通じゃのう

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教善寺 東広島市西条町

2016年01月23日 | 見て歩き
教善寺(きょうぜんじ)

浄土真宗本願寺派 南命山

東広島市西条町








JR西条駅北口を出てすぐのところに、

室町時代の開基と伝わる

浄土真宗本願寺派の南命山・教善寺がある。







今から163年前、

「嘉永六年癸丑(みずのとうし。1853年)」の銘がある

法燈(ほうとう)。



嘉永六年といえば、

アメリカ海軍のペリー提督の乗る黒船が

浦賀にやってきた年。







目の前にJR西条駅が見える。





西条駅は1894年(明治27年)6月、

山陽鉄道の三原駅-広島駅間の開通時に開業した駅。



1921年(大正10年)、山陽本線の複線化に伴い、

教善寺の庫裡(くり)が線路の用地にかかるということで、

曳家(ひきや)で本堂を西側に移動したという。



曳家とは

建築物をそのままの状態で移動する建築工法で、

昨年、青森県弘前市(ひろさきし)にある弘前城が

石垣修理のため天守曳家が行われた。





↓曳家については、こちら↓

「曳家って何?」社団法人 日本曳家協会





↓弘前城の曳家については、こちら↓

「弘前城石垣修理事業「弘前城が動く」」弘前公園総合情報













本堂







扁額(へんがく)







経典や仏教に関する書物を収蔵する経蔵(きょうぞう)。







鐘楼(しょうろう)





訪問日:2015年12月30日





【参考文献】

下中邦彦/編『日本歴史地名大系第35巻 広島県の地名』(平凡社 1982年)

東広島市郷土史研究会『西條四日市 町並写真集』(2012年)






今日は、JR西条駅北側にある教善寺について話をさせてもらいました。

ほいじゃあ、またの。

猿猴橋復元工事(その21)

2016年01月19日 | 広島の話題
猿猴橋復元工事

被爆70年事業

路面強化の薬剤を注入する






↓前回記事は、こちら↓

猿猴橋復元工事(その20)







大正浪漫 猿猴橋

被爆橋梁の一つである猿猴橋を

1926年(大正15年)当時の姿に復元します。








猿猴橋(えんこうばし)を西側から見たところ。







橋の川上側は舗装が剥(は)がしてあるんじゃが…、







そこに路面強化のための薬剤を注入する作業(?)をされとった。







猿猴橋と、その上流にある駅前大橋との間の猿猴川には

浚渫(しゅんせつ。水底の土砂などをさらうこと)工事の船が止まっとった。







広島駅あたりの猿猴川にはヘドロ状の堆積物が溜まっとるんで、

それを取り除くために浚渫工事をされてんじゃそうな。



船の後ろに見えるのが、JR広島駅南口を起点とする

駅前通りに架かる駅前大橋。







橋の奥、画面中央に高くそびえるのが、

広島駅前Bブロック西棟。

今は45~46階あたりを建設中じゃった。





↓猿猴橋復元工事については、こちら↓

「猿猴橋復元事業について」広島市ホームページ





↓猿猴橋については、こちら↓

猿猴橋復元の会





訪問日:2016年1月17日





今日は、猿猴橋で行われている復元工事について話をさせてもらいました。

ほいじゃあ、またの。

運命の星が生れた(その2)

2016年01月17日 | まんが・テレビ・映画
猿飛佐助

武田勝頼(たけだ かつより)の遺児(いじ)

NHK人形劇『真田十勇士』(さなだじゅうゆうし)






今から40年ほど前、

NHKで放送された人形劇『真田十勇士』

(1975年~1977年。原作:柴田錬三郎。人形:辻村ジュサブロー)

