通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

黄金山ぐるり一周(その1)

2013年04月30日 | 見て歩き
「今回は、黄金山(おうごんざん)をぐるり一周してみようと思う」

「はぁ? 黄金山を??」

「黄金山は広島市の南東部にある、標高221.7メートルの山。広島市内はもとより、坂町(さかちょう)や呉市(くれし)、広島湾から見ることができるんじゃの」

「それは知っとるけど…。ようもまぁ、そんなことを思いつくもんじゃね。で、どういうコースを行くん?」

「出汐(でしお)をスタートして、丹那(たんな)、楠那(くすな)、日宇那(ひうな)、仁保(にほ)、本浦(ほんうら)を通って、出汐に戻ってくる予定じゃ」





「…というわけで、国道2号線にある、出汐町バス停をスタート」

「進徳(しんとく)女子高校の前じゃね」







「進徳女子高校は1908年(明治41年)、進徳女子校として、材木町(ざいもくちょう)、今の平和公園内に設立されたんじゃの」

「へぇ。105年もの歴史があるんかぁ。知らんかった」



↓進徳女子高校については、こちら↓

進徳女子高等学校





「進徳高校から2号線に沿って東に進み、出汐町交差点を渡る」

「このあたりは交通量が多いけぇ、車に注意しましょう」









「進徳高校があるのは皆実町(みなみまち)で、この交差点を渡ると出汐になるんじゃの。ここから南側(右手側)に進むと…」

「皆実高校と県工(けんこう)があるよね」









「皆実高校は1901年(明治34年)に、広島県立広島高等女学校として設立されたんじゃの」

「衛生看護科があるのは、県内でもここだけじゃね」

「ふつうは、県工、県工って呼ぶんじゃが、県立工業高校のことなんじゃの。その県工は、1897年(明治30年)に開校した「広島県職工学校」を前身とするんじゃ」



しょっ‐こう 〔シヨク‐〕 【職工】

1 工場の労働者。工員。
2 手工業に従事する人。職人。

(「職工とは」コトバンク )




「3校とも、100年以上の歴史がある学校なんじゃね」



↓皆実高校については、こちら↓

広島県立広島皆実高等学校



↓県工については、こちら↓

広島県立広島工業高等学校







「看板越しに黄金山が見える」





「振り返ると、比治山(ひじやま)も見える」







「これは?」

「すぐ近くにあるアパートの窓にある手すりが気に入ったんで、撮ってみたんじゃ」

「ただ単に、丸い穴が開いとるだけじゃん」

「そう言われるとそうなんじゃが、なんか、気に入ってしもうたんよの。入口に「県警」とあったけぇ、ここは警察の寮かもしれん」









「真ん中にある細い路地に入ると、旧陸軍被服支廠(りくぐんひふくししょう)の建物が残っとるんじゃ」

「被服支廠って、軍服や軍靴なんかの、兵隊が身につけるものを造る工場のことじゃね」









「この鉄の扉は、原子爆弾の爆風で曲がっとるんよ」

「ここは、1913年(大正2年)に建てられた、鉄筋コンクリート造なんじゃの」

「え、鉄筋コンクリート造? レンガ造じゃないん?」

「レンガ造のように見えるが、鉄筋コンクリート造なんじゃそうな」

「へぇ」

「わしの記憶が確かなら…。映画『はだしのゲン』(1976年)で、下駄の絵付け職人で、反戦思想の持ち主じゃった父親と、その息子のゲンが、「非国民」となじられるシーンが、このあたりで撮影されたんじゃ」

「へぇ」

「で、ゲンの父親・大吉役を演じたのが、先日(2013年4月14日)亡くなられた三國連太郎(みくに れんたろう)なんじゃの」

「三國さんて反骨精神のある方じゃと聞いとったけど、そういう役も演じられとったんじゃね」





訪問日:2013年(平成25年)4月27日





「今日は、黄金山ぐるり一周ということで、出汐近辺について話をさせてもらいました」

「次回は、旭町(あさひまち)近辺、旧国鉄の宇品線について紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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海軍カレーは永遠に

