通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

カープ優勝記念ラッピング電車2017 広島市内を走る!

2017年10月22日 | 広島の話題
「プロ野球・広島東洋カープは2017年9月18日、対阪神戦(甲子園)に3対2で勝って8回目のセ・リーグ優勝を決めました」

「おめでとうございます! …って、もう1ヶ月前の話になるんじゃのう」

「今は、クライマックスシリーズのファイナルステージの真っ最中!」

「カープは初戦こそ3対0で勝ったものの、第2戦・第3戦目とDeNAに負けてしもうた」

「初戦の勝利で波に乗って、カープ快進撃! と思うたんじゃけど…」

「あと一本が出んし、4番に座った松山・バティスタが打てんのよのう、これが」

「5番なら打てるのにね」

「あぁ、はぐいい(=はがゆい)!!」

「この様子じゃ、今日の第4戦も中止じゃろうね」

「カープファンの友人が第4戦のチケットを持っとるんじゃが、昨日も今日も中止となったら、明日観に行くことになるんじゃ」

「なんで?」

「説明しとくと…、本当なら、昨日は第4戦が行われて、第4戦のチケットを持った人が観戦した。今日は第5戦が行われて、第5戦のチケットを持った人が観戦できるはずじゃった」

「うん」

「ほいじゃが、昨日は試合が中止になって第4戦が行われとらんけぇ、今日の試合が第4戦になる」

「今日の試合は第5戦じゃのうて第4戦になるけぇ、第4戦のチケットを持った人が観戦できる、ということか」

「そういうこと。第5戦以降のチケットもそれぞれ後日にずれ込んでしまうんじゃ」

「…前置きが長くなってしまいました」

「おぉ、今日は広島電鉄のカープ優勝記念ラッピング電車の話じゃった」

「広島電鉄では、優勝が決まった翌翌日の9月20日から、1号線(広島駅~紙屋町東~広島港)でカープ優勝記念ラッピング電車の運行をしよってんじゃね」

「今回は広島市内を走るカープ優勝記念ラッピング電車を追いかけてみました」





↓優勝記念カープラッピング電車については、こちら↓

「広島東洋カープ セ・リーグ優勝企画」広島電鉄







広島駅







立町電停付近







袋町電停付近




















「近くから見ると、打って投げるカープ坊やが描いてあるんじゃね」







宇品海岸1丁目10番交差点







荒神三叉路






↓カープ優勝記念ラッピング電車(2016年)についての関連記事は、こちら↓

カープ優勝記念ラッピング電車 広島市内を走る!





撮影日:2017年10月1・9・12日






「今日は、広島電鉄のカープ優勝記念ラッピング電車について話をさせてもらいました」

「今日、10月22日は第48回衆院選挙が行われます」

「超大型の台風21号が接近していますが、投票に行きましょうね」

「「この人は!」といえる意中の候補者がおらんでも、A候補(A党)よりもB候補(B党)の方がまだましかの、ぐらいで選んでもええんじゃないんかの。棄権はせんようにしましょうで。ほいじゃあ、またの」
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ソロ活動35年 和太鼓奏者・林 英哲さん

2017年10月15日 | 音楽
「日曜の朝9時から放送されていた音楽番組『題名のない音楽会』(テレビ朝日。以下、『題名のない』と略す)が、10月から土曜朝7時30分からの放送(広島ホームテレビ)になった」

「7時30分いう時間は、我が家にとってはちょうどええ(=いい)時間じゃ」

「朝食をとったあと、『題名のない』、NHKの連続テレビ小説と続けて楽しむことができるけぇね」

「昨日の『題名のない』に出演されたのは、広島県出身の和太鼓奏者・林 英哲(はやし えいてつ)さん」

「え!? 広島県出身…?」

「林さんは2013年4月、庄原市から市民栄誉賞を受けとらとってんじゃ」

「そりゃ知らんかった」





↓林 英哲さんについては、こちら↓

林 英哲 オフィシャルサイト





「林さんは、1971年太鼓集団「佐渡・鬼太鼓座(おんでこざ)」に創設メンバーとして参加、1982年に太鼓独奏者として活動開始。1984年にはカーネギー・ホールで初公演をされとってんじゃね」

