竹原
酒造業
製塩業
「今日から、NHK朝のテレビ小説『マッサン』が始まるのう」
大正9年5月。
本場のウイスキーづくりを学ぶため、単身スコットランドに渡った亀山政春(玉山鉄二)は二年ぶりの日本へと向かう船上にいた。
その傍らには外国人の妻・エリー(シャーロット・ケイト・フォックス)を連れて。
結婚の報告に政春の故郷である広島・竹原へと向かう二人。
(以下、略)
(第1週「鬼の目にも涙」あらすじ)
「ドラマでは亀山 政春(かめやま まさはる)とその妻エリーになっとるけど、これは日本のウイスキーの父・竹鶴 政孝(たけつる まさたか)・リタ夫婦をモデルにしとるんよね」
「政孝は、広島県賀茂郡(かもぐん)竹原町(現・竹原市)で酒造業を営む父・敬次郎の三男として生まれた。その竹鶴家は、竹原にある塩田(えんでん)の大地主でもあったんじゃの」
「竹原に塩田があったん?」
「江戸時代、米の生産拡大を目的とした開拓が日本全国で行われとった」
「もちろん、竹原でも行われたと」
「いくつかの新開(しんかい。開拓地や新田)が開発されたが、その中でも大新開(おおしんがい)は塩分が強く、耕作には向いとらんかった。そこで慶安3年(1650年)、播州(ばんしゅう。現・兵庫県南部)・赤穂(あこう)から製塩技術を導入して、塩田として成功。これを竹原塩田と呼んで、その後、製塩業で発展したんじゃ」
「赤穂いうたら、赤穂の塩で有名じゃね」
「竹原の塩は、主に北国や東海・江戸方面に売られ、信州あたりでは、竹原が塩の代名詞になっとったそうじゃ」
「へぇ」
「竹原は、製塩業とともに港での貿易で栄え、経済が発展した。ほいで、元禄期には大阪などの影響を受けて町人文化も栄えた。その御三家ともいえるのが、頼(らい)家と吉井家、そして竹鶴家じゃったそうな」
「頼いうたら、江戸時代になんとかいう本を書かれちゃったんよね…。あー、なんじゃったっけ?」
「『日本外史』を書かれた頼山陽(らい さんよう)」
「そうそう、その方」
「山陽の父親の春水(しゅんすい)を始めとする春風(しゅんぷう)、杏坪(きょうへい)の3兄弟も有名じゃの」
「頼家は学問で有名になって、竹鶴家は酒造業をされとったよね。もうひとつの吉井家は?」
「こちらも酒造業を営んどられとったそうじゃ」
「塩も作って、お酒も造っとられとったん?」
「夏は塩田で塩を作って、冬は酒を仕込む、というパターンじゃったそうな」
「なるほどね」
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NHK連続テレビ小説「マッサン」
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安芸の小京都 きてみんさい竹原
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頼山陽史跡資料館ホームページ
【参考文献】
『広島県大百科事典』(中国新聞社 1982年)
『広島県の地名』(平凡社 1982年)
川又 一英『ヒゲのウヰスキー誕生す』(新潮文庫 2014年)
「今日は、製塩業をもとに竹原で町人文化が花開いたことについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」