2日目
宮島街道と商工センターから
市内の橋を巡る 20キロ
その2 西区
緑大橋から草津橋まで
「2012年11月24日(土)に行われたピースウォークひろしまツーデーの2日目、宮島街道と商工センターから市内の橋を巡る(20キロ)。前回は、中区 中央公園から緑大橋(みどりおおはし)までを紹介したが」
「2回目の今日は、西区 緑大橋から草津橋まで」
「天満川に架かる緑大橋を渡ると、西区に入るんじゃ」
緑大橋
「平和大通りに沿って、西へ西へと歩いて行くんじゃ」
「紅葉がきれいじゃね」
「このあたりは観音町(かんおんまち)じゃの」
「平和大通りと広電の本線が合流するところに、西観音町の電停があるんじゃ」
「おー、マツダのCX-5のラッピング電車じゃね」
「CX-5といえば、昨年(2012年)の日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した車じゃの」
↓CX-5については、こちら↓
「「マツダ CX-5」が「日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞」マツダ
「このあたりは、福島町(ふくしまちょう)になるんじゃ」
「これは?」
「広島工業大学専門学校にある「平和の碑」」
「いろんな国の言葉で、「平和」の文字が刻んであるんじゃね」
「世界で使われている49の言葉で刻んであるそうじゃ。左側にある碑には、次のように刻まれてあったのう」
平和な社会は
意見の異なる者が共存する
ところに生れる
襄
↓広島工業大学専門学校については、こちら↓
HITP 広島工業大学専門学校 トップページ
「西区役所前を通って、太田川放水路に架かる新己斐橋(しんこいばし)を渡ると、己斐に入るんじゃ」
「己斐も、難読地名じゃろうね」
「「己斐」を「こい」と読めといわれても、難しいじゃろうの」
「鯉の浦」から己斐に変化したといわれ、海港として畑峠などを通じて内陸とつながれていた。
(「己斐」『広島県大百科事典』中国新聞社 1982年)
ズッコケ三人組モデル地点
花山商店街〈己斐商店街〉
ハチベエの家は花山商店街の一角にある八百屋だ。
父ちゃんが店先のキャベツをならべかえている。
『ズッコケ結婚相談所』
「己斐といえば、ズッコケ三人組の故郷じゃね」
「作者の那須正幹(なす まさもと)が己斐出身なんで、己斐の周辺がこの本の舞台となっとるんじゃの」
「作中の花山駅は、JR西広島駅がモデルとされとるんよ」
「その縁で2009年(平成21年)、三人組の像が駅前に設置されたんじゃ」
↓ズッコケ三人組については、こちら↓
「それいけ!ズッコケ三人組ホームページ」ポプラ社
「説明するのを忘れとったが、広島電鉄西広島駅前を左に曲がって、宮島街道に入る。国道2号線と交わる庚午(こうご)ランプにある旭橋西歩道橋を渡って行くんじゃ」
「これは?」
「旭橋西歩道橋の北側東詰にあって、「庚午大気測定所 広島市」と書いてあるんじゃ。詳しいことは分からんが、車の排気ガス量なんかを調べよるんじゃないんかの。地名は、ここから庚午になるんじゃ」
「「己斐」に続いて、「庚午」も難読地名じゃろうね」
1869年(明治2年)広島では凶作により多数の困窮者が発生し、その救済のため広島藩は大規模な干潟干拓工事を行った。
1870年(明治3年)現在の庚午地区に整備された干拓地は、この年の干支「庚午(かのえうま、こうご)」にちなみ「庚午新開(こうごしんがい)」と命名された。
(「庚午 (広島市)」ウィキペディア)
「これは?」
「コースからは少し外れるんじゃが、庚午第一公園にある原爆慰霊碑じゃ」
原爆慰霊碑の由来
太平洋戦争末期の1945年(昭和20)8月6日、突如人類初の原子爆弾が広島市上空で炸裂、一瞬のうちに数十万人の命を奪い去ると同時に多くの負傷者が出ました。
避難する途中この地で力尽き亡くなられた被災者は、地元高須庚午北町住民により荼毘に付され、ここに埋葬されました。
1948年(昭和23)遺骨の発掘が行なわれ、同年8月6日192柱が平和公園内の原爆供養塔へ納骨されました。
1959年(昭和34)恒久平和の願いを託して、書家 堀川岳陽先生揮毫による慰霊碑が高須、庚午北町民の浄財により建立されました。
建立50周年、慰霊碑改修工事にあたり碑の由来を記すとともに、往時を偲び改めて あまたの原爆犠牲者に哀悼の意を表します。
2010年(平成22)8月5日
高須町内会
庚午北町内会
(説明版より)