の話じゃ。





前回(「運命の星が生れた(その1)」)は、

真田幸村は、自分の星のまわりに星が10個輝くことで

自分の手足となって働く10人の勇士が現われることをさとった、

という話じゃった。





今回は、『真田十勇士』の主役である

猿飛佐助の誕生について。





実は佐助は、滅亡した武田家

武田勝頼の遺児である

という設定なんじゃ。





その時のいきさつは、次のとおり…。





ときは、天正10年(1582年)早春の、ある宵。

ところは、伊賀山中。





今は亡き武田信玄(たけだ しんげん)の軍師として活躍しとった

山本勘助(やまもと かんすけ)が、

忍者・戸沢白雲斎(とざわ はくうんさい)の草庵を訪ねた。





「織田信長(おだ のぶなが)の手によって、

武田家はもうすぐ滅びる。

その前に身ごもっている武田勝頼夫人だけはお救いしたい」





白雲斎は一度は断るものの、その依頼を引き受け、

伊賀(現:三重県)から

甲斐(現:山梨県)にある天目山(てんもくざん)に追い詰められた

武田勝頼の元に急ぐんじゃ。





…が、時すでに遅く、勝頼は一族郎党とも切腹し、

武田家は滅亡した。





「遅かったか!」





天を仰ぐ白雲斎の目に、

ひとつの流星が空に向かって駆けのぼっていくのが映った。





これこそ、勝頼の子が生まれた証拠に違いないと

陣中に駆け込むと、

そこで木の枝につるされた短冊を見つけた。





黒髪の 乱れたる世ぞ はてしなき

思ひに消ゆる 露の玉の緒






その木の下で果てていたのが勝頼夫人で、

抱き起こしてみると、その下に赤児(あかご)がおった。

白雲斎が抱き上げると、赤児は片手を上げ、夜空を指さすと、

そこには、大きな星のまわりをひとつの小さな星が回っていた。





…同じころ。

この星を見た幸村は

勇士がひとり現われたことを知ったんじゃの。





…さて、赤児を連れて草庵に戻った白雲斎。

山本勘助から、

「この子を一流の忍者として育てあげ、

父の敵である織田信長を討たせたい」

と頼まれるも、

「この子の澄んだ眸子(ひとみ)は優しく、

忍者に向かないのではないか」

と答えた。





と、その時!





満天の星が、にわかにきらめき、光の渦を起こした。

とたん、赤児が、すっと、起き上がって、天を指さした。

「おお! やはり、ただの子ではない」






こうして白雲斎は勘助の依頼を受け、

佐助を立派な忍者に育てることにしたというわけじゃ。





【参考文献】

柴田錬三郎『真田十勇士 巻の一 運命の星が生れた』(日本放送出版協会 1975年)






今日は、NHK人形劇『真田十勇士』で、猿飛佐助は武田勝頼の遺児で、白雲斎の下で忍者として育てられることになったことについて話をさせてもらいました。

ほいじゃあ、またの。

御建神社 東広島市西条町

2016年01月16日 | 見て歩き
御建神社(みたてじんじゃ)

旧村社

東広島市西条町






JR西条駅北口を出てすぐのところに、

旧村社でもある御建神社がある。







参道入口









鳥居







参道の両側には、西条にある酒造会社の旗が立ててある。







参道の右側には手水舎と…、







御建稲荷神社がある。







境内に上る石段の右側には…、







商売繁盛・福の神である

えびす様が彫られた石が埋めてあった。



えびす様は、

事代主命(ことしろぬしのみこと)ともいわれ、

御建神社に祀ってあるんじゃ。







御建神社由緒


祭神として素戔嗚命 事代主命 市杵島姫命等を祀っている。


由緒


慶雲三年(七〇六)諸国に疫病が流行した時、
素戔嗚命に祈り疫病が止んだ事から当時の
人々が社を建てて祀ったのが当社の起りと伝
えられている。もとは西条町字御建に鎮座し
ていたが明治四十三年十月西条町字北の若宮
八幡神社 胡子神社 金崎神社 西条町大地
面の大地面神社及びその境内社を御建神社に
合併し翌年十月に現在地に遷産された。

大正三年十一月の火災の為 神殿が焼失した
が翌年より三年をかけて現在の社に再建され
た。なお当社は旧称を「祇園社四日市次郎丸村
にあり」と記されている。

昭和初年 山城伏見の松尾神社の分霊を境内に
勧請し酒都西条の酒の守護神とした摂本社松尾
神社がある。毎年酒造期の十一月には町内の酒
造家によって厳粛に祭礼が行われている。


例祭 十月十四日

本殿 三間社流造 銅板葺(間口 二間、奥行 三間)

付属社殿 弊殿、拝殿、御供社、手水舎、鳥居

境内地 一三〇〇坪


  宮司 三善 孝昭

  総代代表 石井 泰行


(由緒書きより)






御建神社の旧称・祇園社は、

もとは現在のJR西条駅南側にあった、

素戔嗚命(すさのおのみこと)

牛頭天王(ごずてんのう)

