通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

助かったいのち

2018年12月31日 | 広島の話題
西日本豪雨(その14)

救助者から見たあの日

東広島市志和町志和堀 関川沿い






日本漢字能力検定協会による、今年、2018年の世相を表す今年の漢字は「災」。

西日本豪雨や大阪府北部地震、北海道胆振(いぶり)東部地震を始め、自然災害が相次いだためだ。

わしにとっての「災」は、なんというても、今年の夏に発生した西日本豪雨じゃの。





↓日本漢字能力検定協会については、こちら↓

公益財団法人 日本漢字能力検定協会





西日本豪雨を受けて、中國新聞では「いのちを守る~検証 西日本豪雨」という特集が組まれている。

11月27日からは、「救助者から見たあの日」ということで、消防や警察・自衛隊などの救助者から見た現場の様子が、7回にわたって描かれた。

第1回目(11月27日掲載)は、「「自分にしか」直後に濁流」。

下手を打つと自分が二次災害に巻き込まれるという状況の中、助けに行くべきか、撤退するべきかの決断を迫られた話である。





この記事の現場は、2018年7月6日、東広島市と広島市安佐北区白市を結ぶ県道46号線(東広島白木線)に沿って流れ、三篠川(みささがわ)に流れ込む関川そばの志和町志和堀(しわぼり)。

その関川が豪雨のためはん濫、人が車ごと流されたとの無線を受けた巡査部長が、ひとりで現場へ向かう。

現場には、ボンネットちかくまで水に漬かった軽自動車があって、そばに男性がいた。

今なら助けに行けると考えた巡査部長は、歩いて男性のもとへむかう。

その直後、ごう音とともに、背後にある関川から流れ込んできた濁流に流される。

巡査部長は山側にある木を伝いながら濁流から脱出し、生還することができた。

が、あの日から5ヵ月ちかく立った今も、「この現場に立つのはまだ怖い」という。





「撤退する勇気も必要だったかもしれない。

ただ、助けを求める人を前に去ることはできなかった」






なぜ今回、この記事を取りあげたか?

それは、この出来事があった翌日の7月7日、わしはこの災害現場を通ったからじゃ。





わしゃ毎日、広島市内から東広島市内まで、JR山陽本線で通勤しとる。

7月6日、大雨のためJR山陽本線は15時30分で運転を取りやめた。

19時過ぎ、広島市に住む会社の人の車に便乗させてもらって帰ることにした。

が、時すでに遅し。

瀬野川(せのがわ)がはん濫したため、国道2号線は広島市安芸区あたりで数カ所にわたって陥没(かんぼつ)。

大渋滞となっていたため進むことができず、やむなく会社へ引き返して一泊。

翌7日、志和経由で広島市を目指したものの、行く道、行く道がことごとく通行止め。

志和堀から北へ向かって志和口を目指す途中、通行止めを無視して県道46号線を進むと…、





道を進んでいくと、道の真ん中で車が止まっとった。

雨も止んだことじゃし、何かの作業中で車を止めとってんかと思うたら、これが大間違い。


道の左側を流れる川が決壊して、この車は前から流れてきた川の水に立ち往生して、そのまま乗り捨てられたらしいことが分かった。

車のタイヤには、大量の泥と水草が絡まっていた。


山側には、川の流れに押し流されたと思われる車が2台。

川側には、停まった車と、その車に突っ込んだ車が2台。


合計5台の車が、20メートルくらいの範囲に取り残されとった。


嗚呼、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…。

そこを無事、通り過ぎたと思うたら、その先に道がない!

車の外に出てみると、川の濁流に流されて道がえぐり取られ、文字どおり道がなくなっとった!

