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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

映画『妖雲里見快挙伝 前編』

2024年04月09日 | まんが・テレビ・映画
江戸時代の後期、曲亭馬琴(きょくてい ばきん。滝沢馬琴(たきざわ ばきん))が著わした大長編小説『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん。以下、「八犬伝」と略す)』。

この八犬伝を題材とした作品は、歌舞伎や演劇、小説をはじめ、映画・テレビ・漫画・アニメと、いろいろな形で発表されてきたんじゃの。

ほいじゃが、犬塚信乃(いぬづか しの)が安西景連(あんざい かげつら)の家臣で、犬川荘助(いぬかわ そうすけ)が馬加大記(まくわり だいき)の家臣だった、というトンデモな設定の物語がある。

それが、今回紹介する映画『妖雲里見快挙伝 前編』じゃ。


映画『妖雲里見快挙伝 前編』は、2024年3月29日から4月12日まで、YouTubeで2週間限定無料配信中。



↓映画『妖雲里見快挙伝 前編』については、こちら↓

「【2週間限定無料配信】妖雲里見快挙伝 前編」新東宝【公式】チャンネル





今日は、映画『妖雲里見快挙伝 前編』についての話でがんす。





映画『妖雲里見快挙伝 前編(以下、「本作」と略す)』は、1956(昭和31)年公開で、監督は渡辺邦男、脚本は川内康範。

八犬士を演じる俳優の方々は、以下のとおり。

犬塚信乃(いぬづか しの):若山富三郎
犬川荘助(いぬかわ そうすけ):和田孝
犬山道節(いぬやま どうせつ):中山昭二
犬飼現八(いぬかい げんぱち):小笠原竜三郎
犬田小文吾(いぬた こぶんご):鮎川浩
犬江親兵衛(いぬえ しんべえ):沼田曜一
犬村角太郎(いぬむら かくたろう):御木本伸介
犬坂毛野(いぬさか けの):城実穂



