通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

『映画手帳』1977年12月号(その5)1977年のベストヒット50(26位から50位まで)

2021年12月31日 | 音楽


そのむかし、広島で出版されていた
月刊情報誌『映画手帳』。

この雑誌(1977年12月号)をもとに、
今から44年前、1977年12月の広島を
紹介しています。

前回は、
1977年のシングル1位から25位まで
について。





↓前回については、こちら↓


『映画手帳』1977年12月号(その4)1977年のベストヒット50(1位から25位まで)






今日は、
1977年のシングル26位から50位まで
についての話でがんす。





今回は、
「1977年の音楽」(ウィキペディア)
総合ランキング(邦楽・洋楽)の
シングル部門を参考にしています。

(オリコン
1976年12月6日付から
1977年11月28日付)





26位:石川(いしかわ)さゆり
「能登半島(のとはんとう)」

発売:1977年5月10日
作詞:阿久 悠(あく ゆう)
作曲:三木(みき)たかし



前作「津軽海峡・冬景色」に続く
阿久・三木コンビの曲。

♪十九なかばの 恋知らず
十九なかばで 恋を知り

と歌詞にあるとおり、
石川さんはこのとき19歳でした。





27位:キャンディーズ
「やさしい悪魔」

発売:1977年3月1日
作詞:喜多條 忠(きたじょう まこと)
作曲:吉田拓郎(よしだ たくろう)



前年の1976年8月、
ピンク・レディーが
「ペッパー警部」でデビュー。

セカンド・シングル「S・O・S」で
オリコン1位を獲得する(1977年2月)
など快進撃を始めたころ。

これに危機感を覚えた渡辺プロは、
「キャンディーズ大人化計画」
を打ち上げた。

キャンディーズは
それまでの清楚なイメージを一新し、
レオタードに網タイツという
大人の衣装で歌うことになった
といわれる。

このとき衣装をデザインしたのが、
「グッド・バイ・マイ・ラブ」
を1974年にヒットさせた
アン・ルイスだった。





28位:マイナー・チューニング・バンド
「ソウルこれっきりですか」


このころのヒット曲を
ディスコサウンドに乗せて
メドレーにしたもの。

曲順:
横須賀ストーリー、
きみ可愛いね、
春一番、
春うらら、
ねえ!気がついてよ、
横須賀ストーリー、
想い出ぼろぼろ、
およげ!たいやきくん、
ビューティフル・サンデー、
木綿のハンカチーフ、
山口さんちのツトム君、
あなただけを、
横須賀ストーリー、
セクシー・バス・ストップ、
横須賀ストーリー、
北の宿から


ウィキペディアには、
この歌を歌っているうちのひとりが
伊集 加代子(いしゅう かよこ)さん
と書いてあった。

伊集さんといえば、
アニメ『アルプスの少女ハイジ』
の主題歌「おしえて」(1974年)
を歌われた方。


余談じゃが…。

メドレーといえば、
平野雅昭さんが歌う
「演歌チャンチャカチャン」
(発売:1977年11月25日)
という曲もありました。





29位:郷(ごう)ひろみ/郷ひろみ・樹木希林(きき きりん)
「帰郷/お化けのロック」

発売:1977年9月1日
作詞:阿木燿子(あき ようこ)
作曲:宇崎竜童(うざき りゅうどう)



1977年、
郷さんは樹木希林さんと一緒に
テレビドラマ『ムー』(TBS)
に出ていた。

この番組の挿入歌が
B面の「お化けのロック」でした。

翌78年、『ムー一族』では、
郷・樹木のコンビで
「林檎殺人事件」を発表している。





30位:オリビア・ニュートン=ジョン
「カントリー・ロード」

作詞・作曲:ジョン・デンバー、
ビル・ダノフ、
タフィー・ナイバート



1971年、ジョン・デンバーが歌い、
ビルボードで全米2位の
大ヒットとなった曲。

1973年に
オリビア・ニュートン=ジョンが、
日本では1976年に
田中星児(たなか せいじ)さんが
カバーしてヒット。

アニメ映画『耳をすませば』
(1995年)では
主題歌として使われています。





31位:狩人(かりゅうど)
「コスモス街道」

発売:1977年8月25日
作詞:竜 真知子(りゅう まちこ)
作曲:都倉俊一(とくら しゅんいち)



♪右は越後へ行く 北の道
左は木曽まで行く
中山道(なかせんどう)
続いてる コスモスの道が

中山道は江戸時代に整備された
五街道のひとつで、
信州、木曽、諏訪を通って
京と江戸を結ぶ。

その中山道で、江戸と金沢を結ぶ
北国街道(ほっこくかいどう)
との分岐点にあるのが
軽井沢町にある追分宿。

このあたりに
コスモスが咲く道があり、
この歌の舞台となったという。





32位:丸山圭子(まるやま けいこ)
「どうぞこのまま」

発売:1976年7月5日
作詞・作曲:丸山圭子



丸山さんは1972年11月に
18歳でデビュー。

その後、売れない時代があり、
所属していたレコード会社も倒産。

3年半後の1976年3月、
レコード会社を移籍して再デビュー。

売れない時代に
彼女はいろいろ考えた。

歌は自分の感情を伝えるもの、
だから歌を上手くなろうと
発声練習から習った。

詞も、自分なりに恋をしたので
より現実味を出そうとした。

私にとって長いブランクでしたけど、とてもいい勉強になりました。

(富沢一誠『フォークが聴きたい』徳間文庫 1999年)


アルバムからシングルカットされた
「どうぞこのまま」は、
有線放送から火がつき
50万枚を超えるヒットとなった。





33位:野口五郎
「むさし野詩人」

発売:1977年1月15日
作詞:松本 隆(まつもと たかし)
作曲:佐藤 寛(さとう ひろし)



♪15行目から恋をして
20行目で終ったよ

の部分が子ども心に残った。

作曲の佐藤 寛さんは
存じあげない(失礼!)ので
調べてみると、
野口さんの実のお兄さんでした。

ヒット曲「私鉄沿線」(1975年)も
佐藤さんの手によるもの。





34位:イルカ
「雨の物語」

発売:1977年3月25日
作詞・作曲:伊勢正三(いせ しょうぞう)



中学校に入ったころから、
友達とレコードの貸し借りを
するようになった。

中でも人気があったのが、
アリス、イルカ、
因幡 晃(いなば あきら)、
伊勢正三(いせ しょうぞう)
だったと記憶する。





35位:山口百恵(やまぐち ももえ)
「秋桜(コスモス)」

発売:1977年10月1日
作詞・作曲:さだまさし



第19回日本レコード大賞・歌唱賞。

日本の歌百選に選ばれた1曲。





36位:高田(たかだ)みづえ
「硝子坂(ガラスざか)」

発売:1977年3月25日
作詞:島 武実(しま たけみ)
作曲:宇崎竜童



高田みづえさんのために
書き下ろされた
デビューシングル。


…だと今の今まで思っていたが、
ウィキペディアで調べてみると、
木之内(きのうち)みどりさんが
『硝子坂』(1977年2月)
というアルバムのタイトル曲として
発表されていたことが分かった。

