通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

年末のご挨拶 2020年

2020年12月31日 | 日記
今年、2020年は、
コロナ禍に始まり、
コロナ禍に終わったような
気がする。

いうても、1月くらいは
「中国で新しい感染症が流行しとる」
くらいの認識じゃったが。



新型コロナウイルスの脅威を
身近に感じるようになったのは、
3年じゃった娘2号の娘が通う
大学の卒業式が「中止」と決まった
2月中ごろからかの。





(「飛沫対策 円内で待機 カープ入場券発売」
2020年3月2日 中国新聞)


「今年の1枚」に選びたいほど
インパクトのあった写真が、これ。

「新型コロナで世の中変わった」
ことを実感させてくれました。



ほいじゃが、このころはまだ、
マスクを着けている人も
少なかったように思う。



3月8日、広島市で
初の新型コロナ感染者を確認。

マスクを買い求める人が
ドラッグストアなどに
押しかけるようになったのは、
その直後のこと。

マスクの買い置きが
ほとんどなかった我が家は、
女房が作る手作りマスクで
なんとか乗り切った。



3~4月の第1波、
7~8月の第2波を乗り越え、
このまま落ち着くかと思われたが、
第2波が収まらんうちに、
第3波がやってきた。



11月から12月にかけて、
広島県での新型コロナ感染者が急増。

これを受けて広島県では、
12月12日から来年1月3日にかけて
広島市で「集中対策期間」を実施した。

「集中対策期間」は25日から、
広島市に加え、
廿日市市、府中町、海田町、坂町
に対象を広げて、
来年1月17日まで延長されています。

これを受けて、広島市の成人式も
5月2日(日)に延期されました。



今、一番心配なのは、
大学4年の娘2号の卒業式が
無事行われるかどうかってこと。

こればっかりは、
成人式のように「延期」
いうわけにはいかんけぇの。



とにかく、
いろんなことがあった1年でした。



来年、2021年は
穏やかな1年でありますように。



今年最後の笑いに、
笑い門松の写真を1枚。





(撮影日:2011年12月30日、
海上自衛隊 呉地方隊にて)




ほいじゃあ、またの。
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「カープ選手かぞえ唄」に元歌があった!?

2020年12月27日 | 音楽
皆さんは、
「カープ選手かぞえ唄」という歌を
ご存じでしょうか?

今から45年前の1975年、
球団創設以来26年目にして
悲願の初優勝を達成した広島カープ。

そのカープ初優勝時の古葉監督以下、
主力選手たちが吹き込んだのが
「カープ選手かぞえ唄」という歌。

この「カープ選手かぞえ唄」には、
実は、元となる歌があったのです。





というわけで今日は、
「カープ選手かぞえ唄」に元歌があった!?
という話でがんす。





↓「カープ選手かぞえ唄」については、こちら↓

「カープ数え唄【選手紹介付】(1975)」YouTube





先日、12月23日(水)の午前3時30分ころ、
トイレに行った後、
「もう一眠りするか」と横になった。

その時、ラジオから、
あの懐かしの「カープ選手かぞえ唄」が
流れてきた。

「おぉ~、この歌も久しぶりに聞くのう。
NHKも粋なことをしてくれるもんじゃ」

…が、よくよく聞いてみると、
歌詞がちぃと(=少し)違う。

「待てよ。シーズンオフじゃいうのに、
なんでまたこの歌が、
しかもNHKの「ラジオ深夜便」で
かかるんじゃろ?」

さらに聞いていくと、
歌詞がちぃとどころが、
全然違うとるが。

…この歌はなんじゃろ?

寝ぼけた頭のままラジオを聞いていると、
守屋 浩(もりや ひろし)さんが歌う
「大学かぞえうた」ということが分かった。





↓「大学かぞえうた」については、こちら↓

「大学かぞえうた(守屋浩)」YouTube





「大学かぞえうた」
について調べてみると…。

「大学かぞえうた」は、
今から58年前の1962年8月に
シングルで発売された歌。

そのころ流行していた
歌声喫茶で歌われていた曲を採譜・編曲し、
歌詞を一部変更したもの。



ちなみに、このレコードの
プロデュースを担当されたのが、のちに
南沙織(みなみ さおり)さんをはじめ、
郷ひろみさん、
山口百恵(やまぐち ももえ)さんなど
数多くのミュージシャンを育成する
酒井 政利(さかい まさとし)さん。