本作のストーリーを紹介すると…。


安房の滝田城主・里見義実(さとみ よしざね)は、隣国の安西景連に攻められ、落城寸前だった。

景連は、義実の一人娘・伏姫を差し出すよう求めるが、義実はこれを断る。

景連の家臣・信乃は主君を諫(いさ)めるが、そのことで景連の怒りを買う。

義実は伏姫に対して、元家臣・犬田小文吾の許へ逃れるよう諭す。

また、義実の妻・五十子(いさらご)は、里見家に代々伝わる八つの水晶と小玉百個を連ねた御仏の珠数を伏姫に手渡す。

しかし、伏姫は愛犬・八房(やつふさ)とともに景連の許へ。

そのことを知った義実は、景連の陣へ攻め込む。

義実がそこで見たのは、八房にかみ殺された景連と、瀕死の伏姫だった。

伏姫が手にしている数珠から、八つの珠が無くなっていた。

伏姫は、その八つの珠を持つ八犬士があらわれて里見家を守ると予言したのち、息を引き取る。

義実の前にあらわれた信乃は、自らの命と引き換えに、景連の兵に追っ手をかけないよう願い出る。

義実がこれを受け入れたことをきっかけに、信乃は義実の家臣となり、亡くなった伏姫の侍女だった浜路(はまじ)と仲良くなる。



…というわけで、義実が伏姫に娶わせ(めあわせ。夫婦にする)ようとしていた金碗大輔(かなまり だいすけ。のちの丶大法師(ちゅだいほうし))が出てこない。

当然、富山(とやま)の見せ場もない。

そのほかにも、円塚山(まるつかやま)、芳流閣 (ほうりゅうかく)、庚申山(こうしんやま)といった見せ場もなくなった。

ただ、浜路に思いをかける網乾左母二郎(あぼし さもじろう)が彼女を口説く、浜路口説きの場面はしっかりと出てくる。

俺は、おまえの行方不明の兄・犬山道節の消息を知っている、それを教えてやろうと、浜路に近づく左母二郎。

だが、その左母二郎の邪魔をするのが、彼の手下として働く、悪女の船虫(ふなむし)。

原作では一介の浪人の左母二郎が、大記の腹臣であり、妖術も使えるという設定。

左母二郎と同じく妖術を使い、猫に化けることができる赤岩一角(あかいわ いっかく)も、大記に仕えている。



八犬伝で、信乃が父から託され、鎌倉公方・足利成氏(あしかが なりうじ)に返上しようとしていたのが、名刀・村雨丸。

本作での村雨丸は、安房の国守(くにもり)の証として、鎌倉公方から里見家に与えられた名刀、という設定。

そのため、何年かに1度、里見家の使者が村雨丸を鎌倉へ持参し、それが本物であることを改めてもらうことになっている。

その道中に村雨丸を奪うことで、安房の国守としての証を無くした里見家を安房から追い出そう、と左母二郎は考えた。

そして、左母二郎と一角は、村雨丸をすり替えることに成功する。

里見家の家老は、その責を負って、成氏の面前で切腹。

成氏の使者は里見家に対して、15日の猶予を与えるから村雨丸を探し出せ、さもなくば安房の国守を免じ、所領を没収すると伝えてきた。

さあ、どうなる?



…というわけで、前編はここまで。
後編(完結編)をお楽しみに!





ここで、本作での八犬士についておさらいしておこう。

景連の家臣だった信乃は、義実に家臣として迎えられたのち、大記の手に落ちた村雨丸の探索へ。

大記の家臣・荘助は、信乃と同じく主君を諫めたためにその怒りを買い、牢に入れられる。

父の敵・大記を狙う道節は、主君・義実の許から離れている。

成氏直々の家臣・現八は、村雨丸が偽物であることがわかったとき、村雨丸探索の期間を与えるよう、主君に直言。以後、信乃と行動を共にする。

現八に助けられた信乃が逃げ込んだ小屋で、ふたりを匿(かく)ったのが、旦開野(あさけの)と名乗っていた毛野。毛野も大記を敵として狙っている。

義実の家臣・小文吾は、村雨丸拝領の折、足利家に対して粗相があったため謹慎の身となり、今は庚申山に住んでいる。村雨丸探索の折、義実の許にかけつけた。

親兵衛は、義実の家臣として側仕え(そばづかえ)をしている。

角太郎は…、どこで出てきたか分からなかった。





以下、余談。


本作で、八犬伝と大きく違っているもののひとつに、珠の扱いがあるんじゃの。

八犬伝では、犬士たちは小さいころから、仁(じん)・義(ぎ)・礼(れい)・智(ち)・忠(ちゅう)・信(しん)・孝(こう)・悌(てい)の文字がある珠を持ち、体のどこかに痣(あざ)があるという設定。

本作では、伏姫の手を離れた八つの珠が、犬士たち本人が知らないうちに手にする。

たとえば信乃は、義実に対して景連の兵に追っ手をかけないよう願い出て、受け入れられる。
そしてその首を刎(は)ねられようとした時、「孝」の珠が信乃の懐から出てきたんじゃの。

この設定を流用(?)したのが、映画『宇宙からのメッセージ』(1978年)。

ガバナス帝国に侵略されたジルーシアの長老・キドは、勇者を求めてリアベの実、8個を宇宙へ放つ。

キドの孫娘でヒロイン・エメラリーダと戦士・ウロッコは、リアベの実を手にした勇者たちを探す旅に出る、というストーリー。

この映画では、八犬伝のような珠ではなく、その外観がクルミのようなリアベの実という設定なんじゃがの。



↓映画『宇宙からのメッセージ』については、こちら↓

「映画 宇宙からのメッセージ 1978 特報」YouTube





以下、さらに余談。


『宇宙からのメッセージ』で地球連邦議長を演じている丹波哲郎(たんば てつろう)は、本作では左母二郎を演じていた。

新東宝時代の丹波は、主に敵役・悪役として活躍していたそうじゃ。

丹波と同じく新東宝からデビューしたのが、犬山道節を演じた中山昭二(なかやま しょうじ)。

中山といえば、『ウルトラセブン』(1967年から68年)でキリヤマ隊長を演じた方。

テレビの時代劇で何度かお見かけしたことはあったが、映画でお見かけしたのは『惑星大戦争』(1977年)くらいじゃったかの?

