通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

西国街道(旧山陽道) その27

2014年05月25日 | 見て歩き
~廿日市招魂社から(廿日市)街道松まで~





「前回は、廿日市天満宮から(廿日市)街道松を紹介したんじゃけど…」

「今日、廿日市招魂社から(廿日市)街道松まで」

「…? 前回、(廿日市)街道松まで行ったよね?」

「今日は、西国街道からは外れることになるんじゃが、招魂社から街道松までを紹介してみようと思うんじゃ」







「招魂社の入り口の向かい側…」







「宮島街道に抜ける道を進む」







「緑のひさしがある「ふだの食料品店」の角を左に曲がって、路地を進むと…」







「稲荷大明神がある」







「さらに進むと、津和野(つわの)藩船屋敷跡がある」

「津和野藩?」

「津和野は今の島根県の西部、むかしでいう石見国(いわみのくに)じゃの」

「そういや、廿日市から津和野へ通じる津和野街道があったよね?」

「津和野藩主の亀井氏は、参勤交代や物資を輸送する際、津和野街道を通って廿日市までやって来て、そこから海路を通って大坂へ行きよったそうじゃ」

「石見いうたら、石州和紙(せきしゅうわし)が有名」

「それで寛永8年(1631年)、ここに船屋敷を作られたんじゃ」

「ということは、すぐ近くまで海じゃったんじゃね」

「さっき稲荷大明神があったろ?」

「うん」

「あれは津和野にある太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)を分祠(ぶんし)してきたものじゃそうな」



↓津和野藩船屋敷跡については、こちら↓

「津和野藩御船屋敷跡」はつかいち旅ナビ



↓津和野街道については、こちら↓

津和野街道【公式ページ】



↓石州和紙については、こちら↓

石州和紙 島根県浜田市三隅町







「この道を進むと…」







「桂公園に着く」

「この公園は、1913年(大正2年)に開園した、廿日市で一番古い公園じゃったね」







「ここにはそのむかし、桜尾城(さくらおじょう)があって、そこの城主でもあった桂 元澄(かつら もとずみ)の子孫・桂 太郎(かつら たろう)が、当時の廿日市町に寄贈しちゃったんよね」

「桂 太郎は、西園寺 公望(さいおんじ きんもち)と政権を交互に担当したことから「桂園時代(けいえんじだい。1901年~1913年)」と呼ばれる時代を築いたこともある。そのせいか、在職日数2886日は、歴代首相の中でも1位なんじゃの」

「桂園時代。そんなのを習(なろ)うたような、習わんかったような…」

「鎌倉時代、厳島神社の神主でもあった藤原親実(ふじわら ちかざね)が桜尾城を築いたといわれとるんじゃ」

「廿日市天満宮を勧請したのも、藤原親実じゃったね」

「神主家の藤原氏は、室町時代になると佐東郡(さとうぐん)、今の広島市安佐南区あたりを本拠地とする守護・武田氏と抗争を繰り返す。藤原氏はのちに、山口を本拠地とする大内氏に属するんじゃが、大内氏を離反したために滅ぼされてしまうんじゃの」

「その大内氏は、家臣の陶 晴賢(すえ はるかた)に滅ぼされたんよ」

「その後、桜尾城は毛利元就(もうり もとなり)が攻め落として、元就の家臣・桂 元澄を城主にしたんじゃ」

「そういう経緯で、桂 元澄が城主になっちゃったんじゃね」

「関ヶ原の戦いの後、毛利家が長州藩、今の山口県に移封されると、桜尾城は廃城になってしまう。桂氏も藩主に従って長州に移ったけぇ、桂 太郎も弘化(こうか)5年(1848年)に長州の萩で生まれとってんじゃの」







「この公園は、子どもたちの遊び場でもあるし、休日にはバーベキューをしたり、春には花見をしたりしよってじゃの」



↓桂公園については、こちら↓

「桂公園(桜の名所)」はつかいち旅ナビ



↓桂公園についての関連記事は、こちら↓

桂公園【花見に行こうや2014】















「この道を下って…」







「下りたところを左に曲がって進む」







「この角を右に曲がって進むと…」







「ふたたび、桜尾公園にある(廿日市)街道松のところまでやって来る」

「廿日市市内に残る街道松は、この1本だけなんよね」





訪問日:2014年5月2日





「今日は、廿日市天満宮から(廿日市)街道松について話をさせてもらいました」

「次回は、(廿日市)街道松から(五日市)街道松までを紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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西国街道(旧山陽道) その26

2014年05月24日 | 見て歩き
~廿日市天満宮から(廿日市)街道松まで~





「前回は、天満宮にある狛犬(こまいぬ)を紹介したんじゃけど…」

「今日、廿日市天満宮から(廿日市)街道松まで」









「天神山の頂上には、廿日市天満宮の別当寺である高野山(こうやさん)真言宗 篠尾山(ささおざん)正覚院(しょうかくいん)がある」

「高野山じゃけぇ、ゆるキャラの「こうやくん」が飾ってあるんじゃね」



↓こうやくんについては、こちら↓

こうやくん日記







「正覚院は奈良時代・天平(てんぴょう)年間、行基(ぎょうき)いうお坊さんが開基したと伝えられとる」

「歴史があるお寺なんじゃね」

「それもあって、ここには次のような文化財があるそうじゃ」



木造 不動明王立像(ふどうみょうおうりゅうぞう)=広島県重要文化財(昭和60年12月2日指定)

金銅製 五鈷鈴(ごこれい)= 広島県重要文化財(昭和60年12月2日指定)

絹本著色 四所明神曼荼羅(ししょみょうじんまんだら)=廿日市市重要文化財(昭和59年2月27日指定)

絹本著色 如来荒神図(にょらいこうじんず)=廿日市市重要文化財(昭和59年2月27日指定)

木造 役の行者倚像(えんのぎょうじゃいぞう)=廿日市市重要文化財(昭和59年2月27日指定)

木造 十王像(じゅうおうぞう)=廿日市市重要文化財(昭和51年5月15日指定)

金銅製 五鈷杵(ごこしょ) 独鈷杵(どっこしょ)=廿日市市重要文化財(昭和59年2月27日指定)

銅製 梵鐘(ぼんしょう)=廿日市市重要文化財(昭和50年5月15日指定)




「倚像(いぞう)って?」

「イス(倚子)に腰をかけた姿の仏像のこと。ついでに説明しとくと、立像(りつぞう、りゅうぞう)は立っている姿の仏像で、座像(ざぞう)は座っている姿の仏像になるんじゃの」



↓正覚院については、こちら↓

正覚院「はつかいち旅ナビ」
















「天神山のふもと、廿日市天満宮の西側には、浄土真宗本願寺派・慈恩(じおん)山蓮教寺がある」







「この鐘は?」

「延宝3年(1675年)、廿日市の鋳物師(いもじ)・山田次右衛門尉(やまだじうえもんのじょう)藤原貞榮(じょうえい)が造ったもので、廿日市市指定重要文化財に指定されとる。ほかにも、次のような文化財があるそうじゃ」



木造 阿弥陀如来立像(あみだにょらいりつぞう)

木造 苦行釈迦座像(くぎょうしゃかざぞう)

木造 親鸞聖人旅立倚像(しんらんしょうにんたびだちいぞう)

紙本著色 弥陀(みだ)並びに善導(ぜんどう)・法然三尊図(ほうねんさんそんず)

以上、廿日市市指定重要文化財(昭和60年1月24日指定)








「大きなソテツじゃね」

「これは廿日市市の天然記念物で、最大胸高幹囲が102センチ、樹高が4.1メートル。広島県内では第4位、廿日市市内では一番大きなソテツになるそうじゃ」



↓蓮教寺については、こちら↓

「蓮教寺のソテツ」はつかいち旅ナビ







「蓮教寺を出て道を西に向かって歩くと、浄土真宗本願寺派宗像山・正蓮寺がある」







「さらに進むと、廿日市招魂社がある」

「桜がきれいじゃったところじゃね」



↓廿日市招魂社についての関連記事は、こちら↓

廿日市招魂社【花見に行こうや2014】















「明治天皇御駐蹕遺跡?」

「駐蹕(ちゅうひつ)いうのは、天子が行幸(ぎょうこう。外出)された時に乗り物を止める、つまり休憩するという意味なんじゃ」

「ということは、ここでお休みになられた?」

「1885年(明治18年)、明治天皇は山口・広島・岡山の3県を行幸された。7月31日に厳島に泊まられた明治天皇は8月1日、船で厳島から地御前に渡られ、廿日市・草津を通って広島に入られた。その途中、お休みになられた場所が、今の招魂社がある所になるそうじゃ」

「へぇ」







「「明治天皇御用品奉置殿」と書いてあった」







「廿日市招魂社を出て、北へ行こうとすると…」







「右手に正覚院別院・薬師堂があった」







「そのまま道なりに沿って進むと…」









「桜尾公園に(廿日市)街道松がある」

「街道松いうくらいじゃけぇ、大きいね」

「廿日市市内に残る街道松は、この1本だけじゃそうな」





訪問日:2014年5月2日





「今日は、廿日市天満宮から(廿日市)街道松について話をさせてもらいました」

「次回は、廿日市招魂社から(廿日市)街道松までを紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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フィルムマラソン

2014年05月23日 | まんが・テレビ・映画
「昨日は、広島市中区・タカノ橋商店街にある映画館「サロンシネマ」が、今年(2014年)8月末で閉館。年内に新しい映画館を広島市内に移転オープンする予定、という話をしたんじゃけど…」