2013年04月29日 | まんが・テレビ・映画
「今日は、『宇宙戦艦ヤマト2199』(以下、『新作』と略す)第4話「氷原の墓標」について話をしてみたいと思う。これは、『宇宙戦艦ヤマト』(1974年~1975年)の第6話「氷原に眠る宇宙駆逐艦ゆきかぜ!」にあたるんじゃの」

「で、「海軍カレーは永遠に」という、タイトルの意味は?」

「今回、食事のシーンが出てくるんじゃが、食堂の壁に「ランチメニュー」「宇宙海軍カレーセット」「金曜のおすすめ」と書いてあるんじゃ」

「あぁ。自衛隊では、曜日の感覚をとりもどすために、毎週金曜日にカレーを食べるって聞いたことがあるよ」

「これが、宇宙に飛び出した、ヤマトの所属する国連宇宙軍にも引き継がれとるということで、「海軍カレーは永遠に」というタイトルにしてみたんじゃ」

「宇宙でもカレーを食べれるんじゃろか?」

「今でも、宇宙ステーションに滞在しとる宇宙飛行士たちは、カレーを食べとるんじゃと」

「へぇ」

「ほかの日本食でいうと、白飯や赤飯、みそ汁、そば、うどん、ラーメン、焼き鳥なんかもあるそうじゃ」

「けっこうな種類があるんじゃね」





↓宇宙カレーについては、こちら↓

「スペースカレー」ハウス食品





「俗にいう日本風カレーは、大日本帝国海軍(以下、「海軍」と略す)が軍隊食として作って、普及したものなんじゃの」

「日本風のカレーは、小麦粉でとろみをつけとるんよね。そこが、インドのカレーとは違うんよ」

「海軍は、イギリス海軍に倣(なら)って作られたけぇ、食事もイギリス式のものを取り入れたんじゃの」

「カレーは、インドからイギリスを経由して日本に伝わったんよね」

「艦艇での生活は、運動不足になりがちになる。そして、一度、海に出ると、新鮮野菜に不自由することもあるんじゃ」



日露戦争当時、主に農家出身の兵士たちに白米を食べさせることとなった海軍の横須賀鎮守府が、調理が手軽で肉と野菜の両方がとれるバランスのよい食事としてカレーライスを採用し、海軍当局が1908年発行の海軍割烹術参考書に掲載して普及させ、海軍内の脚気の解消に成功した。

(「海軍カレー」ウィキペディア)




「脚気(かっけ)って、ビタミン不足でおこる病気じゃったっけ?」

「ほうじゃの。海軍は、主食を白飯から麦飯に替えたり、副食を改善したりして、脚気を減らした。ここにも書いてあるように、「バランスのよい食事」としてカレーライスを採用したんじゃ」

「で、海軍でカレーの味を覚えた人たちが、全国にカレーライスを広めていったんじゃね」

「一口に海軍カレーと言うても、各艦艇や部署ごとに独自のレシピがあるそうじゃ」



各艦艇・部署で隠し味があり、赤ワインやミロ、コカコーラ、チョコレート、インスタントコーヒー、ブルーベリージャムなど様々です。

(「海軍カレー」なりたい!しりたい★海上自衛隊)




「チョコレート、インスタントコーヒーを入れるのは分かるけど、コカコーラを入れると、どんな味になるんじゃろか?」

「わしが作るカレーは、すじ肉とマッシュルームを入れるのが定番じゃのう」

「それは、お父ちゃんが作りよったカレーから受け継いだものじゃね」

「マッシュルームと、煮込んだすじ肉は、意外とカレーに合うんで」

「とろとろになるまで煮込んだすじ肉って、おいしいよね」

「わしゃ、ドロっとしたカレーが好きなんじゃが…」

「うちは、サラサラの汁のようなカレーが好きじゃね」





↓自衛隊のカレーレシピについては、こちら↓

「★海上自衛隊のカレーレシピ★」海上自衛隊





「というわけで、カレーについての話はここまでなんじゃが、今回の話で、ちょいと気になったことがあるんじゃ」

「なに?」

「新作のヤマト艦内には、O.M.C.S(オムシス)と呼ばれる食糧供給システムがあるんじゃ」

「食糧か…。艦って、定期的に寄港して、燃料や食糧を補給せんといけんよね。広い宇宙空間に、そんな場所があるん?」

「あればOKじゃが、なければ、自力でなんとかするしかないんよの」

「自力でなんとかするって、艦の中でなんとかできるん?」



人類が長期間宇宙に滞在、または地球への依存から完全に脱して宇宙へ進出する際には、し尿や下水を含む有機物の再利用が必要となる。
システムの詳細は不明だが、「O・M・C・S」も何らかの形で有機物を再利用しており、真田の返答はこれを念頭に置いたものと考えられる。

