通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

生きつづけるロマンポルノ 日活創立100周年記念 シネツイン本通り

2012年10月13日 | まんが・テレビ・映画
「今日からシネツイン本通りで、「生きつづけるロマンポルノ 日活創立100周年記念」が始まるんじゃ」


世界中で再評価の気運高まる、
日活ロマンポルノ全上映作品が決定!
創立100周年を記念し、ニュープリントで甦る!

今年9月に日本最古の映画会社である日活が創立100周年を迎えます。
その節目に、日活の長い歴史のなかで最もセンセーショナルで社会に衝撃を与えた作品群である“日活ロマンポルノ”の特集上映を行う運びとなりました。
1971年に製作を開始した“日活ロマンポルノ”は、88年までの17年間、様々な女性の美しさを描き、日本映画史とたくさんの観客の記憶に残る作品を産み出しました。
伝統のスタジオシステムと一流のスタッフに支えられた若手クリエイターたちが一定の製作条件のもと自由に映画を作ることができる場として、神代辰巳、田中登、小沼勝、曾根中生、村川透、根岸吉太郎、池田敏春、金子修介をはじめとする多くの名監督を輩出するとともに、その作品の完成度の高さから現在でも国内外で高い評価を得ています。

今回の「生きつづけるロマンポルノ」特集上映では、リアルタイムで作品に接し、批評し続けてきた蓮實重彦氏、山田宏一氏、山根貞男氏を選者に迎え、“今、観るべき”日活ロマンポルノを厳選。
みずみずしいエネルギーに満ちた傑作が揃いました。

(「生きつづけるロマンポルノ」公式HP)



「生きつづけるロマンポルノ」のポスターに貼ってあるメッセージ
(シネツイン本通り)




「わしがロマンポルノを見始めたのは、20歳を過ぎたころじゃのう」

「ロマンポルノとか成人映画というと、やっぱり引いてしまうよね」

「今のAV(アダルトビデオ)は「セックスのための映像」なんよ。それに対して、ロマンポルノは「セックスシーンが、ふつうの映画より多い映画」と考えてもらゃあええんじゃがのう」

「ロマンポルノ、未成年のころは観てみたいと思いよった?」

「そりゃ、思いよったわい。ところがの…」



(『マル秘若妻のもだえ 後ろから横から』という成人映画を上映している映画館の前で、2人の高校生が小さな声で立ち話をしている)

青空・先輩(演;新田”ヨロシク”イチロー)「見てこうぜ!」

青空・後輩(演;さくま”プリプリ”あきら)「えっ!?」

先輩「見てこうよ!」

後輩「いやですよ」

先輩「大丈夫だよ!」

後輩「年バレたらまずいですよ!」

先輩「平気だって! わかんないよ」

後輩「えぇっ…。無理ですよ」

先輩「なんで?」

後輩「中にね、よくお巡りさんがいるらしいんですよ」

(「もういくつ寝ると18才未満(伊勢佐木町ブルース)」の冒頭のコントより
『スペクトラム5~スペクトラム・ブラスバンド・クラブ』1991年)



『スペクトラム5~スペクトラム・ブラスバンド・クラブ』amazon.co.jp




「成人映画やストリップ劇場には、お巡りさんや学校の先生が、学生が来ていないかどうか見回りをしていたという噂があっての…」

「バレたら困ると…。で、お父さんはロマンポルノを何本くらい観たん?」

「新東宝映画のピンク映画も含めると、最低でも20本は観とるじゃろうの。「タカノ橋日劇」(今の「サロンシネマ2」)や、的場にある「的場有楽座」「的場シネマ」でお世話になったもんじゃ」





「お父さんはロマンポルノのことを、「セックスシーンが、ふつうの映画より多い映画」というたけど、実際にはどんな内容なんかね?」



「3日で撮ってくれればなにを撮ってくれてもいいよ。濡れ場さえあれば」って。
ここがキモなんだよ。
フィルムをどーんと渡されて、そのフィルムがなくなったら終わりなんだよね。

