通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

山霧の里へ 安芸高田市吉田町

2013年11月21日 | 広島の話題



「先週の土曜日、11月16日は、安芸高田市吉田町(あきたかたし よしだちょう)にある安芸高田市歴史民俗博物館へ、特別展「毛利隆元(もうり たかもと)」を見に行ってきたんじゃ」

「えーっと、毛利隆元って、どなたじゃったっけ?」

「隆元は、戦国大名・毛利元就(もとなり)の長男にあたる方じゃ」

「ということは、広島城を築いた毛利輝元(てるもと)のお父さん?」

「ほうじゃの。輝元は、元就の孫にあたるけぇ」

「タイトルの「山霧の里へ」というのは?」

「吉田へ行ってみたら山霧が出とったけぇ、こういうタイトルにしてみた」

「『山霧』いうたら、NHK大河ドラマ『毛利元就』の原作じゃったね」

「永井路子(ながい みちこ)さんが書かれた『山霧』が、今から16年前の1997年(平成9年)、NHK大河ドラマ『毛利元就』の原作になったんじゃ」





文藝春秋BOOKS






↓NHK大河ドラマ『毛利元就』については、こちら↓

「毛利元就 大河ドラマ」NHKオンライン







「広島バスセンターから、広電吉田出張所行きのバスに乗る」







「国道54号線を北へ進む。可部(かべ)・大林を通り抜けて、上根峠(かみねとうげ)を越えたあたりから…」

「おー、霧が出てきたね」



♪霧の中から アイアンキング~

(『アイアンキング』作詞:佐々木守)




「今から41年前に放送された、史上最弱のヒーローといわれる特撮テレビ番組『アイアンキング』の主題歌。歌うは、子門真人(しもん まさと)!」

「また、茶々を入れる!!」



↓『アイアンキング』については、こちら↓

「アイアンキング 子門真人」youtube





「今はバイパスができとるけど、上根峠いうたら、むかしから交通の難所じゃったんよね」

「この峠は、標高268メートル、高低差が80メートルあるんじゃの」

「国道54号線も、つづら折りの道になっとるよ」

「このあたりの谷は、吉田の北にある三次(みよし)から流れてきた霧がこの谷で切れるところから、霧を切る谷、つまり「霧切谷(きりきりだに)」と呼ばれとるそうじゃ」

「そのあたりから、霧が出てきたんじゃね」



↓上根峠(かみねとうげ)については、こちら↓

「上根峠」ひろしま文化大百科









「…という感じで、吉田へ着くまで、ずっと霧が出とった。というより、霧に包まれた、という感じじゃったのう」







「安芸高田市役所前のバス停から見た、吉田町の風景。駐車場の向こうに見えるのは、徳榮寺というお寺」

「これ、何時ころ?」

「午前11時15分ころでも、こんな感じじゃったのう」





↓安芸高田市歴史民俗博物館については、こちら↓

安芸高田市歴史民俗博物館





↓三次、霧の海については、こちら↓

霧の海ライブカメラ





訪問日:2013年11月16日





【参考文献】

『広島県大百科事典(上巻)』中国新聞 1982年






「今日は、安芸高田市吉田町で見た霧について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

胡子神社 広島市中区

2013年11月16日 | 広島の話題


「来週の月曜日から、えびす講(「えべっさん」とも)が始まるね」

「えびす講というのは、毎年11月18日から20日まで、広島市中区のえびす通りにある胡子(えびす)神社で行われる胡子大祭のことじゃ」

「とうかさん、住吉さんと並ぶ、広島三大祭りのひとつでもあるよ」

「今日は、胡子神社について話をしてみようと思う」









「ここに祀られている神様は?」

「事代主神(ことしろぬしのみこと)と蛭子神(ひるこのみこと)。あと、毛利家の始祖といわれる大江広元(おおえのひろもと)公の3柱が祀られとるんじゃ」

「事代主神も蛭子神も、七福神のえびす神と関係があるんじゃろ?」

「商売の神・福の神でもあるえびす神のルーツは、事代主神や蛭子神であるといわれとるよのう」



渡部宮司によると、西宮戎系(兵庫県)の蛭子神と美保神社系(島根県)の事代主神が、同時に祀られる神社は、全国的にも珍しいといいます。
広島は両地方との往来も盛んなので、一方に絞れなかったのかもしれません。

