通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

丸子山不動院 江波

2016年05月30日 | 見て歩き
江波(えば)ぶらり(その4)

江波港散策コース

丸子山不動院(まるこやまふどういん)






↓前回記事は、こちら↓

元料亭・山文 江波





前回は、元料亭・山文(やまぶん)と、

アニメ映画『この世界の片隅に』(監督・脚本:片渕須直)に出てくる

松下商店あたりをぶらぶら歩いてみました。





↓映画『この世界の片隅に』については、こちら↓

映画「この世界の片隅に」公式サイト





今回は、そこから少し南側にある

丸子山不動院を

ぶらぶらしてみようと思います。







丸子山不動院



文化5年(1808)江波の仲屋幸助が

筑紫国(福岡県)に航海の際、

豊後国(大分県)の海中で漁師の網にかかった像を貰い受け、

江波に持ち帰り、丸子山に一堂宇を建立しました。


大正5年(1916)年火災焼失し、同年再建されました。


境内には海上の安全を守るための常夜灯があります。



(案内板より)






不動院がある丸子山は、

江波山、江波皿山とともに

広島湾に浮かぶ島じゃった。





広島の街は16世紀末、

毛利輝元(もうり てるもと)が太田川デルタに

広島城を築城したのが始まりで、

江戸時代、海を干拓して城下町を広げていった。





ここ、江波のあたりも干拓されて

海に浮かぶ島が今のように陸続きになったそうじゃ。





そんな江戸時代も終わりに近い文化5年(1808年)、

江波の丸子山に不動院が建てられた。





あと、丸子山不動院は広島新四国八十八カ所霊場の

第七十六番霊場でもあるんじゃの。





↓広島新四国八十八カ所霊場については、こちら↓

広島新四国八十八カ所霊場 巡拝のご案内







入口には井戸があって…、







御加持水不動明王が祀ってあった。





階段を上ると…、







為海上目的

嘉永四辛亥年三月






嘉永4年(1851年)の銘があるが、

その2年後の嘉永6年(1853年)には

アメリカのペリー率いる黒船が4隻、

浦賀に来航しとるんじゃの。



















凱旋記念碑

昭和七年八月吉日建之














右に本堂、左に

正一位 伏見稲荷大明神

正一位 高寅稲荷大明神

がある。







本堂。





訪問日:2016年5月5日





今日は、丸子山不動院

について話をさせてもらいました。



次回は、丸子山不動院の境内を

ぶらぶらする予定じゃ。





ほいじゃあ、またの。
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JR広島駅北口改良工事(その26)

2016年05月25日 | 広島の話題
JR広島駅北口(新幹線口)

ペデストリアンデッキ整備

中央通路に車いす対応のエスカレーター取り付け?






↓JR広島駅北口改良工事については、こちら↓

「広島駅北口広場」URBAN HIROSHIMA 街づくりデータベース





↓前回記事は、こちら↓

JR広島駅北口改良工事(その25)







このブログでは、「ペデストリアンデッキ」なんていう、

舌をかみそうな横文字は使いとうないんで、

「ペデストリアンデッキ」を「歩行者専用通路」と

呼ぶことにします。





また、上のイメージ図にある3つの歩行者専用通路は、

左から、東側通路、中央通路、西側通路

と呼び分けています。







東側通路、シェラトンホテル広島の2階から見る。

左側がJR広島駅で、

向かい側に見えるのが、ホテルグランヴィア広島。







JR広島駅北口東側駅舎の囲いが一部取り外してあって、

屋根の様子が見えるようになった。







下から見上げる。







東側駅舎とシェラトンホテル広島をつなぐ部分にも

屋根の枠が取り付けてあった。







先週から気になっとるのが、

中央通路の北側、

新幹線口東交差点北側の昇降口。







先週は、

エスカレーターでも付くんじゃろうか?

と想像しとったんじゃが、これを見る限り、

車いす対応のエスカレーターが取り付けられるようにみえる。







それにしても、

東側通路、中央通路、西側通路と3つの通路があるのに、

なんで中央通路だけに

車いす対応のエスカレーターが取り付けられるんじゃろか?





♪なんでだろう~、なんでだろう~

(テツandトモ)






と歌いながら近くを歩いてみると…、







この昇降口から北へ100メートルくらい行ったところに

JR広島病院(旧:広島鉄道病院)がある。





ここへ通う方のために

車いす対応のエスカレーターが

取り付けられたんじゃろうかの?





撮影日:2016年5月22日





今日は、JR広島駅北口改良工事について話をさせてもらいました。

ほいじゃあ、またの。
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元料亭・山文 江波

2016年05月23日 | 見て歩き
江波(えば)ぶらり(その3)

江波港散策コース

元料亭・山文(やまぶん)






↓前回記事は、こちら↓

今も残る石垣 江波







前回は、江波のまちに今も残る石垣を見ながら

ぶらぶら歩いてみました。





今回は、元料亭・山文あたりを

ぶらぶらしてみようと思います。








元料亭・山文



本川河口の西岸に面した江波の玄関口にあって、

「いけす」を構えた料亭。

広島の著名人が好んで白魚(シロウオ)料理などを

食した所として有名です。



頼山陽もたびたび客として訪れ、

舟板に書いた直筆の「白魚あり山文」の看板が、

現在も保存されています。

他に浅野家代々、山形有朋、伊藤博文等が

よく訪れていました。

創業は寛政2年(1790)で、

多くの客は舟を使って料亭を訪れていました。



(案内板より)






今は跡形もなくなっとるが、

このあたりに料亭・山文があったそうじゃ。





「昭和四年九月改正当時の営業別住所入明細図」

(『復興前後の廣島案内図』あき書房)には、

「うなぎ かき 鮎御料理  山文」

との記載がある。





白魚のほかにも、

鰻(うなぎ)や牡蠣(かき)、鮎(あゆ)など

新鮮な魚貝類を味わうことができたんじゃろうの。





↓あき書房については、こちら↓

あき書房のウェブサイトへようこそ!





案内板に出てきた人名について説明を…。





頼山陽(らい さんよう)は江戸時代後期の漢学者で、

著書『日本外史』は幕末から明治初期の人々に

大きな影響を与えたといわれる。





その山陽が広島藩を脱藩したときに幽閉(ゆうへい)された家が

広島市中区の袋町(ふくろまち)に残されとるんじゃ。





↓頼山陽については、こちら↓

頼山陽記念文化財団





浅野家は江戸時代、

安芸広島藩の藩主じゃった家。





山形有朋(やまがた ありとも)、

伊藤博文(いとう ひろぶみ)とも

広島県の隣・山口県で生まれ、

松下村塾(しょうかそんじゅく)に学び、

のち内閣総理大臣になった方々じゃ。











今年(2016年)の秋に公開予定の

アニメ映画『この世界の片隅に』(監督・脚本:片渕須直)

のロケーションマップで、

松下商店と紹介されとるのが、ここ。





山文の向かいにあった松下商店の前を

すずさんがパタパタかけてゆくシーンは作った。

(「すずさんの日々とともに 第27回「27年11月」潮の引いた海で」株式会社MAPPA)






監督の片渕さんは、映画で山文を出したかったんじゃが、

絵にするだけの資料がのう(=なく)て断念。

そのかわりに松下商店が描かれることになったそうじゃ。





↓映画『この世界の片隅に』については、こちら↓

映画「この世界の片隅に」公式サイト





訪問日:2016年5月5日





今日は、江波にある元料亭・山文、松下商店

について話をさせてもらいました。



次回は、丸子山不動院をぶらぶらする予定じゃ。





ほいじゃあ、またの。
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殉職者招魂碑~呉市ぶらり(その2)

2016年05月20日 | 見て歩き
呉市

かつての海軍の街

殉職者招魂碑






↓前回記事は、こちら↓

呉市二河公園多目的グラウンド~呉市ぶらり(その1)





前回は、呉市にある二河(にこう)公園多目的グラウンド

(以下、「二河グラウンド」と略す)

