猿猴橋復元工事
被爆70年事業
えんこうさん
↓前回記事は、こちら↓
猿猴橋復元工事(その30)
↓猿猴橋復元工事については、こちら↓
「猿猴橋復元事業について」広島市ホームページ
↓猿猴橋については、こちら↓
猿猴橋復元の会
昔の姿を忘れかね、
その復元を願う声がよく聞かれる。
(「猿猴橋」『広島県大百科事典』中国新聞社 1982年)
広島出身の画家で、『広島百橋』の著作もある
故・四國五郎(しこく ごろう)さんが書かれた一文である。
江戸時代に架けられた猿猴橋(えんこうばし)は、
今から90年前の1926年(大正15年)、
それまでの木橋から、鉄筋コンクリート橋に架け替えられた。
その橋の上には、ブロンズの地球の上に
鷲が羽を広げた像のある親柱や飾り電灯、
そして、2匹の猿が桃をささげている像のある手すりが取り付けられ、
「広島一の豪華橋」と称されたという。
それが、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)に出された
「金属類回収令」によって、
橋にあった金属の装飾部分はすべて供出されてしもうたんじゃ。
そのあたりの経緯(いきさつ)から、
「昔の姿を忘れかね、
その復元を願う声がよく聞かれる。」
という一文が書かれた(と思う)。
その猿猴橋が、戦後70年たってようやく
在りし日の姿に復元された。
そして昨日、3月28日(月)は、
新しくなった猿猴橋の復元完成記念イベント
「えんこうさん」が行われたんじゃ。
「えんこうさん」は仕事で見に行くことはできんかったが、
仕事帰りに立ち寄ってみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/24/5156b14aca0b2de37f04c8db2c5bea02.jpg)
猿猴橋(えんこうばし)を西側から見たところ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/a6/36c1737e9d78e0dc90e1f64df6cc717c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/67/3a31cb35407d6c5c9ce12fce5fbbd101.jpg)
川上側にある歩道は、こんな感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/77/a4b815dc8570bae1bc8c7d31bba73b9e.jpg)
そして欄干には、橋の名前にちなんで、
2匹の猿が1個の桃をつかんだ金属の飾りも取り付けてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/9f/beb19c64d343ea572723e826e9617a3d.jpg)
その欄干を、橋の東・川上側から見たところ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/1a/06304cb1685304ade47ae9828064f6e8.jpg)
猿猴橋を東側から見たところ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/f0/6b2605326b6a26d99d7349c4b45eedb4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/6a/31b51252b352a0e2181d2c7a231d60b7.jpg)
咲き始めの桜がピンク色で、きれいじゃった。
今週末くらいは、このあたりの桜も満開じゃろうの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/13/182119a5d1be31ed1ecb758a75fa9d00.jpg)
川上にある駅前大橋から見た猿猴橋。
今の猿猴橋が架けられた1926年当時、
広島の街は今よりも、もっともっと暗かったはずじゃ。
その中で、このくらい明るく照らされていた(はずの)猿猴橋。
「広島一の豪華橋」と称されたというのも
分かるような気がするのう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/df/747df7c07cd982d968018d6b44e36df8.jpg)
橋の奥、画面中央に高くそびえる
広島駅前Bブロック西棟・シティタワー広島。
こちらは今年の6月に完成予定じゃ。
訪問日:2016年3月28日
今日は、猿猴橋で行われている復元工事も終わり、
完成記念イベント「えんこうさん」が行われたあとの様子
について話をさせてもらいました。
このシリーズは、もう1回、
今度は、昼間の写真を掲載して終わりにしようと思うとります。
どうかお付き合いください。
ほいじゃあ、またの。
被爆70年事業
えんこうさん
↓前回記事は、こちら↓
猿猴橋復元工事(その30)
↓猿猴橋復元工事については、こちら↓
「猿猴橋復元事業について」広島市ホームページ
↓猿猴橋については、こちら↓
猿猴橋復元の会
昔の姿を忘れかね、
その復元を願う声がよく聞かれる。
(「猿猴橋」『広島県大百科事典』中国新聞社 1982年)
広島出身の画家で、『広島百橋』の著作もある
故・四國五郎(しこく ごろう)さんが書かれた一文である。
江戸時代に架けられた猿猴橋(えんこうばし)は、
今から90年前の1926年(大正15年)、
それまでの木橋から、鉄筋コンクリート橋に架け替えられた。
その橋の上には、ブロンズの地球の上に
鷲が羽を広げた像のある親柱や飾り電灯、
そして、2匹の猿が桃をささげている像のある手すりが取り付けられ、
「広島一の豪華橋」と称されたという。
それが、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)に出された
「金属類回収令」によって、
橋にあった金属の装飾部分はすべて供出されてしもうたんじゃ。
そのあたりの経緯(いきさつ)から、
「昔の姿を忘れかね、
その復元を願う声がよく聞かれる。」
という一文が書かれた(と思う)。
その猿猴橋が、戦後70年たってようやく
在りし日の姿に復元された。
そして昨日、3月28日(月)は、
新しくなった猿猴橋の復元完成記念イベント
「えんこうさん」が行われたんじゃ。
「えんこうさん」は仕事で見に行くことはできんかったが、
仕事帰りに立ち寄ってみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/24/5156b14aca0b2de37f04c8db2c5bea02.jpg)
猿猴橋(えんこうばし)を西側から見たところ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/a6/36c1737e9d78e0dc90e1f64df6cc717c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/67/3a31cb35407d6c5c9ce12fce5fbbd101.jpg)
川上側にある歩道は、こんな感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/77/a4b815dc8570bae1bc8c7d31bba73b9e.jpg)
そして欄干には、橋の名前にちなんで、
2匹の猿が1個の桃をつかんだ金属の飾りも取り付けてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/9f/beb19c64d343ea572723e826e9617a3d.jpg)
その欄干を、橋の東・川上側から見たところ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/1a/06304cb1685304ade47ae9828064f6e8.jpg)
猿猴橋を東側から見たところ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/f0/6b2605326b6a26d99d7349c4b45eedb4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/6a/31b51252b352a0e2181d2c7a231d60b7.jpg)
咲き始めの桜がピンク色で、きれいじゃった。
今週末くらいは、このあたりの桜も満開じゃろうの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/13/182119a5d1be31ed1ecb758a75fa9d00.jpg)
川上にある駅前大橋から見た猿猴橋。
今の猿猴橋が架けられた1926年当時、
広島の街は今よりも、もっともっと暗かったはずじゃ。
その中で、このくらい明るく照らされていた(はずの)猿猴橋。
「広島一の豪華橋」と称されたというのも
分かるような気がするのう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/df/747df7c07cd982d968018d6b44e36df8.jpg)
橋の奥、画面中央に高くそびえる
広島駅前Bブロック西棟・シティタワー広島。
こちらは今年の6月に完成予定じゃ。
訪問日:2016年3月28日
今日は、猿猴橋で行われている復元工事も終わり、
完成記念イベント「えんこうさん」が行われたあとの様子
について話をさせてもらいました。
このシリーズは、もう1回、
今度は、昼間の写真を掲載して終わりにしようと思うとります。
どうかお付き合いください。
ほいじゃあ、またの。