さらに調べていくと、
「大学かぞえうた」の、
さらに元となる歌があるという。

そのうちのひとつといわれるが、
瀬戸内海に浮かぶ
広島県江田島市(えたじまし)に
かつて存在した旧海軍兵学校で
歌われていた「兵学校数え歌」という歌。

広島カープに始まったかぞえ歌探しが、
最後は広島の江田島に戻ってくるとは
思わなんだ。





↓「兵学校数え歌」については、こちら↓

「兵学校数え唄(海軍兵学校)」YouTube





以下、余談…。



「カープ選手かぞえ唄」を吹き込んだ、
広島カープ初優勝時(1975年)の
主力メンバーは、以下のとおり。

1番 大下剛史(おおした つよし)セカンド

2番 三村敏之(みむら としゆき)ショート

3番 ゲイル・ポプキンス ファースト

4番 山本浩二(やまもと こうじ)センター

5番 衣笠祥雄(きぬがさ さちお)サード

6番 リッチー・シェーン ライト

7番 水谷実雄(みずたに じつお)レフト

8番 水沼四郎(みずぬま しろう)
  キャッチャー

  道原裕幸(みちはら ひろゆき)〃

9番 外木場 義郎(そとこば よしろう)
  ピッチャー

  佐伯和司(さえき かずし)〃

  池谷 公二郎(いけがや こうじろう)〃

  金城基泰(かねしろ もとやす)〃

  渡辺弘基(わたなべ ひろき)〃

  宮本幸信(みやもと ゆきのぶ)〃

10番 山本一義(やまもと かずよし)
  コーチ兼任

  古葉竹識(こば たけし)監督





以下、さらに余談…。



この歌の作詞を担当されたのが、
津田一男(つだ かずお)さんと
有馬 三恵子(ありま みえこ)さん。



津田さんは、中国新聞誌上に
名コラム「球心」を連載されていた方で、
カープが悲願の初優勝を達成したときの
「球心」の書き出しは、
今でも語り草となっている。



「真っ赤な、真っ赤な、炎と燃える真っ赤な花が、いま、まぎれもなく開いた」



有馬さんは、
伊東ゆかりさん「小指の想い出」、
南 沙織(みなみ さおり)さん「17才」、
金井克子(かない かつこ)さん
「他人の関係」など、
数々のヒット曲を手掛けた作詞家。

「カープを優勝させる会」の
メンバーであったところから、
1975年、広島カープの球団歌
「それ行けカープ ~若き鯉たち~」
(歌:塩見 大治郎(しおみ だいじろう)さん)、
同じく
「カープを優勝させる会」のメンバーだった
富永 一朗(とみなが いちろう)さんの
「ゴーゴーカープ」も担当されました。





↓塩見 大治郎さんについての関連記事は、こちら↓

塩見大治郎さん





↓「ゴーゴーカープ」については、こちら↓

「ゴーゴーカープ」YouTube





富永さんが出演されていた
テレビ大喜利番組『お笑いマンガ道場』の
司会を務めていたのが、
「県北の大都会・三次(みよし)」出身の
柏村武昭(かしむら たけあき)さん。

柏村さんも、1975年
「痛快!赤ヘル音頭」というレコードを
出されていますが、
今回は「数え歌」つながりで、
B面の「赤ヘル数え歌」を紹介しましょう。





↓「赤ヘル数え歌」については、こちら↓

「赤ヘル数え歌 柏村武昭 コーラスカープ私設応援団」YouTube





最後にもう一度、
「カープ選手かぞえ唄」を聞いて
終わりにしたいと思います。

冒頭に流れるのが、1975年10月15日、
広島カープが初優勝を決めた試合の、
RCC中国放送のラジオ中継。

中継を担当したのは、
RCC中国放送の名物アナウンサー
上野隆紘(うえの たかひろ)さん。

優勝が決まった瞬間、後ろで
「やった! やった!」と叫んでいるのが、
野球解説者の
金山次郎(かなやま じろう)さん。

金山さんは3回、盗塁王に選ばれ、
(広島カープでは、1953年の1回のみ)
広島カープの「走る野球」の原点に
なったといわれる方。

金山さんから後は、
古葉竹識(1964年、68年)、
大下剛史(1975年)、
衣笠祥雄(1976年)、
高橋慶彦(1979年、80年、85年)、
正田耕三(1989年)、
野村謙二郎(1990年、91年、94年)、
緒方孝市(1995年 - 97年)、
梵 英心(2010年)、
丸 佳浩(2013年)、
田中広輔(2017年)
が盗塁王に選ばれています。


