通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

映画『逆襲大蛇丸』

2024年02月25日 | まんが・テレビ・映画
「YouTubeの「新東宝【公式】チャンネル」では、2月16日から3月1日までの2週間、映画『逆襲大蛇丸(おろちまる。以下、『大蛇丸』と略す)』(1955年)を無料配信中じゃ」

「『大蛇丸』は、前に紹介した映画『忍術児雷也(じらいや。以下、『児雷也』と略す)』の続編?」

「そのとおり。2作目のタイトルに『逆襲』とつくのは、『ゴジラの逆襲』(公開:1955年4月)と同じじゃが、公開は『大蛇丸』(公開:1955年1月)の方が先なんじゃの」

「おぉ、同じころに作られた映画なんじゃね」

「『児雷也』はイマイチ盛り上がりに欠けたが、『大蛇丸』は城攻めという大スペクタクルが楽しめるんじゃ」



↓映画『逆襲大蛇丸』については、こちら↓

「【2週間限定無料配信】逆襲大蛇丸(ぎゃくしゅうおろちまる)」新東宝【公式】チャンネル





「今日は、映画『逆襲大蛇丸』についての話でがんす」





「この映画は、どんなストーリーじゃろ?」

「まずは『児雷也』の話のおさらいから…。尾形弘澄は、盟友だった鯨波照忠と諏訪光明に裏切られて滅ぼされた。その尾形の忘れ形見である周馬は、お家の再興を果たそうとする」

「その周馬は、蝦蟇(がま)を助けたことから蝦蟇の妖術を授かって、児雷也になったと」

「周馬の許嫁(いいなずけ)である綱手姫は、蛞蝓(なめくじ)の妖術を、そして敵役である大蛇丸は、大蛇の妖術をそれぞれ授かる。最後は、蝦蟇(=児雷也)と蛞蝓(=綱手姫)、そして大蛇(=大蛇丸)の三すくみ」

「力を合わせた児雷也と綱姫の前に、大蛇丸が逃げ去ってしまう…で、『児雷也』は終わりじゃったね」

「『大蛇丸』の冒頭、鯨波照忠のところに尾形弘澄の亡霊があらわれる。その亡霊は、児雷也が見せる幻覚だった。今や復讐の鬼と化した児雷也は、妹・深雪や家臣たちの意見に耳を傾けようとしない」

「頑(かたく)なになっとるんじゃね」

「児雷也が鯨波を襲っていることを知った諏訪家では、その対応を協議していた。鯨波と諏訪は、互いの息子と娘を結婚させる約束を交わしていた」

「児雷也が、いつ諏訪家を襲ってくるかわからんけぇね」

「諏訪家の家老である高遠多聞之助の息子・弓之助が進言をした。時の将軍・足利家に願い出て、鯨波討伐の許可を受けてはいかがと。その願いは聞き入れられ、鯨波討伐の令状を手に入れた弓之助が戻ってくる」

「それを理由に、諏訪が鯨波を討つ?」

「ところが、そうは問屋が卸さない。大蛇丸が弓之助一行を襲って令状を奪い取り、その令状を手に鯨波へ売り込みに行く。諏訪が裏切った事を知った鯨波は、諏訪と一戦交えることを決意する」

「鯨波は大蛇丸と手を組むんじゃね」

「そこに、新キャラクターの女盗賊・朝雲が登場。彼女も鯨波に手を貸すことに」

「面白そうになってきた」

「鯨波は、軍勢を率いて諏訪へ攻め込む。人質となった多聞之助は城の前に引き出され、「おとなしく降参すれば、命だけは助けてやると言え」と命じらる。しかし、「一歩も退くな! わしの屍(しかばね)を越えて戦え!」と味方へ檄(げき)を飛ばしたので、その場で射殺されてしまう」