「これは庚午三差路(こうごさんさろ)の手前にある標識じゃが、何か気がついたことはあるかの?」
「まっすぐ行って右に曲がると、宮島へ行くよね。左に曲がって、太田川放水路を渡ったら観音(かんおん)、天満川を渡ったら舟入(ふないり)、江波(えば)。……間違ってないよ」
「観音にあるものといえば?」
「広島スタジアムにマリーナホップ、広島西飛行場。…あ、そうか。広島西飛行場は昨年(2012年)廃港になったんじゃったんじゃね」
「広島西飛行場は、11月15日午前0時をもって廃港。それと同時に、広島ヘリポートとしての業務を開始したんじゃ」
「まちゅだヒロくんに、カーボくん。こんなキャラがおったん?」
「広島マツダの、ゆるキャラなんじゃと」
「カーボくんの帽子に頭にある「HM」は?」
「広島マツダ(Hiroshima Mazda)の「HM」じゃそうな」
↓広島マツダについては、こちら↓
広島マツダ
「庚午三差路を右に歩いて行くと、美容室ラランジェ庚午店があるんじゃ」
「うちと娘たちが、いつもお世話になってます」
↓美容室ラランジェについては、こちら↓
広島の美容院・美容室「ラランジェ」
「これは?」
「ここは、草津にある西広島変電所。地名はこのあたりから草津に変わるんじゃ」
氏神の草津八幡宮の所まで入り江であって、古く軍津浦輪(いくさつうらわ)といわれ、軍(いくさ)の港から地名がおこったといわれる。
草津のカキは江戸時代に大阪にカキ船を持つなど広島カキとして知られていた。
(「草津」『広島県大百科事典』中国新聞社 1982年)
「御幸川に架かる草津橋に着いたね」
「ここは、ひろしま男子駅伝の最終区間となる7区・13キロのスタート地点になるんじゃの」
「ゴールの広島平和記念公園までを走るんよね」
↓ひろしま男子駅伝についての関連記事は、こちら↓
「てっぱん」駅伝くん 幻のひろしま男子駅伝
「次回は西区、草津橋から新八幡川橋まで を紹介する予定じゃ」
【メモ】
草津橋通過時間/9時45分ころ
(スタートから約1時間45分)
「今日は、ピースウォークひろしまツーデーの2日目、宮島街道と商工センターから市内の橋を巡る 20キロ、緑大橋から草津橋までについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
宮島街道と商工センターから
市内の橋を巡る 20キロ
その2 西区
緑大橋から草津橋まで
「2012年11月24日(土)に行われたピースウォークひろしまツーデーの2日目、宮島街道と商工センターから市内の橋を巡る(20キロ)。前回は、中区 中央公園から緑大橋(みどりおおはし)までを紹介したが」
「2回目の今日は、西区 緑大橋から草津橋まで」
「天満川に架かる緑大橋を渡ると、西区に入るんじゃ」
緑大橋
「平和大通りに沿って、西へ西へと歩いて行くんじゃ」
「紅葉がきれいじゃね」
「このあたりは観音町(かんおんまち)じゃの」
「平和大通りと広電の本線が合流するところに、西観音町の電停があるんじゃ」
「おー、マツダのCX-5のラッピング電車じゃね」
「CX-5といえば、昨年(2012年)の日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した車じゃの」
↓CX-5については、こちら↓
「「マツダ CX-5」が「日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞」マツダ
「このあたりは、福島町(ふくしまちょう)になるんじゃ」
「これは?」
「広島工業大学専門学校にある「平和の碑」」
「いろんな国の言葉で、「平和」の文字が刻んであるんじゃね」
「世界で使われている49の言葉で刻んであるそうじゃ。左側にある碑には、次のように刻まれてあったのう」
平和な社会は
意見の異なる者が共存する
ところに生れる
襄
↓広島工業大学専門学校については、こちら↓
HITP 広島工業大学専門学校 トップページ
「西区役所前を通って、太田川放水路に架かる新己斐橋(しんこいばし)を渡ると、己斐に入るんじゃ」
「己斐も、難読地名じゃろうね」
「「己斐」を「こい」と読めといわれても、難しいじゃろうの」
「鯉の浦」から己斐に変化したといわれ、海港として畑峠などを通じて内陸とつながれていた。
(「己斐」『広島県大百科事典』中国新聞社 1982年)
ズッコケ三人組モデル地点
花山商店街〈己斐商店街〉
ハチベエの家は花山商店街の一角にある八百屋だ。
父ちゃんが店先のキャベツをならべかえている。
『ズッコケ結婚相談所』
「己斐といえば、ズッコケ三人組の故郷じゃね」
「作者の那須正幹(なす まさもと)が己斐出身なんで、己斐の周辺がこの本の舞台となっとるんじゃの」
「作中の花山駅は、JR西広島駅がモデルとされとるんよ」
「その縁で2009年(平成21年)、三人組の像が駅前に設置されたんじゃ」
↓ズッコケ三人組については、こちら↓
「それいけ!ズッコケ三人組ホームページ」ポプラ社
「説明するのを忘れとったが、広島電鉄西広島駅前を左に曲がって、宮島街道に入る。国道2号線と交わる庚午(こうご)ランプにある旭橋西歩道橋を渡って行くんじゃ」
「これは?」
「旭橋西歩道橋の北側東詰にあって、「庚午大気測定所 広島市」と書いてあるんじゃ。詳しいことは分からんが、車の排気ガス量なんかを調べよるんじゃないんかの。地名は、ここから庚午になるんじゃ」
「「己斐」に続いて、「庚午」も難読地名じゃろうね」
1869年(明治2年)広島では凶作により多数の困窮者が発生し、その救済のため広島藩は大規模な干潟干拓工事を行った。
1870年(明治3年)現在の庚午地区に整備された干拓地は、この年の干支「庚午(かのえうま、こうご)」にちなみ「庚午新開(こうごしんがい)」と命名された。
(「庚午 (広島市)」ウィキペディア)
「これは?」
「コースからは少し外れるんじゃが、庚午第一公園にある原爆慰霊碑じゃ」
原爆慰霊碑の由来
太平洋戦争末期の1945年(昭和20)8月6日、突如人類初の原子爆弾が広島市上空で炸裂、一瞬のうちに数十万人の命を奪い去ると同時に多くの負傷者が出ました。
避難する途中この地で力尽き亡くなられた被災者は、地元高須庚午北町住民により荼毘に付され、ここに埋葬されました。
1948年(昭和23)遺骨の発掘が行なわれ、同年8月6日192柱が平和公園内の原爆供養塔へ納骨されました。
1959年(昭和34)恒久平和の願いを託して、書家 堀川岳陽先生揮毫による慰霊碑が高須、庚午北町民の浄財により建立されました。
建立50周年、慰霊碑改修工事にあたり碑の由来を記すとともに、往時を偲び改めて あまたの原爆犠牲者に哀悼の意を表します。
2010年(平成22)8月5日
高須町内会
庚午北町内会
(説明版より)
「これは庚午三差路(こうごさんさろ)の手前にある標識じゃが、何か気がついたことはあるかの?」
「まっすぐ行って右に曲がると、宮島へ行くよね。左に曲がって、太田川放水路を渡ったら観音(かんおん)、天満川を渡ったら舟入(ふないり)、江波(えば)。……間違ってないよ」
「観音にあるものといえば?」
「広島スタジアムにマリーナホップ、広島西飛行場。…あ、そうか。広島西飛行場は昨年(2012年)廃港になったんじゃったんじゃね」
「広島西飛行場は、11月15日午前0時をもって廃港。それと同時に、広島ヘリポートとしての業務を開始したんじゃ」
「まちゅだヒロくんに、カーボくん。こんなキャラがおったん?」
「広島マツダの、ゆるキャラなんじゃと」
「カーボくんの帽子に頭にある「HM」は?」
「広島マツダ(Hiroshima Mazda)の「HM」じゃそうな」
↓広島マツダについては、こちら↓
広島マツダ
「庚午三差路を右に歩いて行くと、美容室ラランジェ庚午店があるんじゃ」
「うちと娘たちが、いつもお世話になってます」
↓美容室ラランジェについては、こちら↓
広島の美容院・美容室「ラランジェ」
「これは?」
「ここは、草津にある西広島変電所。地名はこのあたりから草津に変わるんじゃ」
氏神の草津八幡宮の所まで入り江であって、古く軍津浦輪(いくさつうらわ)といわれ、軍(いくさ)の港から地名がおこったといわれる。
草津のカキは江戸時代に大阪にカキ船を持つなど広島カキとして知られていた。
(「草津」『広島県大百科事典』中国新聞社 1982年)
「御幸川に架かる草津橋に着いたね」
「ここは、ひろしま男子駅伝の最終区間となる7区・13キロのスタート地点になるんじゃの」
「ゴールの広島平和記念公園までを走るんよね」
↓ひろしま男子駅伝についての関連記事は、こちら↓
「てっぱん」駅伝くん 幻のひろしま男子駅伝
「次回は西区、草津橋から新八幡川橋まで を紹介する予定じゃ」
【メモ】
草津橋通過時間/9時45分ころ
(スタートから約1時間45分)
「今日は、ピースウォークひろしまツーデーの2日目、宮島街道と商工センターから市内の橋を巡る 20キロ、緑大橋から草津橋までについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」