というわけで、今回は中山が出演する貴重な映画を観せてもろうたわけじゃが。





以下、もひとつだけ余談。


左母二郎の手下として働く船虫は、左母二郎が懸想(けそう。思いをかけること)する浜路を憎み、その顔を二目と見られない(ふためとみられない。見るにたえない)ようにしてやる、と浜路に迫る。

この船虫を演じているのが、阿部寿美子(あべ すみこ)。

「どこかで聞いたような名前じゃの…」と思って調べてみたら、NHKの人形劇『新八犬伝』(1973年から1975年)で、玉梓(たまずさ)の声を担当された方。

八犬伝での玉梓は、自分を打ち首とした義実に対し、里見家を末代まで祟る(たたる。災いを与える)と言い残した。

『新八犬伝』で、玉梓が登場するときの決まり文句が、「我こそは玉梓が怨霊」。

当時、小学生だったわしは、友だちと一緒にこのセリフをマネをしたもんじゃ。

ウィキペディアによると、この玉梓の台詞の演技は大変に体力を消耗するので、体調の悪いときは貧血で医務室行きになったこともあったという。

もっとも、本作では玉梓は出てこんのじゃがの。



↓NHK人形劇『新八犬伝』については、こちら↓

「連続人形劇 新八犬伝」NHKアーカイブス





今日は、映画『妖雲里見快挙伝 前編』について話をさせてもろうたでがんす。

続編の『妖雲里見快挙伝 完結編』も是非、観てみたいもんじゃ。


ほいじゃあ、またの。



(文中、敬称略)
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広島テレビ【花見に行こうや2024】

2024年04月07日 | 季節の話題
昨日は、広島駅から平和記念公園までの、広島市内の花見名所を歩いて見てまわった。

くもりがちな天気だったが、桜の花がほぼ満開ということもあって、たくさんの花見客が訪れていた。

最初に訪れたのが、エキキタ(広島駅北口)に本社を構える、広島テレビの前に植えてある桜の木。







今日は、広島テレビの桜についての話でがんす。





「広テレ」の愛称で知られる広島テレビは、1962(昭和37)年9月1日に開局。

日本テレビ系列の番組を放送している。

本社は、長らく中区中町にあったが、2018(平成30)年、現在地(東区二葉の里)に移転してきた。

桜の後ろに貼ってあるポスターの「テレビ派」は、月曜から金曜の午後3時48分から6時55分まで放送される、広島テレビ制作の情報番組。



↓広島テレビについては、こちら↓

広島テレビ



ここで桜の写真を撮っていると、マイクを手にしたアナウンサーとカメラマンが出てきた。

広島駅北口へつながるペデストリアンデッキの前で、ボードを手に話をしたのち、本社玄関前で実況放送らしきものをしていた。

わしの目からは、このアナウンサーは4月に入社したばかりの新人で、カメラを前に話をする練習をしているようにみえた。





春、桜の季節といえば、入社・入学といった、おめでたい季節じゃ。

この春、就職・進学をされた皆さん、がんばってください。

五月病にならない程度でええですけぇの。



訪問日:2024年4月6日





今日は、広島テレビの桜について話をさせてもろうたでがんす。


ほいじゃあ、またの。
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東映娯楽版

2024年03月03日 | まんが・テレビ・映画
「東映時代劇YouTubeでは、3月1日から3月17日まで、映画『里見八犬傳 第一部 妖刀村雨丸(以下、「八犬伝」と略す)』(1954年)を無料配信中じゃ」

「1954年いうたら、今から70年前かぁ…」




映画ポスター(ウィキペディアより拝借)


↓映画『里見八犬傳 第一部 妖刀村雨丸』については、こちら↓

「里見八犬傳 第一部 妖刀村雨丸 [公式]」東映時代劇YouTube



「第1部っていうたけど、八犬伝って全部で何作あったん?」

「第1部から第5部まで、全部で5作品が作られた」

「5作品って、それだけ人気のシリーズだったんじゃね」

「…じゃのうて、八犬伝は東映娯楽版の1作として、最初から5部作として作られたんじゃ」

「東映娯楽版?」

「東映が日本でメジャーの映画会社になった要因のひとつが、ジャリ(子供)向けとして製作した東映娯楽版の成功といわれているんじゃの」





「今日は、東映娯楽版についての話でがんす」





「今さらじゃが、まずは東映という会社についておさらいしておこう」

「東映といえば、東宝・松竹と並んで、日本のメジャー映画会社のひとつじゃね」

「その東映は1951(昭和26)年、東横映画を吸収合併する形でスタートした。が、当初から多額の負債を背負って、経営的には苦しかった」

「ほぉ、それは知らんかった」

「経営難の理由のひとつが、自社で製作した映画を配給できる劇場が少なかったことにあったんじゃの」

「ちょっと待ってよ。むかしは、広島東映、東映パラス、駅前東映って、広島市内だけでも東映の直営館がよぉけ(=たくさん)あったけど?」

「それは、1960年代生まれのわしらが子どものころの話で、今は1950年ころの話をしとる。直営館の少ない東映が目をつけたのが、地方の映画館じゃった」

「なんで地方の映画館に目をつけたん?」

「むかしは、二番館、三番館と呼ばれる映画館があったじゃろ?」

「二番館、三番館いうたら、正規の公開が終わった映画を、2本立てで上映する映画館じゃったね」

「別々の会社の映画を2本集めて上映している状況を、東映はこうとらえた。これらの映画館で、2本とも東映の映画を上映してもらえれば、事実上の東映の直営館となって万々歳じゃ、と」