「おぉ、漢(おとこ)じゃねぇ」

「戦いの途中で、児雷也が城の前で磔(はりつけ)にされたり、綱手姫が塩蔵の中に吊るされたりする」

「綱手姫は蛞蝓(なめくじ)じゃけぇ、塩蔵の中に吊るされたら大変じゃん」

「最後は、城の天守閣の屋根で、児雷也と大蛇丸の一騎打ち。そこへ朝霧丸を手にした綱手姫があらわれる」

「朝霧丸?」

「おぉ、説明するのを忘れとった。諏訪家には、大蛇丸の術をも退散させる、不動明王の秘刀・朝霧丸があった」

「そんなええ刀があるんなら、最初からそれを使えばええじゃん」

「朝霧丸は、女盗賊の朝雲が奪い去っていた。その朝雲を倒した綱手姫が、奪い返した朝霧丸を手に児雷也を助けにやってくる。朝霧丸の力の前に、大蛇丸は空へ逃げ去った」

「逃げ去った…で、今回も終わり…?」

「ほうじゃの。『大蛇丸』も、『児雷也』と同じように、なーんか、もやっとした終わり方じゃったの」




児雷也(大谷友右衛門)




綱手姫(利根はる恵)




大蛇丸(田崎潤)



「こうやって手で印(いん)を結ぶのを見ると、むかし懐かしの忍術使いという感じがして、なんかワクワクして、えかった」

「あんたも年を拾うたんじゃ」

「こういう映画を、どっかで作ってくれんかいの」





「以下、余談」




大蛇丸(田崎潤。左奥)と女盗賊・朝雲(朝雲照代。右手前)


「『大蛇丸』も『児雷也』も、悪役が生き生きと描かれとったの」

「田崎潤は、悪役をやっても、どこか人の良さが出てしまうね」

「『大蛇丸』で始めて知ったのが、朝雲を演じた朝雲照代。大蛇丸の前で、

♪一目でコロリと参っちゃったの

と歌い出すけぇ調べてみたら、宝塚出身の女優さんじゃった」




「これは、サンゴ?」

「ほうじゃの。朝雲が、盗みに入った鯨波家の宝物蔵から頂いた宝物といって取り出したのが、銭の入った袋と、これじゃった」

「そういや、むかしの日本では、サンゴは貴重な財宝じゃったね」

「『桃太郎』のおとぎ話で、鬼退治をした桃太郎が鬼ヶ島から持ち帰ったものの中にも、立派なサンゴが描かれとったりするよの」





「今日は、映画『逆襲大蛇丸』について話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」



(文中、敬称略)
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映画『忍びの者』

2024年02月13日 | まんが・テレビ・映画
「YouTubeの「角川シネマコレクション」では、2月2日から16日までの2週間、映画『忍びの者』(1962年)を無料配信中じゃ」

「前回は、新東宝の映画『忍術児雷也(じらいや)』(1955年)で、どっちも忍者の話」

「児雷也は、口に巻物をくわえて手で印(いん)を結ぶことで、ドロンと蝦蟇(がま)に化けることができたんじゃの」

「荒唐無稽(こうとうむけい)な忍術使いの話じゃったね」

「それが1950年代の終わりから60年代の初めにかけて、忍者の描き方が変わってきた」

「たとえば?」

「たとえば、それまでの忍者は、主君のために尽くす(=命をかけて戦う)ことを良しとしてきた。それが、主君のために尽くすことが、実は空しいこととされたんじゃの」

「なんで?」

「やっぱり太平洋戦争の影響が大きかったんじゃろう。1945年8月15日の敗戦を機に、それまでの価値観が180度変わってしもうたけぇの。もうひとつは、1960年の安保闘争を境に、反体制的な機運が高まったこともあったんじゃろう」

「なるほど」

「あと、ビジュアル面でも変わってきた」

「見た目でなにが変わったん?」

「忍者=黒装束となったのが、この映画からといわれとるんじゃの」

「確かに。うちらが知っとる忍者といえば、黒い衣装を纏(まと)うとるよね」

「それまでの映画、たとえば『忍術児雷也』では忍者の黒装束が出てこないどころか、忍術使いは結構派手な格好をしとっちゃったけぇの」




蝦蟇の上に立つ児雷也(大谷友右衛門)
(映画『忍術児雷也』(1955年)より)




忍者の黒装束を纏う石川五右衛門(市川雷蔵)




↓映画『忍びの者』については、こちら↓

「【本編】『忍びの者』<2週間限定公開>」YouTube





「今日は、映画『忍びの者』についての話でがんす」





「この映画は、どんなストーリーじゃろ?」

「伊賀の国に、ふたつの忍者集団があった。ひとつは百地三太夫(ももち さんだゆう)率いる百地党と、藤林長門守(ふじばやし ながとのかみ)率いる藤林党で、対立関係にあった」