「今年で65歳。そしてソロになって35年」

「65歳にしてあの筋肉は、すごい!」

「太鼓を叩くには、あのくらい鍛えとかんといけんのじゃろ」

「『題名のない』では3曲を披露され、1曲目は独奏「三つ舞」」

「団扇(うちわ)太鼓、桶締(おけしめ)太鼓、締(しめ)太鼓、長胴(ながどう)太鼓の4つの太鼓を、鳴り物の鐘を含めて一人で叩かれとったのう」

「太鼓にいろんな種類があるのは知っとるけど、名前までは知らんかったね」

「2曲目はヴィターリの「シャコンヌ」」

「パイプオルガン、バイオリンに太鼓という組み合わせは初めて見た。バイオリンと太鼓、上にパイプオルガンと、音が天に届くような感じがしたよ」

「パイプオルガンといえば、『題名のない』を観た後、映画『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第三章・純愛篇』を観に行ってきた。この映画については、また後日…」

「おぉ、あの荘厳なテーマ曲が流れるやつじゃね」

「映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(1978年)の「白色彗星」という曲で、わしがパイプオルガンという楽器を知ることになった曲でもあるのう」

「あと、太鼓に対して真正面に立ってまっすぐに叩く「正対(せいたい)構え」という奏法は林さんが考案したらしいよ」

「ふつうは、太鼓の横に立って叩くよのう」

「正面から叩くことで、お客様に音がダイレクトに伝わるって言われとったね」

「最後、3曲目は「海の豊饒(ほうじょう)」。この曲は、広島県の尾道と愛媛県の今治を結ぶしまなみ海道の全通(2006年)を記念して作った曲じゃそうな」

「英哲風雲の会いう若手太鼓奏者とアンサンブルをされて、文字どおり一糸乱れぬ合奏じゃったね」

「林さんを入れて5人が舞台の上に並ばれたんじゃが、5人の身長がほとんど同じっていうのが、なんか不思議な感じじゃったのう」





↓『題名のない音楽会』については、こちら↓

「題名のない音楽会」テレビ朝日





「林さんといえば、宇崎竜童(うざき りゅうどう)さんと組んだ竜童組(1985年~90年)も有名じゃね」

「月曜の夜『夜はタマたマ男だけ!!』(1985年、フジテレビ)という宇崎さんがMCを務めた番組があって、そこで毎回、竜童組が演奏をされとったんじゃ」

「えぇー、そんな番組があったん?」

「あったんじゃ。トークあり歌ありなんてテレビ番組、今は作ってもらえんじゃろうがのう…」

「1985年いうたら林さんがソロ活動をされよったころじゃけぇ、番組に参加できんこともあったんじゃない?」

「そういうときは、林さんの代わりに宇崎さんが、さっき紹介した「正対構え」で太鼓を叩かれたんじゃ」

「へぇ」

「太鼓よりも、ギタリストじゃとばっかり思っとった宇崎さんが、トランペットを吹かれたのには驚いた」

「宇崎さんは学生時代、ブラスバンド部でトランペットを吹いとられたんよ」

「うーん、そりゃ知らんかったのう」

「そういや、なんで竜童組なんていう、邦楽洋楽ごちゃ混ぜのバンドというか、ユニットができたんかね?」

「林さんと宇崎さんはアニメ映画『カムイの剣』(1985年。監督:りんたろう)の音楽監督を務めることになった。この映画は、わしの中ではアニメ映画ベスト10に入る作品でもある」

「へぇ」

「さっき「邦楽洋楽ごちゃ混ぜ」っていうたが、ロックンロールに和太鼓、そしてバリ島の「ケチャ」をクロスオーバーさせた音楽が、映像にシンクロする形でつけられとって、それが最高にかっこえかったんじゃ」

「そこがふたりの接点じゃったんか」

「ここから発展する形で作られたのが、竜童組。余談じゃが、映画の中で監督のりんさんと、林さん宇崎さんは、「松前三人衆」という3人組の忍びを、それぞれに演じられとってんじゃ」







映画『カムイの剣』のパンフレット





↓竜童組の演奏については、こちら↓

「ザ・カムイ/THE KAMUI 1986」





「今日は、ソロ活動から35年を迎える、広島県出身の和太鼓奏者・林 英哲さんについて話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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広島から世界へ