(監修/三浦正幸、取材・文/藤井由美『ひろしまのパワースポット社寺&ご利益巡り』南々社2012年)




「大江広元って?」

「平安時代の終わりから、鎌倉時代の始めにかけて活躍された方で、毛利元就(もうり もとなり)の12代前のご先祖様にあたる方なんじゃの」



「へぇ」

「その大江広元の四男・毛利季光(もうり すえみつ)が、安芸国吉田荘の地頭職を与えられたそうじゃ」

「毛利元就も吉田の郡山城(こおりやまじょう)を根拠地にしとったし、このころから毛利と吉田は関係があったんじゃね」

「吉田といえば、もともと吉田にあった胡堂を、ここ広島に移して胡子神社にしたんじゃの」

「そうなん?」



胡子神社は、慶長八年(一六〇三)町の年寄役銭屋又兵衛と大年寄松屋太郎右衛門が、町内繁栄の為に、吉田の胡堂に祀られていたえびす神を現在の地に勧請したのが創始といわれ、それによって胡町の町名が生まれました。
創始については色んな異説が残っておりますが、胡子神社の起源が吉田にあるのは間違いありません。

(「神社由緒」胡子神社)




「1603年いうけぇ、今から410年も前になるんじゃの」

「胡町という名前は、このころからあったんじゃね」

「胡子神社ができてから市が立つようになって、このあたりは「市の町」と呼ばれるようになったそうじゃ」

「ちょっと待ってよ…。1603年ということは関ヶ原の合戦の後じゃけぇ、安芸の国の殿様は毛利じゃのうて、福島正則(ふくしま まさのり)になっとった?」

「ほうじゃの。西国街道(=山陽道)を南にもってきて、広島城下を通るように整備したのも、福島正則なんじゃの」

「城下町をにぎやかにするために、商売の神様でもある胡子神社を吉田から移したんじゃろうね」

「福島氏のあと、浅野氏の時代になると、胡子神社の祭りは、厳島神社(住吉さん)祭礼、白島の清正公、尾長の東照宮祭、広瀬明神、白神社の氏神祭などとならぶ、広島の主要な祭になったそうじゃ」

「えびす講といえば、こまざらえ(熊手)じゃけど」

「これは、1902年(明治34年)に行われた胡子神社鎮座300年祭から売り出されたらしいのう」

「最初っから売りよったわけじゃないんか」

「原爆が投下(1945年8月6日)されてわずか3か月後の11月20日にも、バラックの仮社殿を建てて祭を行われたそうじゃ」

「原爆にも負けず、祭りを守ってこられたんじゃね」

「あと、ご神体もこのときに焼失したんじゃが、戦後、広島出身の彫刻家・圓鍔勝三(えんつば かつぞう)によって復元されたそうじゃ。で、戦後は2度、社殿の建て替えをされとってんじゃの」

「今のように、天満屋八丁堀ビルの裏にできたのは?」

「1972年(昭和47年)、当時の天満屋デパートの改築のときじゃそうな。それまでは、今より西に約10メートルのところにあったということじゃ」



「笑う門には福来たる」という言葉があるように、辛い事があってもくじけずに、毎日を清く明るく過ごしていくことが幸福への第一歩です。
何事も前向きに頑張りましょう。
日々の繁栄・幸せは笑顔と共に。

(同上)






↓胡子神社については、こちら↓

胡子神社





訪問日:2013年11月14日





【参考文献】

『広島県文化百選 2 まつり・行事編』






「今日は、広島市中区えびす通りにある胡子神社について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR八本松駅から八本松変電所まで(その5)

