通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

旧キリンビール広島工場 専用線跡

2024年07月28日 | 見て歩き



「これは、むかしのキリンビール広島工場の写真じゃね、懐かしい」

「その跡地が、今はイオンモール広島府中になっとるがの」

「うちらは、ダイヤモンドシティ ソレイユの方が馴染みがあるけどね。で、今日は、キリンビール広島工場の話?」

「広島工場に接続しとった旧国鉄(今のJR)の専用線、俗にいう引き込み線の話じゃ」

「あぁ、芸備線から分岐した鉄道が、工場まで通っとったね」





「今日は、旧キリンビール広島工場 専用線跡についての話でがんす」





「最初に、旧キリンビール広島工場について説明しておこう。1936(昭和11)年、キリンビール(当時は、麒麟麦酒)4番目の工場が、安芸郡府中村に建てられることになった」

「おぉ、まだ府中村じゃったんか」

「いうても、翌1937(昭和12)年1月1日をもって町制を施行、府中村から府中町になるんじゃがの。で、工場を建設するための資材を運ぶために専用線が引かれた」




今昔マップ on the web


「えぇーっ!? 工場のまわりになにもないじゃん!」

「左側の白黒の地図は1951(昭和26)年の地図じゃが、このころは、工場のまわりには田んぼしかなかったんじゃの」

「おかげで、広島工場を出た専用線が、左へカーブを描きながら芸備線と合流する線路がはっきりわかるけどね」

「1938(昭和13)年に完成した広島工場は、当時、東洋一の規模を誇ったそうじゃ」

「東洋一か。それはすごいね」

「工場完成後は、生産に必要な原材料や、できあがった製品を専用線で運んだ。で、戦後の1950年代、日本が復興するのにあわせて、ビールの需要も増加した」

「ほいじゃ、工場も広くしちゃったんじゃろ?」

「それがの…」




今昔マップ on the web


「これは1969(昭和44)年の地図じゃが…」

「工場のまわりに家が建って、人が住むようになっとる。これじゃ、工場を広げるための用地がないね」

「キリンビールは、1966年に福岡工場を、1972年には岡山工場を新設。施設が老朽化しとった広島工場は、工場完成から60年後の、1998(平成10)年をもって工場を閉鎖した」

「その跡地に、2004(平成16)年ダイヤモンドシティ ソレイユがオープンしたんじゃね」

「今はイオンモール広島府中になっとるがの」



↓イオンモール広島府中については、こちら↓

イオンモール広島府中





「前置きの話が、えらい長うなってしもうたね」

「さっそく、専用線跡の話に入ろう」





「これは、イオンモール広島府中の北西側にある矢賀4丁目(北)交差点。専用線はこの交差点を通って、左へカーブを描きながら進んで、芸備線と合流する」

「交差点の北西側に日産の店(日産プリンス広島販売 矢賀店)があるね」





「これは、日産の駐車場」

「専用線はここを通っとったん?」

「この駐車場だけみてもピンとこんかもしれんが、奥のマンションを見てもらうと…」

「ん-、左へカーブしとるように見えるけど」





「このマンションを反対側から見ると…」

「おぉ、こっちの方がわかりやすい。確かにカーブしとるよ」





「回れ右をして、芸備線側を見ると…」

「ここでは、専用線と道路が交差しとるんじゃね」

「ほいじゃけぇ、ここには踏切があったはずじゃ」





「家がみえるあたりを通った専用線は、このあたりで芸備線に合流しとったはずじゃ」

「合流点というか、分岐点はわかったん?」

「近くに寄って見ることができんかったけぇ、具体的に「ここ」というところはわからんかったの」





訪問日:2024年7月21日





「今日は、旧キリンビール広島工場 専用線跡について話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」
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Xの挑戦

2024年07月24日 | まんが・テレビ・映画
今年、2024年は、石ノ森章太郎(いしのもり しょうたろう。旧表記:石森章太郎)のSF漫画『サイボーグ009』の原作誕生から60周年。