う~ん、知らんかった。

木之内さんはこの年、
映画『野球狂の詩』に、
主人公で女性プロ野球選手・
水原勇気(みずはら ゆうき)役
で出演されています。





37位:太田裕美
「しあわせ未満」

発売:1977年1月20日
作詞:松本 隆
作曲:筒美京平(つつみ きょうへい)



♪はにかみやっさ~ん!
から
♪しあわせ未満 しあわせ未満
(「しあわせになれ」と聞こえた)
と2度繰り返すところが印象的だった。

この間の歌詞をよく聞いてみると、
結構、自虐的なことを言っています。





38位:岩崎宏美
「思秋期(ししゅうき)」

発売:1977年9月5日
作詞:阿久 悠
作曲:三木たかし



♪私十八…やがて十九に

歌詞に書かれているとおり
この歌をレコーディングしたのが、
岩崎さんが高校を卒業した後。

「やがて十九に」を受けて
次作のタイトルは
「二十才前(はたちまえ)」
(1978年2月5日)。

阿久さんは、
少女から大人へと成長していく
ひとりの女性を綴られた。





39位:キャンディーズ
「暑中お見舞い申し上げます」

発売:1977年6月21日
作詞:喜多條 忠
作曲:佐瀬寿一



この曲がヒット中の7月17日、
事件が起こった。

日比谷野外音楽堂でのコンサート中、
キャンディーズは
「今度の9月で解散します!」と、
突然の解散宣言をしたのだ。

結局、最初の宣言から7ヶ月後の
1978年4月4日に後楽園球場で
「ファイナルカーニバル」が行われ、
彼女たちは普通の女の子に戻った。





40位:太田裕美
「九月の雨」

発売:1977年9月1日
作詞:松本 隆
作曲:筒美京平






41位:イーグルス
「ホテル・カリフォルニア」

発売:1977年2月22日
作詞・作曲:ドン・フェルダー、
グレン・フライ、
ドン・ヘンリー






42位:内藤国雄(ないとう くにお)
「おゆき」

発売:1976年5月1日
作詞:関根浩子
作曲:弦 哲也(げん てつや)



内藤さんは、
れっきとした将棋棋士。

このころは、芸能人以外でも
レコードを出される方が
おられました。

たとえば角界からは、
増位山太志郎
(ますいやま だいしろう)さんが
「そんな女のひとりごと」
(1977年9月25日)を出され、
ヒットしました。

広島カープでは、
ミスター赤ヘルこと
山本浩二(やまもと こうじ)さんが
「ひとり」(1975年)、
高橋慶彦(たかはし よしひこ)さんが
「うわさのセクシークイーン」
(すごいタイトルだ)
(1981年)を
それぞれ出されています。





43位:河島英五(かわしま えいご)
「酒と泪と男と女」

発売:1976年6月25日
作詞・作曲:河島英五



「音楽が好きだから、
売れる売れないに関係なくやりたい」
という気持ちで
ソロ活動を始めた河島さん。

ファーストシングル
「酒と泪と男と女」はもともと、
河島英五とホモ・サピエンス
のデビューアルバム
『人類』(1975年)に収録された曲。

清酒「黄桜(きざくら)」の
コマーシャルソングに
使われたことで大ヒット。

コンサートを開けば
どこも満員となった。

しかし、河島さんはそれに流されず、
自分の道を歩む。

インド、アフガニスタン、ペルー
などをひとり旅するかたわら、
四国八十八札所を巡礼しながらの
ライブツアーを行ったりした。

他とは違う独自の世界--それがアーティスト、河島英五の評価

(富沢一誠『フォークが聴きたい』徳間文庫 1999年)






44位:岩崎宏美
「熱帯魚」

発売:1977年7月5日
作詞:阿久 悠
作曲:川口 真






45位:郷 ひろみ
「悲しきメモリー」

発売:1977年5月1日
作詞:小谷 夏(こたに なつ)
作曲:筒美京平



「小谷 夏」は、
TBSのテレビプロデューサー・
久世光彦(くぜ てるひこ)さんの
ペンネーム。

郷さんはこのころ、
久世さんがプロデューサーを務める
テレビドラマ『ムー』に出演中。





46位:あおい輝彦(てるひこ)
「Hi-Hi-Hi(ハイ・ハイ・ハイ)」

発売:1977年3月5日
作詞・作曲:森 雪之丞(もり ゆきのじょう)



あおいさんといえば、
アニメ『あしたのジョー』の主人公・
矢吹 丈(やぶき じょう)役が有名。

そのあおいさんは
アイドルグループ・ジャニーズ
のメンバーでデビュー。

ジャニーズは、その名のとおり、
あのジャニーズ事務所から
最初にデビューした
日本の男性アイドルグループだった。
(活動期間:1962年から1967年)





47位:野口五郎
「季節風」

発売:1977年7月21日
作詞:有馬三恵子
作曲:筒美京平






48位:芹 洋子(せり ようこ)
「四季の歌」

作詞・作曲:荒木(あらき)とよひさ



日本の歌百選に選ばれた1曲。

「四季の歌」には
こんな逸話がある。

荒木さんは学生時代
スキーで大けがを負う。

3年におよぶ入院生活で
世話になった看護師のために
自作の歌を作って聞かせた。

それが口コミで広がり、
1972年にレコード化されることに。

当初は、「作詞・作曲者不詳」
とされていたが、レコード化の際、
荒木さんが名乗り出た。

これが荒木さんの
作詞家としてのデビューとなる。

1976年には、
6社が競作でレコード化。

結果、芹さんのレコードは
オリコンで最高位8位、
売上はミリオンセラーを記録した。


芹さんといえば、
第3回(1979年)第4回(1980年)の
ひろしまフラワーフェスティバルに
フラワー歌手として参加。

第3回の開会セレモニーで
芹さんが歌った「花ぐるま」が、
ひろしまフラワーフェスティバルの
テーマソングとして
今も歌い継がれている。

また、毎日午後6時には、
広島市の危機管理室
防災無線点検のため、
この歌(オケのみ)が流されている
のは、ご存じのとおり。





49位:オリビア・ニュートン=ジョン
「ジョリーン」

発売:1976年10月15日
作詞・作曲:ドリー・パートン






50位:山口百恵
「初恋草紙(はつこいぞうし)」

発売:1977年1月21日
作詞:阿木燿子
作曲:宇崎竜童






以下、余談。



年末になると誰がどの賞を獲るか
が話題になった。

『映画手帳』の中で
藤井秀昭という方が
「テレビは涙の季節」で
次のように批判されていた。



テレビで歌手たちの涙がはんらんするので、涙の季節と名付けた次第。

(略)

音楽賞と名がつくものは20を超えるという。とにかく昨年、都はるみが「北の宿から」で獲得した音楽賞は10。内藤やす子は14の新人賞をもらったという。

(略)

(受賞の)その度に「えッ私が…」なんて驚いて見せ、感きわまって涙を流し、歌が途中で歌えなくなる。もう、お決まりのパターンをたんびに見せられてるわけ。

(略)

頼むからもうちょっと賞を減らしてもらいたい。そして、もっともっと工夫した受賞風景をブラウン管で見せて欲しい。




そのとおりである。

当時子どもじゃったわしも、
見とってええ加減、
飽き飽きしとった。

が、藤井さんが書かれているとおり、
「一応誰が受賞するかというのが
ちょっぴり…」気になる。

それでついついチャンネルを
回してしまうんじゃの。

このころは、テレビのチャンネルは
ガチャガチャと「回す」ものだった。





今日は、
1977年のシングル26位から50位まで
について話をさせてもろうたでがんす。


曲についてのコメントを
もう少し書きたかったが、
時間切れ。

後日、書き足すということで
ご勘弁ください。





最後に…。



今年もいろんなことがあった
1年でした。

来年、2022年こそは
コロナ禍が収まって
穏やかな1年になりますように。





ほいじゃあ、またの。
コメント (4)
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もちつき

2021年12月30日 | 日記



毎年12月30日は、
わが家ではもちつきの日。

今日も、もちつき機を使って
約4キロの白もちと
豆もちをついた。





今日は、
もちつきについての話でがんす。





もちつきを避けた方がいい
といわれる日があるという。

たとえば、
12月29日と31日。

29日は、
29=にじゅうく=二重苦
を連想させるから。

31日にもちを飾ることを、
「一夜もち」という。

正月飾りを31日に飾ることを
「一夜飾り」というのと同じように
嫌ってきた。

年末の31日になって
あわてて正月飾りを飾るのは、
歳神様(としがみさま)を
お迎えするのに失礼だと
されてきたためだ。

歳神様は新年を司る神様で、
毎年元日にやってきて、
新しい年の魂を授けてくれる
神様であるという。



逆に、もちつきによい日
といわれるのが28日。

「8」を漢字で書くと「八」。

「八」は末広がりで
縁起がいいとされている。

だが、
28日は仕事納めのところも多いので、
北広島町にあるお袋の実家では
毎年12月30日にもちつきをしていた。



その流れで、わしの実家では
毎年12月30日にもちつきをしてきた。

しかし、
今年の春にお袋が亡くなったので、
この年末は初めて
わが家でもちをつくことに。

今日は午前中にもちつきをして、
昼からわしの実家に
もちを持って行って
仏壇に供えてきた。





以下、余談。



お袋の実家(=祖母の家)では、
もちつき機を使って
もちをついていた。

それが40年くらい前から
杵(きね)と臼(うす)を使って
もちつきをすることになった。

それまでは、
もち米を蒸す人、
ついたもちを切る人
こねる人はおったが、
もちをつく「つき手」が
おらんかったんじゃの。

祖母には7人の子ども、
15人の孫がおった。

その孫の世代が20代になり
「つき手」が揃ったので、
杵と臼でもちつきをすることに。

「もちつきくらい簡単なもんよ」
と思ったが、
そうは問屋が卸さんかった。

もちつきをしていると、
腕・肩・背中は痛くなるし、
手にマメはできるし、
息はあがってくるし…。

結果、もちつきが終わった後の
正月三が日は、文字どおりの
「寝正月」を過ごすことに。

体じゅうのあちこちが痛く、
寝起きをすることができず、
食事の時にはしを持つこともできず、
寝たきりの正月を過ごす羽目に。

が、不思議なもので、
何年かすると体が慣れてきた。

力を入れるところ、
手を抜くところの
加減が分かってきたんじゃの。

それから約25年ほど
杵と臼でもちつきをしたが、
祖母が亡くなったことが機となって、
皆が揃ってもちつきをすることも
のうなって(=なくなって)しもうた。

ほいじゃが、もちつきは
わしの体が動く限りは
続けていきたいもんじゃの。





今日は、
もちつきについて
話をさせてもろうたでがんす。



ほいじゃあ、またの。
コメント
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『映画手帳』1977年12月号(その4)1977年のベストヒット50(1位から25位まで)

2021年12月30日 | 音楽


そのむかし、広島で出版されていた
月刊情報誌『映画手帳』。

この雑誌(1977年12月号)をもとに、
今から44年前、1977年12月の広島を
紹介しています。

前回は、
テレビで放送された映画作品、
テレビ映画案内編について。





↓前回については、こちら↓


『映画手帳』1977年12月号(その3)テレビ映画案内編






今日は、
1977年のシングル1位から25位まで
についての話でがんす。





今回は、
「1977年の音楽」(ウィキペディア)
総合ランキング(邦楽・洋楽)の
シングル部門を参考にしています。

(オリコン
1976年12月6日付から
1977年11月28日付)





1位:ピンク・レディー
「渚のシンドバッド」

発売:1977年6月10日
作詞:阿久 悠(あく ゆう)
作曲:都倉俊一(とくら しゅんいち)



前年、1976年8月に
「ペッパー警部」でデビューした
ピンク・レディー。

同年末の
第18回日本レコード大賞で
新人賞を獲得。

4枚目のシングル
「渚のシンドバッド」は
ミリオンセラーを記録
(オリコン調べ)、
「ピンクレディー旋風」と呼ばれる
社会現象を巻き起こす。





2位:森田公一とトップギャラン
「青春時代」

発売:1976年8月21日
作詞:阿久 悠
作曲:森田公一(もりた こういち)



前年8月の発売から半年かけて、
こちらもミリオンセラーに。

「季節を生きてしまったか」
という歌詞があるが、
このころは「青春」を
あらわす言葉として、
「季節」という言葉を使っていた
ように思う。


余談じゃが…。

森田さんが作曲家だと知って、
「へぇ、作曲家の人も歌うんだ」
と思った。

当時のわしの認識としては、
シンガーソングライターは
自分で曲を作って自分で歌うが、
作詞家・作曲家は
他人に曲を提供する人だったので。





3位:ピンク・レディー
「ウォンテッド(指名手配)」

発売:1977年9月5日
作詞:阿久 悠
作曲:都倉俊一



「渚のシンドバッド」に続いて
2作連続でミリオンセラーを記録。

この2作だけでなく、以後、
「UFO(ユーフォー)」
「サウスポー」「モンスター」
と5作連続でミリオン・セラーを
記録している。
(オリコン調べ)

この年の第28回NHK紅白歌合戦には
「ウォンテッド」で
初出場を果たした。





4位:沢田研二
「勝手にしやがれ」

発売:1977年5月21日
作詞:阿久 悠
作曲:大野克夫(おおの かつお)