1975年10月15日の
広島カープの先発メンバーは
以下のとおり。

1番 大下
2番 三村
3番 ポプキンス
4番 山本浩
5番 衣笠
6番 シェーン
7番 水谷
8番 道原
9番 外木場





↓「カープ選手かぞえ唄」については、こちら↓

「1975カープ初V / 選手数え歌」YouTube





今日は、
「カープ選手かぞえ唄」に元歌があった!?
について話をさせてもらいました。



ほいじゃあ、またの。
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特撮/怪獣・戦隊もの主題歌集(その1)

2020年12月20日 | まんが・テレビ・映画
NHKラジオ「ラジオ深夜便」、
2020年12月20日(日)の午前3時台は、
「懐かしのTV番組
特撮/怪獣・戦隊もの主題歌集」。





↓目次は、こちら↓

「特撮/怪獣・戦隊もの主題歌集」





今回は、そのうちの3曲、
「ウルトラQ メインタイトル、テーマ」
「ウルトラマンの歌」
「ウルトラセブンの歌」
についての話でがんす。





「ウルトラQ メインタイトル~テーマ」
作曲/宮内國郎

『ウルトラQ』
放送期間/1966年1月2日-7月3日
放送時間/毎週日曜19:00-19:30
制作/TBS、円谷プロ




あのころ、この曲は
むちゃくちゃ怖かった。



「怖かった」と
過去形で言うのは正しくない。

今、聞いても、
ハッキリ言って、
怖い。



『ウルトラQ』が放送された
1966年は、今から54年で、
わしが2~3歳のころ。

当然、本放送は観とらん。

幼稚園のころ、
テレビの再放送で観たはず。

いや~、ほんま怖かった。

しかも、このテーマ曲に
名優・石坂浩二さんのナレーションが
被(かぶ)さってくる。



ここはすべてのバランスが崩れた
恐るべき世界なのです。

これからの30分間、
あなたの眼はあなたの体を離れ、
この不思議な世界へと入ってゆくのです。




今聞いても、オシッコちびりじゃ。



でも、この曲を最後まで
通して聞いてしまうのは、
何故?

怖い怖いと思いながら、
こまい(=小さい)ころのわしが
『ウルトラQ』を観たのは、
何故?



それは、このテーマ曲が
本編への期待を抱かせる
名曲だからでしょうか。





↓「ウルトラQ メインタイトル~テーマ」については、こちら↓

「ウルトラQ - メイン・テーマ」YouTube





作曲の宮内國郎
(みやうち くにお。1932年-2006年)
さんはジャズ畑の方。

次作の『ウルトラマン』を始め、
『ザ☆ウルトラマン』(1979年)、
同じく円谷プロでは
『快獣ブースカ』(1966年)
『トリプルファイター』(1972年)、
そしてピー・プロの
『スペクトルマン』(1971年)
などで音楽を担当されています。





↓「ザ☆ウルトラマン」については、こちら↓

「ザ☆ウルトラマン/ささきいさお、コーラス:コロムビアゆりかご会」YouTube





「ウルトラマンの歌」
作詞/東 京一
作曲・編曲/宮内國郎
歌/みすず児童合唱団、コーロ・ステルラ

『ウルトラマン』
放送期間/1966年7月17日-1967年4月9日
放送時間/毎週日曜19:00-19:30
制作/TBS、円谷プロ



♪胸につけてる マークは流星


わしが子どものころ、
顔にかぶるマスク、
腰につける刀もしくはピストル、
そして背中にまとうマントは、
正義のヒーローの必需品じゃった。

それが、ウルトラマンから
新たなアイテムが増えた。
それが、胸につけるバッジ。

科学特捜隊の隊員服につけられている
流星型のバッジは、
内蔵されているアンテナを伸ばすことで
小型通信機として使用できるという
優れものじゃった。





↓「ウルトラマンの歌」については、こちら↓

「ウルトラマンOp(フル)」YouTube





↓ウルトラマンのBGMについては、こちら↓

「ウルトラマンOp(フル)」YouTube





作詞の東 京一
(あずま きょういち)は、
円谷プロ2代目社長にして
演出家、プロデューサーの円谷 一
(つぶらや はじめ、1931年-1973年)
さんのペンネーム。

ウルトラシリーズでは、
『ウルトラQ』から
『ウルトラマンA』までの
主題歌、挿入歌等の
作詞を担当されています。

東 京一さん亡き後の
『ウルトラマンタロウ』からは、
数々のヒット曲を世に送り出した
阿久 悠(あく ゆう、1937年-2007年)
さんが作詞を担当されました。





余談じゃが…、

「東京一」という名前を見た
子供のころのわしは、
「とうきょう はじめ」と読んだ。

『ウルトラマン大百科!』
(キングレコード SKK(H)2102)に
「Kyoichi Azuma」と表記してあって、
そこで「あずま きょういち」と
読むことを知ったんじゃの。






「ウルトラセブンの歌」
作詞/東 京一
作曲・編曲/冬木 透
歌/みすず児童合唱団、ジ・エコーズ

『ウルトラセブン』
放送期間/1967年10月1日-1968年9月8日
放送時間/毎週日曜19:00-19:30
制作/TBS、円谷プロ




この歌は1971年、
「また逢う日まで」
(作詞/阿久悠、作曲/筒美京平)
で大ヒットを飛ばした
尾崎紀世彦
(おざき きよひこ、1943年-2012年)
さんが歌ったことでも有名。

尾崎さんが当時所属していたグループ
「ザ・ワンダース」は、
テイチクレコードの専属じゃった。

そのため、他のレコード会社では
「ジ・エコーズ」という名前で
レコーディングしていたという。

出だしの男声コーラス

♪セブン~ セブン~ セブン~

の3番目が尾崎さん。



また、この歌はホルンによる「合いの手」
が入ることでも有名。

♪セブン セブン セブン
ウォーン

セブン セブン セブン
ウォーン

はるかな星が
ウォーン ウォーン

郷里(ふるさと)だ
ウォーン ウォーン


「ウォーン」の部分が、
ホルンによる合いの手なんじゃの。





↓「ウルトラセブンの歌」については、こちら↓

「Ultra seven op full」YouTube

「ウルトラセブンの歌(2014年度Ver.)」YouTube

←広島大学東雲混声合唱団パストラール





ジ・エコーズが歌った
「ULTRA SEVEN」
という曲もあります。

これは、「ワンダバ」と呼ばれる、
主にウルトラシリーズで
防衛組織が出動する時に使われる
BGMの先駆けとなった曲。





↓「ULTRA SEVEN」については、こちら↓

「ウルトラセブン挿入歌/ULTRA SEVEN # ジ・エコーズ」YouTube





今も人気があるウルトラセブン。

そのセブンの替え歌に合わせて
俳優の本木雅弘さんたちが、
コミカルなダンスを披露する
サントリーの健康茶のCM
「自分防衛団の歌」が放送中です。





↓「自分防衛団の歌」については、こちら↓

「サントリー 健康茶統合『自分防衛団の歌』篇 30秒 本木雅弘 高橋克実 梶原善 玉山鉄二 伊藤沙莉 CM」YouTube





音楽を担当した冬木 透
(ふゆき とおる)さんは、
広島とも関係があります。





↓冬木 透さんについての関連記事は、こちら↓

「冬木透氏と広島」





以下、余談…。

保育士をしている娘に教えてもろうた、
「一丁目のウルトラマン」という手遊び歌。





↓「一丁目のウルトラマン」については、こちら↓

「3歳児 手遊び ウルトラマン」YouTube





以下、さらに余談…。

『ウルトラマン』といえば、
来年、2021年初夏に公開予定の
映画『シン・ウルトラマン』。

企画・脚本は、2021年1月に
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』
が公開予定の
庵野秀明(あんの ひであき)さん。

庵野さんが目指したのは、
成田 亨(なりた とおる、1929年-2002年)
さんがデザインしたウルトラマン。

成田さんのウルトラマンには、
胸にあるカラータイマーはもとより、
マスクの目の下にあるのぞき穴、
スーツの背中にあるファスナー隠し
などがない。

これらはすべて、テレビ撮影用に
追加されたものじゃったんじゃの。





↓映画『シン・ウルトラマン』については、こちら↓

「映画『シン・ウルトラマン』公式サイト」





↓目次は、こちら↓

「特撮/怪獣・戦隊もの主題歌集」





今日は、NHKラジオ「ラジオ深夜便」、
「懐かしのTV番組
特撮/怪獣・戦隊もの主題歌集」から、
「ウルトラQ メインタイトル、テーマ」
「ウルトラマンの歌」
「ウルトラセブンの歌」
について話をさせてもらいました。



