行車前窓から見ると、下り線築造高架橋の北端から南端まで、設置調整されたPC枕木上に搬入レールが固着されていました。

 レールの敷設工事が終了した下り線築造高架橋(:設置調整された枕木にレール固着が完了の高架橋北端部、:レール固着の高架橋中間部、:レール固着の高架橋南端部0530)

PC枕木上にレールが固着された下り線築造高架橋を、上り線走行車横窓から6月2に見ると、敷設されたレールの測定調査をおこなっていました。

 線路敷設工事が終了した下り線築造高架橋
(:計測調査中の高架橋北端付近、:レールが固着された高架橋中間部、:レールが固着された高架橋南端部0602)

下り線本高架橋築造工事個所車窓撮影動画(5月24、30日および6月2日撮影)
・5月24日の上下線走行車窓の前窓と横窓からの撮影画面では、レールを持ち上げてPC枕木の設置位置を調整し、調整後レールを下げて枕木に固着する様子が見られます。
・5月30日の下り線走行車前窓からの撮影画面では、下り本線築造高架橋の全区間のレールが枕木に固着された状態が見られます。
・6月2日の上り線走行車横窓からの撮影画面では、下り本線築造高架橋の枕木にレールが固着された状態を計測して確認を行っているところが見られます。

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(
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大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化工事 高架駅完成化工事大森町駅編(第2回その3)

2014年06月08日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2014  下り線築造高架橋にレール設置(4月26日)

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内川付近の下り線高架橋築造工事(続)
4月2日に下り線高架橋築造工事を見ると、平和島方の築造高架橋の北端部付近ではクッションシートが張られていました。

 築造下り線本高架橋の北方部
(:クッションシートが貼り付けられた下り線本高架橋北端部、:クロスシート上には砂利が敷かれる0402)

クッションシートの張付けは、高架橋の北側と南側から貼り付けの作業が行われており、高架橋の中間部は、まだ未着手です。なお、クッションシートの張付が完了した南端部付近でのクッションシート上には、砂利床の砂利が敷かれ始めました。

 築造下り線本高架橋の内川北方から南端部まで
(左上:クッションシート貼り付け未完部の内川北方高架橋、中上右上:築造高架橋上(内川北岸附近)ではクッションシートの貼り付け、左下:高架橋のクッションシート上には砂利床を敷く、中下:高架橋上(マルエツ沿い)には砂利床が敷かれる、右下:築造下り線本高架橋の南端部0402)

4月9日に見ると、クッションシートの張付は終了して、下り線築造高架橋の全区間にわたり、砂利床の砂利が敷かれていました。

 全区間に砂利床が敷かれた下り線築造高架橋
(:高架橋北端部から見る、:元平和島第2架道橋上の南方附近の高架橋、:内川北岸附近の高架橋0409)

下り線本高架橋築造工事個所車窓撮影動画(4月2、9日撮影)
・4月2日の上下線走行車窓の前窓と横窓からの撮影画面では、下り線築造高架橋の北端部にはクッションシートの張付が見られ、その先の高架橋部はクッションシートの張付が未着手でコンクリート打ちのままの状況が見られます。さらにその先の高架橋にはクッションシートの張付が見られ、最南端部の高架橋上には砂利床の砂利がまかれている状況が見られます。
・4月9日の撮影画面では、築造高架橋の全区間に、砂利床が敷かれている状況が見られます。



4月17日に見ると、下り線築造高架橋の砂利床の上には、プレストレスト・コンクリート(PC)枕木が置かれていました。

 PC枕木が置かれた下り線築造高架橋 
(:下り線築造高架橋北端部、:高架橋中間部、:高架橋内川橋梁附近0417)

同26日に見ると、PC枕木の上には、線路が置かれていました。

 下り線築造高架橋のPC枕木上に敷かれたレール
(:枕木上に敷かれたレール(高架橋北方部)、:敷かれたレール(内川橋梁付近)、:敷かれたレール(高架橋南方部)0426)

下り線本高架橋築造工事個所車窓撮影動画(4月17、26日撮影)
・4月17日の上下線走行車窓の前窓と横窓からの撮影画面では、築造高架橋の砂利床の上に、PC枕木が置かれているのが見られます。

・4月26日の上下線走行車窓の前窓と横窓からの撮影画面では、築造高架橋のPC枕木の上に線路が置かれているのが見られます。

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<前回 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化工事 高架駅完成化工事大森町駅編(第2回その2)
次回 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化工事 高架駅完成化工事大森町駅編(第2回その4)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化工事 高架駅完成化工事大森町駅編(第2回その2)