2017年10月09日 | 広島の話題
「10月4日から15日まで、広島県立美術館の県民ギャラリーで「広島から世界へ-移住の歴史と日系人の暮らし-」を開催中なので見に行ってきた」





↓「広島から世界へ-移住の歴史と日系人の暮らし-」については、こちら↓

「県民ギャラリー 2017年10月の展覧会開催スケジュール」広島県立美術館





「移民として海外に出て行った人は、広島県が一番多いんよね」

「戦前戦後を通じて10万9,893人と、全国第1位の移民送出県なんじゃ。ちなみに2位は沖縄県で約9万人、3位が熊本県の約7万7,000人じゃそうな」

「その県の出身者で構成する県人会いうのがあるけど、移民して行った先にも広島県人会ってあるんじゃろか?」

「ハワイや南北アメリカなど、海外に全部で28もの広島県人会があって、今でも交流を続けられとるそうじゃ」

「28!? そりゃすごい!」





きんさい きんさい ハワイにきんさい

わしらは みんな ヒロシマじゃけん

(『うわさのカム・トゥ・ハワイ』作詞:小林克也)






「移民の話をするには、ハワイの話から始めんといけんの」

「この歌を歌(うと)うとる小林克也さんも、広島県の福山市出身じゃもんね」

「1885年、明治18年に日本とハワイ王国のあいだで移民条約が結ばれた」

「ハワイ王国って、あのカメハメハ大王が治めとった?」

「そう。このころはまだアメリカの一部じゃのうて、カメハメハ大王による独立国家じゃった」

「えぇ!? ほんまにカメハメハ大王が治めとったん?」

「カメハメハ1世は1810年、ハワイ諸島を統一してハワイ王国を建国したんじゃ」

「うーん、歌の世界の話じゃとばかり思うとったけど、ほんまにあったんじゃ…」

「1894年、民間に委託されるまで、日本政府が斡旋する官約移民が26回行われ、約3万人がハワイへ渡ったんじゃが、そのうちの4割近くが広島県人じゃったそうな」

「4割かぁ。そりゃ広島弁が標準語になるはずよ」

「仕事の内容としては3年間、サトウキビ耕地で働くんじゃが、男性が1ヶ月働いて食費込みで15ドル、約15円になったそうじゃ」

「15円っていわれても全然、ピンとこんけど…」

「そのころ、大工の日給が20銭(せん。円の100分の1)以下じゃったそうな。単純に日給20銭で月30日働いたとして…、

 20銭×30日=600銭=6円

これが正確な数字かどうかはさておいて、日本で仕事をするより2.5倍くらい儲けることができたというわけじゃ」

「へぇ」

「そのハワイ王国も1898年、アメリカに併合されたことで民間業者による移民は中止。その後は、アメリカ本土への移民が増えたんじゃの」

「アメリカへの移民が増えたいうて、アメリカでは日本人排斥運動があったんじゃなかった?」

「順番に話をしていくと…。1905年、日本とロシアの間で行われた日露戦争で、日本が勝利した」

「日露戦争は、NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』で観たよ。日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を破った日本海海戦はすごかったね」

「この戦いで、黄色人種の東洋人である日本が、西洋人であるロシア人に勝利した。これによって、以前からくすぶっていた黄禍論、黄色人種を脅威ととらえる考え方が西洋社会を席巻したんじゃ」