第19回日本レコード大賞・大賞
をはじめ、
第8回日本歌謡大賞・大賞、
第10回日本有線大賞・大賞、
'77あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭
ゴールデングランプリ、
第6回東京音楽祭国内大会
ゴールデンカナリー賞など、
数々の賞を獲得。

ちなみに、1位から4位まで
作詞を手がけているのが、
阿久 悠さん。

「勝手にしやがれ」で
この年の日本作詩大賞・大賞を
受賞されている。


余談じゃが…。

1位の「渚のシンドバッド」と
4位の「勝手にしやがれ」の
曲名を掛け合わせたのが、
サザンオールスターズのデビュー曲
「勝手にシンドバッド」(1978年)
であるのは有名な話。





5位:小林 旭(こばやし あきら)
「昔の名前で出ています」

発売:1975年1月25日
作詞:星野哲郎(ほしの てつろう)
作曲:叶 弦大(かのう げんだい)



2位の「青春時代」は
1年前の1976年8月発売だったが、
5位「昔の名前で出ています」は
2年前の75年1月発売。

大スターだった小林さんは当時、
事業に失敗して
巨額の借金を抱えることに。

その借金返済のために、
キャバレーなどで歌う
ドサ回りを全国で行った。

「ドサ回り」とは、
売れない芸人や歌手が地方で行う
営業活動のこと。

大スターだった小林さんにとっては
辛いことだったと思われる。

が、そのかいあって、
「昔の名前で出ています」は
2年かけて大ヒットした。





6位:さだまさし
「雨やどり」

発売:1977年3月10日
作詞・作曲:さだまさし


「さだから、おかしな曲ができちゃった、といわれて、聴かされたのが最初です。
(略)
コミック・ソング的ではあったんですが、オチがしっかりしていて印象的だった」

(富沢一誠『フォークが聴きたい』徳間文庫 1999年)


と語るのは、川又ディレクター。

この歌をコンサートでやってみると、
お客の反応がとてもよい。

シングルで出そうと会議にかけると、
大反対にあってしまった。

「さだの魅力は、
「精霊流し(しょうろうながし)」
「無縁坂(むえんざか)」などの
叙情派(じょじょうは)フォーク。
コミック・ソングを出したら
イメージが壊れてしまう」

しかし、コンサートでの反応は
ますますよくなっていく。

さだの意向を確認した
川又ディレクターは、
この歌を再度、会議にかける。

「ライブ・レコーディングで」
という条件をつけて。

が、「ライブ・シングルは
これまで売れたためしがない」
と、これまた反対にあう。

それでもあきらめきれず、
お客の反応をモニターした
テープをもって会議にかけ、
ようやくゴーサインが出た。

「雨やどり」は
こうして世に出たのであった。





7位:ピンク・レディー
「カルメン'77」

発売:1977年3月10日
作詞:阿久 悠
作曲:都倉俊一





8位:ピンク・レディー
「S・O・S」

発売:1976年11月25日
作詞:阿久 悠
作曲:都倉俊一



ベスト10の中に、
「渚のシンドバッド」
「ウォンテッド」「カルメン'77」
「S・O・S」と、4曲がランクイン。

ピンク・レディーは
大ヒットを連発し、
この人気は79年ころまで続いた。





9位:清水 健太郎
「失恋レストラン」

発売:1976年11月21日
作詞・作曲:つのだひろ



清水さんのデビューシングル。

第19回日本レコード大賞
最優秀新人賞をはじめ、
第8回日本歌謡大賞、
第10回日本有線大賞
など数々の新人賞を獲得。





10位:Hi-fi-set(ハイ・ファイ・セット)
「フィーリング」

発売:1976年12月1日
作詞:なかにし礼
作曲:モーリス・アルバート



1975年、「卒業写真」でデビューした
ハイ・ファイ・セット。

翌76年の「冷たい雨」が
10万枚のスマッシュ・ヒット
となったことで評価を高める。

ここで一気に勝負を賭けようと、
ちまたで流行りつつあった
「フィーリング」を
カバーすることに。

これが吉と出て、
「フィーリング」を収録したアルバム
『ラブ・コレクション』は、
この年のアルバムベスト1を飾る。
(オリコン調べ)

3位 小椋佳「遠ざかる風景」、
9位 因幡晃「暮色」、
13位 さだまさし「帰去来」、
17位 風「ウィンドレス・ブルー」
などを抑えてのトップは
当時、「事件」だった。

あくまでもじっと静かに聴くニューミュージックが主流のミュージック・シーンにあって、彼らのような”歌って踊れるショー・グループ”の出現は衝撃的な出来事だったからだ。

(富沢一誠『フォークが聴きたい』徳間文庫 1999年)






11位:都はるみ
「北の宿から」

発売:1975年12月1日
作詞:阿久 悠
作曲:小林亜星(こばやし あせい)



1975年12月発売で、
1976年に大ヒット。

同年の第18回日本レコード大賞・大賞
をはじめ、
第7回日本歌謡大賞、
第9回日本有線大賞、
第9回全日本有線放送大賞、
第9回日本作詩大賞など
数々の賞を獲得。

ちなみに、
日本レコード大賞と
日本有線大賞のダブル受賞は、
史上初の快挙だったという。





12位:清水 健太郎
「帰らない/恋人よ」

発売:1977年4月1日
作詞・作曲:つのだひろ



デビュー曲から
2作続けての首位獲得は、
オリコン史上初。





13位:小柳(こやなぎ)ルミ子
「星の砂」

発売:1977年4月25日
作詞:関口 宏(せきぐち ひろし)
作曲:出門 英(でもん ひで)



第10回日本作詩大賞・作品賞。

作詞の関口さんといえば、
日曜日の朝の
『サンデーモーニング』の司会者。

へぇ~。
作詞もされていたんですね。

出門さんは、
「ヒデとロザンナ」のヒデさん。





14位:ピンク・レディー
「ペッパー警部」

発売:1976年8月25日
作詞:阿久 悠
作曲:都倉俊一



ピンク・レディーの
デビュー・シングル。

作詞した阿久悠は、ピンク・レディーは8月25日にデビューするようなあまり期待されていない新人であったために、作曲の都倉俊一と共に自由に創作できて幸運だったと述べている。

(「ペッパー警部」ウィキペディア)