「なるほど、うまいこと考えちゃったね」

「2本のうちの1本は、片岡千恵蔵(かたおか ちえぞう)や市川右太衛門(いちかわ うたえもん)といった、映画館の館主からの要望が強い、時代劇のスターが主演して、確実に儲かる映画を作って…」

「もう1本が、東映娯楽版だった?」

「ほうじゃの。でも、考えることはどこも同じで、他社でも主役級の俳優が主演する映画と、それに併映という形で、たとえば新人が主演する映画を作っとった。が、他社の場合は、その添え物的な映画にも、それなりの予算を使うとったんじゃの」

「お金のない東映は、その予算をケチった?」

「そのとおり!」

「『八犬伝』は1度に5作を撮ったっていうたけど、どれくらいの予算で作ったん?」

「1本分の予算」

「5本の映画を、たった1本分の予算で作った?」

「そーゆこと」

「うわー、無茶苦茶してじゃね」

「そのときの現場の様子が、どうだったかというと…」


メインになるのは姫路城でのロケだったが、ロケ隊を宿泊させる予算はない。そのため、京都から早朝に出発して昼につくと夜まで撮影をし、そして夜中に帰ると少し眠り、また早朝から出発…そんな撮影が十日続けられた。助監督の沢島忠は電話帳のように分厚くなった五本分の台本を抱え、「どこまで続く五部作よ~♪」と半ば呆れながら自作の歌を歌って毎日の現場に臨んだ。

(春日太一『仁義なき日本沈没-東宝vs.東映の戦後サバイバル』新潮新書 2012年 61ページ)



「すごいというより、開いた口がふさがらんよ」

「時代は戦後ということもあって、「大陸から引き揚げてくる映画人の救済」ということも、東映には課せられていたそうじゃ」

「ふーん」

「ジャリ物(子供向け映画)とバカにされようが、ワンパターンといわれようが、東映は大衆娯楽主義に徹して、明朗で勧善懲悪(かんぜんちょうあく。善きを勧(すす)めて、悪を懲(こ)らしめること)の時代劇を作り続けた」

「そういや、「時代劇は東映」というキャッチフレーズがあったね」

「1951(昭和26)年に発足した東映は、1956年(昭和31年)には松竹を抜いて配給収入でトップになり、その黄金時代を築いたんじゃの」

「へぇ」

「このときに撮影所の施設を充実させ、そこで時代劇を量産した。その施設を使って1975年(昭和50年)にオープンさせたのが、太秦(うずまさ)映画村じゃ」



↓東映太秦映画村については、こちら↓

東映太秦映画村





「以下、余談」


「八犬伝の話しかせんかったけど、東映娯楽版には、ほかにどんな作品があったん?」

「たとえば、『八犬伝』(1954年5月から6月)の直前、1954年のゴールデンウィークには『新諸国物語 笛吹童子』3部作が、翌55年の正月映画として『新諸国物語 紅孔雀』5部作が公開されたそうじゃ」

「「八犬伝」は江戸時代、滝沢馬琴(たきざわ ばきん)が書いた作品じゃったよね。でも、「笛吹童子(ふえふきどうじ)」「紅孔雀(べにくじゃく)」はあんまり知らんのじゃけど…」

「どちらも、北村寿夫(きたむら ひさお)の「新諸国物語」の1作として書かれた小説。『笛吹童子』は1953年に、『紅孔雀』は1954年にNHKのラジオドラマとして放送されて、子どもたちには人気があったんじゃの」

「ラジオドラマで人気があった作品を映画化して、大当たりしたと」


このころ東映の電話応対は女性交換手がにこやかに「はい、『紅孔雀』の東映です」と応えたという。

(「紅孔雀」ウィキペディア)