(押井守「勝つために戦え!〈監督ゼッキョー篇〉」徳間書店 2010年)




「つまり、
一定の期間内に、(=短期間)
余分なフィルムを使わずに、(=低予算)
濡れ場(セックスシーン)のある映画を作ればOK
ということなんじゃの」

「押井守(おしい まもる)って、アニメ『うる星やつら』の監督をされた方?」

「ほうじゃの。新東宝映画のプロデューサーから「ポルノを撮ってみないか」と誘われたのは、映画『トーキング・ヘッド』(1992年)のころじゃそうな」

「そういえば、日活って、石原裕次郎や小林旭なんかがおった映画会社よね」

「ほうじゃの。うちのお袋は裕次郎よりも赤木圭一郎が好きじゃったんじゃがの」

「アクション映画で売った日活が、なんでポルノ映画なんか撮るようになったんかね?」

「戦後、1950年代は映画黄金期じゃったんじゃが、1960年代、家庭にテレビの普及して映画産業が斜陽化したんじゃの。そんな中、日活は1969年(昭和44年)に撮影所を、翌70年(昭和45年)には本社ビルを明け渡しすという状況じゃったんじゃ」



この様な暗黒時代の映画界でとにかく会社を生き残らせ社員を食わせるために、日活はメジャー映画会社の一角でありながらポルノ主体の路線へと舵を切ったのである。
その様な厳しい状況下では、日活に籍を置いていたキャリアの浅い若手の映画人たちの多くも退社したところで行き場も無く、本位も不本意も無くロマンポルノに活路を求めて足を踏み入れていくしか選択肢が無い状況であった。

(「日活ロマンポルノ」ウィキペディア)




「ロマンポルノが始まったのには、こういう時代背景があったんじゃね」

「ところが、ロマンポルノにはプラスの面もあったんじゃ」

「どんな?」

「さっきの押井守の話にも出てきたように、3日で撮って、濡れ場があれば、「なにを撮ってくれてもいいよ」というスタンスじゃったんよ」

「ということは、「短期間」「低予算」「濡れ場」をクリアすれば、あとは好きに映画を撮ってもええよ、ということなんじゃね」

「ロマンポルノ出身で今でも活躍されている監督の1人が、現在上映中の『天地明察』を監督した滝田洋二郎(たきた ようじろう)」

「『おくりびと』(2008年)でアカデミー賞を受賞された方じゃね」

「『はみ出しスクール水着』(1986年)などの作品を監督されとるんじゃ。ほかにも、ロマンポルノ出身の監督がおられますので紹介しときます。上の段がロマンポルノ作品、下の段が一般映画の作品になっとります」



金子修介(かねこ しゅうすけ)
『宇能鴻一郎の濡れて打つ』(1984年)
『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995年)


相米慎二(そうまい しんじ)
『ラブホテル』(1985年)
『セーラー服と機関銃』(1981年)


中原俊(なかはら しゅん)
『イヴちゃんの花びら』(1984年)
『12人の優しい日本人』(1991年)


那須博之(なす ひろゆき)
『セーラー服 百合族』(1983年)
『ビー・バップ・ハイスクール』(1985年)


森田芳光(もりた よしみつ)
『(本)噂のストリッパー』(1982年)
『家族ゲーム』(1983年)

(以上、五十音順)




「「ここから輩出した多くの才能が、1980年代から90年代の日本映画の中枢を担ったといっても過言ではない」という言葉があるが、それも言い過ぎではないくらいじゃの」





↓生きつづけるロマンポルノについては、こちら↓

「生きつづけるロマンポルノ」公式HP トップページ





↓シネツイン本通りについては、こちら↓

広島の映画館サロンシネマ、シネツイン、八丁座の広島地場劇場運営会社【序破急】





↓押井守については、こちら↓

ガブリエルの憂鬱 ~押井守公式サイト~





「今日からシネツイン本通りで封切られる、「生きつづけるロマンポルノ 日活創立100周年記念」について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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