15位:狩人(かりゅうど)
「あずさ2号」

発売:1977年3月25日
作詞:竜 真知子(りゅう まちこ)
作曲:都倉俊一



このころは、別れの舞台として
列車や船がよく使われていた。

「あずさ2号」は、新宿駅から
信州方面へ運行される特急列車。

16位の「津軽海峡・冬景色」には、
上野駅発青森行きの夜行列車、
北海道に向かう青函連絡船
などが出てくる。




16位:石川(いしかわ)さゆり
「津軽海峡・冬景色(つがるかいきょう・ふゆげしき)」

発売:1977年1月1日
作詞:阿久 悠
作曲:三木たかし



第19回日本レコード大賞・歌唱賞、
第6回FNS歌謡祭・グランプリ、
最優秀歌唱賞、
第10回日本作詩大賞・大衆賞
を獲得。

石川さんは、第28回紅白歌合戦に
「津軽海峡・冬景色」で初出場。

以来、第34回(1983年)を除いて、
44回目の最多出場を誇る。

第58回(2007年)から、
「津軽海峡・冬景色」と
「天城越え」を
毎年交互に歌っている。

「津軽海峡・冬景色」を歌うのは、
今年で12回目。





17位:ジグソー
「スカイ・ハイ」

発売:1975年10月25日
作詞・作曲:Clive Scott, Des Dyer



イギリスのグループ・ジグソーの曲。

覆面レスラーのミル・マスカラスが
入場テーマ曲として使ったことで
大ヒット。

「鳥人間コンテスト選手権大会」
(讀賣テレビ)のメインテーマ
としても使われた。

壮大なイントロに
盛り上がるサビ、
ラストの分厚いブラスサウンド。

英語の歌詞は理解できなかったが、
「スカイ・ハイ」という
タイトルからして、
「オレはこんな空高くまで
駆けることができるんだ!」
というカッコいい歌詞を
勝手に想像していた。

が、実は
女に捨てられた惨めな男の歌
であることが分かって
ガッカリした記憶がある。





18位:松崎(まつざき)しげる
「愛のメモリー」

発売:1977年8月10日
作詞:たか たかし
作曲:馬飼野 康二(まかいの こうじ)



松崎さんが歌いあげる
スケールの大きな楽曲。

三浦友和(みうら ともかず)さんと
山口百恵(やまぐち ももえ)さんが
共演していた
江崎グリコ・アーモンドチョコの
コマーシャルソングに採用される。

また、翌78年春の
第50回選抜高校野球大会
の行進曲として使われた。





19位:山口百恵
「赤い衝撃」

発売:1976年11月21日
作詞:千家和也(せんけ かずや)
作曲:佐瀬寿一(させ じゅいち)



「赤いシリーズ」4作目にして、
山口百恵さん初主演作
『赤い衝撃』(TBS)の主題歌。





20位:山口百恵
「イミテイション・ゴールド」

発売:1977年7月1日
作詞:阿木燿子(あき ようこ)
作曲:宇崎竜童(うざき りゅうどう)



1976年6月、百恵さんは
「横須賀ストーリー」を発表。

この歌は、前年
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」
をヒットさせた
作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童の
コンビを、百恵さん自ら指名して
生まれたもの。

この曲で
百恵さんは脱・アイドル化に成功し、
阿木・宇崎コンビは
百恵さんの全盛期を支えた。

以後もこのコンビで、
「イミテイション・ゴールド」
「プレイバックPart2」(1978年)
「しなやかに歌って」(1979年)
などの曲が発表されている。





21位:山口百恵
「夢先案内人」

発売:1977年4月1日
作詞:阿木燿子
作曲:宇崎竜童



第6回東京音楽祭国内大会・ゴールデンカナリー賞
第6回東京音楽祭世界大会・銅賞

歌詞に
「ちょっぴり眠い夜明け前です」
というのがある。

当時は聞き飛ばしていたが、
なかなかに意味深な歌詞である。





22位:ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
「サクセス/愛しのティナ」

発売:1977年3月20日
作詞:阿木燿子
作曲:宇崎竜童



この曲は、資生堂化粧品
夏のキャンペーン・ソング。

ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
といえば、
「スモーキン・ブギ」(1974年)
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」
(1975年)とヒットを連発していた。

しかし、
ツナギ姿にサングラスという格好、
男臭い・不良というイメージは、
スポンサーから猛反対をくらった
と容易に想像される。

ちなみに、この年の
春のキャンペーン・ソングは、
「ポスト・ユーミン」といわれた
尾崎亜美(おざき あみ)さんの
「マイ・ピュア・レディ」である。

プロデューサーが
反対するスポンサーを
どう説き伏せたのか、
そのあたりの経緯は知らない。

あと、結果がどう出たかも
分からない。

が、資生堂は翌78年、
矢沢永吉(やざわ えいきち)さんの
「時間よ止まれ」、
堀内孝雄(ほりうち たかお)さんの
「君のひとみは10000ボルト」、
南(みなみ)こうせつさんの
「夢一夜(ゆめひとよ)」を。

また、79年には
世良公則(せら まさのり)さんの
「燃えろいい女」を
キャンペーン・ソングとして
採用している。

おぉ!
広島県出身の歌手が
ふたり(矢沢・世良)もおるが。





23位:ジョー山中(やまなか)
「人間の証明のテーマ」

発売:1977年8月10日
原詩:西條八十(さいじょう やそ)
英訳:角川春樹(かどかわ はるき)
英詞:ジョー山中
作曲:大野雄二(おおの ゆうじ)



映画公開前、
テレビやラジオ、書籍を通じて
大量に広告を打つ角川映画の第2弾。

「母さん、僕のあの帽子、
どうしたでしょうね?」
は流行語に。

映画は、この年の邦画配給収入で
2位となった。
(22億5000万円)





24位:沢田研二
「憎みきれないろくでなし」

発売:1977年9月5日
作詞:阿久 悠
作曲:大野克夫



曲ごとにイメージを変え、
衣装を変えて歌うジュリー。

どれもサマになっている。

この曲では
アメリカンポリスがかぶる帽子に
白いシャツ、
サスペンダーで吊った黒い革パンツ
という格好。

タバコを吸いながら
出てくることもあって
驚いたものである。





25位:研(けん)ナオコ
「あばよ」

発売:1976年9月25日
作詞・作曲:中島(なかじま)みゆき



第18回日本レコード大賞歌唱賞受賞
第7回日本歌謡大賞放送音楽賞
第5回FNS歌謡祭最優秀歌謡音楽賞
などを獲得。

前曲の「LA-LA-LA」から
中島みゆきを起用。

「LA-LA-LA」は、
中島みゆきが初めて他者へ提供した
楽曲である。





以下、余談。



このころ
大みそかの12月31日といえば、
昼間に大掃除を済ませた後、
午後7時からRCC(TBS系列)で
『日本レコード大賞』を見たあと、
午後9時からNHKにチャンネルを変え、
『紅白歌合戦』『ゆく年くる年』
を見た後に寝ていたと記憶する。





