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kan-haruの日記

イベント 東京写真美術博物館 冠松次郎と穂苅三寿雄写真展を見て想いでの黒部と槍を辿るその3

2014年05月23日 | イベント

kan-haru blog 2014 上高地にて1955年(昭和30年)7月    

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黒部と上高地の想い出(続)
・愛本変電所
1955年(昭和30年)7月の大学工学部電気工学科の黒部見学は、当時黒部川5発電所の発電電力を集めて、わが国初めて275kVの高圧送電を行った変電所の見学が目的でした。
25日に黒部渓谷欅平の見学を終えてから、再びトロッコ電車で宇奈月駅まで戻り、富山鉄道に乗りついで愛本駅で下車して、目的の愛本変電所の見学です。

 愛本周辺地図

関西電力愛本変電所(現新愛本変電所)は、愛本駅舎のすぐ横にあります。愛本は、1954年(昭和29)年7月に東山村、愛本村、内山村が合併して宇奈月町となりました。現在の新愛本変電所への名称変更は、新北陸幹線の完成時の頃からです。

 愛本変電所
(変電所構内1955年7月)

見学当時の1955年の関西電力の黒部川水系の総発電量は、表左に示す5発電所のみで232,500 kWでしたが、現在は11発電所で総発電量は、894,600kWとなっています。

 黒部水系発電所一覧

これまでの送電幹線の電圧は154kVであったが、関西電力の黒部発電所から大阪の消費地に電力を送るには遠距離であるため、送電線の送電損の低減化が必須のため、1952年7月に愛本変電所から、わが国最初の275kV幹線による長距離送電を開始しました。

  愛本変電所見学
(変電所構内1955年7月)

愛本屋外変電所の見学は、発電所側から受電の1次設備と、275kVで送電する2次設備の各変圧器、遮断機、断路器、避雷器および計器用変成器などを見ました。


  愛本変電所見学記念撮影
(変電所構内1955年7月)

・実験グループメンバーと上高地へ行く
大学での黒部見学が終わり、東京への帰路です。愛本から富山鉄道の魚津駅に戻り、北陸本線に乗り換え東京に向かう車内で、学校の実験グループのメンバーが、折角ここまで来たのだから上高地に足を延ばそうということになり長野で下車し、中央線に乗り換えて松本駅で松本電鉄に乗り継ぎ、新島々駅終点で下車して、新島々バス停からバスで上高地バス停まで乗車して上高地に到着です。

 上高地栞
(1955年7月)

夕刻に着き、バス停から河童橋まで歩き、上高地での宿泊は橋のたもとの五千尺ホテル(旧名養老館明治45年開業)に予約なしでお米を出して泊まれました。

 松本ー上高地地図


上高地に入った1955年(昭和30年)7月25日は、旅館前の梓川の河童橋付近を散策しました。橋上から眺める穂高連峰や焼岳、梓川の水面などの景色は訪れる人の心をとらえます。初代の河童橋はすでに明治後期から昭和初期には架けられていたともいわれますが、河童橋と命名と共にわかっていません。

 河童橋にて(左:河童橋上から梓川の流れを望む、右上:下流から河童橋を望む、右中:梓川の流れを望む、右下:五千尺ホテル客室より河童橋を見る1955年7月)

翌26日には、下流の大正池まで散策しました。大正池は、活火山の焼岳が1915年に噴火し、泥流によって梓川が堰き止められて形成されたもので、池にある立ち枯れの木々の景観により、1928年に「上高地」が「名勝及ビ天然紀念物」に指定される際の理由の一つとなりました。

 立ち枯れの木々の大正池を散策
(1955年7月)

さらに、河童橋上流の徳沢キャンプ場や明神橋方面に足を延ばし、散策してから上高地より長野経由で東京に戻りました。

 河童橋周辺風景
(左:穂高岳を望む、中:明神橋を渡る、右:徳沢キャンプ場1955年7月)

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