通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

郷 秀樹とツナギ

2023年03月27日 | まんが・テレビ・映画
前回、
3月22日に肺がんで亡くなられた
団 時朗(だん じろう)さん
について話をさせてもろうた。



↓団 時朗さんについての関連記事は、こちら↓

「追悼 団 時朗さん」



団 時朗さんは、テレビ特撮
『帰ってきたウルトラマン』
(1971年)の主人公
郷 秀樹(ごう ひでき)を演じられた。

自動車工場で働いていた郷の
その初登場シーンは、
ツナギ姿じゃった。

自動車の修理・整備をしていると
服が油だらけになるので、
汚れてもいいようにと仕事中は
ツナギを着とったんじゃの。





今日は、
郷 秀樹とツナギ
についての話でがんす。





ツナギとは、
上着とズボンを縫い合わせることで
ひとつの服にしたもの。

英語ではボイラースーツともいうが、
日本では「続服(つなぎふく)」から
ツナギと呼ばれるようになったらしい。





左から、坂田 健(さかた けん。演:岸田 森(きしだ しん))、郷 秀樹、坂田アキ(さかた アキ。演:榊原るみ(さかきばら るみ))

(『メーキング・オブ・円谷ヒーロー 2 サイエンスヒーロー・ワールド』 講談社X文庫 1987年 70ページ)



田舎から東京に出てきた郷は、
坂田の経営する修理工場で働く傍ら、
レーサーを目指していた。

坂田は元レーサーだったが、
レース中の事故で脚を痛めたため引退、
今は技術者として生活している。

今の坂田は、
弟のように思っている郷に
レーサーとしての活躍を託し、
レーシングマシン流星号を
ふたりで作っていた。




(『メーキング・オブ・円谷ヒーロー 2 サイエンスヒーロー・ワールド』 講談社X文庫 1987年 70ページ)


突然の怪獣出現に混乱する街の中で、
郷は逃げ遅れた少年と子犬を
助けようとして、命を落とす。

そのことを知った坂田は、
完成したばかりの流星号に火をつけ、
送り火(おくりび。死者の魂を、
あの世へと送り出すこと)とした。





以下、余談。


映画『惑星大戦争』(1977年)では、
宇宙防衛艦・轟天(ごうてん)を
地球上で整備する間、
乗組員たちはツナギ姿で
作業をしていた。


テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』
(1974年)では、整備員は
ツナギではなくオーバーオール姿で
作業をしていたんじゃの。





以下、さらに余談。


わしの親父は、
広島の自動車会社・マツダに
勤めていた関係もあって、
知り合いのいる修理工場に
連れて行ってもらったことが
何度かある。

そこで、ツナギ姿で
働く人の姿を見ていたので、
(皆、気のよい方ばかりじゃった)
ツナギ姿の郷を見ただけで、
彼に親近感を持ったんじゃの。




今日は、
郷 秀樹とツナギ
について話をさせてもろうたでがんす。



ほいじゃあ、またの。
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追悼 団 時朗さん

2023年03月25日 | まんが・テレビ・映画
今朝6時前、
NHKラジオ「マイあさ!」の番組内で、
団 次郎、みすず児童合唱団が歌う
「帰ってきたウルトラマン」
が流れた。

「あぁ、ほうか(=そうか)。
団 時朗(だん じろう)さんが、
3月22日に亡くなっちゃったんよの」

わしがリアルタイムで見た
初めてのウルトラマンが、
『帰ってきたウルトラマン』
(1971年)で、その主人公
郷 秀樹(ごう ひでき)を演じたのが
団 時朗(放送当時は「団 次郎」名義)
さんじゃった。



