通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

パレードラン~広島クリテリウム2024

2024年08月04日 | 広島の話題


「1週間前の話になるが、広島クリテリウム2024を見に行ってきた」

「広島クリテリウムのコースは、広島市西区の商工センター。この道路の一部に交通規制をかけて、1周1.7kmの周回コースを作り、そこを30周(1.7km×30周=51km)して勝敗を競うんじゃったね」

「知り合いがヴィクトワール広島の関係者なんで、ここ何年かは見に行きよるんじゃが」

「昨年は雨でレースは中止じゃったけど、今年はレースができてえかったね」

「レースができてえかったが、今年もぶち暑かった。ここは日影の少ないコースじゃけぇ、観戦する場所を探すのが大変じゃ」

「で、今回は、広島クリテリウムじゃのうて、パレードランの話?」

「パレードランは、一般の人がプロ選手と同じコースを走るイベントで、子どもから大人まで参加できるんじゃの」



↓広島クリテリウム2024については、こちら↓

JBCF 広島大会 2024 2024年7月開催



↓ヴィクトワール広島については、こちら↓

プロ自転車ロードレースチーム VICTOIRE HIROSHIMA(ヴィクトワール広島)





「今日は、パレードラン~広島クリテリウム2024についての話でがんす」







「パレードランは、赤い先導車の後を走る」




「オレンジのジャージはヴィクトワールの選手じゃけど、この赤いユニフォームは?」

「赤いユニフォームは、女子ホッケーのコカ・コーラ レッドスパークスの選手。左側の背番号7が品玉結生(しなだま ゆい)選手で、17が大塚美季(おおつか みき)選手じゃの」

「よー見たら、広島市のレンタル自転車「ぴーすくる」に乗っとってじゃね」



↓コカ・コーラ レッドスパークスについては、こちら↓

「ヴィクトワール広島相互応援」コカ・コーラ レッドスパークス ホッケー オフィシャルウェブサイト



↓ぴーすくるについては、こちら↓

広島市シェアサイクル ぴーすくる(レンタル自転車)





「ありゃま、このお父さんは、後ろに子どもをふたりも乗せとってよ」

「子どもを、前と後ろに乗せるのは見たことはあるが、こんな自転車は初めて見たの」

「お父さん、がんばれ!」




「なんか、コロなしの自転車からふつうの自転車に乗れるようになったような子が、うれしそうに自転車こいどるね」

「後ろから追いかけとるお母さんも大変じゃ」

「がんばれ! キミの可能性は無限大だ!!」





「以下、余談」


「広島クリテリウム2024のレースの結果について、簡単に触れておこう。ヴィクトワール広島からは、小野寺 玲、ベンジャミン・ダイボール、レオネル・キンテロ、柴田雅之、久保田悠介、中村圭佑の6選手が出場。ラストスパートを制したキンテロ選手が初優勝。今回の優勝で、ヴィクトワール広島の誕生から10年目という節目の年を飾ることができたんじゃの」

「キンテロ選手は、昨年の佐木島ロードレースに続いての優勝じゃね。おめでとうございます」





「今日は、パレードラン~広島クリテリウム2024について話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」
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桜の池跡

2024年07月31日 | 見て歩き
「今年、2024年は、1894(明治27)年に起こった日清戦争から130年にあたる。そこで、広島市内に残る、日清戦争に関するものを紹介していこう」

「日清戦争は、近代日本が初めて経験する、外国との本格的な戦争じゃったね」

「今日は、桜の池跡じゃ」








「今日は、桜の池跡についての話でがんす」





「ところで、桜の池って、どこにあるん?」

「以前に紹介した、広島大本営跡の前じゃ」

「広島大本営いうことは、日清戦争のとき、明治天皇が広島に来られたときに作った?」

「そうじゃのうて。1898(明治31)年、軍用水道工事の一環として、池が作られたんじゃの」

「軍用水道? あぁ、そのころ、広島市に水道が引かれたんよね」

「水道が引かれ、水が豊富にあることを示すために池が作られた。「桜の池」という名前は、1925(大正14)年につけれられたそうじゃ」




「こんなところに池があったっけ?」

「わしも、桜の池を目指して探しに行ったけぇ知っとるけど、それまではここに池があるとは全然、知らんかったもんの。ほかの観光客の人も、ほぼ素通りじゃし」




「そのむかしは、中央にある築山から水を噴き出していたそうじゃ」

「ほぉ、噴水になっとったんか」

以上、撮影日:2024年7月6日




「ありゃ、池に水が張ってないときもあるんじゃね」

「理由や時期はわからんが、池に水が貼っていないときがあるんじゃの」


撮影日:2016年8月14日





「以下、余談」


「ついでじゃけぇ、広島の水道について話をしとこう。江戸時代に作られた城下町・広島に住む人たちは、太田川(おおたがわ)の水や井戸水などを利用して生活しとった」

「井戸水いうても、もともと海を干拓したり埋め立てたりして作ったところじゃったけぇ、ええ(=飲用に適した)水が出るとも思えんけど」

「水質が良くないからこそ、広島ではたびたび伝染病が流行していた。日清戦争では、全国の兵士が広島に集まり、宇品港から船で大陸へ向かった。しかし、その広島では赤痢が大流行、1894年だけで3000人以上もの死者が出たそうじゃ」