1977年のレコード大賞は、
以下のとおり。


大賞
沢田研二
「勝手にしやがれ」


最優秀歌唱賞
八代亜紀(やしろ あき)
「愛の終着駅」


最優秀新人賞
清水 健太郎
「帰らない」ほか


歌唱賞
山口百恵
「秋桜(コスモス)」

岩崎宏美(いわさき ひろみ)
「思秋期」

石川さゆり
「津軽海峡冬景色」


大衆賞
ピンク・レディー
「ウォンテッド」ほか






↓1977年の日本レコード大賞については、こちら↓

「第19回 日本レコード大賞」公益社団法人 日本作曲家協会





今日は、
1977年のシングル1位から25位まで
についての話を
させてもろうたでがんす。

明日(大みそか)は、
26位から50位までの
予定でがんすけぇの。



ほいじゃあ、またの。
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ヒデ夕樹さん

2021年12月26日 | まんが・テレビ・映画
わしは日々、
NHKラジオを聞いて過ごす。

毎週土曜午後2時からは聞くのは、
FMの「アニソン・アカデミー」。

聞けないときは、できる限り
聞き逃し配信で聞いとるんじゃの。






↓「アニソン・アカデミー」については、こちら↓

「アニソン・アカデミー」NHK





先週、12月18日(土)は、
ヒデ夕樹(ひで ゆうき)さんの
特集じゃった。

ヒデ夕樹と聞いてピンとこない方は、
とりあえず
こちらの歌をお聞き下さい。

…そう、この歌を歌われている方が
ヒデ夕樹さんなんですよ。





↓ヒデ夕樹さんといえば…↓

「日立の樹 この木なんの木 歌詞付き」YouTube





今日は、
ヒデ夕樹さん
についての話でがんす。





今、アニメ・特撮番組の主題歌は、
「アニソン」「特ソン」と呼ばれ
世間からも認められている。

最初に紹介した
「アニソン・アカデミー
(以下、「アニアカ」と略す)」は、
アニソンを紹介する音楽番組。

今年(2021年)の紅白歌合戦では、
『新世紀エヴァンゲリオン』の主題歌
「残酷な天使のテーゼ」を
高橋洋子(たかはし ようこ)さんが、
『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』
の主題歌「炎」を
LiSA(リサ)さんが歌います。

しかし、1980年代前半ころまでは
「テレビ漫画」「特撮ヒーローもの」
と呼ばれ、「お子様向け番組」
と低く見られていた。

そんな時代のアニソン・特ソンを
盛り上げた男性歌手が、
ささきいさおさん、
水木一郎(みずき いちろう)さん、
子門真人(しもん まさと)さん、
そして、
ヒデ夕樹さんだった。

ささきさん、水木さんは
今も現役でご活躍中。

子門さんは、1975年に
「およげ!たいやきくん」
が大ヒット。

テレビに出演して歌われたことで、
アフロヘアーにあごひげ、丸眼鏡
というお姿をこの目に焼きつけた。

それに対してヒデ夕樹さんは、
テレビどころか雑誌の写真でも
そのお姿をお見かけしたことがない。

月光仮面の歌ではないが、
♪どこの誰かは 知らないけれど
(その声は)
誰もがみんな 知っている~
状態である。

ヒデ夕樹さんという歌手は、
ほとんどのアニソンファンにとって
そんなお方だった(はず!)。





今回、ヒデ夕樹さんを
「アニアカ」で紹介されたのが、
剣持 光(けんもち ひかる)さん。

剣持さんは今年7月25日、
『ヒデ夕樹とテレビまんが主題歌の
黄金期』(ケンケンクリエイト)
という本を出版されています。





↓剣持 光さんについては、こちら↓

剣持 光のホームページ





その剣持さんが、
ヒデ夕樹さんがアニソンから
距離を置くようになった原因
について語られた。

その原因のひとつとされるのが、
「夢の舟乗り」差し替えの一件。

「夢の舟乗り」(1978年)とは、
『キャプテン・フューチャー』
の主題歌。

番組開始当初は
ヒデ夕樹さんが歌っていたが、
途中からゴダイゴの
タケカワユキヒデさんのバージョンに
差し替えられてしまったというもの。

1978年のゴダイゴといえば、
テレビドラマ『西遊記』の主題歌
「モンキー・マジック」
「ガンダーラ」
が大ヒット、ブレイクしたころ。

それまでのヒデ夕樹さんは、
アニソンは仕事として
割り切って歌っていたという。

しかし、ヒデ夕樹さんはこの歌、
「夢の舟乗り」に
強いこだわりを持って
レコーディングに臨んだ。

山川啓介(やまかわ けいすけ)さんの
手による歌詞は、
大人になった男性が、
再び少年の気持ちになって
夢にチャレンジするというもの。

当時37歳のヒデ夕樹さんは、
この歌詞に自分を重ねていた
のかもしれない。

レコーディングに納得できず、
自分から頼み込んで
リテイクしてもらったほど
入れ込んだ歌が
「夢の舟乗り」だった。

その歌が差し替えられたことで
精神的に強いショックを受けた。

また、この一件が
「小学生新聞」誌上で
論争になったことを、
子ども好きなヒデ夕樹さんは
心を痛めていたともいわれている。

当時、中学3年だったわしも、
「売れてきた人に歌わせるのが、
大人の世界なんじゃのう」
と受け止めた。





ここで、「夢の舟乗り」の
リテイクバージョンを
聞いてください。

1分28秒あたり、
♪どっちを向いても宇宙~
の前に、
「フンン~」というため息のような声
(文字にするのが難しい…)
が入っているのが
リテイクバージョンじゃそうな。





↓「夢の舟乗り」については、こちら↓

「キャプテン・フューチャー」YouTube





「夢の舟乗り」の一件で、
アニソンから距離を置くようになった
ヒデ夕樹さん。

1998年10月ころ、
ヒデ夕樹さんのもとに
テレビ局から連絡があった。

年末に
アニソンの紅白歌合戦をやります。
リクエストの13位に
「トリトン」が入っているので、
番組に出て歌ってもらえませんか
というもの。

それまで
アニソンのオファーがあっても
断り続けていたヒデ夕樹さん。

しかし、この時はなぜか
そのオファーを受けた。

そして、周囲の人に
「今度テレビに出るんだよ」
と触れまわり、カラオケで
練習をしていたという。

が、12月7日に吐血。

病院に行ったが、
翌8日に亡くなられた。

酒好きが災いし
肝臓を患っていたとはいえ、
58歳で死というのは
本当に大変残念である。

このときテレビに出て
「トリトン」を歌っていれば、
ヒデ夕樹さんのその後の人生が
変わっていたかもしれん。



「オープニング」『ファンタジー・アニメアルバム 海のトリトン』少年画報社 1978年


↓「トリトン」については、こちら↓

「『GO! GO! トリトン』/ヒデ夕木」YouTube





ヒデ夕樹さんの特ソンといえば、
『快傑ライオン丸』の主題歌
「風よ光よ」(1972年)。





↓「風よ光よ」については、こちら↓

「快傑ライオン丸 1972 風よ光よ  秀夕木、ヤング・フレッシュ」YouTube




物語は、魅力的なライバルが
登場することで盛り上がる。

『あしたのジョー』に、
矢吹 丈(やぶき じょう)の
ライバルとして登場するのが、
力石 徹(りきいし とおる)。





↓力石 徹については、こちら↓

「15 力石徹のテーマ(フルコーラス・ヴァージョン) [Rikiishi Toru's Theme Full Version]」YouTube





個人的にヒデ夕樹さんのベスト!
だと思っているのが
『スターウルフ』の主題歌
「青春の旅立ち」(1978年)。





↓「青春の旅立ち」については、こちら↓

「スターウルフ 青春の旅立ち 高音質 FULL Ver'」YouTube





以下、余談。



ヒデ夕樹さんの本名は
平野英之(ひらの ひでゆき)。

「英之」をもじって
「ヒデ夕樹」という芸名をつけたのが
「おヒョイさん」こと
藤村俊二(ふじむら しゅんじ)さん
であることが
ウィキペディアに書いてあった。

このあたりのおふたりの関係も
知りたいもんじゃ。





今日は、
ヒデ夕樹さんについて
話をさせてもろうたでがんす。



ほいじゃあ、またの。
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『映画手帳』1977年12月号(その3)テレビ映画案内編

2021年12月19日 | まんが・テレビ・映画


そのむかし、広島で出版されていた
月刊情報誌『映画手帳』。

この雑誌(1977年12月号)をもとに、
今から44年前、1977年12月の広島を
紹介しています。

前回は、このころ
映画館で上映されていた邦画について。





↓前回については、こちら↓

『映画手帳』1977年12月号(その2)邦画編







今日は、
テレビで放送された映画作品、
テレビ映画案内編
についての話でがんす。





今は、地上波はもとより、
衛星放送やネット経由、
そして、DVDやブルーレイで
映画を楽しむことができる。

このころ(1977年)それらは無く、
家庭用ビデオデッキすら
まだ普及していなかった時代。

映画を観るには、
映画館へ観に行くか、
テレビ放送を待つしかなかった。



広島県では4つのテレビ局

中国放送(RCC)、
広島テレビ(HTV)、
広島ホームテレビ(HOME)、
テレビ新広島(TSS)、

で放送しとったんじゃの。





以下、
「番組名」
(曜日、時間、放送局)
放送日『映画タイトル』
監督名、主演俳優名、
の順で紹介していきます。





「月曜ロードショー」
(月曜、21時2分から22時55分、中国放送)




このころ、
テレビで映画を放送する時には
解説者が出てきて、
その映画や出演者について
解説をしていたんじゃの。

「月曜ロードショー」は、
荻 昌弘(おぎ まさひろ)さんが
担当されていました。





↓荻 昌弘さんについては、こちら↓

「荻 昌弘 解説「セーラー服と機関銃」」YouTube





5日『追撃のバラード』
監=エドウィン・シーリン
主=バート・ランカスター

12日『恋人たちの曲』
監=ケン・ラッセル
主=リチャード・チェンバレン

19日『夜の大捜査線』
監=ノーマン・ジュイソン
主=シドニー・ポワチエ

26日『夜の大捜査線 霧のストレンジャー』
監=ドン・メドフォード
主=シドニー・ポワチエ





「土曜映画劇場」
(土曜、23時45分から25時10分、中国放送)

3日『太陽に向かって走れ』
監=ロイ・ボールディング
主=リチャード・ウィドマーク

10日『カトマンズの男』
監=フィリップ・ド・ブロカ
主=ジャン・ポール・ベルモンド

17日『星空の用心棒』
監=スタン・バンス
主=ジュリアーノ・ジェンマ

24日『夕陽の挽歌』
監=ブレイク・エドワーズ
主=ウィリアム・ホールデン





「サンデースペシャル」
(日曜、15時00分から16時25分、中国放送)

4日『野郎!拳銃で来い』
監=ジョージ・マーシャル
主=オーディ・マーフィ

11日『タイム・マシン』
監=ジョージ・パル
主=ロッド・テーラー

18日『危機13発!大逆転』
主=ウッディ・アレン

25日『ふたりの天使』
監=アーサー・ヒラー
主=アラン・アーキン





「水曜ロードショー」
(水曜、21時00分から22時54分、広島テレビ)




「水曜ロードショー」は、
「いやぁ、映画って
本当(ほんっとう)にいいもんですね」
のセリフで有名な
水野晴郎(みずの はるお)さんが
解説を担当されていました。





↓水野晴郎さんについては、こちら↓

「水野晴郎・映画解説 「カリオストロの城」」YouTube





7日『フォロー・ミー』
監=キャロル・リード
主=ミア・ファロー

14日『フレンズ』
監=ルイス・ギルバート
主=ショーン・バリー

21日『ある愛の詩』
監=アーサー・ヒラー
主=ライアン・オニール






この時の放送は、
「ゴールデンコンビ」と呼ばれ、
映画はもとより、テレビドラマ、
コマーシャルでも共演していた
三浦友和(みうら ともかず)さんと
山口百恵(やまぐち ももえ)さんが
吹き替えをされていたんですね。

このおふたりは1980年にご結婚され、
百恵さんは芸能界から引退されました。





↓映画『ある愛の詩』については、こちら↓

「Love Story - Francis Lai (ある愛の詩)」YouTube





28日『ブラザー・サン、シスター・ムーン』
監=フランコ・ゼフィレッリ
主=グレアム・フォークナー





「土曜名画劇場」
(土曜、13時45分から15時25分、広島テレビ)




最近の若い方だと、
「なんで土曜の昼間っから
映画を放送しとるじゃろ?」
と思われるかもしれません。

このころはまだ、職場も学校も
土曜日は半ドン(はんどん。
午前中だけ働く、学校に行く)が
普通でした。

午前中で仕事を終えた人たちが
家に帰ってお昼を食べた後、
ゆっくりと映画を楽しめる
時間帯じゃったんじゃの。



3日『サランボー』
監=セルジオ・グレコ
主=ジャンヌ・バレリー

10日『休暇はパリで』
監=ブレイク・エドワーズ
主=トニー・カーティス

17日『女性上位時代』
監=パスカーレ・フェスタ・カンパニーレ
主=カトリーヌ・スパーク

24日『姉妹』
監=ロベルト・マレノッティ
主=ナタリー・ドロン





「日曜映画劇場」
(日曜、15時45分から17時10分、広島テレビ)

4日『化身』
監=森 一生
主=勝 新太郎、中村玉緒

11日『嘘』
監=増村保造
主=滝 瑛子、叶 順子

18日『新・与太郎戦記』
監=田中重雄
主=フランキー堺、伴 淳三郎

25日『手錠無用』
監=田中徳三
主=勝 新太郎、藤村志保




今、見直してみたい俳優さんは、
勝 新太郎さんと、
フランキー堺さん。

勝さんは、
『座頭市シリーズ』(1962-73)、
『兵隊やくざシリーズ』(1965-72)、
田宮二郎(たみや じろう)さんとの
コンビが楽しい
『悪名シリーズ』(1961-74)。

フランキーさんは、
『幕末太陽傳』(1957)、
『私は貝になりたい』(1959)、
『世界大戦争』(1961)。

あと、和製ミュージカル映画
『君も出世ができる』(1964)。

『君も出世ができる』は、
サロンシネマのオールナイトで
大笑いしながら観させてもらった
記憶があるんじゃの。



もひとつ、円谷特撮の名作
『モスラ』(1961)。

『モスラ 4Kデジタルリマスター版』が、
12月24日から来年1月6日まで
「午前十時の映画祭11」の一作として、
広島バルト11で上映されます。





↓映画『君も出世ができる』については、こちら↓

「"In Japan" Song, from "You can succeed, too"」YouTube

「"In America" Song, from "You can succeed, too"」YouTube






↓サロンシネマについては、こちら↓

広島の映画館サロンシネマ、八丁座





↓「午前十時の映画祭11」については、こちら↓

午前十時の映画祭11 デジタルで甦る永遠の名作





↓広島バルト11については、こちら↓

広島バルト11





「土曜ワイド劇場」
(土曜、21時00分から22時25分、広島ホームテレビ)

3日『ガラスの城』
主=長山藍子

10日『闇の中の蜜月』
主=三田佳子

17日『二人の夫をもつ女』
主=宮下順子

24日『青い鳥を撃て』
主=秋吉 久美子



今まで洋画ばかり紹介してきたが、
「日曜映画劇場」
「土曜ワイド劇場」
は邦画だけ。

こうやってみると、
かなり違和感を感じますの。





「日曜洋画劇場」
(日曜、21時00分から22時55分、広島ホームテレビ)




「日曜洋画劇場」は、
「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ…」
のセリフで有名な
淀川長治(よどがわ ながはる)さんが
解説を担当されていました。





↓淀川長治さんについては、こちら↓

「淀川長治 解説「2001年宇宙の旅」」YouTube





4日『小さな恋のメロディー』
監=ワリス・フセイン
主=マーク・レスター




この映画は、主役である
ダニエルとメロディのふたりが、
トロッコに乗って野原を走って行く
ラストシーンは今でも忘れられん。

…というか、このシーンの他は、
ほとんど覚えとらんのじゃが。

ビージーズによるテーマ曲
「メロディ・フェア」が
大ヒットしましたね。





↓「メロディ・フェア」については、こちら↓

「Melody Fair」YouTube





11日『可愛い冒険者』
監=シルビオ・ナリッツァーノ
主=マーク・レスター

18日『愛のほほえみ』
監=セルジオ・マルチーノ
主=アレッサンドロ・ココ

25日『禁じられた遊び』
監=ルネ・クレマン
主=ブリジット・フォッセー




『禁じられた遊び』といえば、
テーマ曲として使われた
「愛のロマンス」が有名ですね。

といいながら、この映画は
未だ観たことがありません。





↓「愛のロマンス」については、こちら↓

「禁じられた遊び (1952)  Jeux interdits」YouTube






「あなたの映画劇場」
(月曜から金曜、9時30分から10時55分、広島ホームテレビ)




映画のテレビ放送といえば、夜か、
土曜の深夜という先入観があったが、
これは平日の午前中に
放送されとったんじゃの。

「(洋)」とあるのは洋画のことで、
あとは邦画じゃ。



1日『やくざの横顔』

2日『西部魂』(洋)

5日『細雪』

6日『裏階段』

7日『花の講道館』

8日『友を送る歌』

9日『ズール族の襲撃』(洋)

12日『私を深く埋めて』

13日『早撃ち犬』

14日『復讐の牙』

15日『海の情事に賭ける』

16日『嵐の季節』(洋)

19日『朱雀門』

20日『野良犬』

21日『影を斬る』

22日『でかんしょ風来坊』

23日『夫は偽物』(洋)

26日『新撰組始末記』

27日『関東おんなド根性』

28日『東京用心棒』

29日『栄光への挑戦』

30日『ステートフェア』(洋)





「ゴールデン洋画劇場」
(金曜、21時00分から22時54分、テレビ新広島)




「ゴールデン洋画劇場」は、俳優の
高島忠夫(たかしま ただお)さんが
解説を担当されていました。





↓高島忠夫さんについては、こちら↓

「高島忠夫・映画解説 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」」YouTube





2日『駅馬車』
監=ゴードン・ダグラス
主=アン・マーグレット

9日『インデアン狩り』
監=シドニー・ポラック
主=バート・ランカスター

16日『シャイアン』
監=ジョン・フォード
主=リチャード・ウィドマーク

23日『ティファニーで朝食を』
監=ブレイク・エドワーズ
主=オードリー・ヘプバーン

30日『雨に唄えば』
監=スタンリー・ドーネン、ジーン・ケリー
主=ジーン・ケリー




ミュージカル映画の傑作
『雨に唄えば』。

実はこの映画も
未だ観たことがありません。





↓映画『雨に唄えば』については、こちら↓

「Singin' in the Rain (雨に唄えば , Singin' in the Rain Theme song)」YouTube





「土曜アクション劇場」
(土曜、16時00分から17時25分、テレビ新広島)

10日『決戦オレゴン街道』
監=ポール・ランドレス
主=ジョン・エリクソン

17日『嵐を呼ぶ銃弾』
監=R・G・スプリングスティーン
主=フランク・ラブジョイ

24日『ねむの木学園』

31日『タイガー攻撃隊』
監=ドン・シーゲル
主=ジョン・デレク





「日曜名画座」
(日曜、12時00分から13時55分、テレビ新広島)

4日『SF人喰いアメーバの恐怖』
主=スティーブ・マックィーン

11日『誇り高き戦場』
監=ラルフ・ネルソン
主=チャールトン・ヘストン

18日『盲目のガンマン』
監=フェルディナンド・バルディ
主=トニー・アンソニー

25日『王妃デジレ』
監=ヘンリー・コスター
主=マーロン・ブランド





「刑事コロンボ」
(土曜、22時00分から21時15分、NHK)

17日『刑事コロンボ - ルーサン警部の犯罪』
監=バーナード・コワルスキー
ゲスト=ウィリアム・シャトナー

24日『刑事コロンボ - 黄金のバックル』
監=ロバート・ダグラス
ゲスト=ジョイス・バン・パッツン

31日『刑事コロンボ - 魔術師の幻想』
監=ハーベイ・ハート
ゲスト=ジャック・キャシディ




義理の父が大好きだった
「刑事コロンボシリーズ」。

よれよれのコートに葉巻をくわえ、
「うちのカミさんがね…」の
セリフで有名じゃった。

刑事コロンボを演じたのが
俳優のピーター・フォークで、
日本語の吹き替えを担当したのが、
小池朝雄(こいけ あさお)さん。





↓『刑事コロンボ』テーマ曲については、こちら↓

「刑事コロンボ/ヘンリー・マンシーニ」YouTube





↓『刑事コロンボ』については、こちら↓

「刑事コロンボ」NHK





今日は、
テレビで放送された映画作品、
テレビ映画案内編について
話をさせてもろうたでがんす。

次回は、
年末お歳暮編の予定でがんすけぇの。



ほいじゃあ、またの。
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