1964(昭和39)年30号(7月19日)から、『週刊少年キング』誌上で連載が始まったんじゃの。

これを記念して、YouTubeの東映アニメーションミュージアムチャンネルでは、1968(昭和43)年にテレビ放送された『サイボーグ009』(以下、「白黒版009」と略す)を期間限定公開中。

今回紹介するのは、白黒版009の第2話「Xの挑戦」じゃ。



↓「Xの挑戦」については、こちら↓

「60周年記念【公式】サイボーグ009「第1話 恐怖の怪人島」「第2話 Xの挑戦」」YouTube





今日は、「Xの挑戦」についての話でがんす。




「Xの挑戦」のストーリーを紹介すると…。

ある夜、サイボーグXの乗る円盤が、ギルモア研究所を襲う。
Xは、ギルモア博士を狙うオメガ博士が、ナックという青年を改造して作ったサイボーグだった。
ギルモア研究所から立ち去る途中、Xは十字架にバラの花を捧げる少女を見つける。
その少女は、ナックの婚約者・ミッチィ。
彼女は、ナックが交通事故で死んだものと思い、彼が好きだったバラの花を供えていたのだ。
再会を喜ぶミッチィに、ナックは自らの下半身は機械の体で、円盤と一体であることを告げ、立ち去る。



(『アニメージュ増刊 ロマンアルバム2 サイボーグ009』徳間書店、1977年、59ページ
メモ中に「5話」とあるところから、制作話数が「5話」で、放送話数が「2話」であることがわかる)


ナックを追って崖から落ちたミッチィは、009たちに助けられてギルモア研究所へ。
一方、009と一緒に行動していた003は、Xに連れ去られる。
003を人質に取ったオメガ博士は、Xと009との対決を要求する。



(『アニメージュ増刊 ロマンアルバム2 サイボーグ009』徳間書店、1977年、12~13ページ、書き起こしカラーピンナップ
左上が009とXとの対決シーン。右下が、ふたりの対決を見守るミッチィと003。真ん中手前は006)




「Xの挑戦」は、石ノ森原作にはない、脚本の辻真先(つじ まさき)と、演出の芹川有吾(せりかわ ゆうご)のコンビによる、オリジナルストーリー。

白黒版009では、第16話「太平洋の亡霊」、第26話(最終回)「平和の戦士は死なず」と並んで、人気のある作品のひとつじゃ。

ビデオがまだ普及していなかった1970年代後半、自主上映会が各地で行われていたが、その上映会でよく上映されていたんじゃの。

当時は、ビデオですらなく、16ミリフィルム(!)による上映会じゃったが。

1977(昭和52)年夏に公開された、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の大ヒットによって、アニメブームが起こったのはご存じのとおり。

それまで、「テレビ漫画」「まんが映画」と呼ばれていたのが、「アニメ」とか「アニメーション」とか呼ばれるようになったんじゃの。

で、そのアニメブームを受けて同年末に発売された、『サイボーグ009』のテレビ・オリジナル・サウンドトラック盤(LP)には、「Xの挑戦」「平和の戦士は死なず」が収録された。

そして、翌年春に発売されたEP盤には、「Xの挑戦」だけが収録されたんじゃの。

というわけで、白黒版009中でも「Xの挑戦」は人気のある作品じゃった。





以下、余談。


ことほど左様に人気のあった「Xの挑戦」じゃが、最近は後れを取っているようじゃ。

「平和の戦士は死なず」は、『サイボーグ009トリビュート』で、辻真先自らリメイクされとるし、「太平洋の亡霊」は、『サイボーグ009 太平洋の亡霊』で漫画化されている。

「Xの挑戦」も、どっかでリメイクしてもらえませんかいの?