↓「帰ってきたウルトラマン」については、こちら↓

「帰ってきたウルトラマンOP」YouTube





今日は、
団 時朗さんと歌
についての話でがんす。





最初に書いたとおり、
『帰ってきたウルトラマン』
の主人公役を演じた団さんは、
その主題歌も歌った。

主人公が主題歌を歌うのは、
ウルトラシリーズでは初めてのこと。

1967年に京都の高校を卒業後に上京、
ファッションモデルとして
注目された団さんは、
あるきっかけで歌を歌うことに。


大人(芸能関係者)に乗せられて、日活の『わが命の唄 艶歌』という映画に出演したんですよ(笑)。それがきっかけで映画の主題歌である「バラの恋」で歌手デビューも果たすのですが、本人としては歌の仕事をするつもりはありませんでした。

(『ウルトラ特撮 PERFECT MOOK vol.4 帰ってきたウルトラマン』講談社 2020年 16ページ)



映画に出演したのが1968年で、
作品中の役名「団 次郎」を芸名とし、
その年のうちに日本クラウンから
歌手デビューし、
のちに日本コロムビアに移籍。




左から「甘い予感」「霧の中の孤独」(1970年)のレコードジャケット

(『帰ってきたウルトラマン MUSIC COLLECTION』日本コロムビア 2019年)



ウルトラマンの主題歌を
歌うことになったのは、
そういう経緯があってのことと
思われる。

が、もうひとつ、
主人公が歌を歌った方が
番組にとってメリットになる、
という読みもあったと思われる。

というのも、
ウルトラマンの放送が始まった翌日の
4月3日から放送が始まったのが
『仮面ライダー』。

その主題歌
「レッツゴー!! ライダーキック」
を歌ったのが、主人公
本郷 猛(ほんごう たけし)役の
藤岡 弘、(ふじおか ひろし。
放送当時は「藤岡 弘」名義)
さんだったのは、ご存じのとおり。


団さんは、
「帰ってきたウルトラマン」
を歌ってから20年後の1991年に、
テレビアニメ
『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』
の主題歌「勇者よいそげ!!」
も歌っておられる。

これは、この歌を作曲された
すぎやまこういちさんとの関係で
歌うことになったという。



↓「勇者よいそげ!!」については、こちら↓

「勇者よいそげ」YouTube






以下、余談。


『帰ってきたウルトラマン』
といえば、ボツとなった主題歌
「戦え! ウルトラマン」
も捨てがたいですの。



↓「戦え! ウルトラマン」については、こちら↓

「「戦え!ウルトラマン」/団次郎」YouTube



この歌を主題歌として採用したのが、
『帰ってきたウルトラマン
マットアロー1号発進命令』
(DAICON FILM 1983年)じゃ。



↓『帰ってきたウルトラマン
マットアロー1号発進命令』については、こちら↓

「DAICON FILM - 帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令」YouTube



この作品で、総監督と
ウルトラマン役(!)を務めたのが、
庵野秀明(あんの ひであき)さん。

庵野さんといえば、
『新世紀エヴァンゲリオン』を始め、
『シン・ゴジラ』(2016年)、
『シン・ウルトラマン』(2022年)
などを手がけ、そして今は
『シン・仮面ライダー』が上映中。


庵野さんもそうじゃが、
このころの子どもたちは、
これらの作品から
大きな影響を受けて育ち、
今に至っとるんじゃの。





以下、さらに余談。


歌とは関係ないが、
団さんと広島とは、
意外なところで関係があった。

団さんは平安高校時代、
野球部に所属していたが、
その2年先輩には、
のちに「鉄人」と呼ばれた
衣笠祥雄(きぬがさ さちお)
さんがおられたんじゃの。

衣笠さんといえば、
1970年代後半から1980年代の
広島カープ黄金時代を築いた
功労者のひとり。

そして、
連続試合出場記録の日本記録を持ち、
1987年には国民栄誉賞を
受賞されとってんじゃ。





今日は、
団 時朗さんと歌
について話をさせてもろうたでがんす。



ほいじゃあ、またの。
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『小学一年生』に掲載された漫画(1970年度)

2023年03月23日 | まんが・テレビ・映画
以前、小学館の学年誌100年
について話をさせてもろうた。



↓小学館学年誌の100年についての関連記事は、こちら↓

小学館 学年誌の100年



今回は、
わしが小学1年生(1970年度)のとき
小学館の学年誌に掲載されていた漫画
についての話じゃ。

今年、還暦を迎える
1963(昭和38)年生まれの人限定の話
になるところはあるんじゃが、
むかしはこんな作品があったんじゃの
と想像しながら読んでみてください。





今日は、
『小学一年生』の漫画
(1970年4月号から1971年3月号まで)
についての話でがんす。









(藤子・F・不二雄『ドラえもんカラー作品集 第5巻』てんとう虫コミックスペシャル 2005年 158・159ページ)


まず藤子・F・不二雄
(ふじこ・エフ・ふじお。
当時は、藤子 不二雄 名義)
先生の「ドラえもん」から。

1970(昭和45)年1月号から
『よいこ』『幼稚園』
『小学一年生』から
『小学四年生』の計6誌で
連載が始まったので、
わしは連載開始当初から
読んでいたことになる。




(藤子・F・不二雄『ドラえもん 第0巻』てんとう虫コミックス 2019年 10ページ)


わしが初めて
「ドラえもん」を読んだのは
『幼稚園』のこの話のはずなんじゃが、
これを読んだ記憶は
いっそ(全然)無い…。


閑話休題(それはさておき)。

藤子さんのすごいところは、
同じ作品を載せることをせず、
『幼稚園』は幼稚園向けに、
『小学四年生』は4年生向けにと、
計6誌・各学年ごとに
違う作品としてドラえもんを
描き分けていたこと。

わしが小学4年になった
1973年4月号からは、
『小学五年生』『小学六年生』でも
連載が始まった。

こうして、わしは
「ドラえもん」とともに小学校生活を
過ごしたことになるんじゃの。



↓ドラえもんについては、こちら↓

ドラえもん公式サイト ドラえもんチャンネル






(編集・執筆/秋山哲茂、監修/円谷プロダクション『学年誌ウルトラ伝説』小学館 2017年 157ページ)

特撮ものでは、
中城(なかじょう)けんたろう先生の
「ジャンボーX(エックス)」。

ジャンボーX?
ジャンボーグA(エース)
の間違いでは?
と思われた方、正解じゃ。

「ジャンボーグA」は
1973年1月から放送された
特撮テレビ番組で、
その企画段階のタイトルが
「ジャンボーX」じゃったんじゃの。

…と書いておきながら、
この漫画のことはまったく覚えとらん
かったりするんじゃが。



↓ジャンボーグAについては、こちら↓

「ジャンボーグA」ウルトラマンヒーローシリーズ





あと、谷 ゆき子先生の
「かあさん星」も
忘れちゃいけん。

1971年1月号から1973年9月号まで
(小学一年生から小学四年生まで)
2年半にわたって連載された作品。

そのストーリーは、
わしの記憶が確かなら
こんな話じゃった。

おばあさんと暮らしていた
ふたり姉妹(名前が思い出せん)は、
おばあさんが亡くなった
のをきっかけに、
お母さんを探す旅に出かける。

その旅の途中で、ふたり姉妹は
離ればなれになってしまう。

ようやく出会えたお母さんは
しかし記憶を失っていて、
そのうえ離ればなれになってしまう
…と、とにかく不幸な出来事が
これでもかと続く
読んでいてとてもつらかった物語。

でも、なぜか
毎号かならず読んでいた
…と記憶する。



↓かあさん星については、こちら↓

谷ゆき子「かあさん星」Cafe Tsumire





意外なところでは、
吉森 みき男(よしもり みきお)
先生の「魔法のマコちゃん」
(1970年12月号から)。

「魔法のマコちゃん」は、
1970年11月から放送された
テレビアニメ。



↓テレビアニメ「魔法のマコちゃん」については、こちら↓

「魔法のマコちゃん」東映アニメーション



吉森先生は、のちに
「しまっていこうぜ!」
(『週刊少年チャンピオン』)、
「つっぱしり元太郎」
(『別冊少年チャンピオン』)、
「行け!ライパチくん」
(読売新聞日曜版)などなど、
水島新司(みずしま しんじ)さん、
ちばあきおさんに負けないくらい
野球漫画を描かれていた方じゃ。

むかしの雑誌には、
人気歌手の若いころや
売れない時代を題材にした漫画が
載っていた。

その中に、1972(昭和47)年に
「ひなげしの花」でデビュー、
人気アイドルになった
アグネス・チャンの漫画があって、
それを描いていたのが、
吉森さんだというのを思い出した。

掲載誌は思い出せんが…。





今日は、
わしが小学1年生(1970年度)のとき
小学館の学年誌に掲載されていた漫画
について話をさせてもろうたでがんす。

次回は、
小学2年生(1971年度)のとき
小学館の学年誌に掲載されていた漫画
についての話の予定じゃ。


ほいじゃあ、またの。
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乱舞!!ザンボット3

2023年03月21日 | まんが・テレビ・映画
最近の楽しみのひとつが、
YouTubeサンライズチャンネルの
『無敵超人ザンボット3(スリー)』と
『伝説巨神イデオン』
を観ること。

どちらも、
『機動戦士ガンダム』を手がけた
富野 由悠季(とみの よしゆき。
富野喜幸)監督作品である。

46年前に放送されたザンボットは、
今では人間爆弾の恐怖を描いた作品
として知られるが、
当時は一部のマニアしか知らない
マイナーな作品だった。

この作品はまた、
アニメーターの故・金田伊功
(かなだ よしのり)さんが
原画を手がけたことでも知られる。
(所属していたスタジオZでの参加)

今夜20時からは、
金田さんが参加した
第16話「人間爆弾の恐怖」
が配信される。



↓YouTubeサンライズチャンネルについては、こちら↓

サンライズチャンネル





今日は、
乱舞!!ザンボット3ということで
アニメーター・金田伊功さん
についての話でがんす。





金田伊功さんは、
1970年後半から80年代にかけて、
アニメの表現に革新をもたらした
伝説のアニメーター。

手前のものをより大きく描くことで
遠近感を強調する金田パース、
腕をぐっと広げ、
首を傾(かたむ)け、
ガニ股でジャンプする金田ポーズ、
といった独得の動き。

直線的ではなく、
生き物のような動きをしながら
飛んでいく金田ビーム、
ハレーションを表現したような
金田光(びか)り、
球状になって弾け飛ぶ金田爆発、
などの特殊効果を生み出した。

2009年、57歳の若さで
亡くなられたことが惜しまれる。

アニメ・特撮研究家
氷川竜介(ひかわ りゅうすけ)
さんは、その著作
『20年目のザンボット3』
(太田出版 1997年)で、
全5章のうち1章を割(さ)いて
アニメーターとしての金田さんを
紹介しておられます。

今日は、この本から
第16話「人間爆弾の恐怖」
紹介していこう。




(左から、神北公子、神江和行、神江きいろ)


作画の金田伊功は『ど根性ガエル』などのAプロ作品の画風を好んでいるため、スイカの切り身のような大口や、パースのついた目玉やデベソを強調して描いており…

(『20年目のザンボット3』67ページ)



「スイカの切り身のような大口」
をしているのが、神江きいろ。

第16話は、3人の子どもが
潜水艦を操縦して
敵・ガイゾックに戦いを挑む、
というお話。

金田さんは、この子どもたちを
気持ちいいくらいに
画面狭しと動きまわらせてたうえに、
ギャグ的な笑える作画も
ふんだんに盛り込んでいます。


勝平、恵子、きいろちゃんといった子どもたちのキャラは大好きです。

(金田伊功のコメント『ロマンアルバム21 無敵超人ザンボット3』徳間書店 1979年 69ページ)






画面左が遠近感を強調した
金田パース。

画面右上が金田ポーズのひとつで、
ジャンプするときは
かならずこの手になるのがお約束。





そして、巨大空母の外観をした
敵のメカ・ブースト
ブウボンとの戦い。













(光線の)光圧でザンボット3は打ちのめされ吹き飛ぶが、フレームに戻ってまた打ちのめされる。このくどいまでのダメ押し的なアクションが、光線の威力の表現になっているのだ。ロボットの戦闘をこんな風に描けるアニメーターは他にはいない。

(『20年目のザンボット3』172ページ)






以下、余談。


第16話から第19話までの4話は、
「人間爆弾4部作」と呼ばれている。

第16話「人間爆弾の恐怖」
第17話「星が輝く時」
第18話「アキと勝平」
第19話「明日への脱出」


巨大空母の外観をした
メカ・ブースト ブウボン。

そこは、捕らえた地球人の体内に
爆弾を埋め込むことで
「人間爆弾」を製造する
ための工場でもあった。

自分の体の中に爆弾を埋め込まれた
という記憶を消された上で
彼らは解放される。

彼らは普段どおりに生活するが、
爆弾が、いつ、どこで爆発するか、
分からない。

人間が突然、爆発するという
戦慄の事実しか分かっていない
ザンボットチーム。

「何なの? 人間爆弾って…」


人間爆弾4部作を
刮目(かつもく)して見よ!



↓『無敵超人ザンボット3』については、こちら↓

『無敵超人ザンボット3』公式サイト



↓『無敵超人ザンボット3』についての関連記事は、こちら↓

40年目のザンボット3




今日は、
乱舞!!ザンボット3ということで
アニメーター・金田伊功さん
について話をさせてもろうたでがんす。


ほいじゃあ、またの。
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そこにアイはあるんか?

2023年03月19日 | 日記
先日、引っ越しをしたので、
その準備と、後の整理に
追われる日々が続いとった。

荷物が入ったままの段ボールが
家の中にたくさん残っとるが、
とりあえず一段落したんで、
ブログを再開することにした。

引っ越し作業で
掘り出し物がいろいろと出てきたが、
それはおいおい紹介するとして…。

これからもこのブログを
よろしくお願いします。





今回の引っ越しでお世話になったのが、
広島市安佐南区に本社がある
アイ引越センター。



↓アイ引越センターについては、こちら↓

アイ引越センター





段ボール横の一面には
同社のキャラクターである
カモ(鴨)が描かれている。



もうひとつの横の一面には
アイソメ図で
立方体(正六面体)が描かれている。

が、妙なところで線が切れとって、
立方体としておかしい。

こりゃ、
なにか意味があるんじゃろか?

…と、引っ越しの手を休めて
しばし悩む。

すると、立方体の中から
とある文字が浮かんできた。



「アイ」という文字が…。

アイ引越センターじゃけぇ、
アイの文字がデザインされとるんか。

なるほど、
うまいこと考えとってじゃの。





以下、余談。


アイ引越センターのキャラクター
カモは、マガモ・コガモなど
水鳥の総称で、
冬鳥として日本に渡ってくる。

広島には、カモについて
こんな言い伝えがあるそうじゃ。

「カモの大群が早く来れば
霜が早い」

カモがいつもの年より
早くやって来る
=その冬はいつもの年より寒い
(から早くやって来る)
=霜が降りるのが
いつもの年よりも早い
…ということじゃろうの。

ちなみに、広島の初霜の平年値は、
12月14日じゃそうな。
(1981年から2010年の
30年間の平均値)





以下、さらに余談。


タイトルに使わせてもらった
「そこに愛(アイ)はあるんか?」は、
アイフルのテレビコマーシャル内で
大地真央(だいち まお)さん
が使う決めゼリフ。

この役をやらなさそうな人を
ということで、
大地さんがこのコマーシャルに
起用されたそうじゃ。



↓大地真央さんについては、こちら↓

大地 真央 Mao Daichi Official Site





【参考文献】

鈴木棠三『日本俗信辞典 動物編』角川ソフィア文庫 2020年 217ページ






今日は、
アイ引越センターの
段ボールに書かれたアイの文字と
キャラクターのカモ
について話をさせてもろうたでがんす。


ほいじゃあ、またの。
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