「ヤマト (宇宙戦艦ヤマト)」ウィキペディア




「まさか…?」

「ここから先はわしも分からんけぇ、想像におまかせするしかない。ちなみに、オムシスをほめた相原に対して、真田が「知らない方が幸せだと思うよ」と返しとるんじゃ」

「げげっ!! 分かった、これ以上言わんでもええよ」





「今日は、『宇宙戦艦ヤマト2199』第4話「氷原の墓標」に関連して、海軍カレーとオムシスについて話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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『仮面ライダーアートギャラリー』 福屋広島駅前店

2013年04月28日 | まんが・テレビ・映画


「昨日は、福屋広島駅前店へ『仮面ライダーアートギャラリー』を見に行ってきたんじゃ」

「どうじゃった?」

「1971年(昭和46年)、今から42年前にテレビ放送と、まんが連載が始まった作品じゃけぇ、今さら未公開の写真や資料が出てくるわけでもない。正直、今まで雑誌などで見た資料や写真がほとんどなんじゃの。それでも、やっぱり見に行ってえかった」

「たとえば?」

「石森章太郎(=石ノ森章太郎。いしのもり しょうたろう)の描く、まんが第1話の冒頭37ページ分の複製原稿が展示されとるんじゃ」

「あぁ。お父さんが、「カラーで見たい」と言ってるやつじゃね」

「単行本では白黒で印刷されとるんじゃが、メディアファクトリーが発行した『仮面ライダー(全3巻)』(1999年)は、カラー原稿の部分が、カラーで復元されとるんじゃの。これは、比治山(ひじやま)にある広島市まんが図書館に行けば、見ることができるぞ」



↓広島市まんが図書館については、こちら↓

広島市まんが図書館



「ちなみに、まんがは「週刊ぼくらマガジン」(講談社)に掲載されとったんじゃが、週刊誌にもかかわらず、第1話は、16ページのカラーを含めて全50ページ!」

「週刊誌なのに、50ページ! すごい力の入れようじゃね」





「会場の中には、ライダーが展示してあって、そこで写真が撮れるようになっとるんじゃの」





「おー、1号ライダー」

「正確には、ラインの入っていない旧1号ライダーじゃ」

「このころは、まだ「変身」じゃなかったんよね」

「「変身!!」の掛け声とともに、「変身ポーズ」をとり始めたのは、一文字隼人(いちもんじ はやと)の2号ライダーからじゃの」





「わしゃ、サイクロンの独特のフォルムと、カラーリングが好きじゃの」







「V3に…」







「アマゾン」







「これは?」

「ご存じ、ショッカーの手術台」

「そうか。この手術台の上で、本郷猛(ほんごう たけし)たちが、改造手術を受けるんじゃったね」

「仮面ライダーでは、ウルトラマンの「怪獣」に対して、「怪人」という名称もあった。ほいじゃが、ショッカーによって改造された人間、「改造人間」という名称のほうが、心ならずも悪の手先にされてしもうた人間の哀しみが出とって、わしゃ好きなんじゃ」

「上に見える、白衣らしきものを着て、マスク、手袋をしている人が…」

「改造手術を行ったショッカーの科学者グループじゃろうの」

「手術台の横には、子ども向けに
「だいのうえで て を ひろげて しゃしん を とってね」
と書いてあるよ」

「正確には、両手両足を広げて立ち、苦痛の表情で、顔を左右に振る。ここに黄色や赤色の、原色系のスポットライトを当てて、以下のナレーションが流れると、もっと雰囲気が出るんじゃがの」



仮面ライダー本郷猛は改造人間である。
彼を改造したショッカーは、世界征服を企む悪の秘密結社である。
仮面ライダーは人間の自由のために、ショッカーと闘うのだ!




