通じゃのう

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算額絵馬~映画『天地明察』の小道具を展示 八丁座(その3)

2012年10月31日 | まんが・テレビ・映画
「映画の上映は終わったんじゃが、八丁座で映画『天地明察』の小道具を展示されとったんじゃ。今日は展示されていたもののひとつ、算額絵馬(さんがくえま)を紹介してみようかの」





「絵馬の真ん中下側に、「六寸 関」「七寸 関」と書いてあるじゃろ?」

「これが問題の答えになっとるんじゃね。ところで、ここに書いてある「関」というのは誰? かん? せき?」

「関孝和(せき たかかず)という方じゃ。名前は聞いたことあるじゃろ?」

「江戸時代の数学者で、和算(わさん)を作った方じゃね」

「正解じゃ。『天地明察』の中では、ほとんどあらゆる問題を「一瞥即解(いちべつそっかい)」、問題を一瞥、チラッと見ただけで答えがすぐに分かる、という人物になっとるんじゃの」


だが、娘の答えは、春海の想像を遥(はる)かに超えた。
「先ほどいらして、どれも一瞥(いちべつ)して答えを書いてらしたのを見ておりました」
「どれも…?」

(冲方丁『天地明察 上』角川文庫 2012年)



「数学が不得意な人から見ると、うらやましい限りじゃね」

「これは算額絵馬いうて、江戸時代、算術の問題を絵馬に書いて神社や仏閣に奉納したものなんじゃ」

「確かに、絵馬に数学の問題が書いてあるね。でも、なんで絵馬に書いてあるん?」

「もともとは、「おかげさまで、自分はこんな問題を解くことができました。ありがとうございました」と感謝を込めて奉納したのが始まりらしいんじゃ。それが、問題だけを書いた絵馬が奉納されるようになったらしいんよの」

「問題だけを書くということは、この絵馬を見た人に「この問題を解いてください」ということじゃね」

「人が集まる神社や仏閣に絵馬を奉納するということは、その絵馬がたくさんの人の目に触れる機会がある、というわけじゃの。ほいじゃけぇ、寺小屋の宣伝なんかにも使われたそうじゃ」

「本とかにして出版するわけじゃないけぇ、お金もかからんし、安上がりじゃね」


このような算額奉納の習慣は世界中をみても他に類例がなく、日本独特の文化といわれる。
その一部は重要文化財や民俗文化財に指定されている。
明治時代になると、日本には西洋式数学が導入されることとなったが、算額奉納の風習は、この導入を容易にしたとも評価されている。

(「算額」ウィキペディア)






「問いと答えというと、アニメの一休さんで、問答をするときに「そもさ!」「せっぱ!」と言いよったのを思い出すね」

「おぉ、そういうのがあったのう」


そも‐さん

[副]《中国宋代の俗語から。もと、禅問答のとき、相手の返事を促すのに用いた語》さあどうだ。いかに。

(「そも‐さん」Yahoo!辞書)



せっぱ【説破】

スル
議論をして相手を言い負かすこと。

(「せっぱ」Yahoo!辞書)







「この間の中国新聞に出とったんじゃけど、復元された算額絵馬が宮島に飾られたそうじゃね」


廿日市市宮島町の厳島神社に奉納された江戸時代の数学の絵馬「算額」の復元作品が、末社の千畳閣に掲げられた。
実物は約30年間、一般公開されておらず、受験シーズンを迎える受験生にも見られるようにと、広島県外の研究家が復元して今月、同神社に奉納した。
映画「天地明察」で和算が取り上げられる中、新たな観光スポットとして関心を集めそうだ。

和算の研究家たちでつくる日本数学史学会(事務局・東京)の運営委員長で、「天地明察」の和算監修を務めた小寺裕さん(64)=奈良市=が12日、同神社を訪れて復元算額を奉納した。

実物の算額は縦75センチ、横180センチの木製。
広島藩の算学者桧山義况(ぎけい)の弟子たちが作成し、文政10(1827)年に奉納した。
算額には図形問題7題と師の略伝が記されている。
千畳閣に掲げてあったが、強風や温度変化による劣化を防ぐため昭和50年代に格納庫に収蔵された。

復元算額は、大阪の和算研究家が1965年に作成した模写図のコピーを、2010年に小寺さんが入手。
学会メンバーなど約60人からの募金を元に、木の板に転写して今春に作成した。

算額は数学の問題が解けたことを神仏に感謝し、さらなる勉学に励むことを祈願して神社・仏閣に奉納された。
学会などによると、全国に約900面が現存するとされ、県内には同神社などに4面が残る。

「厳島神社の和算は高度な問題」と小寺さん。
「合格祈願で島を訪れる受験生たちにも、先人の学問に対する真摯(しんし)な気持ちを感じてほしい」と話している。

(「「算額」復元 宮島で公開」中国新聞 2012年10月28日)



「この算額を奉納されたのは、『天地明察』の和算監修を務められた小寺裕氏なんじゃ」

「映画『天地明察』が取り持つ縁なんじゃね」

「この絵馬は、昭和50年代まで千畳閣(せんじょうかく)に掲げてあったものなんじゃのう」

「それにしても、縦75センチ、横180センチというのは大きいね」

「ここには、図形問題7題と、師匠である桧山義况(ぎけい)の略伝が記されとるんじゃの」

「ウィキペディアによると、日本全国で975面の算額が現存しとるんじゃと」

「このころは盛んじゃったんじゃのう」





↓映画『天地明察』については、こちら↓

映画『天地明察』オフィシャルサイト





↓八丁座については、こちら↓

広島の映画館サロンシネマ、シネツイン、八丁座の広島地場劇場運営会社【序破急】





↓八丁座に展示されている映画『天地明察』の小道具についての関連記事は、こちら↓

万歩計~映画『天地明察』の小道具を展示 八丁座(その2)

坤輿萬国全図~映画『天地明察』の小道具を展示 八丁座(その1)






「今日は、八丁座に展示してあった映画『天地明察』の小道具 算額絵馬について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」

エリア28プロジェクト 東区もてなしのまちづくり

2012年10月30日 | 広島の話題
「この間の日曜日(2012年10月28日)は、広島駅新幹線口(=北口)広場で「第4回 エリア28(ふたば)プロジェクト」があったんじゃ」

「これは、広島市「東区もてなしのまちづくり」事業の一環なんじゃね」

「この日は、12時から15時まで、ステージ発表があったんじゃのう」

「二葉中学校の吹奏楽部や愛宕町(あたごまち)女輿連、神龍などがステージでパフォーマンスをされたんよ」



二葉中学校吹奏楽部


愛宕町女輿連


神龍


広島駅新幹線口に貼ってあったポスター



「広島駅の新幹線口で行われた「東区もてなし…」なんじゃが、広島駅の所在地は広島市「南区」松原町(まつばらちょう)ですけぇの」

「会場では、お茶とお菓子でのおもてなしもあったんじゃと」

「「おいでになった皆様に お茶とお菓子でおもてなしいたします」って、『泣いた赤鬼』みたいじゃのう」


心のやさしい鬼のうちです。
どなたでもおいでください。
おいしいお菓子がございます。
お茶も沸かしてございます。

浜田広介(はまだ ひろすけ)『泣いた赤鬼』



「「エリア28(ふたば)」というのは、広島駅の新幹線口のあたりが、むかしから「二葉の里(ふたばのさと)」と呼ばれとるところからきとるんよね」

「新幹線口から出て、正面に見える山が二葉山(ふたばやま)じゃしのう」

「二葉中学校は、うちと娘の親子2代でお世話になっとります」

「わしゃ、「エリア」と聞くと新谷かおるの漫画『エリア88(はちじゅうはち)』、略して「エリ8(えりぱち)」が思い浮かんでしまうんじゃ」

「「88」じゃのうて、「28」じゃけぇね」

「あと、「花のもてなしウィーク」ということで、11月6日(火)までマリーゴールドの花の塔を設置しとってんじゃ」



マリーゴールドの花の塔
(高さ約170センチ)