について話をさせてもらいました。





今日は、二河グラウンドの北側、

呉市スポーツ会館の玄関口にある

殉職者招魂碑じゃ。







前回書いたとおり、

中学生のころ安芸郡府中町に住んどったわしは、

陸上の郡体(ぐんたい。郡の体育大会)で二河グラウンドに

よう(=よく)来よった。





そのころからこの塔は気になっとったが、

「殉職者招魂碑」じゃいうのは、

今回初めて知ったんじゃの。







この塔は大正十一年十二月二十二日に

建立され 明治二十六年から昭和二十年

までの 呉海軍工廠の殉職者を祀る

招魂碑でありました 今回呉海軍港創設

時以後の呉鎮守府管下非戦闘員の殉職

を悼みここに合祀するものであります

     昭和五十年八月十五日

     呉市長 奥原義人








殉職者名簿奉納室







海軍関係の碑だけあって、

近くで見ると、

碇(いかり)とスクリューがデザインしてある。






呉海軍工廠は、

1889年(明治22年)に開庁した呉鎮守府の

「造船部」と「兵器部」が改組されて、

1903年(明治36年)に創設された。





工廠いうのは、

軍隊直属の軍需工場のことで、

軍に関係する兵器や銃器などを作るところじゃの。





呉海軍工廠いうたら、

史上最大の戦艦・大和(やまと)を建造したことでも有名。





そのおかげで、呉市には

大和ミュージアム(正式名称:呉市海事歴史科学館}

があるんじゃの。





↓大和ミュージアムについては、こちら↓

呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)







二河グラウンドの西隣にある

市営二河野球場(画面奥)と比べてみても、

その大きさが分かる。





訪問日:2016年5月2日





今日は、二河グラウンドの北側にある

殉職者招魂碑について話をさせてもらいました。



次回は、忠勇護国碑の予定じゃ。





ほいじゃあ、またの。
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坂町ぶらり(その11)

2016年05月19日 | 見て歩き
坂町(さかちょう)

遊歩道、頭部(ずぶう)・天狗岩ルート

坂町を見渡す






↓前回記事は、こちら↓

坂町ぶらり(その10)




前回までは、坂町の海沿いを

ぶらぶら歩いてみました。





今回からは、坂町の山を南北に縦断する遊歩道

頭部・天狗岩ルート

をぶらぶら歩いてみようと思います。





↓坂町の遊歩道については、こちら↓

「坂町遊歩道マップ」広島県坂町ホームページ







晴天に恵まれた大型連休中初日の4月29日、

JR坂駅南口を出て、

「坂町ふるさと自然のみち」看板前を通って右へ曲がり…、







「頭部ルート坂駅口」の看板があるこの角を

奥へ入っていく。





この遊歩道は案内板が完備されとるけぇ、

道に迷うことは(ほぼ)ないと思います。







急傾斜地崩壊危険区域の看板が。





このルートは上り下りが急なところが多いので、

そのつもりでお出かけください。







この急な坂を上っていくと…、







坂町が一望できる。

おぉ、絶景かな!





西から東へ見ていくと…。





中央を、クレアラインの愛称を持つ広島呉道路が走り、

それと交差するように国道31号線とJR呉線が走る。





その奥に坂町の横浜公園、

広島湾に浮かぶ金輪島(かなわじま)と

似島(にのしま)が見える。







手前には、中・高・大学の教育施設や商業施設が集まり、

奥に森山が見える。







木に隠れて見えないが、手前にJR坂駅があって、

中央を坂駅前通りが海に向かって延びている。







中国電力坂変電所の巨大な鉄塔が見える。







さらに上っていくと…、







手前に海田大橋、

奥に黄金山(おうごんざん)が見える。







さらに上っていくと…、







立派な山藤(やまふじ)が満開じゃった。





今日は、山からの絶景と、

満開の山藤を楽しむことができました。





訪問日:2016年4月29日





今日は、坂町の遊歩道、

頭部・天狗岩ルートから眺める坂町

について話をさせてもらいました。



次回は、頭部みはらし公園あたりをぶらぶらする予定じゃ。





ほいじゃあ、またの。
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