「サロンシネマといえば、忘れちゃいけんのがフィルムマラソン」

「フィルムマラソンいうたら、オールナイトのこと」

「たいていは土曜日の夜9時か10時くらいから始まって、翌朝の5時か6時くらいまで、一晩中、映画を楽しむんじゃの」

「お父さんが単身赴任で東京の立川に行っとったころは、渋谷にある新文芸坐に行きよったんよね」

「東京の映画館でええ(=良い)ところいうたら、なんというても、その関係者が来てくれることじゃの」

「呼びやすいし、行きやすい」

「たとえば、新文芸坐では6月7日に「新海誠(しんかい まこと)監督作品一挙上映会」があるんじゃが、そこでは監督の新海誠氏らのトークショーがあったりするんじゃ」

「広島まで呼ぼうとすると、交通費や宿泊費などお金がかかるじゃろうね」

「時間的な問題もあるじゃろうしの。うらやましいと思う反面、新文芸坐は座席で困った」

「座席で困る?」

「映画1本を観るなら、なんとも思わんのんじゃが、オールナイトで、一晩中座って映画を観るとなると、かなり辛い」

「サロンシネマじゃったら、手足を伸ばせるし、座席の上でゴロンと横になれるもんね」

「家でテレビを見ることを考えてみりゃわかるが、背筋をピンと伸ばして見る人はおってんないじゃろうけぇの」

「映画『ALWAYS 三丁目の夕日』のように、テレビが普及し始めたころならおっちゃったかもしれん」

「たいていは、テーブルに肘をついたり、ソファにゴロンと横になって見る」

「あと、食べ物を食べたり飲み物を飲んだりするよ」

「その点、サロンシネマにはテーブルがあるけぇ、食べ物を置いて観ることができるんじゃ」

「フィルムマラソンには、うちも1回だけ行ったことがあるんじゃけど、女性の方が結構、来られとっていうことかね」

「それは、わしも驚いた。上映する作品にもよるが、女性の方も見に来られとってんじゃ。フィルムマラソンで肝心なことは、全部の作品を観ようと思わないこと、かの」

「それは、お父さんの経験上から?」

「最初から「観ない映画」を決めて、その映画の時は、ひたすら眠るように心がけること。「これが観たい」と思う映画の時に寝てしまうよりも、そのほうがずっとええ」

「なるほどね」

「…とはいうてもの、「観ない映画」の中にも傑作が埋もれとったりすることがあるけぇの」

「たとえば?」

「たとえば、『シザーハンズ』(ティム・バートン/監督 ジョニー・デップ/主演 1991年公開)。全然、期待しとらんかったのに、オープニングから引き込まれて、ラストまでハラハラドキドキしながら観てしもうた」

「なんでもそうじゃけど、中身を見てみにゃ分からんよ」

「上映後は、スタッフの方もお気に入りということで、静かに雪の降り積もる20世紀フォックスのオープニングロゴからオープニングテーマまでを上映されたんじゃ」

「そういや、映画の上映前にスタッフの方が、「この映画のこんなところがよい」とか、「ここを観てください」って紹介してのことがあってよね」

「新しい映画館でも、サロンシネマのようなゆったりした座席とテーブルで、フィルムマラソンを楽しみたいもんじゃの」





↓サロンシネマについては、こちら↓

広島の映画館サロンシネマ、シネツイン、八丁座の広島地場劇場運営会社【序破急】





↓新文芸坐については、こちら↓

感動はスクリーンから-低料金2本立ての名画座 | 新文芸坐





「今日は、フィルムマラソンについて話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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サロンシネマ 閉館、移転へ

2014年05月22日 | まんが・テレビ・映画

(中国新聞 2014年5月21日)