「11月6日の11時から12時まで、マリーゴールドの花を、希望者に先着順で配布してんじゃね」

「1人2株まで。もちろん、なくなり次第終了じゃそうな」





↓二葉の里については、こちら↓

二葉の里地区まちづくり

「二葉の里歴史の散歩道とは」広島市






↓『エリア88』については、こちら↓

新谷かおる公式サイト-八十八夜-





↓二葉の里についての関連記事は、こちら↓

二葉山山麓 七福神めぐり

七福神ストラップ 広島二葉山

二葉の里周辺にある、神社・仏閣などの文化遺産を結んだ散歩道の名前は?






「今日は、10月28日に広島駅新幹線口広場で行われた「第4回 エリア28プロジェクト」と、11月6日まで行われる「花のもてなしウィーク」について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」

高石友也『チューインガム一つ』

2012年10月29日 | 日記
「わしの日曜日の朝の楽しみの一つが、NHK第一ラジオの「なぎら健壱の あのころのフォークが聞きたい」を聞くことなんじゃ」


♪ギターにすっかり魂 抜かれてさ

それからオイラ フォークシンガー



「フォークソングといえば、わしが小(こ)まいころ、マイク真木(まき)の『バラが咲いた』(1966年)が流行(はや)って、幼稚園でも歌いよったのう」

「この曲のヒットで、日本にフォークソングブームが広がっていったんよ」

「ほかにもこんな曲があるで」


森山良子『この広い野原いっぱい』(1967年)

フォーク・クルセダーズ『イムジン河』(1968年)

はしだのりひことシューベルツ『風』
ビリーバンバン『白いブランコ』(以上、1969年)

北山修・加藤和彦『あの素晴しい愛をもう一度』
はしだのりひことクライマックス『花嫁』(以上、1971年)

かぐや姫『加茂の流れに』
ガロ『学生街の喫茶店』
吉田拓郎『結婚しようよ』(以上、1972年)

かぐや姫『神田川』(1973年)

NSP『夕暮れ時はさびしそう』
山本コウタローとウィークエンド『岬めぐり』(以上、1974年)



「こうやってみると、わしゃフォークソングにはそれほど詳しゅうはないが、フォークソングは身近に聞いて育ってきた世代になるよのう」

「お父さんは、PPM(ピーター・ポール&マリー)なんかも聞きよったじゃん」

「ありゃ大人になってから、30歳も間近かになって聞き始めたんじゃ」





「で、今日は何の歌を聞いたん?」

「高石友也(たかいし ともや)の『チューインガム一つ』(1967年)という歌じゃ」

「『チューインガム一つ』? 聞いたことがないタイトルじゃけど、どんな歌?」

「わしも聞いたことがないタイトルじゃし、なんの予備知識もなしに聞いたんじゃが、小学校3年生の女の子が万引きをしたときに書いた作文を基にした歌なんじゃそうな」



↓高石友也の『チューインガム一つ』については、こちら↓

「チューインガム一つ/高石友也tar」YouTube



「万引きかぁ…」

「なぎら氏は、

からだが おもちゃみたいに ガタガタふるえるねん

さかなみたいにおかあちゃんにあやまってん


なんて、子どもでしか表現できんと言うとられとったのう」

「万引きといえば、うちも学校近くの文房具屋で消しゴムを万引きしたことがあるよ」

「わしも小学2年のときに、おもちゃ屋で万引きをしたことがあるんじゃ。何を欲しいと思うたんか今じゃ全然思い出さんのじゃが、店の品物を服の下に隠して店の外に出ようとしたところを、店のおじさんに見つかったんじゃ」

「ほいで?」

「覚えとるのは、いろいろ聞かれたときに、「誰かに言われて盗ったんか?」と聞かれて、「●●に言われた」と答えたんじゃ。もちろん、そんなんは口からでまかせで、●●からそんなことを言われたことは、一度もないんじゃがの」

「ありゃま」

「で、「それじゃあ、その●●を連れて来い」と言われたのを幸いに、店から出てそのまんま逃げてしもうたんじゃ」

「それから?」

「それから間もなくして引越しをしたけぇ、その店には一度も行くことはなかったんじゃ」

「ということは、そのまんまになっとるんじゃね」

「今の今までの…」

「うちの場合はお姉ちゃんに見つかって、「店に返しに行ってきんさい!」と大騒ぎになったんよ」

「わしとこの作文の女の子が違うのは、

店の人以外には知られとらん、

自分のしたこと(万引き)について真剣に向きおうとらん、

ということかのう」

「さっきも言うたけど、うちは知られとうない人に知られてしもうて、そのときは大恥をかいたりもしたけど、今にして思えば、これでえかった(=良かった)んじゃないと思うとるよ」

「この作文の話をすると、万引きを見つかった女の子が、母親に連れられて灰谷氏のところへ来たんよ。そのときに「もうしないから、先生、ごめんしてください」という紙を渡したそうじゃ」

「ふつうなら、それで「反省しました」ということで終わりにするんじゃろうね」

「ところが、灰谷氏は母親を先に帰らせて、女の子と一緒にこの作文を書いたんじゃ」

「書いたいうても、これくらいの作文は書こうと思うても、そんなに簡単に書けるもんでもないよ」

「灰谷氏が女の子に「本当のことを書こう」と言うて書かせたそうじゃ」

「言うのは簡単じゃけど、実際にここまでやろうと思うたら大変よ。

万引きをさせてしもうた1年生に対して「悪かった」という思い。

自分が万引きをしたことで悲しませてしもうたお母さんに対する「ごめんなさい」という思い。

そのお母さんから「家から出ていき」と言われて行ったいつもの公園が、「よその国」のように感じたという思い…。

そんなことを、この女の子はちゃんと文字にして書いとるもん」

「万引きは、自分でも悪いことと自覚して実行しとるんじゃけど、

あんなこわいおかあちゃんのかお見たことない

あんなかなしそうなおかあちゃんのかお見たことない


という現実に直面すると、

わたしは どうして
あんなわるいことしてんやろ

せんせい どないしよ


って思うんじゃろうの」

「言葉はよくないけど、チューインガム、たった一個なのにね」

「女の子はこの作文を書くのに、一文字書いては泣き、一行書いては泣いたそうなんよ。灰谷氏は、その女の子に最後まで辛抱強く付き合(お)うたそうじゃ」

「今の時代は、そういう手間をかけることを切り捨ててきとるよね。学校でも会社でも、社会全体が建前だけですませとる感じがするんよ」

「親か、先生か、地域の人か分からんが、人が悪いことをしたときにきちんと叱れる人がおらんようになってしもうとるよのう」

「おらんというか、そういう人たちを排除してきたような気がするんよね。…なんかえらそうに言(い)いよるけど、うちらも人に言える立場じゃないよね」

「わしも、万引きのことに正面から向き合(お)うて反省しとらんし、うやむやにしてしもうとるけぇ、こんな歌を聴くと心にグサリと突き刺さってしまうんじゃろうの」





「今日は、昨日のNHK第一ラジオ「なぎら健壱の あのころのフォークが聞きたい」で放送された高石友也の『チューインガム一つ』という歌について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」

本日、舞台挨拶 映画『009 RE:CYBORG』 広島バルト11

2012年10月28日 | まんが・テレビ・映画
「今日は、映画『009 RE:CYBORG』の舞台挨拶を見に行ってくるけぇの」





「イオンモール広島府中にある広島バルト11であるんじゃね」

「13:15分の回の上映開始前にの。監督の神山健治(かみやま けんじ)氏と003(ゼロゼロスリー)・フランソワーズ役の斎藤千和(さいとう ちわ)さん。あと、MC(エムシー。司会)役としてプロデューサーの石井朋彦(いしい ともひこ)氏も来広されるそうじゃ」

「プロデューサーの方が司会もやってん?」

「ウィキペディアで調べてみたら、舞台挨拶や司会進行役もされるそうじゃ」

「ところで『009…』ってあるけど、『サイボーグ009』のこと?」

「ほうじゃの。『サイボーグ009』は、1998年(平成10年)に亡くなった石ノ森章太郎(いしのもり しょうたろう)の原作の漫画じゃ。舞台挨拶を見に行くのは、『BADBOYS』以来じゃの」





「これは?」

「ちょっと見づらいかもしれんが、右側の真ん中あたりに神山監督のサインが書いてあるんじゃ」









「ゼロゼロナンバーサイボーグが勢揃いじゃ」

「今回の映画は、原作漫画と比べてキャラクターが大幅に変わっとるね」

「ほうじゃのう。でも、キャラが変わったのは、今回が初めてじゃないんじゃ。たとえば、最初にアニメ映画化(1966年)されたときは、007ことグレート・ブリテンが子どもという設定じゃったんじゃの」

「あぁ、それは見たことがあるよ」

「原作の007は、原作では売れない役者で、酒で身を持ち崩していた、という設定じゃったんじゃがの」

「アニメを見ている子どもたちに受け入れてもらうために、子どもという設定にしたんじゃない? 子ども向けアニメで、酒で身を持ち崩した、という設定はよう(=よく)ないじゃろうけぇ」

「多分、そうじゃろうの。映画が公開された後にテレビアニメ化(1968年)されたんじゃが、その時もキャラに修正が加えられとるんじゃ」


「009」のテレビ化にともない、劇場用キャラクターを修正し、一般児童に好まれるよう丸みを加え、かわいくなった。

(「ロマンアルバム サイボーグ009」徳間書店 1979年)



「その007の声を担当したのが曽我町子(そが まちこ)さん!」

「オバケのQ太郎じゃん!」

「ヘドリアン女王!!」

「ヘドリ…? なに、それ!?」

「特撮番組『電子戦隊デンジマン』(テレビ朝日、東映 1980年~81年)と『太陽戦隊サンバルカン』(テレビ朝日、東映 1981年~82年)に出てきた悪役なんじゃ」