「うんうん、それで?」

「そのころ勢力を伸ばしていたのが織田信長で、百地党・藤林党とも、配下の忍者たちに信長暗殺を命じる」

「この映画は、その忍者たちが主人公の話?」

「この映画の主人公は、あの石川五右衛門」

「五右衛門は盗賊で、豊臣秀吉に捕えられて、釜ゆでにされたんじゃなかったっけ?」

「五右衛門は、百地党に属する伊賀の忍者という設定なんじゃの」

「へぇ」

「いきがかりとはいえ、五右衛門は、三太夫の妻・イノネとの密通してしまう。それがバレたとき、イノネは井戸に落ちて死んでしまい、五右衛門は逃亡を図る。しかし、三太夫は五右衛門の命を助けられるかわりに、盗みを働くことを命じる」

「忍者が盗みを働いちゃいけんじゃろ」

「それが成功すると、次に信長の暗殺を命じた。イノネと密通する状況を作り、五右衛門が断れないところで信長の暗殺を命じたのは、実は三太夫の策略だったのだ」

「うーん、お主も悪よのう」

「信長を追って堺にやって来た五右衛門は、マキという遊女と知り合う。マキに惹かれた五右衛門は、彼女を身請けしたうえで、山奥にある一軒家で平穏な日々を送ろうとする」

「そんなこと、もちろん見逃してもらえるわけもないよね」

「マキを人質にとった三太夫は、五右衛門に改めて信長暗殺を命じる。安土城の完成祝いに乗じて毒殺しようとするも、失敗。これを伊賀の手によるものと考えた信長は、伊賀攻めを行う」

「信長は伊賀を攻めたんじゃね」

「その戦いの中で五右衛門は、藤林長門守に変装した姿で死んでいる三太夫を見つける。ふたつの忍者集団の頭領(かしら)だった三太夫と長門守が、実は同一人物だったのだ!」





「以下、余談」




百地三太夫




藤林長門守



「三太夫と長門守の二役を演じたのが、怪異な人物を演じさせると右に出るものがないといわれた、伊藤雄之助(いとう ゆうのすけ)」

「いかにも悪そうな顔しとるね」

「三太夫(=長門守)は自分の権威を高めるために、それぞれの忍者集団に信長暗殺を命じて、互いを争わせていたんじゃの」





「以下、さらに余談」




「信長を演じたのが、城健三朗(じょう けんざぶろう)」

「城健三朗? この顔は若山富三郎(わかやま とみさぶろう)じゃないん?」

「若山富三郎は、経営不振の新東宝から東映へ、そして弟の勝新太郎(かつ しんたろう)のいる大映へ移籍した。大映時代は、若山富三郎ではなく城健三朗と名乗っていたんじゃの」





【参考文献】

春日太一「忍者の変遷」『時代劇入門』角川新書 2020年 260~271ページ






「今日は、映画『忍びの者』について話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」



(文中、敬称略)
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映画『忍術児雷也』

2024年02月11日 | まんが・テレビ・映画
「YouTubeの「新東宝【公式】チャンネル」では、2月2日から16日までの2週間、映画『忍術児雷也(じらいや)』(1955年)を無料配信中じゃ」

「児雷也? 知らんねぇ」

「児雷也いうたら、蝦蟇(がま)の妖術を使って、神出鬼没の働きをする義賊(ぎぞく)、悪い奴から金を盗んで貧しい人に分け与える盗賊のことじゃの」

「蝦蟇といえば…。口に巻物をくわえた忍術使いが、蝦蟇の上で手で印を結ぶとドロンと消えたり、何かに化けるっていうのが、むかしの映画やテレビなんかでよくあったね」

「そのイメージの始まりとなったのが、児雷也なんじゃの」



↓映画『忍術児雷也』については、こちら↓

「【2週間限定無料配信】忍術児雷也」新東宝【公式】チャンネル





「今日は、映画『忍術児雷也』についての話でがんす」





「この映画は、どんなストーリーじゃろ?」

「戦国時代、越後に住む尾形周馬弘行(おがた しゅうま ひろゆき)は、仲間の裏切りによって領地を失った武将・尾形弘澄(ひろずみ)の遺児だった。彼はお家の再興を果たそうとするが、それを果たす前に話は終わってしまうんじゃがの」