「それまでは、子ども向けの面白い映画というのが、少なかったらしい。で、子どもたちに人気のあった作品を映画化したことで、東映娯楽版は大成功。経営危機を乗り越えたうえに、東千代之介(あずま ちよのすけ)、中村錦之助(なかむら きんのすけ。のち、萬屋錦之介(よろずや きんのすけ))といった、若くて新しいスターも生まれた」

「ほぉ。ほいじゃ、子どものときに東映娯楽版を観て、その影響を受けた人がたくさんおってじゃろ」


倍賞美津子や、高平哲郎、角川春樹など、当時幼少期を送った映画人の中に『笛吹童子』や『里見八犬伝』『紅孔雀』を初めての映画体験と話す者も多い。

(「笛吹童子」ウィキペディア)






「以下、さらに余談」


「東映時代劇YouTubeでは、映画『里見八犬傳』全5部作を、以下のスケジュールで配信する予定じゃそうな」


『里見八犬傳 第一部 妖刀村雨丸』
(公開日:1954年5月31日)
2024年3月1日から3月17日まで

『里見八犬傳 第二部 芳流閣の龍虎』
(公開日:1954年6月8日)
2024年3月15日から3月31日まで

『里見八犬傳 第三部 怪猫乱舞』
(公開日:1954年6月15日)
2024年3月29日から4月14日まで

『里見八犬傳 第四部 血盟八剣士』
(公開日:1954年6月22日)
2024年4月12日から4月28日まで

『里見八犬傳 完結篇 暁の勝閧』
(公開日:1954年6月29日)
2024年4月26日から5月12日まで



「ほぉ、このころの映画は毎週、新作が上映されとったんじゃね」

「毎週放送される、テレビのようなもんかの」





「今日は、東映娯楽版について話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」



(文中、敬称略)
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映画『逆襲大蛇丸』

2024年02月25日 | まんが・テレビ・映画
「YouTubeの「新東宝【公式】チャンネル」では、2月16日から3月1日までの2週間、映画『逆襲大蛇丸(おろちまる。以下、『大蛇丸』と略す)』(1955年)を無料配信中じゃ」

「『大蛇丸』は、前に紹介した映画『忍術児雷也(じらいや。以下、『児雷也』と略す)』の続編?」

「そのとおり。2作目のタイトルに『逆襲』とつくのは、『ゴジラの逆襲』(公開:1955年4月)と同じじゃが、公開は『大蛇丸』(公開:1955年1月)の方が先なんじゃの」

「おぉ、同じころに作られた映画なんじゃね」

「『児雷也』はイマイチ盛り上がりに欠けたが、『大蛇丸』は城攻めという大スペクタクルが楽しめるんじゃ」



↓映画『逆襲大蛇丸』については、こちら↓

「【2週間限定無料配信】逆襲大蛇丸(ぎゃくしゅうおろちまる)」新東宝【公式】チャンネル





「今日は、映画『逆襲大蛇丸』についての話でがんす」





「この映画は、どんなストーリーじゃろ?」

「まずは『児雷也』の話のおさらいから…。尾形弘澄は、盟友だった鯨波照忠と諏訪光明に裏切られて滅ぼされた。その尾形の忘れ形見である周馬は、お家の再興を果たそうとする」

「その周馬は、蝦蟇(がま)を助けたことから蝦蟇の妖術を授かって、児雷也になったと」

「周馬の許嫁(いいなずけ)である綱手姫は、蛞蝓(なめくじ)の妖術を、そして敵役である大蛇丸は、大蛇の妖術をそれぞれ授かる。最後は、蝦蟇(=児雷也)と蛞蝓(=綱手姫)、そして大蛇(=大蛇丸)の三すくみ」

「力を合わせた児雷也と綱姫の前に、大蛇丸が逃げ去ってしまう…で、『児雷也』は終わりじゃったね」

「『大蛇丸』の冒頭、鯨波照忠のところに尾形弘澄の亡霊があらわれる。その亡霊は、児雷也が見せる幻覚だった。今や復讐の鬼と化した児雷也は、妹・深雪や家臣たちの意見に耳を傾けようとしない」

「頑(かたく)なになっとるんじゃね」

「児雷也が鯨波を襲っていることを知った諏訪家では、その対応を協議していた。鯨波と諏訪は、互いの息子と娘を結婚させる約束を交わしていた」

「児雷也が、いつ諏訪家を襲ってくるかわからんけぇね」

「諏訪家の家老である高遠多聞之助の息子・弓之助が進言をした。時の将軍・足利家に願い出て、鯨波討伐の許可を受けてはいかがと。その願いは聞き入れられ、鯨波討伐の令状を手に入れた弓之助が戻ってくる」

「それを理由に、諏訪が鯨波を討つ?」

「ところが、そうは問屋が卸さない。大蛇丸が弓之助一行を襲って令状を奪い取り、その令状を手に鯨波へ売り込みに行く。諏訪が裏切った事を知った鯨波は、諏訪と一戦交えることを決意する」

「鯨波は大蛇丸と手を組むんじゃね」

「そこに、新キャラクターの女盗賊・朝雲が登場。彼女も鯨波に手を貸すことに」

「面白そうになってきた」

「鯨波は、軍勢を率いて諏訪へ攻め込む。人質となった多聞之助は城の前に引き出され、「おとなしく降参すれば、命だけは助けてやると言え」と命じらる。しかし、「一歩も退くな! わしの屍(しかばね)を越えて戦え!」と味方へ檄(げき)を飛ばしたので、その場で射殺されてしまう」

「おぉ、漢(おとこ)じゃねぇ」

「戦いの途中で、児雷也が城の前で磔(はりつけ)にされたり、綱手姫が塩蔵の中に吊るされたりする」

「綱手姫は蛞蝓(なめくじ)じゃけぇ、塩蔵の中に吊るされたら大変じゃん」

「最後は、城の天守閣の屋根で、児雷也と大蛇丸の一騎打ち。そこへ朝霧丸を手にした綱手姫があらわれる」

「朝霧丸?」

「おぉ、説明するのを忘れとった。諏訪家には、大蛇丸の術をも退散させる、不動明王の秘刀・朝霧丸があった」

「そんなええ刀があるんなら、最初からそれを使えばええじゃん」

「朝霧丸は、女盗賊の朝雲が奪い去っていた。その朝雲を倒した綱手姫が、奪い返した朝霧丸を手に児雷也を助けにやってくる。朝霧丸の力の前に、大蛇丸は空へ逃げ去った」

「逃げ去った…で、今回も終わり…?」

「ほうじゃの。『大蛇丸』も、『児雷也』と同じように、なーんか、もやっとした終わり方じゃったの」




児雷也(大谷友右衛門)




綱手姫(利根はる恵)




大蛇丸(田崎潤)



「こうやって手で印(いん)を結ぶのを見ると、むかし懐かしの忍術使いという感じがして、なんかワクワクして、えかった」

「あんたも年を拾うたんじゃ」

「こういう映画を、どっかで作ってくれんかいの」





「以下、余談」




大蛇丸(田崎潤。左奥)と女盗賊・朝雲(朝雲照代。右手前)


「『大蛇丸』も『児雷也』も、悪役が生き生きと描かれとったの」

「田崎潤は、悪役をやっても、どこか人の良さが出てしまうね」

「『大蛇丸』で始めて知ったのが、朝雲を演じた朝雲照代。大蛇丸の前で、

♪一目でコロリと参っちゃったの

と歌い出すけぇ調べてみたら、宝塚出身の女優さんじゃった」




「これは、サンゴ?」

「ほうじゃの。朝雲が、盗みに入った鯨波家の宝物蔵から頂いた宝物といって取り出したのが、銭の入った袋と、これじゃった」

「そういや、むかしの日本では、サンゴは貴重な財宝じゃったね」

「『桃太郎』のおとぎ話で、鬼退治をした桃太郎が鬼ヶ島から持ち帰ったものの中にも、立派なサンゴが描かれとったりするよの」





「今日は、映画『逆襲大蛇丸』について話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」



(文中、敬称略)
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映画『忍びの者』

2024年02月13日 | まんが・テレビ・映画
「YouTubeの「角川シネマコレクション」では、2月2日から16日までの2週間、映画『忍びの者』(1962年)を無料配信中じゃ」

「前回は、新東宝の映画『忍術児雷也(じらいや)』(1955年)で、どっちも忍者の話」

「児雷也は、口に巻物をくわえて手で印(いん)を結ぶことで、ドロンと蝦蟇(がま)に化けることができたんじゃの」

「荒唐無稽(こうとうむけい)な忍術使いの話じゃったね」

「それが1950年代の終わりから60年代の初めにかけて、忍者の描き方が変わってきた」

「たとえば?」

「たとえば、それまでの忍者は、主君のために尽くす(=命をかけて戦う)ことを良しとしてきた。それが、主君のために尽くすことが、実は空しいこととされたんじゃの」

「なんで?」

「やっぱり太平洋戦争の影響が大きかったんじゃろう。1945年8月15日の敗戦を機に、それまでの価値観が180度変わってしもうたけぇの。もうひとつは、1960年の安保闘争を境に、反体制的な機運が高まったこともあったんじゃろう」