ほいじゃあ、またの。
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特撮/怪獣・戦隊もの主題歌集

2020年12月20日 | まんが・テレビ・映画
NHKラジオ「ラジオ深夜便」
2020年12月20日(日)の午前3時台は、
「懐かしのTV番組
特撮/怪獣・戦隊もの主題歌集」で、
以下の16曲がオンエアされました。



1.ウルトラQ メインタイトル、テーマ
(『ウルトラQ』)



2.ウルトラマンの歌
(『ウルトラマン』)



3.ウルトラセブンの歌
(『ウルトラセブン』)



4.帰ってきたウルトラマン
(『帰ってきたウルトラマン』



5.ウルトラマンエース
(『ウルトラマンA』)



6.ウルトラマンタロウ
(『ウルトラマンタロウ』)



7.怪獣王子の唄
(『怪獣王子』)



8.スペクトルマン・ゴーゴー
(『スペクトルマン』)



9.ミラーマンの唄
(『ミラーマン』)



10.行けレインボーマン
(『愛の戦士レインボーマン』)



11.レッツゴー!! ライダーキック
12.仮面ライダーのうた
(『仮面ライダー』)



13.忍者マーチ
(『仮面の忍者 赤影』)



14.風よ光よ
(『快傑ライオン丸』)



15.マイティジャックの歌
(『マイティジャック』)



16.進め! ゴレンジャー
(『秘密戦隊ゴレンジャー』)





「怪獣王子の唄」だけ???じゃったが、
そらで歌える曲ばかりで
たっぷりと堪能させてもらいました。





残念だったのは、
「戦隊もの」と謳ってあったのに
「スーパー戦隊シリーズ」からは
ゴレンジャーだけだったこと。

『太陽戦隊サンバルカン』くらいまで
取り上げてもらえるとうれしいな♪
と期待していたのですが…。




この16曲を、以下5回に分けて
紹介していく予定です。



特撮/怪獣・戦隊もの主題歌集(その1)

ウルトラQ メインタイトル、テーマ
ウルトラマンの歌
ウルトラセブンの歌



特撮/怪獣・戦隊もの主題歌集(その2)

帰ってきたウルトラマン
ウルトラマンエース
ウルトラマンタロウ



特撮/怪獣・戦隊もの主題歌集(その3)

怪獣王子の唄
スペクトルマン・ゴーゴー
ミラーマンの唄
行けレインボーマン



特撮/怪獣・戦隊もの主題歌集(その4)

レッツゴー!! ライダーキック
仮面ライダーのうた
忍者マーチ



特撮/怪獣・戦隊もの主題歌集(その5)

風よ光よ
マイティジャックの歌
進め! ゴレンジャー





今日は、NHKラジオ「ラジオ深夜便」
「懐かしのTV番組
特撮/怪獣・戦隊もの主題歌集」で
オンエアされた曲について
話をさせてもらいました。

ほいじゃあ、またの。
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歌手・前川陽子さん

2020年12月06日 | 音楽
印象的な歌声で歌われているのに、
テレビ・ラジオ・雑誌などで
その肉声を聞いたことがない方がいる。


そのうちのひとりが、
今から紹介する
歌手の前川陽子さん。




(ラジオ深夜便より)


前川さんといえば、
『ひょっこりひょうたん島』(1963年)
を始めとして、
『リボンの騎士』(1966年)
『キューティーハニー』(1973年)
『魔女っ子メグちゃん』(1974年)
などの主題歌を歌われた方。


NHKのラジオ深夜便
今朝4時からの「時代を創った声」に
前川さんが出演されるというので、
わしゃラジオの前で正座して待っとった。





今日は、
歌手・前川陽子さん
についてでがんす。





↓NHKラジオ深夜便については、こちら↓

「ラジオ深夜便」NHK





前川さんは、1950年12月18日生まれ。

12歳(中学1年)のとき、
人形劇『ひょっこりひょうたん島』
の主題歌でデビュー。

レコーディングのとき、
マイクにたわなかった
(=届かなかった)ので、
台の上に乗って歌ったという。





↓「ひょっこりひょうたん島」については、こちら↓

「ひょっこりひょうたん島 初回放送時OP」Youtube





↓NHK人形劇『ひょっこりひょうたん島』については、こちら↓

「ひょっこりひょうたん島」NHKエンタープライズ キャラクターページ





『ひょっこりひょうたん島』は大ヒットし、
1964年4月から1969年4月までの
5年間放送された。


前川さんにはCMソングのオファーが殺到、
約1000曲近くを歌われた。





↓CMソングについては、こちら↓

「【懐かCMソング】かっぱえびせん【カルビー】」Youtube





余談じゃが、
かっぱえびせんを製造している
カルビーという会社は、
広島市で創業した会社なんじゃの。





CMソングではありませんが、
新型コロナが流行している今だからこそ
改めて聞き直して欲しい歌が、これ。
「石けんで手を洗おう」。





↓「石けんで手を洗おう」については、こちら↓

「1968年頃 石けんで手を洗おう(前川陽子・ハニーナイツ)」Youtube





1960年代末、前川さんは
大学受験のため歌手を一時休業。


そんな彼女が、
アニメ『キューティーハニー』(1973年)
の主題歌を歌うことになったのには、
こんな理由があった。





「キューティーハニー」といえば、

♪この頃はやりの 女の子
おしりの小さな 女の子

(作詞:クロード・Q)


という出だしで始まって、
続く2番は、「プクッとボインの 女の子」
そして3番は、「子猫の肌した 女の子」
という、とってもインパクトのある歌詞。


当時10歳じゃったわしでも、
歌を聞いただけで
「鼻血ブー!(by谷岡ヤスジ)」。


アニメのオープニングを見ても…、
いや、本放送のとき、
わしゃ見れんかったんじゃ。


『キューティーハニー』が放送されていた
土曜の午後8時30分といえば、
裏番組に『8時だョ!全員集合』があって、
親父がそっちを見よった。


あのころは、テレビが一家に一台の時代。
ましてやビデオデッキなんてない時代。
親が見たい番組を見ている間は、
子供は指をくわえて見とるしか
なかったんじゃの。





閑話休題(それはともかく)。





「キューティーハニー」という曲はできたが、
それを歌いこなせる人がいない。


そこで、作曲を手がけた
故・渡辺岳夫さんのご指名で
前川さんが歌うことに。





↓「キューティーハニー」については、こちら↓

「キューティーハニー OP(関東再放送)」Youtube

「Yoko Maekawa - Cute Honey」Youtube






バックダンサーとともに
ラインダンスを踊った後でも、息を切らさず
昔と変わらない声量で歌う前川さん。


素晴らしい!!





渡辺さんはその翌年、
前川さんが歌うことを前提に
アニメ『魔女っ子メグちゃん』の
主題歌を作曲されたそうじゃ。





前川さんはこの後、
ふたたび歌手を休業。


2001年、ジャズシンガーとして復帰。


それまでの、アニメやCMの歌は
「こういう風に歌ってください」
という制限の中で歌ってきた。


それに対して、
自分が歌いたいように歌える、
自分を解き放てるということで
ジャズを歌うことに。


ジャズに関しては、
父親がダンスミュージックが好きで、
そのころからジャズに触れていた。
また、女性ジャズボーカリストの
サラ・ヴォーンのライブを聞いて
感銘を受けたという話も
されておられました。


前川さんでジャズといえば、
スーパー戦隊シリーズの第2作目
『ジャッカー電撃隊』(1977年)で
「それが始まりだった」(作詞:石森章太郎)
という歌も歌われています。





↓「それが始まりだった」については、こちら↓

「それが始まりだった 前川陽子」YouTube





番組の最後に、
前川さんからのメッセージがありました。





今のコロナ禍の中、

♪苦しいこともあるだろさ
悲しいこともあるだろさ
だけどボクらはくじけない
泣くのはいやだ 笑っちゃおう
すすめ!

元気を出していきましょう。






このメッセージを聞いて、
なぜだか涙がポロリと出てしもうた。


ほうでがんすの。
くじけても、泣いてもええ。
その後は、元気を出して、
前を向いて歩いていきましょう。





今日は、
歌手・前川陽子さん
について話をさせてもらいました。


ほいじゃあ、またの。
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