「…そこまでマニアックにやらんでもええじゃん」







「これは、ショッカーのエンブレムじゃね」

「翼を広げたワシをイメージしたものじゃの。このライトが点滅して、納谷吾郎(なや ごろう)演じるショッカー首領の声が聞こえてくる、というわけじゃ」

「子どものころ、ショッカーの秘密基地は、暗くて、不気味で、恐かったのを覚えとるよ」





訪問日:2013(平成25年)年4月27日





「今日は、福屋広島駅前店で開催されている『仮面ライダーアートギャラリー』について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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広島で移流霧と雲海

2013年04月27日 | 季節の話題
「中国新聞に、こんな記事が出とったよ」



呉市の瀬戸内海沿岸部で25日、局地的に濃い霧が発生した。
景勝地の音戸瀬戸では狭い海域を白いベールが覆い、船が汽笛を鳴らしながら注意深く行き交った。

呉海上保安部によると、瀬戸内海では春先から梅雨時にかけ「移流霧」という濃い霧が起きる。
風に流された霧が局地的に固まり極度に視界が落ちる。

音戸瀬戸では朝から午後3時過ぎまで霧が海上を覆った。
同市警固屋の無職古中達也さん(70)は「ここまで長く深い霧はめったにない」と驚いていた。

同保安部管内ではこの日、豊浜町斎島沖で漁船と貨物船が衝突。
濃霧で視界は100メートル以下だった。油の流出などはなかった。

広島地方気象台は、24日の雨で空気中の水蒸気が多いところに好天で気温が下がり、霧が発生しやすい状態だったとしている。

(「音戸瀬戸を「移流霧」覆う」中国新聞 2013年4月26日)




「へぇ。「移流霧(いりゅうぎり)」っていうのがあるんじゃのう」

「地元の人が「めったにない」というくらい、かすんどったんじゃね」

「海だけじゃのうて、山では雲海が広がったんじゃの」

「新聞には、県北の世羅(せら)台地に雲海が広がった、という記事も出とるね」

「わしゃ、八本松(はちほんまつ)で雲海を見たで」

「ほんま?」





東広島市八本松町宗吉(むねよし)から志和(しわ)方面を見る
(撮影日:2013年4月25日)



「おー、山がかすんどるね」

「同じ場所から撮った写真と比べてみると…」





同上
(撮影日:2013年4月26日)




「もうちょっと上から見てみたいね」

「上というほどじゃないが、歩道橋の上から比べてみると…」





(撮影日:2013年4月25日)




(撮影日:2013年4月26日)





「うーん。もうちょっと朝早かったら、もっとええ写真が撮れたかもしれんね」

「まぁ、めったに見れんものが見れたけぇ、ええとしようや」





「今日は、広島に移流霧と雲海について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」

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明日から『仮面ライダーアートギャラリー』 福屋広島駅前店

2013年04月24日 | まんが・テレビ・映画


1970年代から現在にいたるまで、多くの人に愛されてきた仮面ライダー。
子どもから大人まで、世代をこえて一緒に楽しめるキャラクターとして、親と子どもたちをつなぐ架け橋的な存在となっています。
今展は、そんな仮面ライダーの選りすぐりの原画(複製)や等身大のキャラクター、バイクなどの展示でお楽しみいただけます。
会場内シアターでは広島初公開の「仮面ライダー3Dバトル」もご覧いただけます。
親子そろって楽しめるゴールデンウィークのイベントへ、どうぞお出かけください。

「仮面ライダーアートギャラリー」広島の百貨店 福屋






「仮面ライダーか…。ウルトラマンといい、映画『ルパン三世 カリオストロの城』といい、今年はお父さんの好きなものが勢揃いじゃね」

「テレビでは『宇宙戦艦ヤマト2199』の放送も始まったしの。ちなみに、この4つの作品に関わっとられる方がおられるんじゃが、知っとるかいの?」

「ウルトラマン、ライダー、ルパンにヤマトの4つ?」

「ウルトラマンとライダーじゃったら、『ウルトラマン』のムラマツキャップ役と、『仮面ライダー』のおやっさんこと、立花藤兵衛(たちばな とうべえ)役の小林昭二(こばやし あきじ)がおられるのう」