「うーん。人種差別かぁ」

「1908年、日米間で紳士協定が結ばれ、日本人の移民制限が始まった。1924年、いわゆる排日移民法が成立して、日本人の移民が全面的に禁止された」

「移民を送り出しよった広島県としては、何かしちゃったん?」

「この法案に反対する県民大会を開催されたそうじゃ」

「で、海外に移民したいと思うとった人たちは、泣き寝入りをするしかなかったんかね?」

「ハワイがダメ、アメリカがダメとなったら、次はブラジル」

「おぉ、ブラジルがあったか!」

「ブラジルへは出稼ぎじゃのうて、家族ぐるみの永住定着が推奨されて、渡航費の補助も行われたそうじゃ」

「ほぉ」

「移民会社の作ったマッチには、「ブラジル行ハ船賃無料(返金ノ要ナシ)」と書かれとった」

「日本から見ると、地球の裏側にあるブラジルまで渡航費がタダいうのは魅力的じゃね」

「1941年、真珠湾攻撃によって日米間で開戦。日系人社会の主だった人々が逮捕された」

「収容所に送られたんよね」

「学校は閉鎖され、新聞も廃刊、帰国船で日本に戻る人もおられた。二世たちの中にはアメリカに忠誠心を見せるため、軍隊に志願する人もおられた。このあたりのことは、稿を改めて取り上げる予定じゃ」

「…で、戦争が終わり、アメリカを含む連合軍が勝ち、日本は負けました」

「戦後の1948年、ハワイ在住の日本人を中心に広島戦災難民救済会が結成され、1950年までの2年間で11万ドルものお金が日本に送られてきた」

「おぉ!」

「もちろん、ハワイからだけじゃのうて、アメリカ、ブラジル、ペルーなど、日本人が移民して行った先から故郷の復興のためにお金を送ってこられたんじゃ」

「こうした移民先から送られてきたお金で、戦後の広島の、日本の復興が支えられとるんじゃね」





「今日は、「広島から世界へ」ということで、広島から世界各地への移民について話をさせてもらいました」

「アメリカへの忠誠心を証明するため第二次大戦に参戦した二世たち、戦後、プロ野球・広島カープに加わった選手については、稿を改めて紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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こんな停留場名、知ってる?

2017年10月09日 | 広島の話題
「福岡県にあるテーマパーク・スペースワールドが、2017年12月末をもって閉園するじゃろ」

「スペースワールドいうたら、子どもたちが修学旅行で行ったところ。閉園するのはもったいないね」

「その最寄りの駅、JR鹿児島線の「スペースワールド駅」という駅名をどうするか? という記事が出とった」





↓スペースワールド駅については、こちら↓

「閉園で駅名はどうなる? スペースワールド駅」西日本新聞





「うちゃ、名前は変えた方がええと思うけど、やっぱりお金がかかることじゃけぇ難しいところもあるね」

「記事の中に、「他県の事例を探すと、施設がなくなっても名前は残る“名残駅”は多数、存在するようだ。」と書いてあった」

「名残駅って、イルカさんの歌う「なごり雪」みたい。

♪汽車を待つ君の横で 僕は時計を気にしてる~(作詞・作曲:伊勢正三)」

「そこで今回は、広島電鉄の市内電車の停留場名で、名前が変わったものを調べてみた」

「施設や学校がなくなったり、移転したことで名前が変わった停留場名を調べてみました。地名が変わったことによる変更は含めていませんので、あしからずご了承ください」





↓広島電鉄の路線図については、こちら↓

「電車情報:電車路線図」広島電鉄





「調べてみると宇品線(うじなせん)に多かったので、そこから紹介していこうかの」

「宇品線は、広島市の中心部・紙屋町(かみやちょう)から鯉城(りじょう)通り・千田通り・宇品通りを通って広島港を結ぶ路線です」





■中電前

「開業当初(1912年)は、西塔川(せいとうがわ)に架かる西塔橋(せいとうばし)という橋にちなんで、「西塔橋」という名前でした。…広島に西塔川って川があったっけ?」