「なるほど」

「あと、ビジュアル面でも変わってきた」

「見た目でなにが変わったん?」

「忍者=黒装束となったのが、この映画からといわれとるんじゃの」

「確かに。うちらが知っとる忍者といえば、黒い衣装を纏(まと)うとるよね」

「それまでの映画、たとえば『忍術児雷也』では忍者の黒装束が出てこないどころか、忍術使いは結構派手な格好をしとっちゃったけぇの」




蝦蟇の上に立つ児雷也(大谷友右衛門)
(映画『忍術児雷也』(1955年)より)




忍者の黒装束を纏う石川五右衛門(市川雷蔵)




↓映画『忍びの者』については、こちら↓

「【本編】『忍びの者』<2週間限定公開>」YouTube





「今日は、映画『忍びの者』についての話でがんす」





「この映画は、どんなストーリーじゃろ?」

「伊賀の国に、ふたつの忍者集団があった。ひとつは百地三太夫(ももち さんだゆう)率いる百地党と、藤林長門守(ふじばやし ながとのかみ)率いる藤林党で、対立関係にあった」





「うんうん、それで?」

「そのころ勢力を伸ばしていたのが織田信長で、百地党・藤林党とも、配下の忍者たちに信長暗殺を命じる」

「この映画は、その忍者たちが主人公の話?」

「この映画の主人公は、あの石川五右衛門」

「五右衛門は盗賊で、豊臣秀吉に捕えられて、釜ゆでにされたんじゃなかったっけ?」

「五右衛門は、百地党に属する伊賀の忍者という設定なんじゃの」

「へぇ」

「いきがかりとはいえ、五右衛門は、三太夫の妻・イノネとの密通してしまう。それがバレたとき、イノネは井戸に落ちて死んでしまい、五右衛門は逃亡を図る。しかし、三太夫は五右衛門の命を助けられるかわりに、盗みを働くことを命じる」

「忍者が盗みを働いちゃいけんじゃろ」

「それが成功すると、次に信長の暗殺を命じた。イノネと密通する状況を作り、五右衛門が断れないところで信長の暗殺を命じたのは、実は三太夫の策略だったのだ」

「うーん、お主も悪よのう」

「信長を追って堺にやって来た五右衛門は、マキという遊女と知り合う。マキに惹かれた五右衛門は、彼女を身請けしたうえで、山奥にある一軒家で平穏な日々を送ろうとする」

「そんなこと、もちろん見逃してもらえるわけもないよね」

「マキを人質にとった三太夫は、五右衛門に改めて信長暗殺を命じる。安土城の完成祝いに乗じて毒殺しようとするも、失敗。これを伊賀の手によるものと考えた信長は、伊賀攻めを行う」

「信長は伊賀を攻めたんじゃね」

「その戦いの中で五右衛門は、藤林長門守に変装した姿で死んでいる三太夫を見つける。ふたつの忍者集団の頭領(かしら)だった三太夫と長門守が、実は同一人物だったのだ!」





「以下、余談」




百地三太夫




藤林長門守



「三太夫と長門守の二役を演じたのが、怪異な人物を演じさせると右に出るものがないといわれた、伊藤雄之助(いとう ゆうのすけ)」

「いかにも悪そうな顔しとるね」

「三太夫(=長門守)は自分の権威を高めるために、それぞれの忍者集団に信長暗殺を命じて、互いを争わせていたんじゃの」





「以下、さらに余談」




「信長を演じたのが、城健三朗(じょう けんざぶろう)」

「城健三朗? この顔は若山富三郎(わかやま とみさぶろう)じゃないん?」

「若山富三郎は、経営不振の新東宝から東映へ、そして弟の勝新太郎(かつ しんたろう)のいる大映へ移籍した。大映時代は、若山富三郎ではなく城健三朗と名乗っていたんじゃの」





【参考文献】

春日太一「忍者の変遷」『時代劇入門』角川新書 2020年 260~271ページ






「今日は、映画『忍びの者』について話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」



(文中、敬称略)
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