「3000人以上も!」

「そのうえ、広島大本営にいた陸軍参謀総長の有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王が、腸チフスで亡くなられるというような状況じゃった。そのうえ、宇品から出て行く船に積む水の確保にも苦労されとった」

「それじゃったら、広島に水道を引いてくれいう要望が出てくるじゃろ」

「日清戦争が終わった後の1895(明治28)年11月、勅令(勅令(ちょくれい。天皇が直接発する命令)が出されて、広島に軍用水道が引かれることになった」

「その軍用水道を、市民用としても使うようになったんよね」

「1898(明治31)年8月に通水式が行われた軍用水道は、広島市に貸し下げられ、翌年1月から給水を始めたんじゃの」



↓広島の水道については、こちら↓

「広島市水道の歩み」広島市水道局公式ホームページ



↓広島大本営跡についての関連記事は、こちら↓

広島大本営跡



【参考文献】

財団法人広島市文化財団 広島城『日清戦争と広島城』2009年、45ページ






「今日は、桜の池について話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」
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旧キリンビール広島工場 専用線跡

2024年07月28日 | 見て歩き



「これは、むかしのキリンビール広島工場の写真じゃね、懐かしい」

「その跡地が、今はイオンモール広島府中になっとるがの」

「うちらは、ダイヤモンドシティ ソレイユの方が馴染みがあるけどね。で、今日は、キリンビール広島工場の話?」

「広島工場に接続しとった旧国鉄(今のJR)の専用線、俗にいう引き込み線の話じゃ」

「あぁ、芸備線から分岐した鉄道が、工場まで通っとったね」





「今日は、旧キリンビール広島工場 専用線跡についての話でがんす」





「最初に、旧キリンビール広島工場について説明しておこう。1936(昭和11)年、キリンビール(当時は、麒麟麦酒)4番目の工場が、安芸郡府中村に建てられることになった」

「おぉ、まだ府中村じゃったんか」

「いうても、翌1937(昭和12)年1月1日をもって町制を施行、府中村から府中町になるんじゃがの。で、工場を建設するための資材を運ぶために専用線が引かれた」




今昔マップ on the web


「えぇーっ!? 工場のまわりになにもないじゃん!」

「左側の白黒の地図は1951(昭和26)年の地図じゃが、このころは、工場のまわりには田んぼしかなかったんじゃの」

「おかげで、広島工場を出た専用線が、左へカーブを描きながら芸備線と合流する線路がはっきりわかるけどね」

「1938(昭和13)年に完成した広島工場は、当時、東洋一の規模を誇ったそうじゃ」

「東洋一か。それはすごいね」

「工場完成後は、生産に必要な原材料や、できあがった製品を専用線で運んだ。で、戦後の1950年代、日本が復興するのにあわせて、ビールの需要も増加した」

「ほいじゃ、工場も広くしちゃったんじゃろ?」

「それがの…」




今昔マップ on the web


「これは1969(昭和44)年の地図じゃが…」

「工場のまわりに家が建って、人が住むようになっとる。これじゃ、工場を広げるための用地がないね」

「キリンビールは、1966年に福岡工場を、1972年には岡山工場を新設。施設が老朽化しとった広島工場は、工場完成から60年後の、1998(平成10)年をもって工場を閉鎖した」

「その跡地に、2004(平成16)年ダイヤモンドシティ ソレイユがオープンしたんじゃね」

「今はイオンモール広島府中になっとるがの」



↓イオンモール広島府中については、こちら↓

イオンモール広島府中





「前置きの話が、えらい長うなってしもうたね」

「さっそく、専用線跡の話に入ろう」





「これは、イオンモール広島府中の北西側にある矢賀4丁目(北)交差点。専用線はこの交差点を通って、左へカーブを描きながら進んで、芸備線と合流する」

「交差点の北西側に日産の店(日産プリンス広島販売 矢賀店)があるね」





「これは、日産の駐車場」

「専用線はここを通っとったん?」

「この駐車場だけみてもピンとこんかもしれんが、奥のマンションを見てもらうと…」

「ん-、左へカーブしとるように見えるけど」





「このマンションを反対側から見ると…」

「おぉ、こっちの方がわかりやすい。確かにカーブしとるよ」





「回れ右をして、芸備線側を見ると…」

「ここでは、専用線と道路が交差しとるんじゃね」

「ほいじゃけぇ、ここには踏切があったはずじゃ」





「家がみえるあたりを通った専用線は、このあたりで芸備線に合流しとったはずじゃ」

「合流点というか、分岐点はわかったん?」

「近くに寄って見ることができんかったけぇ、具体的に「ここ」というところはわからんかったの」





訪問日:2024年7月21日





「今日は、旧キリンビール広島工場 専用線跡について話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」
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Xの挑戦