↓『サイボーグ009トリビュート』については、こちら↓

「サイボーグ009トリビュート (河出文庫 い 42-2)」amazon



↓『サイボーグ009 太平洋の亡霊』については、こちら↓

「サイボーグ009 太平洋の亡霊 (チャンピオンREDコミックス) 」amazon




以下、さらに余談。


サイボーグXこと、ナックの声を担当されたのが、朝井ゆかり。

1965(昭和40)年に放送されたSFアニメ『宇宙少年ソラン』で、主人公・立花ソラン役をされた方じゃの。

おぉ、こちらもサイボーグという設定じゃった。



↓ソラン役の朝井ゆかりについては、こちら↓

「【1324】ソノレコード 宇宙少年ソラン「大潮流の巻」②」YouTube



↓宇宙少年ソランについては、こちら↓

「宇宙少年ソラン」株式会社エイケン オフィシャルサイト





今日は、「Xの挑戦」について話をさせてもろうたでがんす。

ほいじゃあ、またの。
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ますやみそのコマーシャル~誕生と封印の歴史

2024年07月21日 | 広島の話題
お母ちゃん、間違えんさんな、ますやみそよ


「おぉ~、ますやみそのコマーシャルじゃん。久しぶりに聞いたねぇ」

「ますやみそが、このコマーシャルをラジオで流し始めたのが、50年くらい前じゃそうな」

「へぇ、それくらい長い歴史があるんじゃ」

「ところが、このコマーシャルは一時期、封印されたことがあるそうじゃ」

「…封印? なんで?」





「今日は、ますやみそのコマーシャル~誕生と封印の歴史についての話でがんす」





「ますやみそのコマーシャルは、どんな理由で封印されたん?」

「今から数十年前のこと。方言は教育上よくないとか、母親に対する話し方ではないとか、といった指摘を受けて封印されたそうじゃ」

「えぇーっ!? 「方言は教育上よくない」っていう、その意味がわからん」

「母親に対する話し方ではないというのは、わからんでもない。自分の親に向かって言うなら、「お母ちゃん、間違えちゃだめよ」くらいかの」

「うちゃ(=私は)、子どもが親に向かって「間違えんさんな」って言えるくらいの方が、仲のええ(=いい)親子関係って思えるけどね」

「ほうじゃの。で、ますやみそのコマーシャルが封印されたあと…。地方(=方言)を見直す動きが広がったこと、家族観の変化から「親しみがこもった話し方」と理解されるようになったことなどがあって、その封印を解除、放送が再開されたそうじゃ」

「ふーん。このコマーシャルにそんな歴史があったとは、知らんかったよ」





「以下、余談」


「今さらじゃが、ますやみそという会社について説明しとこう」

「ますやみそって名前は知っとるし、商品は店で見かけるけど、どんな会社かは、実はよう(=良く)知らんけぇね」

「ますやみそは、広島県呉市(くれし)に本社がある会社で、1929(昭和4)年に麹(こうじ)製造業の舛本商店として創業」

「みそやしょう油、日本酒を造るのに、麹は欠かせんね」

「みそを造るようになったのは戦後のことで、株式会社ますやみそを設立したのが、1965(昭和40)年5月じゃそうな」





「こ、この写真は?」

「今から60年くらい前いうけぇ、ますやみそが設立されたころかの。今のコマーシャルの元となったフレーズを、車のスピーカーから流して宣伝活動をされとったそうじゃ」

「へぇ。むかしは車を使うて宣伝をしよっちゃったんじゃね」

「このときは、会長のお母さんの声を録音したものを使われとったそうじゃ」



↓ますやみそについては、こちら↓

株式会社ますやみそ -Masuyamiso-





「以下、さらに余談」


「ますやみそのコマーシャルには、「お母ちゃん、間違えんさんな、ますやみそよ」のほかにもいろんなバージョンがあるんじゃの」

「たとえば?」

「たとえば、会社のキャッチコピー「母さんの味」にひっかけたもの」


「(伴奏あり)♪母さんの味、ますやみそ」


「あぁ、これは聞いたことがあるよ」

「そして、複数の子どもたちによるもの」


「(男の子の声で)ぼくの母さん、ますやみそ」
「(女の子の声で)うちの母さん、ますやみそ」
「(声を揃えて)向こう三軒両隣、みんなそろってますやみそ」



「うーん、こりゃ聞いたことがないね」

「こりゃ、わしの勝手な推測じゃが…。ますやみそのコマーシャルが封印された時期に使われたのが、このコマーシャルじゃなかったんかの?」

「ひょっとしたら…、っていうことね」

「最後に、元広島カープの選手で、6年前の2018年に亡くなられた、衣笠祥雄(きぬがさ さちお)のものもあるんじゃ」


「僕も好きです、ますやみそ」



↓ますやみそのコマーシャルについては、こちら↓

「ますやみそ公式チャンネル」YouTube





【参考文献】

「封印の時期も その訳は ますやみそ(呉市)のコマーシャル」中国新聞、2024年7月11日






「今日は、ますやみそのコマーシャル~誕生と封印の歴史について話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」
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宇品線跡を歩く~広島駅からマツダスタジアムまで