2014年06月04日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2014 内川橋梁底部(左から下り本線・上り本線・仮高架橋の底部3月28日)

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内川付近の下り線高架橋築造工事
元平和島第2架道橋上跡からマルエツビル脇(元平和島第5踏切跡北方)までの下り線本高架橋の築造は、前回記述時には高架橋床のコンクリート打ちは完了していました。この時点での高架橋上の列車の運行は、下り線列車が上り線本高架橋上を走り、上り線列車が仮設高架橋上で運行しています。
3月12日に見ると、内川北岸部とマルエツ付近の一部で、側壁取付の準備工事が行われていました。

 下り線走行車前窓から見た下り線高架橋築造工事1(:下り線高架橋接続点の工事、:高架橋築側壁部築造基礎工事、:高架橋側壁取り付け工事0312)

同18日には、内川北岸部の側壁取付の基礎工事が行われていました。


 下り線走行車前窓から見た下り線高架橋築造工事2(:高架橋築造工事北端部、:高架橋側壁取り付け工事、:高架橋内川北岸付近のクッションシートの搬入0318)

同28日に、地上から下り本高架橋の築造工事現場を見ると、工事現場には工事膜で囲われていました。

 築造が進む下り線本高架橋を地上から見る(:元平和島第2架道橋跡から南方の下り線本高架橋を見る、:内川北岸から側壁取付工事部を見る、:内川から下り本線高架橋梁を見る0328)

上り線走行列車から高架橋築造工事を見ると、高架橋の北方ではクッションシート張りが行われ、内川北岸の未着手の側壁は完成し、マルエツ沿いの南方では同じく側壁が取り付けられ、クッションシート貼り付け工事が行われていました。

 上り線走行車よ小窓から見た下り線高架橋築造工事3(:高架橋北方でクッションシートの貼付け、:高架橋中央部の未着手側壁取り付け完了、:高架橋南方の側壁取付完0328)

下り線本高架橋築造工事個所車窓撮影動画(3月12、18、28日撮影)
・3月12日の下り線前窓からの撮影画面では、下り線本高架橋の北端から、コンクリート打ちが完了部の高架橋が見られ、内川の北部付近での側壁取付の基礎工事が行われており、高架橋の南端部では側壁の取付柱が建てられているのが見られます。
・3月18日の下り線前窓からの撮影画面では、高架橋の内川北部の側壁取付の基礎工事が進み、南方部のマルエツ沿いの側壁の取り付け完了が見られます。
・3月28日の下り線窓からの撮影画面では、高架橋北端部からのクッションシート張りつけが見られ、内川北部の側壁取付の完了がみられ、南端部の高架橋ではクッションシート張りつけ作業方法が見られます。

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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 6月INDEX

2014年06月01日 | INDEX

kan-haru blog 2014 月1日69版

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kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事検索のほか、カテゴリー別の登録記事の2006年3月から最新までの検索ができます。

K&A kan-haru 日記の見方について(←ここをクリックして参照してください。)

  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次 
■印覧の14年5月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの目次が見られます。
 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年! 
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次 
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編) 
      付 東京大空襲 ~あれから61年~ 
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編 
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて 
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次 
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次 
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街 
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔 
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景
  ◇ 2006~2012年版2013~2014年版
 9 大森町界隈あれこれ イベント 目次
  ◇ 2006~2009年期版2010年版2011~2012年版2012~2014年版
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや 

  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

11 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 Sub INDEX
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化工事 高架駅完成化工事大森町駅編(第2回その1) 5月28日 

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ◇ 2006・2007年版2007・2008年版2008~2010年版2010~2013年版 
22 小さな旅 総目次 
  ◇ 2006~2009年版2009~2011年版2010~2014年版 
 ■ 小さな旅 樹齢1200年国内最古 周囲10メートルの根元を持つ国内最大級の藤を見るその1  5月6日
 ■ 小さな旅 樹齢1200年国内最古 周囲10メートルの根元を持つ国内最大級の藤を見るその2  5月10日
23 旅ものがたり 総目次
  ◇ 2006~2011年版2010~2013年版
24 秋葉原界隈 総目次 
25 イベント 総目次
  ◇ 2006・2007年版2008年版2009・2010年版2011年版2012年版2013年版2014年版
 ■ イベント 東京写真美術博物館 冠松次郎と穂苅三寿雄写真展を見て想いでの黒部と槍を辿るその1 5月14日
 ■ イベント 東京写真美術博物館 冠松次郎と穂苅三寿雄写真展を見て想いでの黒部と槍を辿るその2 5月19日
 ■ イベント 東京写真美術博物館 冠松次郎と穂苅三寿雄写真展を見て想いでの黒部と槍を辿るその3 5月23日 

26 ITと技術 総目次 
◇ 2006~2011年版2012年版
27 Weblog 総目次 

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大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 2014年中期版

2014年05月28日 | INDEX

kan-haru blog 2014 10月28日96

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  大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 カテゴリー総目次 2014年中期版


2013年後期版 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 INDEX 参照



2014年前期版 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 INDEX 参照



451 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化工事 高架駅完成化工事大森町駅編(第2回その1) 5月28日
452 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化工事 高架駅完成化工事大森町駅編(第2回その2) 6月4日
453 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化工事 高架駅完成化工事大森町駅編(第2回その3) 6月8日
454 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化工事 高架駅完成化工事大森町駅編(第2回その4) 6月12日 
455 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化工事 高架駅完成化工事大森町駅編(第3回) 8月11日
456 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事梅屋敷駅編(第6回) 8月18日
457 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事雑色駅編(第5回その1) 8月25日
458 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事雑色駅編(第5回その2) 8月29日
459 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事雑色駅編(第5回その3) 9月4日
460 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事雑色駅編(第5回その4) 9月8日
461 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 内川下り本線線路切り替え工事完了速報 大森町駅編(第4回) 9月21日
462 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事糀谷駅編(第5回その1) 9月30日
463 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事糀谷駅編(第5回その2) 10月6日
464 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事糀谷駅編(第5回その3) 10月11日
465 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 六郷下り本線線路切り替え工事完了速報 雑色駅編(第6回) 10月16日

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・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次、2014年中期版、2014年前期版2013年後期版中期版前期版2012年後期(2)版後期版前期版2011年後期版前期版2010年後期版中期版前2期版前期版2009年後期版中2期版中期版前期版2008年後期版年中期版前期版2006・2007年版
・サブ・カテゴリー別Index 高架化関連側道編高架化全工区統合編2012年後期版前期版高架化全工区統合編2011年後期版前期版高架化全工区下り線工事2010年版高架化全工区統合編2010年版2009年版大森町付近工区2009年版2008年版2006・2007年版梅屋敷付近工区京急蒲田付近工区2009年版2006~2008年版雑色付近工区糀谷付近工区 へ

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大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化工事 高架駅完成化工事大森町駅編(第2回その1)

2014年05月28日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2014 区道より大森町駅の東面を見る

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大森町駅西壁面築造工事
大森町高架駅の西側面ホーム下の壁面築造工事の準備が、3月7日に見ると始められていました。

 大森町駅西側ホーム下壁面工事1(写真拡大0307)

同17日に見ると、高架駅西側面ホーム下には、足場が組まれ工事シートの覆いが付けられました。

 大森町駅西側ホーム下壁面工事2(写真拡大0317)

同26日には、高架駅西側面ホーム下は工事覆いで覆われ、壁面築造の準備が整いました。 

 大森町駅西側ホーム下壁面工事3(写真拡大0326)

高架駅西側面ホーム下は工事覆いで覆われているため、壁面築造工事の様子はみられませんでしたが、5月20日に見ると工事覆いが外され、完成外観に示された通利の高架下壁面が披露されました。

 大森町駅西側ホーム下壁面工事4(左上中上右上左下中下右下0524)

・大森町駅入り口東壁面完成工事
3月7日に見ると大森町高架駅入り口の東壁面には工事覆いが架けられていました。

 大森町高架駅入り口東壁面工事1(写真拡大0307)

14日には、東壁面の工事作業が見られました。

 大森町高架駅入り口東壁面工事2(写真拡大0314)

5月28日現在の大森町高架駅の完成度は、駅高架下西面の内壁面の取り付けが未完のほか、高架駅橋の壁面の周囲の整地化整備を残すのみで、粗方の工事は終了の様です。

 大森町高架駅玄関出入口(左上:大森町駅出入口西門、中上:大森町駅出入口全景、右上:大森町駅出入口、左下:大森町駅改札口、中下・右下:大森町駅東壁面0528)

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イベント 東京写真美術博物館 冠松次郎と穂苅三寿雄写真展を見て想いでの黒部と槍を辿るその3

2014年05月23日 | イベント

kan-haru blog 2014 上高地にて1955年(昭和30年)7月    

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黒部と上高地の想い出(続)
・愛本変電所
1955年(昭和30年)7月の大学工学部電気工学科の黒部見学は、当時黒部川5発電所の発電電力を集めて、わが国初めて275kVの高圧送電を行った変電所の見学が目的でした。
25日に黒部渓谷欅平の見学を終えてから、再びトロッコ電車で宇奈月駅まで戻り、富山鉄道に乗りついで愛本駅で下車して、目的の愛本変電所の見学です。

 愛本周辺地図

関西電力愛本変電所(現新愛本変電所)は、愛本駅舎のすぐ横にあります。愛本は、1954年(昭和29)年7月に東山村、愛本村、内山村が合併して宇奈月町となりました。現在の新愛本変電所への名称変更は、新北陸幹線の完成時の頃からです。

 愛本変電所
(変電所構内1955年7月)

見学当時の1955年の関西電力の黒部川水系の総発電量は、表左に示す5発電所のみで232,500 kWでしたが、現在は11発電所で総発電量は、894,600kWとなっています。

 黒部水系発電所一覧

これまでの送電幹線の電圧は154kVであったが、関西電力の黒部発電所から大阪の消費地に電力を送るには遠距離であるため、送電線の送電損の低減化が必須のため、1952年7月に愛本変電所から、わが国最初の275kV幹線による長距離送電を開始しました。

  愛本変電所見学
(変電所構内1955年7月)

愛本屋外変電所の見学は、発電所側から受電の1次設備と、275kVで送電する2次設備の各変圧器、遮断機、断路器、避雷器および計器用変成器などを見ました。


  愛本変電所見学記念撮影
(変電所構内1955年7月)

・実験グループメンバーと上高地へ行く
大学での黒部見学が終わり、東京への帰路です。愛本から富山鉄道の魚津駅に戻り、北陸本線に乗り換え東京に向かう車内で、学校の実験グループのメンバーが、折角ここまで来たのだから上高地に足を延ばそうということになり長野で下車し、中央線に乗り換えて松本駅で松本電鉄に乗り継ぎ、新島々駅終点で下車して、新島々バス停からバスで上高地バス停まで乗車して上高地に到着です。

 上高地栞
(1955年7月)

夕刻に着き、バス停から河童橋まで歩き、上高地での宿泊は橋のたもとの五千尺ホテル(旧名養老館明治45年開業)に予約なしでお米を出して泊まれました。

 松本ー上高地地図


上高地に入った1955年(昭和30年)7月25日は、旅館前の梓川の河童橋付近を散策しました。橋上から眺める穂高連峰や焼岳、梓川の水面などの景色は訪れる人の心をとらえます。初代の河童橋はすでに明治後期から昭和初期には架けられていたともいわれますが、河童橋と命名と共にわかっていません。

 河童橋にて(左:河童橋上から梓川の流れを望む、右上:下流から河童橋を望む、右中:梓川の流れを望む、右下:五千尺ホテル客室より河童橋を見る1955年7月)

翌26日には、下流の大正池まで散策しました。大正池は、活火山の焼岳が1915年に噴火し、泥流によって梓川が堰き止められて形成されたもので、池にある立ち枯れの木々の景観により、1928年に「上高地」が「名勝及ビ天然紀念物」に指定される際の理由の一つとなりました。

 立ち枯れの木々の大正池を散策
(1955年7月)

さらに、河童橋上流の徳沢キャンプ場や明神橋方面に足を延ばし、散策してから上高地より長野経由で東京に戻りました。

 河童橋周辺風景
(左:穂高岳を望む、中:明神橋を渡る、右:徳沢キャンプ場1955年7月)

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(
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・カテゴリー別Index イベント総目次 2014年版2013年版2012年版2011年版2010年版2009年版2008年版2006・2007年版
<前回 イベント 東京写真美術博物館 冠松次郎と穂苅三寿雄写真展を見て想いでの黒部と槍を辿るその2
次回 イベント 東京鉄道祭 JR東日本の東京駅100周年を迎える鉄道の日を記念して開催のスタンプラリー

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イベント 東京写真美術博物館 冠松次郎と穂苅三寿雄写真展を見て想いでの黒部と槍を辿るその2

2014年05月19日 | イベント

kan-haru blog 2014      

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黒部と上高地の想い出
・宇奈月温泉宿泊
冠松次郎と穂苅三寿雄写真展を見て、1955年(昭和30年)7月に大学工学部電気工学科の前川教授の引率で、初めて黒部の愛本変電所の見学時に、トロッコ列車で黒部渓谷の欅平まで行き、その先の黒部の熱風墜道は入れませんでしたが、自然に溶け込んだ黒部第3発電所からの風景を見た59年前の想い出は、黒部の有数の谷の深さに感動し、未だに忘れられない風景なのです。その2以降は、写真展に展示された写真に見る、燕岳、常念岳、槍ヶ岳、立山、乗鞍高原の紀行を記していきます。
1955年7月24日に、信越本線経由で上野駅を出発して、直江津駅からは北陸本線を通り魚津駅で下車して、富山鉄道(現在の富山地方鉄道)に乗り換えて宇奈月駅前の宇奈月温泉桃原館に宿泊しました。

 信越本線で黒部溪谷へ(左:横川駅付近、中:関東平野を北西に進む、右:急行列車内座席1955年7月)

当時は、お米が配給制であったので、宿泊するには1宿泊に付きお米300グラム(2合1勺)を袋にいれて持参する必要がありました。その代わり、昼食には、握り飯弁当を用意してくれます。

 黒部溪谷地図


 宇奈月温泉は、1915(大正4)に黒薙からの引湯樋設置工事が始められ、1917年に黒部川左岸の内山地内「荷上」に「愛本温泉」が営業を開始したが、1921(大正10)の台風災害により閉湯し、1922年に建物と温泉の権利を黒部温泉会社に売却され、これが現在の宇奈月温泉の礎です。宇奈月温泉桃原館は、現在宇奈月温泉駅近くで1923(大正12)に創業した老舗で、現在の旅館は1964(昭和39)に、黒部川沿いの場所に移転し、名称も宇奈月の地名(宇奈月町桃原)に由来して「ホテル桃源」と改称して営業しています。

 宇奈月温泉桃原館
(左:桃原館女将を中に見学メンバー記念撮影、右:お米持参の夕食1955年7月)

・黒部渓谷欅平
翌28日は関西電力と掛け合ったが、欅平から先の熱風墜道は見学者お断りとのことで、黒部渓谷トロッコ電車で、欅平まで黒部渓谷の風景を堪能しました。トロッコ電車は、1923年(大正12年) 日本電力(株)が発電所建設のための資材運搬用の専用鉄道として、宇奈月 - 猫又間(11.8km)の軌道敷設工事に着手し、1937年(昭和12年)に宇奈月 - 欅平間の運転を開始しました。1953年(昭和28年)に、関西電力が宇奈月 - 欅平間を黒部鉄道として営業を開始しました。
 トロッコ電車で欅平に進む
(左:トロッコ電車、左中・右中・右:トロッコ電車から見る黒部第二発電所1955年7月) 

欅平のすぐ下にある、黒部第三発電所の屋上で記念写真を撮りました。黒部第三発電所は、1936年(昭和11年)に着工し、1940年(昭和15年)に運用を開始しました。発電設備は、水車:立軸フランシス水車×3台、発電機:立軸三相交流同期発電機×3台で、有効落差:278.33m、最大使用水量:33.60立方メートル毎秒で認可最大出力:81000kWです。

 黒部第三発電所(・右:発電所屋上1955年7月)

見学当時の欅平には、何もなく自然のままで猿飛峡まで往復するくらいの、峡谷でした。

 黒部渓谷欅平

欅平を探索して、記念撮影です。

 欅平記念撮影

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イベント 東京写真美術博物館 冠松次郎と穂苅三寿雄写真展を見て想いでの黒部と槍を辿るその1

2014年05月14日 | イベント

kan-haru blog 2014 黒部と槍写真展会場入り口     

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黒部と槍写真展
戦前のわが国の著名な登山家の冠松次郎と、北アルプスで最初に山小屋経営を行った穂苅三寿雄を紹介する「黒部と槍」写真展が、東京都写真美術館で開催されましたので、過ぎし日の想い出を辿って4月27日に見てきました。
開催の東京都写真美術館(目黒区三田1-13-3)は、JR山手線恵比寿駅を下車して、線路沿いの動く通路を北に進み、道路を横断して恵比寿ガーデンプレス内の南側通路の奥に美術館の入り口があり、2階展示室で開催しています。

 黒部と槍写真展パンフレット

写真展の開催は、2014年3月4日から5月6日の、10時から18時まで開催しており、 月曜日が休館日です。主催は、公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都写真美術館、読売新聞社、美術館連絡協議会で、後援は公益財団法人日本山岳会、黒部市、松本市で、特別協賛が大伸社、協賛がニコン、ニコンイメージングジャパン、ライオン、清水建設、大日本印刷、損保ジャパン、日本テレビ放送網、東京都写真美術館支援会員の他、協力が山と渓谷社の各社です。
入場料は、一般が700円で、学生が600円で、中高生・65歳以上が500円ですが、第3水曜日は65歳以上が無料となっています。

 部と槍写真展入場券

出展作品
黒部と槍写真の出展は、大正時代から昭和1桁年代に撮影した写真で、冠松次郎の黒部渓谷を主とした71作品と、穂苅三寿雄の槍ヶ岳を主とした66作品が展示されています。

 黒部と槍写真展図録

・冠松次郎出展作品
冠松次郎は、1883年(明治16年)2月4日に、現在の本郷の質商の二男として生まれ、幼少から山に関心を持ち、火の見櫓などの高所から山を眺めていたと云われていました。1902年(明治35年)に初めて富士山に登り、日光や奥多摩の登山を始め、1909年(明治42年)に徳本峠から上高地を経て、槍ヶ岳、常念岳、白馬岳を登り、初めて日本アルプスに足を踏み入れました。黒部流域には1911年(明治44年)に白馬岳から祖母谷へ下って宇奈月に出たのが最初のことです。
黒部探検に乗り出して7年目の1925年(大正4年)8月に、鐘釣温泉を出発して棒小屋落合の上流に向かい、下廊下の未踏地を踏破遡行し、十字峡を発見して命名者となる。

 十字峡1925年(大正14年)8月

1921年(大正10年)7月の七谷超えの写真は、鐘釣温泉より下流で最も優れた風景である。現今は、日本電力の電車がトンネルを抜け、鐘釣温泉に至っている。

 七谷超え1921年(大正10年)7月

大正10年頃までの宇奈月は寂しいところであり、広い原にバラック式の湯小屋がたった1棟と、物売りの掛け茶屋があっただけで、冬には猿が山から餌を採りにおりてくるところである。

 上:宇奈月1921年(大正10年)8月、下:新鐘釣温泉1922年(大正11年)7月

・穂苅三寿雄出展作品
穂苅三寿雄は、1891年(明治24年)3月19日に、松本町巾上で菓子店の長男として生まれ、1905年(明治38年)に六九町の竹細工製造業の伯父の養子となる。1907年(明治40年)に徳本峠を越えて上高地に初めて入り、1915年(大正4年)に中房温泉より燕岳を登り、大天井岳を経て二ノ俣を下り槍ヶ岳に登頂して、さらに焼岳に登り徳本峠から松本に戻る。1919年に槍沢ババ平らに槍沢小屋を建て開業し、1921年坊主の岩小屋の下に大槍小屋を建設するが、翌年雪崩により全壊する。1925年槍ヶ岳肩の小屋を建てる。1954年槍ヶ岳肩の小屋本館を建設して、槍ヶ岳山荘と改称して長男の穂苅貞夫が山小屋の経営にあたる。
焼岳が活動し始めたのは明治40年頃からで、大正4年6月6日の大爆発で、山崩れにより上高地に大きな池が出来たと聞いて、その年の7月初めに見に行き、養老館(五千尺旅館の前身)は未完成であったが、そこに泊まった。

 焼岳大爆発、河童橋より1925年(大正11年)10月

徳本峠から秋の始めに、穂高岳を望んだ時、木の葉の多くは落ち尽くし、麓をめぐる針葉樹に混ざる落葉樹の黄葉が残されて、上高地を彩っていた。木の葉の落ち尽くした秋の山は、その輪郭が劃全としていて、ごつごつした岩石や深い渓底までも暴露されて望む事ができた。

 初夏の大正池と穂高連峰

穂苅が山岳写真を集中的に撮影していた時期は、1923年から1939年の間で、撮影に用いたカメラは、主としてキャビネ判の組立暗箱カメラでした。昭和に入ると、カメラも小型化したが、穂苅は精微な映像を求めて、サイズの大きいキャビネ判のガラス乾板にこだわっていました。

 夏雲の流れと穂高連峰、河童橋より

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