無言で、引き返す。

「広島市への帰還!」






山側に押し流された車が、今回の被害にあった男性が乗っていた軽自動車。

あの日からずっと気にはしとったが、この災害に巻き込まれた人が無事、生きとることがわかって、安心した。

その県道46号線は、8月1日に仮復旧をしたそうじゃ。





幅9メートルの片側1車線の道路が、長さ95メートル、高さ6メートルにわたって崩落。

13日から工事を始め、大型土のう約500個を積み、アスファルトを敷設した。

「東広島白木線が仮復旧」(中國新聞 2018年8月3日)






…以下、余談。



西日本豪雨がおこった7月6日の夜、八本松から瀬野あたりにかけて、道路に乗り捨てられた自動車を3~4台見かけた。

土砂崩れに巻き込まれ、進むに進めなくなって乗り捨てられた車である。

あの車に乗っていた人たちは無事、家までたどり着くことができたんじゃろか?

あの日からもうじき半年になるが、今でもときどき思い出すんじゃの。





今日は、西日本豪雨での、志和町志和堀あたりで関川がはん濫した現場について話をさせてもらいました。





というわけで、今年(2018年)も、これでしまい(=終わり)じゃ。

今年1年、このブログを読んでいただき、ありがとうございました。

今年は「災」の年じゃったが、来年は少しでもええ(=良い)年になるようにしていきましょう。

来年もまた、よろしゅうお願いいたします。





ほいじゃあ、またの。
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「走り続けろよ」吉 幾三さん

2018年12月30日 | 音楽
ラジオ深夜便

人生/心の応援歌






12月27日、「ラジオ深夜便」の午前3時台は、「にっぽんの歌こころの歌:人生/心の応援歌」特集。



故・渥美 清(あつみ きよし)さんの「泣いてたまるか」(1966年)、

故・河島英五(かわしま えいご)さんの「時代おくれ」(1986年)、

中島みゆきさんの「ファイト!」(1994年)に続いて、

吉 幾三(よし いくぞう)さんの「走り続けろよ」(2011年)が流れた。



初めて聞いたが、ええ歌じゃった。





足を止めるなよ…這ってでも行けよ

目的あるだろう 走り続けろよ

(作詞・作曲:吉 幾三)






↓「走り続けろよ」については、こちら↓

「吉幾三「走り続けろよ」 (9月7日発売「幾三スタジオ」より)」YouTube





↓吉 幾三さんについては、こちら↓

吉幾三オフィシャルウェブサイト





この歌を聴きながら思い出したのが、その昔、ウルトラマラソンを走っていた時のこと。

そのときに心がけたのは、とにかく手と足を動かして、前に進め!

しんどくなって途中で歩いても、手と足を動かし続けて1センチでも前に進めば、かならずゴールにたどり着けるけぇの。





…以下、余談。



吉 幾三さんのウェブサイトのアドレスは「http://441930.jp/」。

441930 → 4(よ)4(し)1(い)9(く)30(ぞう) → よし いくぞう(吉 幾三)

なるほど、よう考えとってじゃ。

今までいろんなウェブサイトを見てきたが、数字だけのアドレスいうのは初めて見たような気がするのう。





…もひとつ、余談。



以前、ラジオ深夜便で吉 幾三さんの「と・も・こ」いう歌を聴いたが、これもええ歌じゃった。





↓「と・も・こ」については、こちら↓

「と・も・こ 吉幾三」YouTube





今日は、吉 幾三さんの歌「走り続けろよ」について話をさせてもらいました。

ほいじゃあ、またの。
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安芸津駅 JR呉線

2018年12月29日 | 見て歩き
安芸津駅(あきつえき)

映画『恋のしずく』ロケ地

三浦仙三郎(みうら せんざぶろう)






JR呉線は12月15日、三原駅-安浦駅間で運転を再開。

今年7月の西日本豪雨で被災して以来、163日ぶりに全線が復旧した。

前回は、その呉線にある風早駅(かざはやえき)と、その周辺について話をさせてもらいました。

今回は、映画『恋のしずく』のロケ地のひとつ、安芸津駅を紹介していきます。












↓映画『恋のしずく』については、こちら↓

映画『恋のしずく』公式サイト





↓前回については、こちら↓

風早駅 JR呉線







映画『恋のしずく』といえば、このベンチ。

映画の中では西条の玄関口として描かれていたのが、実は安芸津駅。







後ろに見える白壁の建物が、西条を思わせます。

ちなみにこの建物、トイレです。





映画『恋のしずく』でベンチといえば、もうひとつ。

酔いつぶれた有重が、年上の美咲に想いを伝えたベンチもある。



こちらは、西条にある酒泉館(しゅせんかん。賀茂泉酒造)にあるそうです。





(撮影日:2015年12月30日)





↓酒泉館については、こちら↓

「お酒喫茶 酒泉館」カンパイ!広島県





同じ東広島市にあるとはいえ、この安芸津駅が、なぜ酒都(しゅと)・西条の玄関口として描かれたか?

考えられるのは、この映画で描かれる西条とこの駅のイメージが合っているため。

が、それ以上にこの安芸津からは、西条はもとより、広島での酒造りを語る上で欠かせない人物が生まれたためと思われる。

その人物とは、醸造家の三浦仙三郎。

西条を描いたこの映画で安芸津駅でロケが行われたのは、この仙三郎に敬意をこめてのことと、わしゃ勝手に解釈しとるんじゃがの。





明治時代に活躍された三浦仙三郎。

一体どういうことをされた方なのか?

それには、日本酒についての説明が必要かもしれん。





日本酒を造るための水はもともと、硬水(こうすい)が向いているとされとった。

酒を醸造する過程では、米に含まれる酵母の発酵を活発にさせる栄養分が必要で、硬水にはそれがたくさん含まれとるからじゃ。



日本の三大醸造所、兵庫の「灘(なだ)」、京都の「伏見(ふしみ)」は、硬水。

ところが、広島の「西条」は硬水でなく、軟水(なんすい)。



軟水には、酵母の発酵を活発にさせる栄養分が少ない。

そのため、うまい酒を作ることができんかった。



しかし仙三郎は、軟水でもうまい酒造りができる方法を見つけた。

その方法とは、酵母を低温でゆっくり時間をかけて発酵させる「軟水醸造法」というもの。



人間、自分で開発したものは、とかく自分ひとりで独占したがる。



ところがこの仙三郎、自分だけの手柄にせず、「軟水醸造法」をほかの酒造家にも教えた。

そのため、この地域一帯でうまい酒を造ることができるようになったというわけなんじゃ。





たとえば…。



1970年(明治40)、大蔵省醸造試験所で醸造協会主催の第1回清酒品評会褒章授与式が開催された。

これは、全国の酒を一堂に介して、その品質を純粋に競い合うというもの。

そのなかで、1位・龍勢、2位・三谷春に選ばれたのが、広島の酒。

上位2位に広島の酒が選ばれとるのは、仙三郎のおかげじゃろうの。







安芸津町にある榊山八幡神社(さかきやまはちまんじんじゃ)には、仙三郎の銅像が建てられとる。





その仙三郎を題材にした映画が現在製作中で、来年秋に公開予定だそうです。





↓映画『吟ずる者たち』については、こちら↓

吟ずる者たち 劇場用日本酒映画[製作進行中]





…以下、余談。



榊山八幡神社に着いたころ、雨が降り始めた。

雨に弱いわしは、即撤退。

電車の時間が迫っていることもあって、駅近くにあった柄酒造(映画の中では「及神酒造」)の前も素通り。

なにせ、この電車を逃すと次の電車まで2時間近く待たんといけん。

そのため、駅構内の写真もほとんど撮れんかったんじゃ。



…以上、駅の写真が少ないことの言い訳でした。

すいません。



後日、改めて訪問して、駅構内はもとより、地下道の壁画の写真などを追加しますけぇの。





訪問日:2018年12月23日





今日は、映画『恋のしずく』ロケ地のひとつ、安芸津駅(あきつえき)について話をさせてもらいました。

ほいじゃあ、またの。

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風早駅 JR呉線

2018年12月26日 | 見て歩き
風早駅(かざはやえき)

風早の浦(かざはやうら)

呉線事故慰霊碑

駅の近くをぶらぶら歩く






前回は、163日ぶりに全線が復旧したJR呉線に乗って風早駅まで行った。

呉線は今年7月の西日本豪雨で被災、不通となっとったんじゃの。

今回は、風早駅とその周辺をぶらぶら歩きながら紹介していきます。





↓前回については、こちら↓

祝! 呉線、全線復旧







駅名標(えきめいひょう)







こ線橋から、南方向(瀬戸内海)を見る



風早の浦は、『万葉集(まんようしゅう)』にその名が出てくる。

『万葉集』は、7世紀から8世紀にかけて編まれた日本最古の和歌集。

そのころから、ここは瀬戸内航路でも重要な港じゃったんじゃの。




風早の浦に船泊して夜作る歌二首



我が故に 妹嘆くらし 風早の

  浦の沖辺に 霧たなびけり(巻15-3615)



沖つ風 いたく吹きせば 吾妹子が

  嘆きの霧に 飽かましものを(巻15-3616)






↓風早の浦については、こちら↓

「風早の浦」ひろしま文化大百科







三原方向(上り)を見る







呉・広島方向(下り)を見る







こ線橋を見る







駅舎








駅舎の前には、仏像が彫ってあったらしい石碑と、壊れた灯籠があった。







呉線事故慰霊碑


昭和28年5月26日 呉線、風早駅でお客様が

下りホームから上りホームの通路を渡っておられる時

列車が接近し救出へ向かわれた砂田駅長とお客様

が列車と接車、お亡くなりなられたお二人の御霊を

慰霊するためのものです。


(案内板より)






この碑は、掃除がいきとどいていて、花も新しいものが供えてありました。

地元の人が大切にしておられるのがわかります。

合掌。







駅近くの駐車場に置かれていた看板。

この看板から問題です。

ここに書かれている「凪」という字は、何と読むでしょう?



正解は、「なぎ」。

「風や波が穏やかな状態」という意味の、国字。

国字とは、日本で作られた漢字のことなんじゃの。





…余談。



アニメ『宇宙戦艦ヤマト2199』の第1話「イスカンダルの使者」。

国連宇宙軍の艦隊が、冥王星沖へガミラス艦隊との戦いに向かう途中。

古代守艦長の指揮する駆逐艦ゆきかぜ艦内で、

「凪(な)いだ海です…恐いくらいだ」

というセリフがあった。



戦いを前にした、嵐の前の静けさをあらわした、ええセリフじゃと思う。







広島はもとより、ここ安芸津の特産は、かき(牡蠣。カキ)。

この店にもたくさんの人が買いに来ていました。





かき


東広島市の南側に位置する安芸津は、安芸灘に面し瀬戸の島々に囲まれたおだやかできれいな海が広がります。

ここ安芸津の海には、注ぎ込む大きな河川が近くにないため、この海域は塩分濃度の高さが特長です。

このような海域で育ったかきは、広島かきの他のエリアと比べると小ぶりですが、身がしまって、味が濃く、おいしさに定評があります。


(「観光・特産品情報」安芸津町商工会)








港では浚渫(しゅんせつ)作業中。

この夏の豪雨によって溜まった土砂を取り除いているのか、定期的な作業かはわからんが…。







これは舟屋(ふなや)か!?

舟屋いうのは、海のそばにあって、海面すれすれに建てた家の1階を漁船の置き場にして、2階に居室にした建物のこと。

生で見るのは、今回が初めてじゃ。





訪問日:2018年12月23日





今日は、JR呉線の風早駅とその周辺について話をさせてもらいました。

次回は、映画『恋のしずく』のロケ地のひとつ、JR呉線の安芸津駅について話をする予定じゃ。

ほいじゃあ、またの。
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祝! 呉線、全線復旧

2018年12月25日 | 広島の話題
西日本豪雨(その14)

呉線、163日ぶりに全線復旧

おかえり呉線プロジェクト







安芸津駅



今年(2018年)7月の西日本豪雨で被災、全線が不通となったJR呉線。

先日、12月15日、三原駅-安浦駅間で運転を再開。

呉線は5ヶ月ぶりに全線が復旧したんじゃの。





ここで、西日本豪雨で全線が不通となった後の、呉線の復旧状況を振り返ってみると…。



8月2日、坂駅-海田市駅間で運転を再開。

8月20日、広駅-呉駅間で暫定的に折り返し運転を開始。

9月9日、広駅-坂駅間で運転を再開。

10月14日、安芸川尻駅-広駅間で運転を再開。

10月28日、安浦駅-安芸川尻駅間で運転を再開。



…と、広島から三原方面に向けて、順次運転を再開していった。

そして12月15日、総延長87キロメートルにわたる呉線のうち、約半分の約44キロメートルにあたる三原駅-安浦駅間が運転を再開。

これによって、呉線は163日ぶりに全線が復旧したんじゃ。



呉線の復旧工事に携わってくださった方々、ほんとうにご苦労様でした。

ありがとうございます。





これを祝って、呉線の電車に向かって手を振るイベント「おかえり呉線プロジェクト」が呉線沿線の有志で企画され、1000人以上が参加。

この様子を電車の中から撮影し、編集した動画がYouTubeで公開されています。





↓おかえり呉線プロジェクトについては、こちら↓

「おかえり呉線」YouTube





…というわけで、一週間遅れになったが12月23日、呉線に乗って風早駅(かざはやえき)まで行ってみた。

この日は昼から雨という天気予報じゃったけぇ、終点の三原駅まで行くのはやめて、途中の風早駅で降りて、そこから次の安芸津駅までぶらぶら歩くことに。

映画『恋のしずく』のロケ地となった、安芸津駅、柄酒造あたりをめぐって帰るという予定にしたんじゃの。









呉線復旧にともなって、広島駅では「三原行き」の表示が復活。

朝の通勤時に呉線に乗り込む人を見ていると、全線が復旧した後は、乗る人があきらかに増えとる。







坂町にある呉線の水尻(みずしり)駅付近では、大規模な土砂崩れが発生。

呉線はもとより、広島呉道路(クレアライン)、国道31号線が流出。

7月12日、海岸にあるベイサイドビーチ坂(画面奥)の駐車場をう回路として使うことで、陸の孤島と化した呉市までのアクセスを確保、国道31号線は全線が復旧した。

来年1月には、う回路の撤去工事が行われる予定じゃそうな。







呉線の沿線には、豪雨の傷あとと、大きな土のうがあちこちに残されている。

全線が復旧したとはいえ、水尻駅-小屋浦駅間、かるが浜駅-天応駅間は、一部で徐行運転を行っています。







広駅(ひろえき)で、三原行きの電車に乗り換える。

考えてみると、呉線は新広駅(しんひろえき)までしか乗ったことがなかった。

広駅から東側の呉線に乗るのは、今回が初めてじゃ。





そういや来年、2019年3月のダイヤ改正から、広島シティネットワーク(山陽線:三原駅-岩国駅間、呉線:三原駅-海田市駅間、可部線:横川駅-あき亀山駅間)は、新型車両の227系「レッドウィング」に統一されるそうじゃ。

いうことは、上の写真に写った115系も、来年3月までしか見ることができんのじゃの。







風早駅で降りる。





訪問日:2018年12月23日





今日は、「祝! 呉線、全線復旧」ということで、163日ぶりに全線が復旧した呉線について話をさせてもらいました。

次回は、JR呉線の風早駅とその周辺について話をする予定じゃ。

ほいじゃあ、またの。
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