2024年07月17日 | 見て歩き
「今年、2024年は、1894(明治27)年に起こった日清戦争から130年にあたる。そこで、広島市内に残る、日清戦争に関するものを紹介していこう」

「日清戦争は、近代日本が初めて経験する、外国との本格的な戦争じゃったね」

「今日は、宇品線跡じゃ」





「今日は、宇品線跡を歩く~広島駅からマツダスタジアムまで、についての話でがんす」





「最初に、宇品線について簡単に説明しておこう。宇品線は、山陽鉄道の広島停車場(今のJR広島駅)と宇品港(うじなこう。今の広島港)を結ぶ、全長約6キロメートルの鉄道として作られた」

「宇品港があったところに、広島まで鉄道が通った。ほいじゃけど、そのふたつを結ぶ輸送手段がなかった」

「日清戦争が始まって間もない1894年8月20日に、仮設ではあるが宇品線が開通した。軍部からの要請もあって、わずか17日間という突貫工事じゃったそうな」

「宇品線は、最初から軍用線として作られたんじゃね」

「戦後、原子爆弾の被害が少なかった宇品線の沿線には、官公庁の施設が置かれたり、学校が作られたこともあって、宇品線は通勤通学の足として使われた」

「広島と宇品は、広島電鉄の路面電車もあるし、戦後はバス路線も充実してきたし、なにより日本が車社会になったしね」

「官公庁も、市内中心部に移転したしの。宇品線は最後、貨物専用線として使われとったんじゃが、今から38年前の1986(昭和61)年9月末をもって廃止となったんじゃの」



「では、宇品線跡を見ていこう」

「宇品線のホームって、広島駅のどこにあったん?」

「今の広島駅の南側に1番ホームがあるじゃろ?」

「1番ホームいうたら、山陽本線の広島から西(宮島・岩国方面)へ行く電車が発着するところじゃね」

「その1番ホームの南東側に、0番ホームがあって、それが宇品線専用のホームじゃった」





「上の写真で見ると、左手にあるのが1番ホームで、右手のフェンスの向こう側に0番ホームがあったんじゃの」

「ありゃ、今はないよなって(=無くなって)しもうとるよ」

「駅の中にはないが、駅からマツダスタジアムまでのカープロードには、宇品線の跡を今でも見ることができるんじゃの」

「カープロードは、JR広島駅とマツダスタジアムを結ぶ、約500メートルの歩道のことじゃね」





「そのカープロードは、JRから土地を取得した広島市が、昨年秋から歩道を広くする工事をすすめとるんじゃの」

「左側の歩道が広くなったところが、かつての宇品線が通っていたところじゃね」





「そうそう。マツダスタジアムの前で、道が右へ曲がっとるよね」





「マツダスタジアムのスロープ前から広島駅側を見ると、ゆるやかじゃが、道がカーブを描いとるのがわかる」





「マツダスタジアムのスロープ前から、上の写真と反対側を見た」





「マツダスタジアムの前を通って…」





「県道164号、広島海田線と交差する球場前(西)交差点を通って、猿候川(えんこうがわ)橋梁(今の平和橋)を渡って、宇品へ続いとったんじゃの」





今昔マップ on the web


「これを地図でおさらいすると、こうなる。左側の白黒の地図が大正15年の広島、右側のカラーの地図が今の広島じゃ」

「なるほど。宇品線跡が、今のカープロードの一部になっとるんじゃね」





↓宇品線跡についての関連記事は、こちら↓

旧宇品線跡を歩く(その1)