2013年11月15日 | 見て歩き
「今回は、JR八本松駅からJR西日本八本松変電所までを歩いて紹介しとります」

「前回は、三反田(さんたんだ)踏切から弾薬庫バス停までを紹介したんじゃけど」

「今日は最終回。弾薬庫バス停からJR西日本八本松変電所までを紹介してみようかの」









「芸陽バスの弾薬庫バス停の右手にある坂道を上ると…」

「お寺さんがあるね」

「浄土真宗本願寺派の長尾山天龍寺というお寺じゃ」









↓天龍寺については、こちら↓

【長尾山 天龍寺】浄土真宗本願寺派







「天龍寺を出て右手に曲がり、道路に沿って左手に進むと、塩川というバス停がある。ここを左手に進む」







「これは?」

「鳥が屋根の上に止まっとるんじゃ」

「なにかの飾りかと思うてしもうたよ」







「これは?」

「標石(ひょうせき)。石に刻まれた道標(みちしるべ)じゃ」

「なんて書いてあったん?」

「左に広島への国道があって、右に行くと志和(しわ)に行ける、というようなことが刻んであったのう。大正元年(1912年)九月のものじゃった」







「水神社を越えて…」







「川に沿って行くと…」







「ゴールのJR西日本八本松変電所」

「ようやく着いたね」









「「ヴーーーン」という低い音がして、ちょっと恐い」









「変電所の前には、番堂原(ばんどうはら)第4踏切がある。上の写真は下り貨物列車で、下の写真は上り列車」







「22.6?」

「セノハチ(瀬野-八本松間)は、連続する急こう配の区間があって、最大で22.6‰(パーミル)あるそうじゃ」

「パーミル?」

「%(パーセント)は百分率のことじゃが、‰は千分率になるんじゃの」

「ということは、1‰=1/1000=0,1%?」

「ほうじゃの。22.6‰は、水平方向に1000メートル進む間に、22.6メートルもの高低差がある、ということ。パーミルは、鉄道ではこう配の傾斜度を表わす単位として使われとるんじゃ」





訪問日:2013年11月9日





「今日は、弾薬庫バス停からJR西日本八本松変電所までを紹介させてもらいました」

「最後まで読んでもろうて、ありがとうございました。ほいじゃあ、またの」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR八本松駅から八本松変電所まで(その4)

2013年11月14日 | 見て歩き
「今回は、JR八本松駅からJR西日本八本松変電所までを歩いて紹介しとります」

「前回は、三反田(さんたんだ)踏切の北側にある鷹巣八幡神社を紹介したんじゃけど」

「今日は、三反田踏切から弾薬庫バス停までを紹介してみようかの」









「三反田踏切からこの道を歩いていくんじゃが、ここは車が通るけぇ注意が必要じゃ」

「ここを車が通るん?」

「本当(ほんま)に走っとったんじゃけぇ!」







「宗吉G.G?」

「近所のお年寄りの方たちが、ここでグランドゴルフ(グラウンド・ゴルフ)をしよってんじゃ」







「これ、なに?」

「何でしょう?」

「…短いけど、鉄橋?」

「ピンポーン! 正解じゃ」







「反対側から見ると」







「下から見ると」







「この鉄橋は、山陽本線の近くにあるんじゃね」

「八本松駅から、山陽本線に沿うように走っとった線路がここから離れて…」







「ここをまっすぐに進んでいく。とはいうても、すでに廃線になっとるけぇ、線路は影も形もなくなっとるがの」

「まっすぐに行くと、どこへ行くん?」











「極東最大の規模といわれる米軍の川上弾薬庫(かわかみだんやくこ)」

「あぁ。太平洋戦争中の1941年(昭和16年)、海軍が弾薬庫を作ったんよね」

「八本松駅からここまで、呉海軍川上火薬庫線という専用線があったそうじゃ」



↓川上弾薬庫については、こちら↓

「星条旗下に「わが家」 ―帰る日願い続け60年」中国新聞







「中山第3踏切を渡って、まっすぐに進むと、道路の右手側に芸陽バスの弾薬庫バス停がある。その名も…」







「おぉ、インパクトのある名前じゃねぇ」

「わしも、はじめてこのバス停を見たときは、ビックリしたよのう」







「バス停の横にはこんな庭も造ってあるんじゃが、この家の方が造られたんじゃろうか?」





訪問日:2013年11月9日





「今日は、三反田踏切から弾薬庫バス停までを紹介させてもらいました」

「次回は、いよいよ最終回。弾薬庫バス停からJR西日本八本松変電所までを紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR八本松駅から八本松変電所まで(その3)

2013年11月12日 | 見て歩き
「今回は、JR八本松駅からJR西日本八本松変電所までを歩いて紹介しとります」

「前回は、沓掛(くつかけ)第3踏切から三反田(さんたんだ)踏切までじゃったけど」

「今日は、ちょいと寄り道。三反田踏切の北側にある鷹巣八幡神社を紹介してみようかの」







「踏切から北側に行くと…」







「御大典(おん…)記念? 何って読むん?」

「「御大典(ごたいてん)」と読む。御大典というのは、天皇の即位の礼のことじゃ」

「ちょっと古そうなけぇ、大正天皇とか昭和天皇のときの?」

「昭和三年と刻んであったけぇ、昭和天皇のときのものじゃの。境内(けいだい)の石灯籠(いしどうろう)や狛犬(こまいぬ)にも、昭和三年(昭和参年)と刻んであったのう」








(鳥居向かって右側正面)奉献 明治三十九年九月三日吉辰

(同向かって左側正面)日露戦役紀念建立




「日露戦役いうのは、日露戦争(にちろせんそう。1904年~1905年)のことじゃね」

「日露戦争は、満州(まんしゅう)と朝鮮半島を主戦場にした日本とロシアとの戦争。広島からは、陸軍の第五師団(だいごしだん)が参加しとるんじゃの」

「新島八重(にいじま やえ)が、日本赤十字社の会員になって、広島の陸軍病院で看護婦をされたのがこのときじゃったっけ?」

「いいや。日露戦争より前の日清戦争(にっしんせんそう。1894年~1895年)のこと。日露戦争のときは大阪の予備病院で篤志看護婦として従軍されたそうじゃ」



↓新島八重については、こちら↓

「新島八重×同志社女子大学」同志社女子大学

















「境内に土俵があるんじゃね」

「お祭りのときに相撲大会でもやってんかの?」







「ちょっと山の中に入ると、山陽本線も見える」







鷹巣八幡神社の由来

南北朝時代初期の建武年間(一三三四~三五年)山城国(京都府)岩清水八幡宮より宗吉村鷹巣山宮の段へ勧請したと伝えるが、その由来は不明。室町時代の永禄年間(一五五八年~七〇年)麓の末竹へ移座、江戸時代の正徳二年(一七一二年)四月の神社御改帳には「八幡鷹巣山」とある。江戸、明治時代三度の建てかえがあり、昭和十六年(一九四一年)三月宗吉が弾薬庫になるため立ちのきとなり、現在地の丸子山へ遷座した。

祭神
品陀和気命
帯中日子天皇
息長帯姫命
市杵島姫命
湍津姫命
思姫命

(略)

平成元年一月吉日

世話人 谷川 光
寄贈者 三宅照夫




「太平洋戦争中の1941年(昭和16年)に弾薬庫が作られたけぇ、ここに移ってきた?」

「ここから北西の方向に、海軍が川上弾薬庫(かわかみだんやくこ)を作ったんじゃ。今は米軍が使いよるがの」





訪問日:2013年11月9日





「今日は、東広島市八本松町にある鷹巣八幡神社を紹介させてもらいました」

「次回は、三反田(さんたんだ)踏切から弾薬庫バス停までを紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする