通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

呉市制110周年

2012年10月01日 | 広島の話題
「呉市が市制を施行して、今日で110周年になるそうじゃ」

「呉市ができる前は、どこじゃったんかね?」

「安芸郡じゃったんよ」

「安芸郡!?」

「わしは中学校のころ安芸郡府中町(あきぐんふちゅうちょう)に住んどったんよ。安芸郡のスポーツ大会、これを「郡大(ぐんたい)」いうて言よったんじゃがの、その郡大は呉市で行われとったんじゃ。今から35年くらい前の話じゃがの」

「へぇ…」

「今は呉市になっとる島、倉橋島(くらはしじま)や上蒲刈島(かみかまがりじま)、下蒲刈島(しもかまがりじま)なんかも、そのころは安芸郡じゃったんよ」

「安芸郡って、結構広かったんじゃね」

「安芸郡は今、海田町(かいたちょう)、熊野町(くまのちょう)、坂町(さかちょう)、ほいで府中町と4つの町しかないんよの。ところが、1889年(明治22年)に市町村制施行された当時は、次の1町29村があったそうじゃ」



海田市町(かいたいちまち)
牛田村(うしたむら)
江田島村(えたじまむら)
大屋村(おおやむら)
奥海田村(おくかいたむら)
蒲刈島村(かまがりじまむら)
上瀬野村(かみせのむら)
熊野村(くまのむら)
倉橋島村(くらはしじまむら)
警固屋村(けごやむら)
坂村(さかむら)
下瀬野村(しもせのむら)
瀬戸島村(せとじまむら)
荘山田村(そうやまだむら)
渡子島村(とのこしまむら)
中野村(なかのむら)
中山村(なかやまむら)
仁保島村(にほしまむら)
温品村(ぬくしなむら)
畑賀村(はたかむら)
府中村(ふちゅうむら)
船越村(ふなこしむら)
戸坂村(へさかむら)
本庄村(ほんじょうむら)
宮原村(みやはらむら)
矢賀村(やがむら)
焼山村(やけやまむら)
矢野村(やのむら)
吉浦村(よしうらむら)
和庄村(わしょうむら)

(「安芸郡 (広島県)」ウィキペディア)




「こうやってみると、安芸郡って、ほんとうに広かったんじゃね」

「今は広島市になっとる牛田や瀬野、戸坂なんかも含まれとるもんの。わしが調べた範囲では、上記の1町29村のうち9つの村が、今の呉市になっとるんじゃ」



明治の初年まで呉浦は半農半漁の4つの村落でしたが,明治19年(1886年),第二海軍区軍港に指定,
同22年(1889年)呉鎮守府の開庁とともに本格的な海軍基地の建設が進められました。
その後,明治35年(1902年)10月1日に宮原,和庄,荘山田,二川の4町村が合併して市制を施行,
昭和3年(1928年)に吉浦,警固屋,阿賀,同16年(1941年)に広,仁方の各町村と合併しました。

(「呉市制110周年記念ホームページ」呉市)




「阿賀(あが)、広(ひろ)、仁方(にがた)は安芸郡じゃなかったよね?」

「このあたりは賀茂郡(かもぐん)じゃったんじゃの」

「今から110年前の1902年、宮原、和庄、荘山田、二川の4町村が合併して呉市になったんじゃね」

「呉鎮守府ができて13年後に呉市ができたというわけじゃ」

「呉は「海軍の街」じゃね」



呉地方総幹部(旧呉鎮守府)
訪問日:2011年12月18日



「鎮守府は、横須賀(よこすか。神奈川県横須賀市)と佐世保(させぼ。長崎県佐世保市)にもあったよね」

「あとは、舞鶴(まいづる。京都府舞鶴市)にもあったんじゃ」

「舞鶴いうたら、呉市と肉じゃが発祥の地論争をしたことがあったよね」

「今は、呉・舞鶴ともに肉じゃが発祥の地となっとるがの」

「そういや、呉に鎮守府が作られた理由はなんじゃろか?」



『秘書類纂』(伊藤博文)によると、呉に鎮守府が設置される理由として「仮令(たとへ)有事ノ日ト雖(いえ)ドモ容易ニ敵襲ヲ受クルノ虞(おそれ)ナク、実ニ安全無比ノ地タルヲ以テ、帝国海軍第一ノ製造所ヲ設ケ、将来益々其規模ヲ拡張シ兵器艦船ヲ造出シ」と記されている。

(『広島県の百年』山川出版社 1983年)




「呉は、いざ事が起きても敵が襲ってくる危険が少ない安全な場所だから、海軍一の工場を造って艦艇や兵器を製造する、という意味のことが書いてあるんじゃの」

「呉には海軍工廠(こうしょう。工場)があって、戦艦大和もここで作ったんよね」

「なぜ、呉が敵に襲われる危険が少ないかということを、下の地図で説明すると…」



清盛マリンビュー内に展示されている地図(一部改変)
撮影日:2012年1月9日



「呉港に入るには、1)音戸の瀬戸(おんどのせと)、2)早瀬の瀬戸(はやせのせと)、3)大屋の瀬戸の3つがあるんよ。音戸の瀬戸は、本土と倉橋島(くらはしじま)の音戸町(おんどちょう)との間に、早瀬の瀬戸は、音戸町と東能美島(ひがしのうみじま)の大柿町(おおがきちょう)との間にあるんじゃの」

「音戸の瀬戸も早瀬の瀬戸も狭いし、潮の流れが速いよね」

「大屋の瀬戸は砲台を築くことで、敵艦隊の進入を防ぐことができるというわけじゃ」

「飛行機ができるまえの話じゃけぇ、敵は陸か海からしか攻めてこんかった時代じゃね」

「飛行機といえば、アメリカのライト兄弟が初の本格的な有人飛行を行ったのが、1903年(明治36年)の12月17日じゃったの」

「広島駅は1894年(明治27年)、山陽鉄道が開通してできたよね。呉に鉄道が通ったのはいつごろじゃろうか?」

「呉線は、呉市ができた翌年の1903年(明治36年)の12月27日に、海田市駅と呉駅で開業したんじゃ」

「ライト兄弟が初飛行を成功させてから10日後のことになるんじゃね」




灰ヶ峰(はいがみね)から呉市を望む
撮影日:2011年12月24日






↓呉市については、こちら↓

呉市制110周年記念ホームページ





↓呉市についての関連記事は、こちら↓

夕日に眠る 戦艦大和

旧海軍墓地 長迫公園 呉市上長迫町

音戸大橋 開通から50年






「今日は、呉市制110周年ということで、呉市が成立したころの話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする