通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

市営平和アパート 広島市中区

2012年02月28日 | 広島の話題
「広島市は、中区昭和町(しょうわまち)にある市営平和アパートを建て替えることにしたそうじゃ」




市営平和アパート入口


手前が1号棟、奥が2号棟




「昭和町いうたら、お父さんが住んどったところじゃね」

「わしが1歳までじゃけぇ、何も覚えとらんのじゃがの。親父とお袋は結婚してからしばらくの間、昭和町にあった民家の2階に間借りして住んどったそうじゃ」

「この近くに住んどっちゃったんかね?」

「お袋に聞いてみたら、この近くに住んどったんじゃと。昭和市場というのがあって、買い物もそこでしよったそうじゃ」

「で、その市営平和アパートって、何か有名なものでもあるん?」

「広島市に戦後初めて建てられた鉄筋アパートで、そこに詩人の峠三吉(とうげ さんきち)も住んでおられたそうじゃ」

「峠三吉いうたら、「にんげんをかえせ」の詩で有名じゃね」




広島平和記念公園にある峠三吉詩碑
(撮影日:2010年4月29日)




「どこに住んでおられたんじゃろうか?」

「3号棟の4階に、1950年(昭和25年)から、亡くなった1953年(昭和28年)までおられたそうじゃ」




市営平和アパート3号棟



「このへんは爆心地からはどれくらいの距離があるんかね?」

「南東方向に、約1・7キロじゃの」

「すぐ前を京橋川(きょうばしがわ)が流れとるね」

「峠三吉は、部屋の窓から見える京橋川の眺めをヒントに、「河のある風景」をいう詩を作られたそうじゃ」




平和アパート内にある詩碑


 この平和アパートは、昭和23・24年度に建設された広島市で初めての鉄筋コンクリート造の市営住宅です。
 当時の住宅はほとんどが木造で、また、著しい住宅不足の時代でもあったため、モダンな住まいとして市民の注目をあびました。
 恒久平和と焦土からの復興を願い「平和」の名を冠しています。
 このアパートには、詩人峠三吉も入居し(昭和25年~28年)部屋の窓から京橋川を眺めてうたったと思われる詩「河のある風景」を残しています。


河のある風景

すでに落日は 都市に冷い
都市は入江の奥に 橋を爪立たせてひそまる
夕昏れる住宅の稀薄のなかに
時を喪った秋天のかけらを崩して
河流は 背中をそそけだてる

   原爆詩集・「河のある風景」より


 昭和62年度に、河岸に映える住宅づくりの一環として国の補助を受け景観改善事業を行いました。

   昭和63年3月 広島市

(詩碑より)




「戦後は、広島だけじゃのうて、日本中で住宅不足じゃったろうね」

「そんな中、平和アパートは1949年(昭和24年)3月に完成したそうじゃ」



最初の鉄筋コンクリート造の住宅は、昭和町の4階建てで24年はじめに完成したが、鉄筋工が不足して苦労したという。

(『被爆50周年 図説戦後広島市 街と暮らしの50年』広島市 1996年)




「鉄筋工って、どんなことをしてんじゃろうか?」

「図面を基に、コンクリートの中に入れる鉄筋を配置・組立する職業じゃそうな」

「そうか。鉄筋コンクリートの建物を作る人が足らんかったんじゃね」

「建てる家といえば木造の時代じゃったじゃろうけぇの」

「建ってから63年もたっとるのに現役というのは、すごいね」

「建物が老朽化してしもうたけぇ、この度、建て替えることになったそうじゃ」

「写真を見ると、4階建で3棟あるんじゃね」

「全部で72戸。内部は6畳と8畳の和室2間と、台所があるそうじゃ」





訪問日:2012年(平成24年)2月19日





↓市営平和アパートについては、こちら↓

「平和アパート」arch-hiroshima 広島の建築





↓峠三吉『原爆詩集』については、こちら↓

峠三吉『原爆詩集』





「今日は、建て替えることになった広島市中区にある市営平和アパートについて話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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御所の浦 呉市音戸町

2012年02月26日 | 広島の話題
「広島県にある、平清盛ゆかりの地を紹介するシリーズの第6弾」

「呉市(くれし)警固屋(けごや)にある平清盛公日招像、日招き岩と続いてきたけど、今日は?」

「今日は、呉市音戸町(おんどちょう)にある御所の浦(ごしょのうら)じゃ」

「御所の浦?」




呉市営バス 御所の浦バス停



「バス停もちゃんとあるんじゃね。ところで、清盛とはどういう関係があるん?」

「清盛が音戸の瀬戸を切り開いた時、この場所に仮の御殿を建てて、工事を見守られたそうじゃ」

「それで、「御所の浦」という地名がついたんじゃね」






御所の浦から見た、音戸大橋



音戸市民センター付近から見た、音戸大橋
(後ろの赤い橋は第2音戸大橋)




「こうやって見ると、音戸の瀬戸って狭いよね」

「幅が90メートルくらいしかないけぇの。清盛といえば、こんなトラックも見つけたんじゃ」







「清盛太鼓?」

「音戸清盛太鼓というて、1992年(平成4年)に音戸町町制60周年記念事業の一環として誕生したそうじゃ」





訪問日:2012年(平成24年)1月9日





↓清盛太鼓については、こちら↓

「音戸清盛太鼓」ひろしま文化大百科





↓清盛と呉市についての関連記事は、こちら↓

日招き伝説 清盛と音戸

日招き岩 呉市警固屋

平清盛公日招像 呉市警固屋






「今日は、呉市音戸町にある御所の浦について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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57年前の天満屋広島八丁堀店

2012年02月25日 | 広島の話題
「2月16日(木)の中国新聞に、天満屋が「閉店 最終売りつくし」の新聞広告を出しとったんじゃ」







「いよいよ3月4日(日)で閉店なんじゃね」

「広島八丁堀店は、1954年(昭和29年)5月1日に、広島市の八丁堀にオープンしたそうじゃ」

「58年も前になるんじゃね」

「この新聞広告には、1955年(昭和30年)10月1日、現在の場所に開店した時のフロアガイドが掲載されとったんよ」

「へぇ」

「これを見たら、当時は、地上5階、地下1階建てじゃったんじゃの」

「今は地上11階、地下1階じゃね」

「エスカレーターも3階までしかなかったんじゃ」

「エレベーターは5階まで行っとるね。今と同じところもあるけど、違うところもたくさんあるね」

「半世紀以上も前じゃけぇの、今回はそれを見ていこうと思うんじゃ」





「まず1階は、紳士服・紳士洋品・帽子・洋傘・ベビー用品など」

「「足袋(たび)」とあるね。隣に「靴下」とあるけぇ、この時代には足袋を履(は)いとる方がおられたんじゃね」

「足袋を履くということは、草履(ぞうり)や下駄(げた)を履いとる人がおられたということじゃの。ちなみに、わしの叔父さんは、昭和40年代まで下駄を履いとられたのう」

「そういえば、かまやつひろしが歌った『我が良き友よ』はいつじゃったっけ?」

「1975年(昭和50年)じゃ」


♪下駄をならして奴がくる~


「ちなみに、この曲を作詞した吉田拓郎(よしだ たくろう)は、広島市育ちじゃの」



「あと、1階には「公衆電話」もあったね」

「一般家庭に、電話がまだ普及しとらんかった時代じゃけぇの」

「街のタバコ屋さんには、赤電話が置いてあったよね」

「映画『ALWAYS 3丁目の夕日』にも出てきとったのう」

「10円玉1枚で、3分間話ができたもんね」

「ところが、10円で3分間しか話せんようになったのは、1970年(昭和45年)の1月30日からなんじゃ」

「ほんま!? それまではどうじゃったん?」

「1通話10円で時間無制限。つまり、公衆電話に10円玉を1枚入れると、好きなだけ話ができたそうじゃ」

「女の子にはえかったかもね」

「クラーク・ケントがスーパーマンに変身しようとした時、公衆電話で長話をされとったら困るよのう」

「それはアメリカの話じゃけぇ、日本のことは関係ないじゃろ?」

「話を元に戻すと、1月30日は市内通話料金が3分で10円になった日ということで、この日は「3分間電話の日」になっとるんじゃの」

「携帯が普及した今じゃ、街中で公衆電話を探す方が大変じゃね」

「わしのお袋は、「街に公衆電話がのうなって困っとる」と言うとるで」

「まだ携帯を持っとられんけぇね」

「2月22日(水)の中国新聞によると、広島県内の携帯普及率が初めて9割を超えて91・1%になり、都道府県別順位で10位になったそうじゃ」

(青文字部分、2012年2月22日追加)






「2階は、洋服・呉服・学生服など」

「「紳士既製服」と「紳士服地」とあるね」

「紳士服は、生地を選んで仕立てるのが主流じゃったけぇの」

「紳士服も既製のものを買うのが当たり前になったね」

「テーラーをやっとられた叔父さんの店に行くと、縫いかけの服が掛けてあったもんじゃ。そういや、オーダーメイドのワイシャツもあったのう」

「「テーラー(tailor)」という言葉も、聞かんようになったね」

「オーダーメイドから既製服になって、お客の顔が見えんようになってしもうた、と叔父さんも言うておられたのう」





「3階は、履き物・化粧品・文房具・時計・ミシン・ラジオなど」

「ミシンといえば、今は電気式が当たり前じゃけど、このころは足踏み式や手回し式じゃったね」

「わしの家にも足踏み式のミシンが置いてあったのう」

「うちの家にもあったよ。NHK朝の連ドラ『カーネーション』で、戦争中、主人公の糸子(いとこ。演:尾野真千子)がミシンを供出しろいうて言われたんよ」

「あぁ。戦争中は金属供出があったけぇの」

「その時は、ミシンで軍服を作るということで何とか見逃してもらえたんじゃけどね」



第二次世界大戦が始まると家庭用ミシンの製造は禁止され、戦時中、ミシンは軍用ミシンのみ製作されることになる。

(「ミシン」ウィキペディア)






「4階は、催場・美術画廊・台所用品・食器など」

「「茶華道用具」とあるね」

「お嫁に行くのに、茶道や華道を習わんにゃいけん時代じゃたんかのう?」

「それをいうなら、着付けも必要じゃったんかもね」





「5階は、玩具・科学教材・オルガン・食堂など」

「「おもちゃ」じゃのうて「玩具」という言い方が、時代を感じるね」

「「科学教材」といえば、学研の「科学」と「学習」の「科学」の方じゃの」

「ピアノじゃのうて、オルガンを売っとったんじゃね」

「やっぱり、ピアノよりオルガンの方が安いんかのう?」

「それもあるし、鍵盤数が少ないけぇ、場所もとらんよね」

「わしが物心ついたとき、家にオルガンが置いてあったんよ」

「店に飾ってあったオルガンを、息子がじっと見よったけぇ買うてきたんじゃ、いうてお義父さんが言よっちゃったよ。親心じゃね」

「どら息子2人じゃったけぇ、ほとんど弾かんうちに捨てられてしもうたよのう」

「うちらが子どものころは、デパート(もしくは百貨店)の食堂で食事をするというのが、最大級のごちそうじゃったね」

「どこへいっても、結局はお子様ランチしか食べんのじゃがの」



一般的に、何点かの料理を1つの皿に盛るように区切られたランチプレートにチキンライス・オムライス・チャーハンといったご飯が山形に盛られ、おかずにはハンバーグやエビフライ・唐揚げ・ナポリタン・プリンといった子供に人気の高い料理が添えられる。

店やメニューによっては、注文するに当たり“小学生まで”としている場合がある。
理由は、子供連れの家族を狙った客寄せの意味が大きく、多種類の料理を盛り付ける手間が掛かり、あまり利益が上がらないためである。

(「お子様ランチ」ウィキペディア)






「屋上は、子供の国・展望台・パーラー」

「「パーラー」という言葉に時代を感じるね」

「「ムーンロケット」「キャタピラー」「サンダーネイル」などの乗り物があるんじゃの」

「「サンダーネイル」は観覧車なんじゃね」

「展望台から見えた、あのころの広島の街はどげなかったんじゃろうか?」



1950年代半ば(昭和30年代初め)から1960年代後半(昭和40年代半ば)にかけてが屋上遊園地の全盛期であった。
現在と比べ子供達の娯楽が乏しかったこともあって、子供達にとってはまさに天国であり楽園的な存在でもあった。
今やデパートの存在価値はすっかり薄れてしまったが、大正時代から昭和50年ぐらいまでは日曜日ともなると家族揃って半日から1日がかりでデパートで過ごすという事は行楽行事の一つでもあり、おもちゃ売り場、大食堂、屋上遊園地と子供達はその日を楽しみに待ち望んだ。

(「屋上遊園地」ウィキペディア)






「地下は、食品売り場」

「「鰹節」とあるね」

「むかしは、それぞれの家に鰹節の削り器があったもんじゃ」

「鰹節は、使う直前に削るのがおいしいけぇね。ところで、今のようにパックに入った鰹節が売られるようになったのはいつごろじゃろか?」

「1969年。今から43年前のことじゃそうな」



風味を保つことのできる削り節の研究が続けられ、1969年(昭和44年)ににんべんが発売したのが「フレッシュパック」である。
包装に3層構造の合成樹脂フイルムを使用するとともに酸素除去のために不活性ガスを充填することで長期間風味を保つことに成功したこの商品は多く売られ、他社からも同様の製品が発売された。

(「削り節」ウィキペディア)




「へぇ。「削り節」って言うんじゃね」

「大正時代には、福山市にあった富士ワ安部商という会社が、紙袋で包装した削り節を考案したこともあるそうじゃ。もっとも、風味が失われるという問題が解決されとらんかったそうじゃがの」





「そういゃ、ソフトクリームの売り場がないね」

「ソフトクリームは1951年(昭和26年)、当時、日本を占領していた連合国軍によって広まったそうじゃ」



1954年(昭和29年)~1956年(昭和31年)頃
ソフトクリームの第一次ブーム到来

復興期の日本に初めて登場したソフトクリームは、またたく間に人々の心をつかみました。
朝鮮動乱の特需景気もあって街には飲食店が増え、有力店はいち早くソフトクリームに着目し、米軍払い下げのフリーザーを買い求めました。
まもなく、デパートの食堂や有名レストランでも販売されるようになり、国産フリーザーの開発や、粉状・液状ミックス(クリームの原料)の販売とともに1954年以降、第一次ブームに火がつきました。

(「歴史館」日世ソフトクリームランド)






↓天満屋については、こちら↓

天満屋ホームページ





↓広島市内にあるデパートについての関連記事は、こちら↓

1月11日(月)で屋上遊園地の営業を終えるデパートはどこ?

復興の記憶~広島 戦後の商業史~ 泉美術館






「今日は、天満屋の新聞広告に載っていた、57年前の広島八丁堀店について話をさせてもらいました」

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福山とんどを再現 福山市

2012年02月23日 | 広島の話題
「2月5日(日)、福山市で福山とんどの再現イベントがあったそうじゃ」







「福山城の築城を祝うために始まったんじゃね」

「福山とんどは、初代福山藩主の水野勝成(みずの かつなり)が福山城を築城した翌年の元和(げんな)9年(1623年)に始まったといわれとるんよ」

「1623年いうたら、約390年前か…」

「昭和30年代に途絶えたそうじゃが」

「夜の6時20分ころに点火して、月を借景にして行われたんじゃね」

「うちの近く(広島市東区二葉の里)にある饒津神社(にぎつじんじゃ)のとんども、夜にやりよるよの」

「夜のとんどもええよね」

「とんどは小正月(こしょうがつ)の行事じゃけぇ、旧暦では1月15日の行事になるんじゃ」

「旧暦は太陰太陽暦じゃけぇ、月初めが新月で、月半ばが満月になるんよね」

「今年(2012年)は2月8日(水)が月齢15.8の満月じゃったんよ。その日に近い2月5日に福山とんどを再現されちゃったんじゃろうの」

「福山とんどは築城の祝いとして始まったんじゃけぇ、にぎやかにやりよっちゃったんじゃろうね」

「諫鼓鶏(かんこけい)や鶴亀(つるかめ)など縁起物の飾り付けをしたとんどを、燃やす前に城下を担いで練り歩いたそうじゃ」

「なんで、昭和30年代に止められたんじゃろうか?」

「そのころ、市街地に電線が張り巡らされるようになったんよ」

「城下を練り歩くということは、とんどが電線に引っかかったりするよね」

「あとは、燃やす場所がなくなったという理由で中止になったそうじゃ」

「今回は、とんどが市街地を練り歩いたんかね?」

「1月28日(土)に福山本通商店街を練り歩いたそうじゃ」

「今後も続けて欲しいもんじゃね」





↓福山とんどについては、こちら↓

「「福山とんど」 復活と交流のイベントを取材しました」びんごの見どころ





↓とんどについての関連記事は、こちら↓

とんど饅頭を製造・販売している店がある市はどこ?





「今日は、福山とんどについて話をさせてもらいました」

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宮島言葉のいろいろ その4 「ゆわえる」

2012年02月22日 | 広島弁
「宮島の町屋通りに飾ってある「宮島言葉のいろいろ」を紹介するシリーズの、今日は第4回目です」

「今日は「ゆわえる」じゃ」




ゆわえる…結ぶ・くくる・しばる
(撮影日:2012年1月4日)




「広島弁の「ゆわえる」とは、「結ぶ・くくる・しばる」という意味じゃね」

「「くつのひもをゆわえる(=結ぶ)」と言うよの」

「「髪をいい(=結ぶ)に行く」という言い方もあるね」

「昨年(2011年)にデジタル・リマスター版が上映された、『髪結(かみゆ)いの亭主』(1990年)というフランス映画もあったのう」

「「髪結いの亭主」とは、「妻の働きで養われている夫」という意味なんじゃね」

「「結ぶ」の反対の「解(ほど)く」という意味で、「もどく」とか「もどける」という言い方もあるんじゃの」





【今日の宮島言葉】

ゆわえる

意味/結ぶ

例文/「このロープをゆわえてくれーや(=このロープを結んでくださいよ)」



参考文献:
廿日市市商工会議所『宮島本 改訂版 宮島検定テキスト』2008年






↓宮島言葉のいろいろについての関連記事は、こちら↓

宮島言葉のいろいろ その3 「よーけ」

宮島言葉のいろいろ その2 「わやにする」

宮島言葉のいろいろ その1 「わらう」






「今日は、「宮島言葉のいろいろ」で「ゆわえる(結ぶ・くくる・しばる)」について話をさせてもらいました」

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