kan-haru blog 2014
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黒部と上高地の想い出
・宇奈月温泉宿泊
冠松次郎と穂苅三寿雄写真展を見て、1955年(昭和30年)7月に大学工学部電気工学科の前川教授の引率で、初めて黒部の愛本変電所の見学時に、トロッコ列車で黒部渓谷の欅平まで行き、その先の黒部の熱風墜道は入れませんでしたが、自然に溶け込んだ黒部第3発電所からの風景を見た59年前の想い出は、黒部の有数の谷の深さに感動し、未だに忘れられない風景なのです。その2以降は、写真展に展示された写真に見る、燕岳、常念岳、槍ヶ岳、立山、乗鞍高原の紀行を記していきます。
1955年7月24日に、信越本線経由で上野駅を出発して、直江津駅からは北陸本線を通り魚津駅で下車して、富山鉄道(現在の富山地方鉄道)に乗り換えて宇奈月駅前の宇奈月温泉桃原館に宿泊しました。
信越本線で黒部溪谷へ(左:横川駅付近、中:関東平野を北西に進む、右:急行列車内座席1955年7月)
当時は、お米が配給制であったので、宿泊するには1宿泊に付きお米300グラム(2合1勺)を袋にいれて持参する必要がありました。その代わり、昼食には、握り飯弁当を用意してくれます。
黒部溪谷地図
宇奈月温泉は、1915年(大正4年)に黒薙からの引湯樋設置工事が始められ、1917年に黒部川左岸の内山地内「荷上」に「愛本温泉」が営業を開始したが、1921年(大正10年)の台風災害により閉湯し、1922年に建物と温泉の権利を黒部温泉会社に売却され、これが現在の宇奈月温泉の礎です。宇奈月温泉桃原館は、現在宇奈月温泉駅近くで1923年(大正12年)に創業した老舗で、現在の旅館は1964年(昭和39年)に、黒部川沿いの場所に移転し、名称も宇奈月の地名(宇奈月町桃原)に由来して「ホテル桃源」と改称して営業しています。
宇奈月温泉桃原館(左:桃原館女将を中に見学メンバー記念撮影、右:お米持参の夕食1955年7月)
・黒部渓谷欅平
翌28日は関西電力と掛け合ったが、欅平から先の熱風墜道は見学者お断りとのことで、黒部渓谷トロッコ電車で、欅平まで黒部渓谷の風景を堪能しました。トロッコ電車は、1923年(大正12年) 日本電力(株)が発電所建設のための資材運搬用の専用鉄道として、宇奈月 - 猫又間(11.8km)の軌道敷設工事に着手し、1937年(昭和12年)に宇奈月 - 欅平間の運転を開始しました。1953年(昭和28年)に、関西電力が宇奈月 - 欅平間を黒部鉄道として営業を開始しました。
トロッコ電車で欅平に進む(左:トロッコ電車、左中・右中・右:トロッコ電車から見る黒部第二発電所1955年7月)
欅平のすぐ下にある、黒部第三発電所の屋上で記念写真を撮りました。黒部第三発電所は、1936年(昭和11年)に着工し、1940年(昭和15年)に運用を開始しました。発電設備は、水車:立軸フランシス水車×3台、発電機:立軸三相交流同期発電機×3台で、有効落差:278.33m、最大使用水量:33.60立方メートル毎秒で認可最大出力:81000kWです。
黒部第三発電所(左・右:発電所屋上1955年7月)
見学当時の欅平には、何もなく自然のままで猿飛峡まで往復するくらいの、峡谷でした。
黒部渓谷欅平
欅平を探索して、記念撮影です。
欅平記念撮影
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