「知らんよ、そんなの~!! さっき「アニメ」と言うたけど、あのころはまだ「テレビ漫画」と呼ばれとった時代じゃね」

「2回目のアニメ映画化(1967年)されたときは、雑誌に「東映動画化」と書いてあったのう」

「「動画化」か…。今じゃったら「アニメ化」って書くんじゃろうね」





「エレベータで3階に降りると、004(ゼロゼロフォー)ことアルベルト・ハインリヒが出迎えてくれるんじゃの」

「この人はドイツ人じゃったよね」

「両手の指先はマシンガン、膝からはロケットと、全身が武器に改造されとるんじゃ」





「吹き抜けには巨大なペナントが吊り下げられとるんじゃね」





「『サイボーグ009』は、今回で4回目の映画化になるんじゃ」

「そんなに映画化されとるん? うちは、小学校のころにテレビアニメが放送されたのを知っとるくらいじゃけど」

「今までアニメ化された『009』を紹介してみようかの」


【映画】

1966年(昭和41年)7月 『サイボーグ009』東映動画

1967年(昭和42年)3月 『サイボーグ009 怪獣戦争』東映動画

1980年(昭和55年)12月 『サイボーグ009 超銀河伝説』東映動画


【テレビ】

1968年(昭和43年)4月~9月 テレビ朝日、東映動画

1979年(昭和54年)3月~1980年(昭和55年)3月 テレビ朝日、東映

2001年(平成13年)10月~2002年(平成14年)10月 テレビ東京、ジャパンヴィステック


【原作漫画】

1964年(昭和39年)30(7月19日)号~ 『週刊少年キング』



「1958年(昭和33年)の『白蛇伝(はくじゃでん)』に始まる東映のアニメ映画は、文芸作品が中心で、しかもフルアニメじゃったんよ」

「フルアニメ?」

「フィルムは1秒間に24コマあるんじゃが、その24コマすべてを動かす。つまり1コマづつ絵を描いていくのがフルアニメじゃの」

「フルアニメって、ディズニーのアニメとか、『トムとジェリー』のような動きをするアニメなんかね?」

「ほうじゃの。これに対して『鉄腕アトム』(1963年)に始まる日本のテレビアニメは、リミテッド・アニメと呼ばれるんじゃ。たとえば、「3コマ撮り」なら、1秒間に8枚の絵を描いて、その1枚の絵を3コマ撮影すると1秒間24コマの撮影ができる、というものじゃ」

「なるほど。ディズニーのアニメに比べると、日本のアニメがギクシャクした動きになるのはそういうことじゃったんじゃね」

「そのリミテッド・アニメの手法を使うて、長さが1時間くらいの映画を作る第一弾として制作されたのが『009』じゃったんよ」

「新しいことにチャレンジした作品じゃったんじゃね」

「新しいことといえば、今回の映画も3DCGIで制作されとるんじゃ」

「3DCGI?」

「3次元アニメーションで制作されとってんじゃ。ほいじゃけぇ、手書きは一切なし」

「3次元? 見た目はセルアニメじゃけど?」

「日本人が見慣れとるのはセルアニメじゃけぇ、そう見えるように処理をされとってんじゃそうな」

「崩れていくビルなんかはすごいリアルじゃったけど、あれは3DCGなんじゃね」

「これを生かしたのが、009こと島村ジョーの特殊能力である「加速装置」なんじゃ」

「009が「加速装置!」って言うと、フッと消えるよね。奥歯のスイッチを押すとどうとかって、男の子たちが言よった記憶があるよ」

「あれは手書きのアニメでの処理なんじゃの。今回の映画では、009の脳の処理速度をあげることで「世界がスローモーションで動く」という表現をされたそうじゃ」

「CGじゃったら、スローモーションで動かすことができるね」

「手書きじゃったら、ぶち難しいじゃろうの。『宇宙戦艦ヤマト』で、ヤマトが宇宙空間をゆっくりと進むときに、手書きのころは動きがギクシャクしとったのが、CGを使うとなめらかになるんと同じじゃ」

「脳の処理速度をあげるって、パソコンみたいな表現じゃね」

「というわけで、最後に今回の映画のストーリーを紹介して終わりにしようかの」





物語の舞台は、2013年の現代。

ロンドン、モスクワ、ベルリン、ニューヨーク…。
大都市の超高層ビルが次々と崩壊するという、同時多発爆破事件が発生。

いつ、誰の意志で計画されたかもわからない無差別テロは、世界を不安とパニックへと陥れていた。

かつて、世界が危機に陥るたびに、人々を救った9人のサイボーグ戦士がいた。

その役目を終え、各々の故国へと帰っていたゼロゼロナンバーサイボーグ達は、生みの親であるギルモア博士からの呼びかけによって、再び集結しようとしていた。

一方、ゼロゼロナンバーサイボーグのリーダーである日本人、009こと島村ジョーは、過去の記憶を消し、東京・六本木でひとり、暮らしていた。

サイボーグ戦士最後の切り札であるジョーは、ギルモア博士によって30年間、3年に一度、記憶をリセットされ、高校3年間を繰り返していたのだ。

全世界同時多発爆破事件の犯人とは?
ヒーロー不在の時代、彼らは、誰がために戦うのか?
彼らが立ち向かう、新たな時代の「正義」とは?

ジョーの記憶が呼び覚まされた時。
ゼロゼロナンバーサイボーグの新たな戦いが始まる!