「昨日の中国新聞に出とったんじゃが、広島市中区・タカノ橋商店街にある映画館「サロンシネマ」が、今年(2014年)8月末で閉館することになったそうじゃ」

「映画館がまたひとつ、のうなる(=なくなる)んじゃね」

「いうてもの、タカノ橋商店街にあるサロンシネマは閉館になるんじゃが、年内には新しい映画館を広島市内に移転オープンする予定なんじゃそうな」

「タカノ橋のは、なんで閉館してんかね?」

「入居しとるビルの老朽化して、雨漏りがしたり、外壁の一部が落ちたりしとるんじゃと」

「うちも行ったことがあるけど、確かに歴史のありそうなビルじゃもんね。そういや、いつごろから営業されとってん?」

「サロンシネマとしては1972年(昭和47年)からなんじゃが、もともとは、1955年(昭和30年)から映画館として運営されとってんじゃそうな」

「…ということは、サロンシネマは42年の歴史があるんじゃね」





「わしがサロンシネマに通うようになったのは、入社した会社がサロンシネマまで歩いて5分で行ける場所にあったこともあるかの」

「サロンシネマいうたら、ゆったりしたシート(座席)とテーブルがあるんよ」

「今のシネコンができ始めてからかの、ゆったりしたシートが設置されるようになったが、それまでは、前後左右ともゆとりのない座席の映画館が多かったもんの」

「人が通るたびに、立って人を通してあげにゃいけんかったりしたよね」

「あと、カップホルダーもなかったよのう」

「そうそう。ジュースなんか、映画が上映される間、ずっと手に持っとかにゃいけんかったもん」

「足元に置いたりとかの。その点、サロンシネマにはテーブルがあって、飲み物や食べ物を置くことができた」

「あと、むかしから座布団やひざ掛けが常備してあったのもここくらいじゃないかね?」






(エンドマーク 1989年5月 No.49)

「サロンシネマといえば、毎月発行される「エンドマーク」。調べてみたら、記念すべき第1号は1983年12月・1月号じゃそうな」

「こっちは、30年の歴史があるんじゃね」

「すごいのは、サロンシネマ単館で運営されとるときから、この小冊子を発行されとるということじゃ」

「くわしいことはよう分からんけど、やっぱりお金もかかるじゃろうしね」





「サロンシネマといえば、「サロンシネマ2」に触れんわけにはいかんのう」

「なんで?」

「前身は「タカノ橋日劇」という成人映画館じゃったんじゃ」

「…成人映画館って、お父さん通いよったん?」

「はい。大変お世話になりました」

「なんじゃ、そりゃ」

「最後のころには割引スタンプいうのがあって、3回押してもらうと、4回目は無料で観れるというものじゃった。あれで2回ほど無料で観たことがあるかの」

「よー、覚えとるねぇ…」

「あのころはアダルトビデオ(AV)が上映され始めたころで、まだまだポルノ映画が数多く上映されとったころじゃ」

「うちゃ理解できんのじゃけど、なにが違うん?」

「AVは、性行為さえあればOKで、ストーリーは不要。ポルノ映画は、曲がりなりにも「映画」いうくらいで、時々、裸やエロチックな場面さえあれば、あとはちゃんとしたストーリーがある。ほいじゃけぇ、成人映画出身の監督には、こういう方々がおられてんじゃの」



石井 隆(いしい たかし)

和泉 聖治(いずみ せいじ)

金子 修介(かねこ しゅうすけ)

崔 洋一(チェ・ヤンイル)

周防 正行(すお まさゆき)

相米 慎二(そうまい しんじ)

滝田 洋二郎(たきた ようじろう)

中原 俊(なかはら しゅん)

那須 博之(なす ひろゆき)

根岸 吉太郎(ねぎし きちたろう)

森田 芳光(もりた よしみつ)

(以上、敬称略)






↓サロンシネマについては、こちら↓

広島の映画館サロンシネマ、シネツイン、八丁座の広島地場劇場運営会社【序破急】





「今日は、「サロンシネマ 閉館、移転へ」ということで、サロンシネマについて話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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西国街道(旧山陽道) その25

2014年05月21日 | 見て歩き
~廿日市天満宮 その2~





「前回は、廿日市天満宮を紹介したんじゃけど…」

「今日はその続き、廿日市天満宮 その2。天満宮にある4対の狛犬(こまいぬ)を紹介していきますけぇの」







「まず最初。入り口側にある「阿形(あぎょう)」から」







「股間を見ると…」

「おぉ、立派なモノがついとるじゃない。…って、今回はこんな話なん?」

「廿日市天満宮の入り口側には、性器の付いた狛犬があるんじゃの」







「後ろから見ると…」

「肛門まであるんじゃね」

「今まで、陰茎(いんけい)のある狛犬は見たことがあるんじゃが、陰嚢(いんのう)や肛門まであるのは初めて見たのう」







「次は「吽形(うんぎょう)」」

「…ということは、こっちも?」









「後ろに回って見ると…」

「確かに女性器が付いとるね」

「こういうのも、わしゃ初めて見たで」









「2つ目は…」

「こういう風に、猫が背伸びをしとるような狛犬は見たことないね」

「あと、顔がここまで平坦なのも見たことがないのう」









「3つ目は…」

「かなり型崩れしとるね」

「しかも苔むしとるし。ほいじゃが、よう(=良く)見る形ではあるよの」









「最後、4つ目は門の中に飾ってある狛犬じゃ」

「金さん銀さんじゃないけど、金色と銀色の2色の狛犬になっとるんじゃね」





訪問日:2014年5月2日





「今日は、廿日市天満宮にある狛犬について話をさせてもらいました」

「次回は、廿日市天満宮から(廿日市)街道松までを紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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