通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

追悼 平岩弓枝さん

2023年06月25日 | まんが・テレビ・映画
作家で脚本家の
平岩弓枝(ひらいわ ゆみえ)さんが
6月9日、亡くなられました。

91歳でした。





今日は、
平岩弓枝さん
についての話でがんす。





平岩さんは1932年、東京にある
代々木八幡宮の宮司(ぐうじ)の
一人娘として生まれる。

1955年、日本女子大学を卒業した後、
動物作家で児童文学作家の
戸川幸夫(とがわ ゆきお)さん
に師事した後、小説家の
長谷川 伸(はせがわ しん)さん
主宰の新鷹会(しんようかい)に入会。

長谷川さんからは、
「ストーリーではなく、人間を描け」
といわれる。

1959年、『鏨師(たがねし)』で
第41回直木賞を受賞。

その平岩さんに
テレビドラマの脚本の依頼があり、
長谷川さんに相談すると、
「君は会話を書くのが下手だ」と言われ
その訓練のために脚本の仕事を受けた
という。



脚本家としての平岩さんは、
『渡る世間は鬼ばかり』
の名プロデューサー
石井ふく子(いしい ふくこ)さん
と組んで
『肝っ玉かあさん』
『ありがとう』
などの脚本を手がける。

『肝っ玉かあさん』は、
1968年4月から1972年1月にかけて
3シリーズがTBSで放送された。

京塚昌子(きょうづか まさこ)さんが
しっかり者で涙もろい母親役を熱演。

木曜の夜8時からの放送だったので
おふくろと一緒に観たが、本編よりも
佐良直美(さがら なおみ)さん
が歌う主題歌の方が記憶に残っている。



↓『肝っ玉かあさん』主題歌については、こちら↓

「肝っ玉かあさん」YouTube



『ありがとう』は、
1970年4月から1975年4月にかけて
4シリーズがTBSで放送された。

第1~3シリーズは、
山岡久乃(やまおか ひさの)さんと
水前寺 清子(すいぜんじ きよこ)さん
の母と娘の日常生活と、
石坂浩二(いしざか こうじ)さんとの
恋愛話という話だったと記憶する。

第2シリーズの
看護婦編が好きだったかな。

歌手に専念したい水前寺さんを、
石井プロデューサーが
TBS内の女子トイレで待ち構えて口説き
テレビドラマに出演させたのは
有名な話。



↓『ありがとう』主題歌については、こちら↓

「ありがとうの歌 水前寺清子」YouTube



小説家としての平岩さんは
数多くの本を書いておられるが、
残念ながらわしは
ほとんど読んだことがない。



読了したのは、
『南総里見八犬伝
(なんそうさとみはっけんでん)』
(中央文庫 1995年)、
『私家本 椿説弓張月
(しかぼん ちんせつ ゆみはりづき)』
(新潮文庫 2014年)
の2冊くらいか。

『南総里見八犬伝』は、
NHK人形劇『新八犬伝』の小説版が
2017年に角川文庫から再発されたとき、
お手軽に読める初心者向けの入門書
を探したときに出会った一冊。

原作は、全98巻、106冊という
日本古典文学中最大の長編小説なので、
物語を一冊にまとめるだけで
大変だったと思う。

『私家本 椿説弓張月』は、
『新八犬伝』の中に
流用された部分があったので、
やはり初心者向けの入門書を探したら、
専門書でなく一般向けに書かれた
唯一の本(?)がこの本だった。