「お家の再興でなく、児雷也としての活躍がメインなんじゃね」

「周馬は、沼で大蛇(おろち)と蝦蟇が戦っているところに遭遇する。大蛇が優勢だったところを、銃で大蛇を撃って蝦蟇を助けたことで、蝦蟇から妖術を記した巻物をもらう」

「これで、主人公の周馬が児雷也になった。となると、敵役は?」

「敵役となるのが、大蛇太郎。巳(み)の年、巳の日、巳の刻生まれの大蛇太郎は、周馬に撃たれた大蛇に取り憑かれて、大蛇丸(おろちまる)と名乗ることに」

「このふたりの戦いが見どころなんじゃね」

「ところが、もうひとり、綱姫というのが出てくるんじゃ」

「お姫様が?」

「大蛇太郎の矢が当たったことで崖から落ちた綱姫は、なんと蛞蝓(なめくじ)に助けられる」

「蛞蝓に!?」

「ここでいきなりじゃが、三すくみ(さんすくみ)って知っとるかいの?」

「うーん…、知らん」

「AはBに勝って、BはCに勝つ。ところが、一番弱いはずのCが、実は一番強いはずのAに勝つ、というやつじゃ」

「あぁ、じゃんけんのことじゃね」

「そうそう。それと同じように、ヘビはカエルを一飲みにするからヘビはカエルに勝って、カエルはナメクジを食べるからカエルはナメクジに勝つ。ところが、そのナメクジがヘビには勝つ」

「…ナメクジがヘビに勝つって、ほんま?」

「そこがわしにもイマイチ理解できんのじゃが…。ウィキペディアによると、ナメクジにはヘビの毒が効かないうえに、ナメクジの粘液でヘビが溶けてしまうそうじゃ」

「ふーん」

「話を映画に戻すと…。映画のラストで、蝦蟇の児雷也と、大蛇の大蛇丸、そして蛞蝓の綱姫が勢揃い!」

「ヘビとカエルとナメクジは、三すくみで身動きがとれない。どうする?」

「綱姫は児雷也の味方なので、ふたり力を合わせて大蛇丸をやっつける」

「めでたし、めでたしじゃね」





蝦蟇の上に立つ児雷也(大谷友右衛門)




児雷也を助けに来る、蛞蝓の上に立つ綱姫(利根はる恵)




綱姫の登場に驚く、大蛇の上に立つ大蛇丸(田崎潤)




左から、蝦蟇、蛞蝓、大蛇の三すくみ




「…こういうちゃなんじゃけど、蝦蟇、蛞蝓、大蛇とも、なんかちゃっちいね」

「この映画が公開されるより2ヶ月前、1954年11月に公開されたのが、東宝が製作した『ゴジラ(第1作)』。それに比べると確かにちゃっちいが、このころはまだこのレベルでもOKじゃったんかもしれんの」





「以下、余談」




左から、大蛇太郎(田崎潤)、高遠弓之助(若山富三郎)、深雪(新倉美子)


「この映画で一番覇気があって、生き生きしとったのが、悪役の田崎潤じゃった」

「田崎潤といえば、とにかく豪快で、大きな声で話す人、というイメージじゃったもん」

「主役の大谷友右衛門(おおたに ともえもん。7代目)は、元が歌舞伎役者だからか、そういうキャラクターだからかよう分からんが、あんまり印象に残らんかったの」

「若山富三郎(わかやま とみさぶろう)も出とってんじゃね」

「若山富三郎は、この映画がデビュー作になるそうじゃ」





「今日は、映画『忍術児雷也』について話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」



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子ども時代の吉川晃司

2024年02月01日 | 広島の話題
「ロックアーティストの吉川晃司が、40年前の今日、1984年2月1日にシングル「モニカ」でデビューされました」

「デビュー40周年、おめでとうございます」

「吉川は、デビュー当時から派手なパフォーマンスをされとったの」

「歌番組に出演して、歌の途中に足を垂直に蹴り上げたり、歌の終わりにバク転をしたりと、すごかったね」

「今日は、今はなき広島の情報誌『映画手帖(えいがてちょう)』の1984年8月号に掲載された、「吉川晃司 マル秘アルバム」という記事から、子ども時代の吉川晃司を紹介していこう」