「西塔川は天然の川じゃのうて、今から400年ほど前、広島城を築城するときに物資を運ぶのに作られた運河じゃった」

「へぇ」

「そこを埋め立てて作られたのが、今の鯉城通りじゃ」

「鯉城いうのは広島城の別名で、鯉=カープから、プロ野球・広島カープの名前もここからきとるんよ」

「市内電車自体が一部、広島城の堀を埋め立てたところを通っとるけぇの。余談じゃが、「鷹野橋(たかのばし)」も西塔川に架かっとった橋の名前からきとるんじゃ」

「1919年ごろ、「西塔橋」から「白神前」と名前を変えました。「白神」いうのは、NHK『ブラタモリ』でも紹介された、あの白神社(しらかみしゃ)」

「江戸時代よりも前、今の広島の街のほとんどは海の中じゃった」

「江戸時代から昭和にかけて、埋め立てたり干拓したりして、広島の街が作られていったんよね」

「ここには海の中に岩礁があって、その岩の上に白い紙を立てて船がぶつからないよう目印にした。そこから白神(紙)社という名前がついたということじゃ」

「…で、戦後「白神社前」になったあとの1971年、今の「中電前」という名前になりました」





■市役所前

「最初は「真菰橋(まこもばし)」という名前でした。真菰橋って、さっき出た西塔橋や鷹野橋と同じように西塔川に架かっていた橋のこと?」

「そのとおり。このあたりも真菰町と呼ばれとったんじゃが、1919年、町名変更で真菰町から国泰寺町に変わったんじゃ」

「真菰町から国泰寺町に変わったら、停留場の名前も変わった?」

「「真菰橋」から「公会堂前」に変わったんじゃの」

「広島市の公会堂って、この辺にあったん?」

「公会堂はこのころ、今の中区役所があるあたりにあったそうじゃ」

「今の広島市公会堂、広島国際会議場は、広島平和記念資料館の西側にあるね」

「戦後、1946年に「市役所前」と名前が変わったんじゃの」

「市役所はいつごろできたん?」

「1929年、広島市は仁保村・矢賀村・牛田村・三篠町・己斐町・古田村・草津町の隣接7か町村と合併。これで人口27万人、全国で7番目の市になった」

「へぇ」

「すると中島新町にあった旧庁舎では手狭になるので、1928年、今の場所に移ってきたそうじゃ」





■日赤病院前

「最初は「高等師範前」という名前でした。「師範」いうたら「先生」のこと」

「1902年に設置された広島高等師範学校(現:広島大学)は、東の東京高等師範学校(現:筑波大学)に対して「教育の西の総本山」と呼ばれる存在じゃったそうな」

「学校の名前が変わるのに合わせて、「大学前」(1936年ころ?)、「広島大学前」(1964年)と名前を変えていきました」

「1980年~90年にかけて広島大学が東広島市へ移転したのに伴って、2001年、今の「日赤病院前」という名前になったんじゃ」

「日赤病院(広島赤十字・原爆病院)は、戦前からこの場所にあったんよね」

「1939年、日本赤十字社広島支部病院として開院。1945年8月6日、原子爆弾が投下された後、調査団が広島を訪れた。彼らは病院にあったレントゲンフィルムが感光していたことで、使われた爆弾が原子爆弾であると断定したんじゃ」