ちなみに、
『南総里見八犬伝』、
『椿説弓張月』とも
曲亭馬琴(きょくてい ばきん)が
江戸時代後期に書いた物語である。



↓NHK人形劇『新八犬伝』についての関連記事は、こちら↓

祝!放送開始50年、NHK人形劇『新八犬伝』





以下、余談。


平岩さんの恩師にあたる
長谷川 伸さんは、
今では知る人が少ない
股旅物(またたびもの)の作者として
有名な方。

股旅とは、
渡世人(とせいにん)、
いわゆるヤクザのこと。

そのヤクザを、
人々から慕われるヒーローではなく、
世間に顔向けできない日陰者
として描いた。

代表作としては、
『関の弥太ッぺ(せきのやたっぺ)』
『瞼の母(まぶたのはは)』
『沓掛時次郎(くつかけときじろう)』
などがある。

長谷川さんの功績のひとつが
優秀な弟子を輩出したこと。

山岡荘八(やまおか そうはち)
池波 正太郎(いけなみ しょうたろう)
井手雅人(いで まさと。
黒澤 明監督『赤ひげ』の脚本家)
などがいる。





【参考文献】

春日太一『時代劇入門』角川新書 2020年 216ページ

「市井の人々の心 書き続ける-評伝・平岩弓枝さん」中国新聞 2023年6月19日






今日は、
平岩弓枝さん
について話をさせてもろうたでがんす。



ほいじゃあ、またの。
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旧広島水上警察署(旧広島港湾事務所)

2023年06月01日 | 見て歩き
明治時代以降の日本では
近代化が図られ、
西洋風の外観を持つ
木造やレンガ造りの建物が
建てられるようになった。

今でも広島市内に残る
明治時代の木造洋風建築で、
被爆建物のひとつが、
旧広島水上警察署なんじゃの。




(撮影日:2018年2月11日)





今日は、
旧広島水上警察署
(旧広島港湾事務所)
についての話でがんす。





水上の警備と取り締まりを行う
水上警察署は1881(明治14)年、
広島県には広島と尾道に設置された。

広島には中島新町、
今の平和記念公園あたりに置かれた。

1886(明治19)年、
仁保島村宇品(にほじまむらうじな。
現:広島市南区元宇品(もとうじな))
へ移転したのち、
翌1887年、現在地に新築された
庁舎に入る。

1909(明治42)年、庁舎は
現在の木造2階建ての洋風建築に
建て替えられた。

1904(明治37)年6月、
水上警察署の中に設けられた
京橋分署宇品臨時出張所は、
同年9月に宇品分署となり、
1926(大正15)年、
宇品警察署へ昇格した。

1937(昭和12)年、
広島と尾道の水上警察署は廃止され、
宇品警察署がその業務を引き継ぐ。

日中戦争のただ中ということもあり、
その業務が増えて
場所も手狭となったため、
1938(昭和13)年に
増築と模様替えを行った。


1945(昭和20)年8月6日、
原子爆弾が投下され被爆。

爆心地から
約4600メートル離れていたが、
爆風で屋根が浮き、
増築部分は梁(はり)が折れるなど
被害を受けた。


戦後も警察署として使われたが、
1964(昭和39)年、
宇品警察署は広島南警察署として
新庁舎へ移転する。

翌年から広島港湾事務所として、
1981(昭和56)年からは
その倉庫として利用された。



↓広島南警察署については、こちら↓

「広島南警察署」広島県警察



↓広島港湾事務所については、こちら↓

「広島港湾振興事務所」広島県







(撮影日:2010年2月20日)




(撮影日:2018年2月11日)




(撮影日:2023年4月30日)


旧広島水上警察署を
北側から撮った写真を
3枚並べてみた。

2010年は建物を囲むフェンスもなく、
窓にはめられたベニヤ板(?)も
1階だけだった。

2018年には
建物の周囲にフェンスが設置され、
1階だけでなく
2階の窓にもベニヤ板がはめられ、
画面左下には
説明板が新設された。

今年(2023年)撮影したものは、
窓のベニヤ板が外され、
1階の外壁には
ペンキが塗られている。





(撮影日:2010年2月20日)




(撮影日:2023年4月30日)


玄関を比べてみると、
ペンキを塗っただけでなく、
白壁のはがれた所を修理し、
玄関上の丸い電球を取り付けてある。





(撮影日:2010年2月20日)


南側(海側)は
今はこういう形になっているが、
北側と同じような玄関が
南側にもあったという。

というのも、水上警察署時代は
海側が正面玄関で、
そのころは海だったところが
今は埋め立てられている。





(撮影日:2023年4月30日)


玄関から海へ下りていく階段が、
囲いからのぞいているのがわかる。



【参考文献】

被爆建造物調査研究会『ヒロシマの被爆建造物は語る』広島平和記念資料館 1996年 26ページ






今日は、
旧広島水上警察署
(旧広島港湾事務所)
について話をさせてもろうたでがんす。



ほいじゃあ、またの。
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