(『映画手帖 1984年8月号』広島映画手帖社)





「今日は、子ども時代の吉川晃司についての話でがんす」







「吉川は、1965(昭和40)年8月18日に、県立広島病院(通称:県病院)で生まれちゃったんじゃね」

「県病院って、わしが生まれたのと同じ病院じゃんか」

「生まれた時の身長が58センチで、体重が2650グラム」

「で、これが生まれて半年ころの吉川」

「目のあたりに面影があるね」


吉川晃司君のお宅に写真を借りに行きました。生後間もない頃の”オールヌード”もあったのですが…。

(あとがきより)





「こちらは2歳ころの吉川」

「まんま、吉川晃司じゃね」




「竹原へオリエンテーリングに行ったときの、小学校4年の吉川」

「頭にかぶっているのは、やっぱりカープの帽子」

「吉川が小学校4年のときいうたら、1975(昭和50)年。カープが初優勝した年じゃの」

「カープの帽子が、それまでの紺色に「H(Hiroshima)」のマークから、赤色に「C(Carp)」のマークになったのも、この年じゃったね」




「吉川といえば、水球」

「これは、吉川が修道中学3年のとき、全日本ジュニア水球大会で準優勝したときの写真じゃそうな」


キャプテン・吉川晃司(前列中央)としては、準優勝では不満が残る…といった表情

(写真の説明文より)



「吉川は修道高校時代、世界ジュニア水球選手権大会の日本代表、2年連続して全日本高校最優秀選手に選ばれ、最年少の日本代表として海外遠征に参加して活躍したんじゃの」

「その修道高校を、1983年3月に2年で中退して上京、渡辺プロダクション(通称:ナベプロ)に入ったんよね」

「翌1984年2月にデビュー。それ以降の快進撃は、ご存じのとおりじゃ」



↓吉川晃司については、こちら↓

K2 NET CAST : KOJI KIKKAWA OFFICIAL WEBSITE





「以下、余談」


「この雑誌の中には、吉川のライブビデオの紹介も出とったで」

「1984年いうたら、ビデオが出始めのころか」

「「KIKKAWA KOJI '84 FLYING PARACHUTE TOUR」の模様を収めたもので、60分で9,800円じゃった」

「ビデオの値段がそれくらいしよったころの話じゃね」

「ビデオの紹介は、第一産業の広告ページに出とったんじゃがの」

「うわー、第一産業なんて名前、久しぶりに聞いたよ」

「家電とエレクトロニクスのダイイチ」

「第一産業は、ダイイチ、デオデオと名前を変えて、今はエディオンじゃね」





「以下、さらに余談」


「吉川の実家は、今の平和記念公園がある中島地区にあったんよね」

「『この世界の片隅に』でも描かれとるが、戦前の中島地区は、広島はもとより中国地方でも指折りの繁華街じゃったんじゃの」




(平和記念公園(爆心地)街並み復元図)


「この地図で左上に見えるのが、広島への原爆投下の目標にされた、T字の形をした相生橋(あいおいばし)。その相生橋から道なりに下っていって、画面右側4軒目にあるのが吉川旅館じゃ」

「吉川旅館は、原爆ドーム(原爆投下当時の名称:広島県産業奨励館)から、元安川(もとやすがわ)を挟んで向かい側にあったんじゃね」

「今の、平和の時計塔があるあたりから少し南側かの」

「地図には、(舩本)とあるけど?」

「原爆投下の前に、旅館を舩本さんという方に譲り渡して吉川一家は疎開したけぇ、原爆の直接の被害を受けずにすんだ。ところが、吉川のお父さんは原爆投下の直後に広島へ帰ってきたことで被爆された(入市被爆)そうじゃ」

「吉川も、うちらと同じ被爆2世なんじゃね」


注:入市被爆(にゅうしひばく)…原爆が投下された時は広島郊外にいて直接の被害は受けなかったが、原爆が投下されて15日以内(8月20日まで)に、救援活動や親族を探すため爆心地から2キロ以内に入った人をいう。





「今日は、子ども時代の吉川晃司について話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」



(文中、敬称略)
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