■皆実町六丁目

「1935年、新線に移設されたときの名前が「皆実町(みなみまち)」でした」

「こうの史代さんの漫画『夕凪の街 桜の国』に出てくる平野皆実(ひらの みなみ)の「皆実」は、ここの町名からとられとるんじゃの」

「戦後に「専売局前」、「専売公社前」(1949年ごろ)と名前が変わりました」

「タバコを製造する専売局が、もとは段原にあったんじゃが、1922年、ここに工場を建てて操業を始めたんじゃ」

「むかしは専売公社、今の日本たばこ産業(JT)の工場があったね」

「広島の専売公社といえば、男子バレーボール部「専売広島」が強かった」

「今のJTサンダーズじゃね」

「ここには、世界一のセッターといわれた猫田勝敏にちなんだ猫田記念体育館があるんじゃの」

「工場が閉鎖になったあとの2008年、跡地にゆめタウン広島が開店したんよ」

「「専売公社前」の後、「皆実町三丁目」(1962年ごろ)と名前が変わって、1971年ごろ今の「皆実町六丁目」と名前を変えたんじゃ」

「そういや、広島電鉄の家政女学校があったのも、このあたりじゃったよね」

「家政女学校は太平洋戦争中、運転士や車掌さんたちが動員されて人手が足りなくなったとき、女子の乗務員を育成することを目的として作られた女学校じゃった」

「終戦後、運転士たちが復員してきたことで、1945年9月をもって廃校となりました」

「余談じゃが、わしは小学2年までこの近くに住んどったんじゃの」





■県病院前

「最初は「広陵中学前」という名前でした。広陵中学って、今の広陵高校のこと?」

「ほうじゃの。今のみゆきプラザがあるあたりにあったんじゃ。わしが小(こ)まいころ、親父に連れられて野球部の練習を見に行った記憶があるで」

「広陵高校いうたら今年(2017年)、夏の甲子園に出場して準優勝じゃったね」

「中村奨成選手が1大会で6本のホームランを打って、あのPL学園・清原和博選手の記録を破ったのは記憶に新しいのう」

「中村くんはプロ志望を出したし、今年のドラフト会議(10月26日)が楽しみじゃね」

「1973年、広陵高校が今の安佐南区に移転したのに伴って、1948年から今の「県病院前」に名前を変えたんじゃ」

「県病院(県立広島病院)はいつごろできたん?」

「1877年、公立広島病院として開院。このころは加古町、今の広島市文化交流会館があるあたりにあった」

「加古町には県庁もあったよね」

「近くに市役所が置かれたり、監獄(刑務所)があったりして、加古町は広島の行政の中心地でもあったんじゃ」

「へぇ」

「1945年8月6日、原子爆弾が投下されたとき、県庁ともども全焼・全壊。戦後の1948年、県病院は今の場所に移転したんじゃ」

「県庁は1956年、今の場所に移転したんじゃね」

「余談じゃが、この県病院でわしゃ産まれたんじゃの」





■宇品二丁目

「最初は「女専前」という名前でした。女専ってなに?」

「女専いうのは広島女子専門学校(現:県立広島大学)のことで、1928年に設置されたんじゃ」

「その後、学校の名前が変わるのに合わせて「女子大前」(1950年ころ)になったんじゃね」

「1968年から、今の「宇品二丁目」に名前を変えたんじゃの」





「こうやってみると、「高等師範」「広陵中学」「女専」と学校に関係する名前が多かったね」

「続いては、江波(えば)線にある舟入南町じゃ」

「江波線は、土橋(どばし)から江波を結ぶ路線です」





■舟入南町

「1944年に開業したときは、今と同じく「舟入南町」という名前でした」

「終戦後の1947年、江波線が運転を再開したとき、「江波口」と名前を変えたんじゃ」

「江波口って、江波の入り口のような名前じゃけど?」

「このとき、江波までは開通しとらんかったんよ」

「江波線なのに、江波まで通っとらんかったん?」

「江波線自体が、三菱重工業の広島造船所への通勤を目的として、軍の要請で1943年に開業したもんなんじゃ」

「戦争も終わりころじゃったけぇ、電車を通すだけの余裕がなかったと…」

「そのとおり。江波まで延長されたんは戦後、1954年なってから。で、このころ「グランド口」と名前が変わったそうじゃ」

「グランド口? …近くに大きなグランドがあったっけ?」

「ここから天満川を渡って、西に向かって1キロくらい歩いて行くと総合グランド(現:コカ・コーラウエスト広島総合グランド)があるじゃろ?」

「1キロって、そんなに遠いのに…?」

「このころはここが最寄りの駅じゃったんかもしれんの」

「広島カープも球団創設当時(1950年)から旧市民球場(1957年)ができるまでは、このグランドを本拠地に使いよったね」

「1960年、元の「舟入南町」という名前に戻ったんじゃの」





「最後は、ここ。やっぱりここは外しちゃいけんじゃろ」

「世界遺産のひとつ、原爆ドーム前じゃね」





■原爆ドーム前

「1912年、紙屋町から己斐(こい)まで開通したときは、「櫓下(やぐらのした)」という名前でした。…櫓ってなに?」

「城の中にあって、物見をしたり、武器を保存していた場所で、広島城には88基の櫓があったといわれとるんじゃ」

「ということは、このあたりも広島城の一部じゃったん?」

「ここには広島城の南側の外堀があって、そこを埋め立てて市内電車を走らせた。今の相生通りじゃの」

「おぉ、広島城ってこんなに広かったんかぁ」

「広島城を中心に約1キロメートル四方の広さがあったそうじゃ」

「へぇ」

「櫓下には変電所があって、ここから路面電車に電気を供給しとったんじゃ」

「1929年ごろ、「相生橋」と名前を変えます」

「今の平和公園があるあたり、中島本町は広島一の繁華街じゃった」

「映画『この世界の片隅に』で、すずさんがお使いで海苔を届けに行ったのが、年末大売り出しでにぎやかな中島本町じゃったね」

「その北にあって、太田川が元安川と本川に分かれるあたりは「慈仙寺(じせんじ)の鼻」と呼ばれとった。1878年、元安川、本川、それぞれに橋を架けたのが相生橋の始まり」