「…うーん、分からん」

「今年(2015年)3月5日に亡くなられた、納谷悟朗(なや ごろう)じゃ」

「あー、ルパンの銭形(ぜにがた)警部役の方?」

「ほうじゃの。ライダーでは敵・ショッカーの首領役、ヤマトでは艦長の沖田十三(おきた じゅうぞう)役を演じられとってんじゃの」

「ウルトラマンにも出とられたっけ?」

「『ウルトラマンA(エース)』では、なんと、主役のAの声を担当しとられたんじゃ」

「そこまでは知らんかった」

「納谷氏のご冥福をお祈りいたします」





「というわけで、『仮面ライダー』について話をしようと思うたんじゃが、なにせ42年前の1971年(昭和46年)4月から始まった作品。作品の数だけで膨大(ぼうだい)な数になってしまうんじゃの」

「42年前か。そんなむかしの話になってしまうんじゃね」

「とりあえず、「昭和仮面ライダー」と「平成仮面ライダー」の、大きく2つに分けて紹介してみようかの」





■昭和仮面ライダー 第1期

『仮面ライダー』
(1971年4月から1973年2月)

『仮面ライダーV3(ブイスリー)』
(1973年2月から1974年2月)

『仮面ライダーX(エックス)』
(1974年2月から10月)

『仮面ライダーアマゾン』
(1974年10月から1975年3月)

『仮面ライダーストロンガー』
(1975年4月から12月)




「…こんなにあったっけ? うちは『V3』くらいまでしか知らんよ」

「仮面ライダーシリーズとしては、まだまだ序の口じゃ。とはいえ、わしも熱心に観よったのは『アマゾン』くらいまでかの」





■昭和仮面ライダー 第2期

『仮面ライダー(新)(スカイライダー)』
(1979年10月から1980年10月)

『仮面ライダースーパー1(ワン)』
(1980年10月から1981年9月)

『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』
(1984年1月)




「仮面ライダー全員集合!?」

「これは、雑誌を中心に展開されとった『仮面ライダーZX(ゼクロス)』を主役に据えて、1回だけ放送されたものじゃ」

「10号って、1号、2号、V3、エックス、アマゾン、ストロンガー、スカイ、1…で8人ライダーじゃん。ゼクロスを入れても9人ライダーじゃけど?」

「『V3』には、「ライダーマン」というライダーも登場しとるけぇ、それを入れて10人になるんじゃの」

「あぁ。ライダーマンって、口が見えるライダーかいね」

「それ、それ」





■昭和仮面ライダー 第3期

『仮面ライダーBLACK(ブラック)』
(1987年10月から1988年10月)

『仮面ライダーBLACK RX(ライダーブラック アールエックス)』
(1988年10月から1989年9月)






「この後、テレビで仮面ライダーが放送されん時代があるんじゃ」

「全然、作られんかったん?」

「このころはビデオも普及してきた時期じゃったけぇ、ビデオ作品として作られたのが…」



『真・仮面ライダー 序章』(1992年)



「1992年(平成4年)といえば、テレビの『仮面ライダー』を制作した東映のVシネマが幅を利かせた時代じゃの」



東映は低迷する日本映画の現状打開のため、劇場公開にかかるコストを作品制作費に充填する事で、低予算ながら劇場公開作品に劣らぬ品質を生み出そうとしたのである。

(略)

東映のこの試みは功を奏し、1990年までに発売した20本の平均売り上げ数2万7千本と1万本でヒットと言われるビデオ業界で大成功を収め、1990年4月からは月に1本、10月からは月2本と量産体制を整え、Vシネマ=オリジナルビデオという意味合いで、事実上の代名詞として使用される事も多い。

(「オリジナルビデオ」ウィキペディア)




「『真』のあと、2つの映画作品が作られとるんじゃ」



『仮面ライダーZO(ゼットオー)』(1993年)

『仮面ライダーJ(ジェイ)』(1994年)