【参考文献】

長船友則『宇品線92年の軌跡』ネコ・パブリッシング、2012年





訪問日:2024年7月13日





「今日は、宇品線跡を歩く~広島駅からマツダスタジアムまで、について話をさせてもろうたでがんす」

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広島駅の路面電車高架橋(工事中)を間近で見る

2024年07月14日 | 見て歩き
「今年、2024年は、1894(明治27)年に起こった日清戦争から130年にあたる。そこで、広島市内に残る、日清戦争に関するものを紹介していこう」

「日清戦争は、近代日本が初めて経験する、外国との本格的な戦争じゃったね」

「今日は、JR広島駅(開業当時は、山陽鉄道の広島停車場)じゃ」




(「広島駅ビル開業50年のあゆみパネル展」広島駅、2015年)


「広島駅が開業したのは、いつ?」

「開通式が行われたのが、1894年6月10日。もっともそれより少し前から、大陸へ向けて兵士の輸送に協力をしていたそうじゃが」

「広島の宇品港から大陸へ向けて兵士たちを運んだことで、それからの広島は軍都への道を歩んでいったんじゃったね」

「その広島駅では、来年、2025年春の開業を目指して、新しい駅ビルの建設が進められとるんじゃの」




(「新広島駅ビルの完成イメージ」JR西日本)


「おぉ、すごいね。この新しい広島駅が、来年の春にお目見えするんかぁ」

「今回の広島駅の目玉は、上の完成イメージの中央に見えるとおり、広島電鉄の路面電車が広島駅の2階へ直結することじゃ」

「稲荷橋交差点で左に曲がって、駅前大橋を通って広島駅まで一直線で進む、駅前大橋ルートが新しくできるんじゃったね」

「路面電車が広島駅に乗り入れることで、JRとの乗り継ぎがスムーズになるんじゃの」








「今日は、広島駅の路面電車高架橋(工事中)を間近で見る、についての話でがんす」








「というわけで、久しぶりに広島駅南口へ行ってみた」

「おぉ、工事の囲いもだいぶ外しとってじゃし、外観はほぼ完成しとるように見えるね」

「工事の進捗状況は、80パーセントくらいじゃそうな」





「駅前大橋南詰交差点から、広島駅方向をみたところ」

「電車の線路は敷いてあるんじゃね」

「路面電車は、ここまで地上を走る。ここから先、駅前大橋から広島駅の間に高架橋が渡してあるんじゃの」





「その高架橋は、今、3つに分かれとる」

「3つ?」

「手前の高架橋は、駅前大橋の上。赤いクレーンの奥に見える、中央の高架橋は、駅南口前を走る大洲(おおず)通りの上を。ほいで、奥にある高架橋は、広島駅南口に取り付けられてあるんじゃの」

「おぉ、確かに3つ見えるね」





「高架橋は、こうやってバスと比べてみると、大きいねぇ。ところで、この高架橋の幅はどれくらいあるんじゃろ?」

「幅は、約10メートルくらいあるそうじゃ」





「高架橋を、広島駅南口側から見たところ」

「高架橋の内側にある、三角のやつ。ありゃ、なんていうんじゃったっけ?」

「リブ。補強のためにつけられた部材じゃの」

「あのリブが、電車の窓から見える日が、もうすぐ来るんじゃね」





「広島駅南口の2階にとりつけられた高架橋と…」





「…それを支える円柱」

「この円柱、ごっついねぇ」

「見た感じ、直径が2メートルくらいあったかの」





「広島駅2階、路面電車が通るところを支える梁(はり)。いやぁ、こんなむき出しの形見れるとは思わんかった」

「こっちも、ごっついねぇ」

「今はまる見えじゃけど、完成するときには、天井でちゃんと隠してじゃろうがの」





「黄色いクレーンが停まっとるところは、つい最近までバスのりばがあったところじゃね」

「ここで組み立てられた高架橋が、8月末くらいまでに取りつけられて、一体となる。その工事が終わったあとは、ふたたびバスのりばとして整備されるそうじゃ」



↓新しい広島駅ビルについては、こちら↓

「広島駅ビル開発プロジェクト」JR西日本





訪問日:2024年7月13日






「今日は、広島駅の路面電車高架橋(工事中)を間近で見る、について話をさせてもろうたでがんす」

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