「橋が2本あった…」

「そのとおり。今のような太田川をまたぐ1本の橋は1912年、広電の市内電車が開通したときに電車軌道専用橋として作られたんじゃ」

「…人が歩く2本の橋と、電車が通る1本の橋とが、並ぶように架かっとったんじゃね」

「1932年、電車軌道専用橋を道路・軌道の併用橋に架け直した。1934年、この併用橋から慈仙寺鼻に向かって橋を架けたんじゃ」

「これで「H字型」の橋になった」

「1940年、最初に架けられた2本が撤去されて、今の「T字型」の橋になった」

「T字型の橋は上空からも目立つけぇ、広島への原子爆弾投下のとき、この橋が目標になったんよ」

「相生橋の東詰、元安川の左岸にあった広島県産業奨励館は、爆心地から約150メートルという距離にあったが、奇跡的に倒壊を免れた」

「この建物が戦後、原爆ドームと呼ばれるようになったんよね」

「原爆ドームについては、記念物として残す、被爆の悲惨な思い出につながるので取り壊す、という2つの考え方があったんじゃの」

「1955年、広島平和記念公園が完成したね」

「広島平和記念公園は、原爆ドーム・原爆死没者慰霊碑・広島平和記念資料館の3つが、北から南に向かって一直線上に位置するよう設計されとったんじゃ」

「1966年、広島市議会が原爆ドームを永久保存することを決議」

「翌1967年、1回目の保存工事が行われ、その後、定期的に補修工事が行われとるんじゃの」

「1974年、原爆ドームと広島平和記念公園を訪れる人々への案内のため、「相生橋」から「原爆ドーム前」と名前を変えました」





【参考文献】

長船友則『広電が走る街今昔』JTBパブリッシング、2005年






「今日は、「こんな停留場名、知ってる?」ということで、広島電鉄の市内電車の停留場名で名前が変わったものを調べてみました」

「ほいじゃあ、またの」


====================================


広島電鉄市内電車、停留場名の変遷

西塔橋→白神前→白神社前→中電前

真菰橋→公会堂前→市役所前

高等師範前→大学前→広島大学前→日赤病院前

皆実町→専売局前→専売公社前→皆実町三丁目→皆実町六丁目

広陵中学前→県病院前

女専前→女子大前→宇品二丁目

舟入南町→江波口→グランド口→舟入南町

櫓下→相生橋→原爆ドーム前

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カープ優勝記念花電車2017 広島市内を走る!

2017年10月02日 | 広島の話題
「プロ野球・広島東洋カープは2017年9月18日、対阪神戦(甲子園)に3対2で勝って8回目のセ・リーグ優勝を決めました。2連覇は、1979年、80年以来37年ぶり2度目なんじゃの」

「カープの二軍は9月26日、対阪神戦(鳴尾浜)に7対6で勝って1991年以来、26年ぶり9度目の優勝を決めました。1軍との同時優勝は26年ぶり2度目になるそうです」