を祭神とする祇園信仰の神社。



素戔嗚命が御建神社に祀られとるんは

そのためじゃろうの。



牛頭天王は、釈迦(シャカ)の生誕地にちなむ

祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神で、

疫病払いの神でもあるんじゃ。





四日市次郎丸村(よつかいちじろうまるむら)は、

現在の東広島市西条あたり。



四日市といえば、江戸時代、

西国街道(旧山陽道)最大の宿駅「四日市宿(よつかいちじゅく)」

として有名じゃった。







拝殿





訪問したのが年末(2015年12月30日)ということもあって、

新年の準備中。









拝殿には酒造会社の酒樽が奉納してあった。









境内の入口には、

阿形(あぎょう。写真上)

吽形(うんぎょう。写真下)とも

玉乗りで、子持ちの狛犬がある。



台座には、今から162年前の

嘉永七年(1854年)の銘が。







拝殿の左奥には、酒都(しゅと)・西条の酒の守護神

松尾神社がある。





↓松尾神社についての関連記事は、こちら↓

松尾神社 東広島市西条町







拝殿の右奥には…、







駆逐艦「深雪(みゆき)」の絵馬が奉納されてあった。



深雪は、横須賀市の浦賀船渠(うらがせんきょ)で建造され、

1929年(昭和4年)に竣工した駆逐艦。



竣工から5年後の1934年(昭和9年)、

済州島(チェジュとう、さいしゅうとう)南方で演習中、

駆逐艦「電(いなづま)」が右舷中央部に衝突し、

その場で沈没したそうじゃ。







御建神社の西側にあるのが、

御建公園野球場。



ここは1914年(大正3年)、

乗馬を行うための土地である馬場(ばば)として造成され、

秋季大祭には近郊の農耕馬が集い、健脚を競ったという。



また、盆踊り大会や大相撲の地方巡業も行われたことがあるそうじゃ。





↓御建公園野球場については、こちら↓

「御建公園野球場」東広島市公式ホームページ





訪問日:2015年12月30日





【参考文献】

下中邦彦/編『日本歴史地名大系第35巻 広島県の地名』(平凡社 1982年)

東広島市郷土史研究会『西條四日市 町並写真集』(2012年)






今日は、JR西条駅北側にある御建神社について話をさせてもらいました。

ほいじゃあ、またの。

運命の星が生れた(その1)

2016年01月15日 | まんが・テレビ・映画
真田幸村

星の導き

NHK人形劇『真田十勇士』(さなだじゅうゆうし)






今から40年ほど前、

NHKで放送された人形劇『真田十勇士』

(1975年~1977年。原作:柴田錬三郎。人形:辻村ジュサブロー)

の話じゃ。





ときは、天正10年(1582年)早春の、ある宵。

ところは、信州上田城(しんしゅう うえだじょう)。





城主・真田安房守昌幸(さなだ あわのかみ まさゆき)は、

嫡男(ちゃくなん)・幸村(ゆきむら)をともなって

本丸の望楼(ぼうろう。遠くを見るために立てたやぐら)

から夜空を仰いでおった。





このとき、幸村は15歳、

元服したばかりじゃったんじゃの。





昌幸が、ある星を指さすと、

その星はにわかに輝きを増した。





「十五年前の今日、お前が、生まれたこの時刻に、あの星も現れた。

あの星が、地上を白昼にするほど光を増したならば、

その時こそ、お前は智能をふりしぼって目ざましい働きをするであろう。

そして、あの星が消えたとき、

お前がこの世ではたすつとめもまた終わる」






昌幸がそう語ったとき、

星のまわりに10個の流星が飛んできて、

ゆるやかに回ったあと、消えていった。





「父上、どうやら、この幸村が、智能をふりしぼって働く時、

わたくしの手足となって働いていてくれる秀(すぐ)れた家来が、

十人、現れましょう」






このことから、幸村は

自分の股肱(ここう。主君の手足となって働く、最も頼りになる家来)

となって働く勇士が10人現われることをさとったんじゃの。





幸村は後日、勇士のひとり

猿飛佐助(さるとび さすけ)が生まれたことも

自分の星のそばに小さな星があらわれたことで知った。





そう、『真田十勇士』の主役である猿飛佐助は、

その誕生から書かれてあるんじゃが、

佐助の誕生の、意外ないきさつとは…?





…というわけで、

次回「運命の星が生れた(その2)」

乞うご期待!





【参考文献】

柴田錬三郎『真田十勇士 巻の一 運命の星が生れた』(日本放送出版協会 1975年)






今日は、NHK人形劇『真田十勇士』で、幸村が星によって自分の下に10人の勇士が現われることを知ったことについて話をさせてもらいました。

ほいじゃあ、またの。