「『J』は、仮面ライダーとしては、初めて巨大化する作品なんじゃの」

「仮面ライダーが、巨大化するん!?」

「1993年(平成5年)には、

『ウルトラマンVS仮面ライダー』

というビデオ作品も制作されとって、その流れもあると思うんじゃ」

「えぇっ!! 仮面ライダーはウルトラマンとも共演しとったん!?」



1990年代前半にはテレビシリーズは両シリーズとも休止中であったものの、映画やビデオ作品として久々に新作が発表されるなどの新たなムーブメントが起きつつあった。
そのような状況下でバンダイビジュアルが制作を手掛けた本作品は、それぞれの作品の権利者である円谷プロダクションと東映が複雑な権利関係をクリアするため再発売およびテレビ放送しない前提で同意。
両シリーズ歴代作品の名場面を使用した比較紹介やスタッフや出演者へのインタビューに加えて、完全新作の短編ドラマが収録されるに至った。

(「ウルトラマンVS仮面ライダー」ウィキペディア)






「2000年(平成12年)1月に『仮面ライダークウガ』の放送が始まって、テレビで約10年ぶりに仮面ライダーシリーズが復活。今に続く平成仮面ライダーシリーズが始まるんじゃ」



■平成仮面ライダー

『仮面ライダークウガ』
(2000年1月から2001年1月)

『仮面ライダーアギト』
(2001年1月から2002年1月)

『仮面ライダー龍騎(りゅうき)』
(2002年2月から2003年1月)

『仮面ライダー555(ファイズ)』
(2003年1月から2004年1月)

『仮面ライダー剣(ブレイド)』
(2004年1月から2005年1月)

『仮面ライダー響鬼(ひびき)』
(2005年1月から2006年1月)

『仮面ライダーカブト』
(2006年1月から2007年1月)

『仮面ライダー電王(でんおう)』
(2007年1月から2008年1月)

『仮面ライダーキバ』
(2008年1月から2009年1月)

『仮面ライダーディケイド』
(2009年1月から2009年8月)

『仮面ライダーW(ダブル)』
(2009年9月から2010年8月)

『仮面ライダーオーズ/000』
(2010年9月から2011年8月)

『仮面ライダーフォーゼ』
(2011年9月から2012年8月)

『仮面ライダーウィザード』
(2012年9月から現在まで)




「このあたりになると、誰が誰やら、全然分かりません」

「ライダーを見分ける手掛かりのひとつになるのが、変身ベルトかの」

「…?」

「たとえば、『ファイズ』では、変身ベルトに携帯電話をセットするんじゃ」

「あぁ。子どもたちがそんなベルトを持って遊びよったよね」

「わしらのころの変身ベルトといえば、「光る!!回る!!」。つまり、光って、回るだけじゃった。それが、「STANDING BY」というように、音声やサウンドが出るような仕掛けの変身ベルトを売り出すような時代になったんじゃの」

「そうか。仮面ライダーで「ライダースナック」を思い出したけど、「変身ベルト」もあったね」

「仮面ライダーといえば、「変身!」じゃもんの。このほかにも、2本の映画作品があるんじゃ」



『仮面ライダー THE FIRST(ザ ファースト)』(2005年)

『仮面ライダー THE NEXT(ザ ネクスト)』(2007年)




「個人的には、このテイストの仮面ライダーが観たいんじゃがのう」





↓『仮面ライダー THE FIRST』については、こちら↓

映画「仮面ライダー THE FIRST」公式サイト





↓『仮面ライダー THE NEXT』については、こちら↓

映画「仮面ライダー THE NEXT」公式サイト





「これで、仮面ライダーは全部で30作品になるんじゃね」

「そんなにあるんかいの?」

「で、ライダーって、全部で何人おるん?」

「…正確なところはわしにも分からんけぇ、答えはここから引用しとこう」



長き歴史にともない、数多くの仮面ライダーが生み出された仮面ライダーシリーズ。
平成シリーズに突入してからというもの、その総数は一気に膨れ上がり、『龍騎』ではオルタナティブ、オルタナティブ・ゼロという擬似ライダーも登場。
正確なカウントは困難だが、最新作『ウィザード』までに112人の仮面ライダーが存在する。

(「語れ! 仮面ライダー」KKベストセラーズ 2013年)






「今日は、福屋広島駅前店で開催される『仮面ライダーアートギャラリー』に関連して、仮面ライダーシリーズについて話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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