「おめでとうございます!」

「9月22日から広島電鉄はカープのセ・リーグ優勝記念花電車の運行をしよってんじゃね」

「というわけで、今回は広島市内を走る花電車を追いかけてみました」





↓カープ優勝記念花電車については、こちら↓

「広島東洋カープ セ・リーグ優勝企画」広島電鉄<







「午前10時3分、花電車は江波車庫を出発。6号線(江波-紙屋町-広島駅)を通って、広島駅へ向かいます」

「BGMは、「燃える赤ヘル僕らのカープ」(作詞:石本美由起、作曲:横山菁児)じゃ」






↓「燃える赤ヘル僕らのカープ」については、こちら↓

「燃える赤ヘル僕らのカープ」YouTube








「広島駅前手前にある荒神橋を渡って左へ曲がって、広島駅へと向かうところです」

「今年の花電車は、赤と白が半々、紅白になっとるんじゃの」

「8度目のリーグ優勝にちなんだ8つの星が、左右に4つずつあるんじゃね」








「午前10時45分、広島駅に到着」

「あっという間に人に囲まれるも、車掌さんの笑顔を確実にゲット!」

「…な~にを写しに行っとるんかいね、この人は?」







「陸の玄関口・広島駅を出ると、今度は5号線(広島駅-比治山下-広島港)を通って、海の玄関口・広島港へと向かいます」

「荒神橋を渡って左へ曲がり、本線から皆実線に入ったところじゃ」







「午前11時22分、広島港に到着」

「「広島港」より「宇品(うじな)」言うたほうが、わしゃピンとくるんじゃがの」







「運転手さん、信号の指差し確認をしよってじゃね」

「信号よし! 安全運転でお願いしますで」







「広島港から1号線(広島港-紙屋町東-広島駅)を通って、千田車庫の前にやって来ました」

「ここから千田車庫に入って、お昼休み」

「…どうやって千田車庫の中に入るん?」

「広島駅に向かう手前の線路と、広島港に向かう奥の線路の2本があるのは分かるじゃろ?」

「線路が2本あって、千田車庫から出てくるのが手前の線路で、千田車庫の中に入れるのは奥の線路。じゃけど今、花電車は手前の線路におるよ」

「手前の線路におる花電車は、このままでは千田車庫に入ることができん、というわけじゃ」

「ほいじゃけぇ、この先はどうなるん?」







「花電車は一度、千田車庫前を通り過ぎて、一旦停止する」

「それから?」

「電車の運転手が運転席を前から後ろに替えることで、電車の前と後ろを入れ替えるんじゃ」

「電車が進行方向を変える。つまり広島港から広島駅方向に進んでいった電車が、広島港側に戻ってくるというわけじゃね」

「そのとおり」








「おぉ、電車が手前の線路から奥の線路に移動したよ」

「ポイントを切り替えることで、手前の線路から奥の線路に移動したんじゃ」

「奥の線路に移動したら、そのまま千田車庫の中に入れるね」







「ほぉー、真横から見るとこんなになっとるんかぁ」







「千田車庫前はカメラマンがたくさんおってじゃね」

「電車の車庫への出入りは、運転手さんも職員の方も気を使われてじゃと思うで」







「午前11時45から午後0時45分までの間は、千田車庫の中で花電車の一般公開がおこなわれます」

「というわけで、近くからじっくりと眺めてみた」
















「花電車の前後には、優勝を祝っとるカープファンのイラストがあるんじゃね」

「「CARP V8」の文字のところには、カープファンの写真がコラージュしてあるんじゃ」







「カープの7回の攻撃前に一斉に飛ばすジェット風船!」

「…なんじゃが、ちょーっと迫力不足かの。というより、×××が×××しとるところじゃん」

「はーい。健全な青少年が読んでいるので、下ネタはやめましょう」








「午後0時45分に千田車庫を出ると、3号線(広島港(宇品二丁目)-紙屋町西-広電西広島)を通って、広電西広島へ向かいます」

「「西広島」より「己斐(こい)」言うたほうが、わしゃピンとくるんじゃがの」







「午後1時21分、広電西広島に到着」







「広電西広島から、2号線(広電宮島口-広電西広島-紙屋町東・西-広島駅)と、 8号線(江波-土橋-横川駅)を通って、午後1時21分に横川駅に到着」







「横川駅から8号線を通って、花電車は江波車庫に帰っていきます」

「今日もお疲れ様でした」





↓昨年(2016年)花電車についての関連記事は、こちら↓

カープ優勝花電車 広島市内を走る!

カープ優勝花電車 広島市内を走る!(その2)






撮影日:2017年9月30日・10月1日





「今日は、広島電鉄が運行しているセ・リーグ優勝記念花電車について話をさせてもらいました」

「時間に余裕があれば停車駅でゆっくりするけぇ撮影する時間はあるんじゃが、時間に余裕がないときは、さっさと出発してのようじゃ」

「あくまでも臨時電車じゃけぇ、ほかの電車に迷惑をかけちゃいけんよね」

「ほいじゃあ、またの」
コメント
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