2024年07月24日 | まんが・テレビ・映画
今年、2024年は、石ノ森章太郎(いしのもり しょうたろう。旧表記:石森章太郎)のSF漫画『サイボーグ009』の原作誕生から60周年。

1964(昭和39)年30号(7月19日)から、『週刊少年キング』誌上で連載が始まったんじゃの。

これを記念して、YouTubeの東映アニメーションミュージアムチャンネルでは、1968(昭和43)年にテレビ放送された『サイボーグ009』(以下、「白黒版009」と略す)を期間限定公開中。

今回紹介するのは、白黒版009の第2話「Xの挑戦」じゃ。



↓「Xの挑戦」については、こちら↓

「60周年記念【公式】サイボーグ009「第1話 恐怖の怪人島」「第2話 Xの挑戦」」YouTube





今日は、「Xの挑戦」についての話でがんす。




「Xの挑戦」のストーリーを紹介すると…。

ある夜、サイボーグXの乗る円盤が、ギルモア研究所を襲う。
Xは、ギルモア博士を狙うオメガ博士が、ナックという青年を改造して作ったサイボーグだった。
ギルモア研究所から立ち去る途中、Xは十字架にバラの花を捧げる少女を見つける。
その少女は、ナックの婚約者・ミッチィ。
彼女は、ナックが交通事故で死んだものと思い、彼が好きだったバラの花を供えていたのだ。
再会を喜ぶミッチィに、ナックは自らの下半身は機械の体で、円盤と一体であることを告げ、立ち去る。



(『アニメージュ増刊 ロマンアルバム2 サイボーグ009』徳間書店、1977年、59ページ
メモ中に「5話」とあるところから、制作話数が「5話」で、放送話数が「2話」であることがわかる)


ナックを追って崖から落ちたミッチィは、009たちに助けられてギルモア研究所へ。
一方、009と一緒に行動していた003は、Xに連れ去られる。
003を人質に取ったオメガ博士は、Xと009との対決を要求する。



(『アニメージュ増刊 ロマンアルバム2 サイボーグ009』徳間書店、1977年、12~13ページ、書き起こしカラーピンナップ
左上が009とXとの対決シーン。右下が、ふたりの対決を見守るミッチィと003。真ん中手前は006)




「Xの挑戦」は、石ノ森原作にはない、脚本の辻真先(つじ まさき)と、演出の芹川有吾(せりかわ ゆうご)のコンビによる、オリジナルストーリー。

白黒版009では、第16話「太平洋の亡霊」、第26話(最終回)「平和の戦士は死なず」と並んで、人気のある作品のひとつじゃ。

ビデオがまだ普及していなかった1970年代後半、自主上映会が各地で行われていたが、その上映会でよく上映されていたんじゃの。

当時は、ビデオですらなく、16ミリフィルム(!)による上映会じゃったが。

1977(昭和52)年夏に公開された、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の大ヒットによって、アニメブームが起こったのはご存じのとおり。

それまで、「テレビ漫画」「まんが映画」と呼ばれていたのが、「アニメ」とか「アニメーション」とか呼ばれるようになったんじゃの。

で、そのアニメブームを受けて同年末に発売された、『サイボーグ009』のテレビ・オリジナル・サウンドトラック盤(LP)には、「Xの挑戦」「平和の戦士は死なず」が収録された。

そして、翌年春に発売されたEP盤には、「Xの挑戦」だけが収録されたんじゃの。

というわけで、白黒版009中でも「Xの挑戦」は人気のある作品じゃった。





以下、余談。


ことほど左様に人気のあった「Xの挑戦」じゃが、最近は後れを取っているようじゃ。

「平和の戦士は死なず」は、『サイボーグ009トリビュート』で、辻真先自らリメイクされとるし、「太平洋の亡霊」は、『サイボーグ009 太平洋の亡霊』で漫画化されている。

「Xの挑戦」も、どっかでリメイクしてもらえませんかいの?



↓『サイボーグ009トリビュート』については、こちら↓

「サイボーグ009トリビュート (河出文庫 い 42-2)」amazon



↓『サイボーグ009 太平洋の亡霊』については、こちら↓

「サイボーグ009 太平洋の亡霊 (チャンピオンREDコミックス) 」amazon




以下、さらに余談。


サイボーグXこと、ナックの声を担当されたのが、朝井ゆかり。

1965(昭和40)年に放送されたSFアニメ『宇宙少年ソラン』で、主人公・立花ソラン役をされた方じゃの。

おぉ、こちらもサイボーグという設定じゃった。



↓ソラン役の朝井ゆかりについては、こちら↓

「【1324】ソノレコード 宇宙少年ソラン「大潮流の巻」②」YouTube



↓宇宙少年ソランについては、こちら↓

「宇宙少年ソラン」株式会社エイケン オフィシャルサイト





今日は、「Xの挑戦」について話をさせてもろうたでがんす。

ほいじゃあ、またの。
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ますやみそのコマーシャル~誕生と封印の歴史

2024年07月21日 | 広島の話題
お母ちゃん、間違えんさんな、ますやみそよ


「おぉ~、ますやみそのコマーシャルじゃん。久しぶりに聞いたねぇ」

「ますやみそが、このコマーシャルをラジオで流し始めたのが、50年くらい前じゃそうな」

「へぇ、それくらい長い歴史があるんじゃ」

「ところが、このコマーシャルは一時期、封印されたことがあるそうじゃ」

「…封印? なんで?」





「今日は、ますやみそのコマーシャル~誕生と封印の歴史についての話でがんす」





「ますやみそのコマーシャルは、どんな理由で封印されたん?」

「今から数十年前のこと。方言は教育上よくないとか、母親に対する話し方ではないとか、といった指摘を受けて封印されたそうじゃ」

「えぇーっ!? 「方言は教育上よくない」っていう、その意味がわからん」

「母親に対する話し方ではないというのは、わからんでもない。自分の親に向かって言うなら、「お母ちゃん、間違えちゃだめよ」くらいかの」

「うちゃ(=私は)、子どもが親に向かって「間違えんさんな」って言えるくらいの方が、仲のええ(=いい)親子関係って思えるけどね」

「ほうじゃの。で、ますやみそのコマーシャルが封印されたあと…。地方(=方言)を見直す動きが広がったこと、家族観の変化から「親しみがこもった話し方」と理解されるようになったことなどがあって、その封印を解除、放送が再開されたそうじゃ」

「ふーん。このコマーシャルにそんな歴史があったとは、知らんかったよ」





「以下、余談」


「今さらじゃが、ますやみそという会社について説明しとこう」

「ますやみそって名前は知っとるし、商品は店で見かけるけど、どんな会社かは、実はよう(=良く)知らんけぇね」

「ますやみそは、広島県呉市(くれし)に本社がある会社で、1929(昭和4)年に麹(こうじ)製造業の舛本商店として創業」

「みそやしょう油、日本酒を造るのに、麹は欠かせんね」

「みそを造るようになったのは戦後のことで、株式会社ますやみそを設立したのが、1965(昭和40)年5月じゃそうな」





「こ、この写真は?」

「今から60年くらい前いうけぇ、ますやみそが設立されたころかの。今のコマーシャルの元となったフレーズを、車のスピーカーから流して宣伝活動をされとったそうじゃ」

「へぇ。むかしは車を使うて宣伝をしよっちゃったんじゃね」

「このときは、会長のお母さんの声を録音したものを使われとったそうじゃ」



↓ますやみそについては、こちら↓

株式会社ますやみそ -Masuyamiso-





「以下、さらに余談」


「ますやみそのコマーシャルには、「お母ちゃん、間違えんさんな、ますやみそよ」のほかにもいろんなバージョンがあるんじゃの」

「たとえば?」

「たとえば、会社のキャッチコピー「母さんの味」にひっかけたもの」


「(伴奏あり)♪母さんの味、ますやみそ」


「あぁ、これは聞いたことがあるよ」

「そして、複数の子どもたちによるもの」


「(男の子の声で)ぼくの母さん、ますやみそ」
「(女の子の声で)うちの母さん、ますやみそ」
「(声を揃えて)向こう三軒両隣、みんなそろってますやみそ」



「うーん、こりゃ聞いたことがないね」

「こりゃ、わしの勝手な推測じゃが…。ますやみそのコマーシャルが封印された時期に使われたのが、このコマーシャルじゃなかったんかの?」

「ひょっとしたら…、っていうことね」

「最後に、元広島カープの選手で、6年前の2018年に亡くなられた、衣笠祥雄(きぬがさ さちお)のものもあるんじゃ」


「僕も好きです、ますやみそ」



↓ますやみそのコマーシャルについては、こちら↓

「ますやみそ公式チャンネル」YouTube





【参考文献】

「封印の時期も その訳は ますやみそ(呉市)のコマーシャル」中国新聞、2024年7月11日






「今日は、ますやみそのコマーシャル~誕生と封印の歴史について話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」
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