「よう考えてみたら、3D映画を観るのは今回が初めてじゃ」

「えぇー、まだ観たことなかったん!? 時代遅れじゃね。うちは『THE LAST MESSAGE 海猿』(2010年)で観とるよ」





↓映画『009 RE:CYBORG』については、こちら↓

009 RE:CYBORG (原作:サイボーグ009) 西暦2012年10月27日全国公開





↓サイボーグ009については、こちら↓

サイボーグ009公式サイト 009ing

「サイボーグ009」TOEI ANIMATION






↓広島バルト11については、こちら↓

広島バルト11





↓石ノ森章太郎については、こちら↓

石ノ森萬画館





↓東映動画については、こちら↓

アニメといえば、東映アニメーション! TOEI ANIMATION





↓『電子戦隊デンジマン』については、こちら↓

「電子戦隊デンジマン」スーパー戦隊ネット





↓『太陽戦隊サンバルカン』については、こちら↓

「太陽戦隊サンバルカン」スーパー戦隊ネット





「今日は、今日、舞台挨拶昨日から公開されている映画『009 RE:CYBORG』について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」

今宵、月見をいたしましょう 十三夜 2012年

2012年10月27日 | 季節の話題
「今日(2012年10月27日 旧暦9月13日)は、十三夜(じゅうさんや)じゃ」

「天気予報では、今日は夕方から雨いうて言(い)よったけど…」

「「十三夜に曇(くも)り無し」ということわざもあるんじゃが、まぁ、こればっかりは天気次第じゃのう」

「これは、十三夜は晴れて、月が美しく見えることが多い、というところからきたことわざなんよ」

「十三夜の月は、中秋の名月の後じゃけぇ「後の月(あとのつき、のちのつき)」と呼ばれることもあるんじゃの」

「十五夜は「芋名月」、十三夜は「栗名月」「豆名月」とか呼ばれとるんよね」

「これは、十五夜はサトイモを、十三夜は栗や豆を供えるところからきとるんじゃ。つまり、月見には秋の収穫祭という性格もあるんじゃの」

「サツマイモ、ジャガイモじゃのうて、サトイモ?」

「日本にもともとあったのはサトイモ(里芋)やヤマイモ(山芋)なんじゃの。里でできるけぇ里芋、山でできるけぇ山芋、というわけじゃ」

「へぇ、そりゃ知らんかった」

「サツマイモもジャガイモとも、日本では江戸時代ころから栽培が始まったんじゃの」

「十三夜に話を戻して…、十三夜の月見はいつごろからから始まったんかね?」


中秋の名月(十五夜)はもともと中国で行われていた行事が日本に伝来したものですが、この十三夜の月見は日本独特の風習だそうで、一説には宇多法皇が九月十三夜の月を愛で「無双」と賞したことが始まりとも、醍醐天皇の時代(延喜十九年:西暦919年)に開かれた観月の宴が風習化したものとも言われています。

(「十三夜」大阪仏壇仏具センター 越前屋オンライン)



「宇多法皇って、いつの時代の方?」

「平安時代の天皇で、仁和(にんな)3年(887年)から寛平(かんぴょう)9年(897年)まで在位(ざいい)されとったんじゃ」

「「無双」というのは?」

「「むそう」と読んで、「並ぶものがないほどすぐれていること」という意味なんじゃの」

「ということは、宇多法皇は十三夜の月を見て、この月は比べるものがないほど素晴らしい、美しい、と言われたんじゃね」

「今日は、呉市にある入船山(いりふねやま)記念館で「十三夜の月を愛でる観月茶会」があるそうじゃ」

「これは事前申し込みになっとるんよ」





↓入船山記念館については、こちら↓

「入船山記念館」くれナビ





↓月見についての関連記事は、こちら↓

今宵、月見をいたしましょう 十五夜 2012年

今宵、月見をいたしましょう






「今日は、「今宵、月見をいたしましょう」というタイトルで、十三夜について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」